フレデリック・ショパン(Frédéric François Chopin/Fryderyk Franciszek Chopin)
フレデリック・ショパン(Frédéric Chopin/1810-1849/ポーランド)は、前期ロマン派を代表する作曲家です。作品のほとんどがピアノ独奏曲であり、繊細で美しく独創的であることから「ピアノの詩人」と呼ばれています。その作品は200年が経った現在でも多くの人から親しまれています。

この記事では、ショパンのピアノ曲を作曲された順に並べ、簡単な説明を加えた上で、難易度、弾き方、練習方法についての解説記事へのリンクを載せています。

※曲や曲集には着手してから完了するまでの作曲期間がありますが、ここでは完了年を載せています。また、諸説ある場合はできるだけ広く認められているものを採用しています。

■ 目次

1817年(7歳)

姉のルドヴィカからピアノを習っていたショパンですが、6歳になるとピアノ教師で作曲家のヴォイチェフ・ジヴヌィから指導を受けるようになりました。7歳の頃には演奏会を開くまでになっています。

ポロネーズ第11番ト短調(遺作)

決してメジャーな曲とは言いがたいかもしれませんが、ショパン好きの心をくすぐる曲であることは間違いありません。



1821年(11歳)

ワルシャワに来ていたロシアの皇帝アレクサンドル1世の前で演奏するなど、人気を博していたことがうかがえます。「ポロネーズ第13番変イ長調(遺作)」は恩師のジヴヌィに贈られました。

ポロネーズ第13番変イ長調(遺作)

私のように初めてショパンを弾く!という方にもおすすめですし、ショパン上級者の方がサクッとなにか弾きたいな~と思った時にもおすすめです!



1824年(14歳)

学校の夏休みに訪れたポーランド北部のシャファルニャで乗馬や水泳などを楽しみ、民謡にも触れました。「ムーアの民族的な歌による変奏曲」は友人の叔母ルドヴィカ・ジェヴァノフスカと連弾するために作曲されました。

連弾曲「ムーアの民族的な歌による変奏曲」ニ長調(遺作)

ショパンの作品の中に、なんと連弾曲があることは実はあまり知られていませんよね。今回、ピアニストの友人からこの曲の紹介を受け、演奏までご一緒することができましたのでご紹介してみようと思います。



1827年(17歳)

ワルシャワ音楽院で学ぶようになって1年が経った頃です。学長のユゼフ・エルスネルから音楽理論と作曲の指導を受けました。エルスネルからは「音楽の天才」と評されました。

ノクターン第19番ホ短調Op.72-1(遺作)


1829年(19歳)

ワルシャワ音楽院を首席で卒業し、ウィーンで演奏会を開きました。「ワルツ第13番変ニ長調Op.70-3(遺作)」は、好意を寄せていたコンスタンティア・グワドコフスカのために作曲されたとも言われていますが、根拠となるような資料は残されていないようです。

ワルツ第10番ロ短調Op.69-2(遺作)

この曲はショパンのワルツの中でもわりと簡単なほうだと言えます。ツェルニーであれば、30番を練習中という方なら十分マスターできるほどの難易度かと思います。



ワルツ第13番変ニ長調Op.70-3(遺作)

今まできちんと基礎に取り組んできたピアノ学習者にとっては練習量でカバーできるレベルでしょう。教本レベルで言えばツェルニー30番終了程度。



ワルツ第15番ホ長調(遺作)

それほど難易度は高くないにもかかわらず、思いのほか弾き応えがあって華やかなところもあるので、最初はとっつきやすく、弾けば弾くほど充実感を得られる曲であるとも言えます。



1830年(20歳)

大作の「ピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21」が完成しました。「ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)」は、姉のルドヴィカにこの協奏曲を習得してもらうために書かれたものです。

11月、ロシア帝国の支配下でその圧政に苦しめられていたポーランドの人々が自由を求めて武装蜂起しました。11月蜂起と呼ばれるこの事件は、翌年、圧倒的な軍事力をもつロシア軍により鎮圧されました。このときショパンはオーストリアのウィーンにいたため無事でしたが、祖国への思いに苦しめられたといいます。

ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)

超ずぼらな私でも面倒くさがらずに練習できる、短めで楽譜も見やすいとても弾きやすい曲なので重宝している一曲です。それでいて繊細で、弾けば弾くほど深みを増していく…弾きやすいのにカッコイイ!!



ワルツ第14番ホ短調(遺作)

この曲に出てくる技法というのもバリエーション豊かで、それゆえに難しく感じられる方もおられるかと思います。だからこそ憧れる曲でもあるのですよね。



ワルツ第16番変イ長調(遺作)


ワルツ第17番変ホ長調(遺作)


1831年(21歳)

オーストリアもまたポーランドを支配する国の一つで、ロシアの側に付いていました。ウィーンにいたショパンは活動ができなくなりパリに向かうことにします。その途上で蜂起が失敗に終わったことを知ったショパンは「革命のエチュードOp.10-12」を作曲しました。

ショパンを応援する人はパリにもいました。ショパンはプレイエル社のピアノを終生使いつづけましたが、プレイエル社社長で音楽家でもあるカミーユ・プレイエルとの親交もこのときからです。「3つの夜想曲Op.9」はカミーユの妻マリーに贈られました。

3つの夜想曲Op.9

ノクターン第1番変ロ短調Op.9-1

最初のメロディーが印象的で、ショパンらしい声楽的なメロディーの曲だと思います。左手の分散和音を弾くのが少し難しいかなと思います。



ノクターン第2番変ホ長調Op.9-2

やっぱりみんな大好き…ショパンノクターンop.9-2。甘くて切ないメロディに、思わずきゅんとするロマンチストのみなさん、「有名すぎるアイドル曲だからやめておこうかなあ…」なんて言わずに、頑張って中級からチャレンジしてみませんか?



ノクターン第3番ロ長調Op.9-3

メロディーがとにかく動きます。掴みどころがないのがこの曲の素敵なところです。Agitatoの部分はそれまでのフワフワ感が全くなくなり、リズムを刻んで攻撃的な雰囲気になります。この対比があることで曲がしまります。



1832年(22歳)

2月に行われた演奏会は大成功で、ショパンの名前はパリ社交界に一気に広まりました。ヴィルトゥオーソとして名をはせていたフランツ・リストとの交友も始まり、「12の練習曲Op.10」はリストに献呈されています。

フェリックス・メンデルスゾーンやフェルディナント・ヒラーのような音楽家、ハインリヒ・ハイネやウジェーヌ・ドラクロワといった芸術家とも知り合いました。ロベルト・シューマンは演奏会に先がけて新聞紙上でショパンを評価しました。

5つのマズルカOp.7

マズルカ第5番変ロ長調Op.7-1

テレビなどで、何となく聞いたことがあるという人が多いと思います。とてもシンプルで短い曲なので、「ちょっと何か弾いて」なんて言われた時にさらっと弾けるレパートリーとしてもオススメです。



12の練習曲Op.10

エチュード第1番「滝」ハ長調Op.10-1

憧れのショパンエチュード。よろこび勇んで1曲目を開くと…なるほどハ長調です。ところがこれが弾きにくい!それもそのはず、エチュードop.10の12曲の中でも、第1曲目はとくに難易度が高くて有名なのです。



エチュード第2番「半音階」イ短調Op.10-2

ショパンが作曲した当時、「この曲を練習するなら側に外科医を抱えていなければならない」と云われたのは有名な話ですね。



エチュード第3番「別れの曲」ホ長調Op.10-3

最初のテーマ部分のみの演奏では、中級レベルくらいの人でも演奏できますよ。そのあとから一気に難しくなって、「これって本当に別れの曲なの?」と聴いたことがない人も多々います。「和音がバラバラになって叫んでる~」と思わざるを得ない部分も出てきますよ。



エチュード第4番「奔流」嬰ハ短調Op.10-4

ピアノのコンサートやコンクールで見かけることが多いエチュードです。嵐のような曲想、派手な技巧と疾走感が魅力の曲ですが、テクニックの総まとめ的な要素があり、かなりハードルが高い曲だと言えます。



エチュード第5番「黒鍵」変ト長調Op.10-5

黒鍵のエチュードはテンポが速い、調号が多いということからなんとなく難しいような気がしますが、逆に指がよく動く方にとっては若干楽な部類に入るかもしれません。



エチュード第6番変ホ短調Op.10-6

これは細かい伴奏型の練習ではなく、息の長いメロディーを持続させるための作品です。なので、決して停滞することがないように注意して右手だけを聴かせる練習が不可欠です。



エチュード第7番ハ長調Op.10-7

トッカータ的な性格の練習曲です。この曲は1-2の連打を起点にした重音という特殊なテクニックを使うため、この曲が苦手な人にとっては全曲中最も難しい曲にもなり得るようです。



エチュード第8番ヘ長調Op.10-8

明らかに右手の技巧を鍛える練習曲ですが、左手は音楽の進行だけでなく旋律の役目も担っています。音楽的には左手が完全に主導権を握っていると言っていいでしょう。



エチュード第9番ヘ短調Op.10-9

この曲はおそらく練習曲集の中で最も易しい作品の一つです。左手を柔軟にして、指一本一本で弾いていくのではなく、手首の動きを上手くコントロールして演奏することが重要です。



エチュード第10番変イ長調Op.10-10

スラーの位置、アクセントの位置に変化があることで多様なキャラクターを描き出している練習曲です。個人的には最も華やかな曲だと思っていて、アンコール・ピースとして持っていて損はないはずです!



エチュード第11番変ホ長調Op.10-11

第1番とは全く異なる種類のアルペジオ練習曲です。音楽を作るための練習としては、第3番「別れの曲」と同様、自由な指使いでメロディーだけでよく歌う練習が有効かと思います。



エチュード第12番「革命」ハ短調Op.10-12

愛国心の強かったショパンですが、自分がいない時に祖国で起こった革命が失敗したことを知り、そのショックを音楽で表現したのです。テクニック的には完全に左手のための練習で、音楽的な主導権もほぼ左が握っていると言って良いと思います。



ワルツ第11番変ト長調Op.70-1(遺作)


1833年(23歳)

パリ社交界で名声を得たショパンですが、演奏活動については自宅に友人を招いてこじんまりとやるのを好み、当時のピアニストたちのような派手な活動はしませんでした。作曲とレッスンで十分に収入を得ることができたのと、健康が思わしくなかったこととによります。

「3つの夜想曲Op.15」は友人のフェルディナント・ヒラーに、「華麗なる大円舞曲Op.18」は弟子のローラ・オースウォードに、「スケルツォ第1番Op.20」は友人のトーマス・アルブレヒトに贈りました。「スケルツォ第1番」にはロシアに蹂躙された祖国への思いが込められています。

3つの夜想曲Op.15

ノクターン第4番ヘ長調Op.15-1


ノクターン第5番嬰ヘ長調Op.15-2


ノクターン第6番ト短調Op.15-3

この曲はショパンが「ハムレット」を観た次の日に作曲したと言われていて、出版される前に削除されましたが、「墓地にて」というタイトルが付いていたそうです。そのことを知るとこの曲の憂鬱な曲調に納得がいきます。



ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」変ホ長調Op.18

いざワルツを練習しようと思って楽譜を購入し、1番から弾こう!なんて絶対に思わないで下さいね。なぜなら私の主観ですが、1番のこの曲が最も難しいと思うからです。



スケルツォ第1番ロ短調Op.20

この曲は完全にテクニカルな曲です。滑稽さはほとんど感じられません。ひたむきに情熱を持って弾いていく必要のある曲だと思います。



1834年(24歳)

ショパンのもとには貴族の夫人や娘たちがピアノのレッスンを受けに来ており、貴族にとってはそれがステータスになりました。ポーランドから亡命してきた貴族も多く、その邸宅で開くサロンで演奏することもありました。

「幻想即興曲Op.66(遺作)」は弟子のエステ公爵夫人に献呈されました。

即興曲第4番「幻想即興曲」嬰ハ短調Op.66(遺作)

1. クロスリズムの攻略 2. 中盤の表現力(柔らかな音色で演奏する) 3. 構成力を持って演奏する この3つを肝に銘じて練習していきましょう!



1835年(25歳)

ショパンは亡命者という扱いになっていたためポーランドには戻れませんでした。そこで当時オーストリア領だった温泉地カルロヴィ・ヴァリで両親と落ち合い、つかのまの休暇を楽しみました。

パリへの帰途で寄ったドレスデンで、ポーランドで親交があったヴォジンスキ伯爵の一家と会いました。16歳の娘マリアへの恋に落ちたショパンは予定を変更して長逗留し、別れの日の朝に「ワルツ第9番Op.69-1(遺作)」を書いて贈りました。

2つのポロネーズOp.26

ポロネーズ第1番嬰ハ短調Op.26-1

まるで高ぶる感情を表現しているかのような曲で、その雰囲気に聴いている側は思わず圧倒されてしまうことでしょう。その一方で、中間部には何とも穏やかで甘美な旋律が登場し、そのギャップにも驚かされます。



2つの夜想曲Op.27

ノクターン第7番嬰ハ短調Op.27-1


ノクターン第8番変ニ長調Op.27-2

とても優雅な曲で、まさに貴婦人が紅茶を飲みながら聴くのにぴったりな素敵なノクターンです。私は自分のお葬式で流してほしいと思っているくらい(笑)聴いていると心が休まります。



バラード第1番ト短調Op.23

著名な映画やフィギュアスケートのBGMにも使用されている曲なので、知らない人は少ない超有名なバラード第一番、是非マスターしたいですね!



ワルツ第9番「別れのワルツ」変イ長調Op.69-1(遺作)

この曲には『別れ』というよりもどちらかというと『甘美な恋』を表現しているかのような雰囲気があります。



1836年(26歳)

夏から秋にかけて、ヴォジンスキ一家とオーストリア領の温泉地マリーエンバードで休暇を過ごし、ドレスデンでマリアにプロポーズしました。マリアは受け入れましたが、マリアの母はショパンの健康状態を気にしてその改善を求めました。

パリに戻ったショパンはマリアに7つの歌曲を贈りました。「エチュード第2番ヘ短調Op.25-2」を作曲した際にはこれを「マリアの魂の肖像」と呼んだとも言われています。

12の練習曲Op.25

エチュード第1番「エオリアン・ハープ」変イ長調Op.25-1

まさにハープを奏でているイメージで、羽のように軽快なタッチと繊細さが要求されます。まずは自由な指使いでメロディーだけを紡いでいく練習、それから5の指だけでメロディーを持続させる練習を徹底しましょう。



エチュード第2番ヘ短調Op.25-2

高速パッセージの中で、ピアニッシモとレガートを要求される練習曲です。地味な部類の曲ではありますが、軽やかな走句の多いショパン作品を演奏していく上で欠かせない技術です。



エチュード第3番ヘ長調Op.25-3

軽快な技巧とスケルツァンドなキャラクターを描く練習曲だと思います。まず右手が2つの声部で書かれていることに注目すべきです。



エチュード第4番イ短調Op.25-4

これは得手不得手の分かれる跳躍の練習です。実にショパンらしい跳躍の練習曲と言えます。



エチュード第5番ホ短調Op.25-5

とても美しい練習曲です。この曲はスケルツァンドのキャラクターですが、かなり上品だと思います。



エチュード第6番嬰ト短調Op.25-6

仮にショパンの練習曲を全曲制覇しない場合でも必ずマスターしなければならないのはこの曲です。多くのピアニストの天敵である「三度」のための練習です。



エチュード第7番「恋の二重唱」嬰ハ短調Op.25-7

チェロで弾くような長い呼吸と抑揚を学べる作品です。実際にチェロ用の編曲も有名ですね。



エチュード第8番変ニ長調Op.25-8

難曲ですが、さすがにピアノの演奏技法を知り尽くしていたショパンが作っただけあって、決して弾きにくい6度ではありません。黒鍵と白鍵の配置が見事で、ほぼ全てレガートで演奏できます。



エチュード第9番「蝶々」変ト長調Op.25-9

チャーミングな軽快さを演出する練習ですね。技巧的な面では比較的易しい作品です。ただ、ある程度速いテンポで弾くにはやはりそれなりのテクニックが必要であり、一方で遅いテンポでキャラクターを描くのもとても難しいという、曲者な作品かもしれません。



エチュード第10番ロ短調Op.25-10

難しい部類の練習曲ですが、あまりショパンらしくない曲想とやや規模が大きいのが原因なのか、それほど演奏頻度の高くない作品です。



エチュード第11番「木枯らし」イ短調Op.25-11

最難関の一つと言われる「木枯らしのエチュード」です。難しいポイントは、単純に速い16分音符です。しかし、充分な技巧を持つ人からすると、同じパターンの連続で書かれているせいでそれほど難しくないのです。



エチュード第12番「大洋」ハ短調Op.25-12

両手のアルペジオの練習です。楽譜を一見するとまるでハノンのようにシンプルな技巧の連続だけで書かれているのに、ショパンの手にかかると見事な音楽に仕上がっています。



1837年(27歳)

マリアとの手紙のやりとりはつづきましたが、ショパンの健康が一向に改善されないことから破談となりました。ショパンはマリアとその母からの手紙を入れた袋に「わが哀しみ」と書きました。

スケルツォ第2番変ロ短調Op.31

嵐が過ぎ去ったあとの再現部「ところてんところてん」…意味深な語尾の伸ばし方。



2つの夜想曲Op.32

ノクターン第9番ロ長調Op.32-1


ノクターン第10番変イ長調Op.32-2


1838年(28歳)

女流作家ジョルジュ・サンドはショパンに好意を持っていましたが、ショパンはサンドを嫌っていました。しかし、マリアとの関係が終わると2人は急接近します。11月、2人はショパンの健康状態の改善のために、温暖で景色も良いとされるスペイン領のマヨルカ島に出かけました。

華麗なる円舞曲Op.34

ワルツ第2番変イ長調Op.34-1


ワルツ第3番イ短調Op.34-2

この曲は弾けば弾くほど、独特な味わいを感じられるところが醍醐味だと思います。まさに噛めば噛むほど味が出るスルメイカのような曲だと個人的には感じております。



ワルツ第4番「猫のワルツ」ヘ長調Op.34-3

「子猫のワルツ」といわれている曲なのに「あなたのは豚のワルツね」とか酷評されてズドーンと落ちてました。



1839年(29歳)

マヨルカ島の天気は悪く、住民とのトラブルから荒れ果てた修道院に泊まることにもなり、ショパンの健康は悪化しました。しかしプレイエル社のピアノが届いてからは作曲が進み、「24の前奏曲Op.28」が完成したことを手紙でプレイエルに伝えています。

健康状態がきわめて悪くなったため2月に島を発ち、サンドの別荘があるフランス中西部のノアンに移ります。ノアンの穏やかな気候の中でショパンの具合も良くなりました。「2つのポロネーズOp.40」は留守中の事務作業にあたった友人のユリアン・フォンタナに献呈されています。

2つのポロネーズOp.40

ポロネーズ第3番「軍隊ポロネーズ」イ長調Op.40-1

この曲の場合、メロディーをあまり歌おうとするとリズムが崩れて、音楽の流れが悪くなります。リズムが大事ですので、リズムの中でメロディーを歌うつもりで弾くと良いと思います。



ポロネーズ第4番ハ短調Op.40-2

なぜこの曲が第3番と対になっているかというと、第3番がポーランドの偉大さや誇りを表している一方で、この第4番というのはポーランドの没落や悲劇を表していると言われているからなのです。



2つの夜想曲Op.37

ノクターン第11番ト短調Op.37-1


ノクターン第12番ト長調Op.37-2

右手に重音がたくさん出てくるので弾きにくい曲ではありますが、この重音がとても素敵です。音がどんどん変化していくので、その変化を楽しみ、弾きわけられるかが、この曲を上手に弾きこなすためのポイントだと思います。



24の前奏曲Op.28

プレリュード第7番イ長調Op.28-7

かの有名な太田胃散CMで使われている曲だったんですね。かくいう私も子供の頃は太田胃散のテーマ曲だと信じて疑うこともありませんでした(笑)



プレリュード第15番「雨だれ」変ニ長調Op.28-15

弱い雨はソフトで繊細なタッチ、強い雨は力強くややテヌート気味に、地面に打ち付ける雨をイメージして弾きます。



スケルツォ第3番嬰ハ短調Op.39

ショパンはあまり手が大きくはなかったのですが、愛弟子は大きな手だったようです。その愛弟子に献呈された曲なのでオクターブの連続が出てくるんでしょうね。



バラード第2番ヘ長調Op.38

「移り変わりの激しい気性」でしょうか。とにかく、いきなり静かに始まったかと思いきや激しくなる。激しさを増したかと思えばまた静寂に、、、 このコントラストが魅力でもあるのがバラ2なんです!



1840年(30歳)

パリに戻ったショパンとサンドは、はじめは別々に住んでいましたがすぐにサンドの家で一緒に住むようになりました。夏にまたノアンに行く計画があったようですが、マヨルカ島で出費がかさんだことや、サンドの劇作が失敗に終わったことなどで懐事情が悪くパリにとどまりました。

ワルツ第5番変イ長調Op.42

5番にいたってはあまりの弾きにくさに途中放棄。



1841年(31歳)

4月にサル・プレイエルで開いたコンサートは大盛況でショパンはまとまった資金を得ることができました。春から夏にかけてはノアンで過ごし、秋から冬はパリで過ごすという生活が始まります。「幻想曲Op.49」はショパンの最高傑作のひとつに数えられています。

2つの夜想曲Op.48

ノクターン第13番ハ短調Op.48-1

この曲は華やかで、でも切なさがつまった曲で、、、はじめて聴いた時は大きな衝撃を受けたことを今でもしっかり覚えています!一度聴いたら、しばらく頭から離れなかったですね。



ノクターン第14番嬰ヘ短調Op.48-2


バラード第3番変イ長調Op.47

バラードの中で最も歌う曲で、繊細さが求められているといわれているのがこのバラード3番です。わたしは、一番最初にこのバラードを弾きました。しかも、受験の曲で!



ワルツ第12番ヘ短調Op.70-2(遺作)


幻想曲ヘ短調Op.49

ショパン作曲のファンタジーについて、「この曲ってどんな曲だっけ?」と訊かれて、「雪の降る町を、よ」と言えば、だいたい思い出してもらえます。



1842年(32歳)

ノアンでの生活は穏やかで作曲に適していました。画家のドラクロワや歌手のデルフィナ・ポトツカ伯爵夫人がパリからやってきて芸術談義に花を咲かせました。「バラード第4番Op.52」や「英雄ポロネーズOp.53」など、のちに最高傑作と言われる作品群に集中して取り組むことができました。

スケルツォ第4番ホ長調Op.54

最初の部分は小さなかわいらしい妖精が飛んだり、跳ねたり、飛び回ったりしているような印象を受けます。テクニック的にも難しいのですが、表現の上でも難しいので、かなりの難曲だと思います。



バラード第4番ヘ短調Op.52

ショパンの作品中、最も内容の充実した作品と謳われる名曲中の名曲です。一見ノクターンのような穏やかさを持ちますが、変奏に使用されている技術がどれも難しく、コーダは特にピアニストを悩ませる難題となっています。



ポロネーズ第6番「英雄ポロネーズ」変イ長調Op.53

弾けない原因の多くは、絶え間のないオクターヴをはじめとする、手の疲れを引き起こすテクニックに起因するものです。問題の数カ所さえ攻略すれば、後の部分は芋づる式に弾けるようになるのがこの曲です!テクニックを一つ一つ攻略していきましょう!



1843年(33歳)

サンドはショパンよりも6歳年上で、2人の子供を連れていました。息子のモーリスは20歳、娘のソランジュは15歳で、兄妹仲は非常に悪く、その対立の中にショパンも巻き込まれていきます。いつしか、モーリスの肩を持つサンドとソランジュの肩を持つショパンという構図ができていました。

「2つのノクターンOp.55」はショパンを熱烈に信奉する弟子ジェーン・スターリングに献呈されました。

2つの夜想曲Op.55

ノクターン第15番ヘ短調Op.55-1


ノクターン第16番変ホ長調Op.55-2


モデラート「アルバムの一葉(アルバムの綴り)」ホ長調(遺作)

難易度はツェルニー30番ぐらいだと思います。ただ弾くだけだったら難しくありません。繰り返しを省略すると1分20秒ぐらいという短い曲です。技術というよりは表現力を磨きたい方にオススメです。



1846年(36歳)

ショパンの容態は年々悪化しており、サンドはその看護に疲れていました。子供たちをめぐる対立も深まっています。ノアンでショパンの友人たちも集まる中、サンドは創作中の小説「ルクレツィア・フロリアーニ」のゲラを朗読しました。ショパンを中傷する内容の小説でした。

2つの夜想曲Op.62

ノクターン第17番ロ長調Op.62-1


ノクターン第18番ホ長調Op.62-2


1847年(37歳)

前年サン=イジドロ伯爵夫人がサンドに贈った小犬がモデルとなり「子犬のワルツOp.64-1」が作曲されました。この曲はポトツカ夫人に献呈されました。

7月、ソランジュは彫刻家のオーギュスト・クレサンジェとノアンで問題を起こし、サンドとモーリスは2人をノアンの別荘から追い出します。ショパンはパリにいたのですがソランジュたちの求めに応じてこれを助けたため、サンドとの亀裂は決定的になりました。

3つのワルツOp.64

ワルツ第6番「子犬のワルツ」変ニ長調Op.64-1

ピアノを習っている子供達に「ショパンと言えば?」と聞くと「子犬のワルツ!」と返ってくるほど、超有名かつ常に発表会で弾きたい曲上位にランキングされるほどの憧れの曲『子犬のワルツ』。



ワルツ第7番嬰ハ短調Op.64-2

どこか物憂げだけど優雅な曲ですよね。ちょっとお洒落なバーとかで流れていそうな雰囲気です。「この曲が弾けたら格好良いなぁ」と憧れておられる方も多いのでは?



ワルツ第8番変イ長調Op.64-3

今まできちんと基礎に取り組んできたピアノ学習者にとっては練習量でカバーできるレベルでしょう。教本レベルで言えばツェルニー30番終了程度。



1848年(38歳)

サンドとの決別で消沈していたショパンは、ジェーン・スターリングの勧めにしたがってロンドン行きを決めました。ロンドンではヴィクトリア女王の前で演奏し、その後マンチェスターやエディンバラでも演奏会を開き好評を博しました。しかし、体調不良が限界に達しパリに戻ることになりました。

ノクターン第21番ハ短調(遺作)

21番は長い間、所在がわからなくなっていましたが、ロスチャイルド家が所蔵していたことがわかり、1938年に出版されました。



1849年(39歳)

6月、大喀血により長くないと悟ったショパンは姉のルドヴィカを呼び寄せ、闘病の末10月17日、永い眠りにつきました。死因は肺結核とされています。クレサンジェによりデスマスクと左手の型が取られ、遺言通りショパンの心臓はワルシャワの聖十字架教会に収められました。


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