ベートーヴェンと言えばこの絵ですよね!何かをじっと見て考えているようなこの絵は、他の作曲家の絵とは違った意志の強さを感じます。

この絵からも何となく感じ取ることができると思いますが、彼はかなり気難しい性格で、気分にムラがあったというエピソードがいろいろ残っています。

ベートーヴェンは耳が聴こえない作曲家として知られていますが、彼の苦悩はそれだけではありませんでした。

今回はベートーヴェンの苦悩にも触れながら「ワルトシュタイン」第1楽章について書いていきたいと思います。

■ 目次

ベートーヴェンと彼の家族について


ベートーヴェンは1770年にドイツのボンで生まれました。彼の父は宮廷テノール歌手、母は宮廷料理長の娘でした。2人とも宮廷と関わりがありました。

ベートーヴェンには7人の兄弟(7人のうち2人女の子)がおり、次男として生まれましたが、成人出来たのは彼と2人の弟だけでした。

この時代は医療が充分に受けられる環境になかったのでしょうね。医療自体もまだまだ発展途上だったでしょうし、間違った治療法もあったのでしょう。子供が成人するということが、簡単ではなかったようです。

宮廷と関わりがあったのは父や母だけでなく、祖父も宮廷と深い関係がありました。祖父も宮廷歌手として活躍し、そして宮廷楽長となった人でした。

つまりベートーヴェンは音楽一家に生まれたということですね。祖父の名前はベートーヴェンと全く同じ「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」でした。

祖父にあやかれるように同じ名前にしたんですかね?よくわかりませんが、祖父とは比べものにならにくらい偉大な作曲家になったことは事実ですね。

祖父はとても立派な人だったようですが、父はとんでもない人間でした。父は祖父の名声を頼りに生きていたような人で、宮廷のテノール歌手という職には就いていたものの、酒癖が悪く、人格も破綻していてダメ人間だったそうです。

ベートーヴェンはそんな父から音楽のスパルタ教育を受けました。教育といっても彼を育てるためというよりは、自分の代わりに働かせてお金を稼がせるためといった意味合いが強くありました。

人格が破綻した人からのスパルタ教育なんて想像するだけでも嫌ですよね。父の過酷で強制的な練習は音楽の才能に恵まれていたベートーベンであってもやはり苦痛だったようで、一時期音楽を嫌いになりかけました。

そんな父とは対照的に母はとても優しく、彼の心の支えだったようです。

11歳になった頃、ネーフェという先生に出会い和声などの作曲方法を本格的に学ぶようになります。特にバッハについて学んだようです。

この頃になって初めてベートーヴェンは音楽が楽しいものだと思ったのではないかと思います。この先生との出会いがなければ、音楽を嫌いになり、もしかすると止めていたかもしれません。

将来作曲家として有名になったらネーフェ先生のおかげだというようなことを彼自身が言っていたそうなので、この先生との出会いは大きかったのでしょう。

ハイドンやモーツァルトに影響を受ける



ベートーヴェンはハイドンやモーツァルトと同じころの古典派に活躍した作曲家です。

生まれた年代はハイドンが1732年、モーツァルトが1756年、ベートーヴェンが1770年とかなり開きがあるのですが、活動していた時期が重なる部分があるんです。

ベートーヴェンはハイドンとモーツァルトの2人とそれぞれ会っています。

ベートーヴェンは17歳のときウィーンに旅行に行き、モーツァルトに会っています。その旅行中、母が危篤状態となったため、ボンへ戻らなくてはいけなくなりモーツァルトに習うことはできませんでしたが、実際に会うことができたのは彼にとって良い刺激となったのではないかと思います。

「きらきら星変奏曲」の記事でも書きましたが、モーツァルトは晩年ウィーンでフリーランスの作曲家として活躍していました。

これは就職が上手くいかず、結果的にそうなってしまったわけですが、このモーツァルトの働き方はベートーヴェンに多少は影響を与えていたのではないかと思います。

危篤状態となった母は2ヵ月後に亡くなり、彼は心の支えを失います。母の死後、父はアルコール依存症となり失職し、家族の面倒はベートーヴェンが見なくてはいけなくなりました。

ベートーヴェンが22歳のころ、ロンドンの演奏旅行の帰りにボンに寄ったハイドンに会っています。そのときに弟子入りを許可してもらいました。

このハイドンのボンへの立ち寄りは、ベートーヴェンのパトロンだったワルトシュタイン伯爵やネーフェ先生による働きかけがあったようです。ベートーヴェンの家庭の状況を見かねた大人たちの優しい行動だったのかもしれませんね。

その後ワルトシュタイン伯爵の尽力もあり、宮廷から学費を得てウィーンへ移住します。残念なことにモーツァルトはベートーヴェンがウィーンへ移住する1年前に他界しています。

ウィーンへ移住後、1年間程ハイドンに作曲を習っています。

当時としてはかなり長生きだったと思うのですが、ハイドンは77歳で亡くなりました。ハイドンが長生きしてくれていたおかげでベートーヴェンは実際に会うことができ、作曲を習うことも出来たのです。

しかし、ベートーヴェンはハイドンのことをあまり良くは思っていなかったようです。

それはハイドンが多忙であまり作曲の指導ができなかったというのと、音楽性の違いというのがあったのかもしれません。(ハイドン以外の人からも作曲を学んでいます。)

ハイドンとのこんなエピソードが残っています。

ハイドンから楽譜にハイドンの教え子と書くように言われたとき、ベートーヴェンは「確かにあなたは私の先生だが、あなたから学んだことは何一つない」と言ったとか…

酷い言い方ですよね…。

しかしハイドンはベートーヴェンの才能を認めていて、彼のその後の音楽活動を妨害するようなことはしませんでした。

この2人との出会いは彼の初期の作品に色濃く出ていると言われています。何だかんだ言っても2人のことを心の底では尊敬していたと思いたいですね。

ハイドンやモーツァルトとの違い

絵からもわかると思いますが、同じ古典派の作曲家なのにベートーヴェンはハイドン、モーツァルトとは雰囲気がかなり違いますよね!その違いは髪型を見るとはっきりわかると思います。

ハイドンとモーツァルトは宮廷に出入りしていたことから正装をする必要があったため、カツラをかぶっていました。そして服装も首元や胸元にヒラヒラがついたシャツを着ていました。

対してベートーヴェンは宮廷に仕えることはなかったので、正装する必要がありませんでした。そのためカツラではなく地毛です。

ベートーヴェンの活躍した頃というのは、市民階級が台頭して来た時代でした。音楽も王侯貴族だけのものではなくなり、市民階級にも広がっていきました。

このような広がりにより宮廷などに仕えなくても音楽家としてやっていける時代になりました。

ハイドンやモーツァルトは宮廷に仕えていたため、依頼主の要望を反映させて作品を作るというのが普通でしたが、ベートーヴェンは自分の書きたいように作品を書きました。

ハイドンやモーツァルトの頃の宮廷音楽家の地位はとても低く、演奏する音楽はどちらかというとBGM的な要素が強くありました。そのため彼らはあまり自分のやりたい音楽というのを書けなかったのではないかと思います。

この2人に関しては職業として音楽をしていたという感じだったのではないかでしょうか。一方、ベートーヴェンは2人とは違い、アーティストとして音楽をしていた感じだと思います。

ベートーヴェンはそれまでのBGMのような聞き流す音楽からしっかり聴く音楽にし、芸術的価値を高めていったのです。

ベートーヴェンの3つの苦悩


ベートーヴェンは苦悩の人でした。主に3つの苦悩があったと思います。

 1つ目の苦悩

ダメ人間だった父親については先ほど書きましたね。これはベートーヴェンの苦悩の1つに過ぎませんでした。

 2つ目の苦悩

ベートーヴェンは耳の聴こえない作曲家ですよね。これが2つ目の大きな苦悩です。

彼は初めから聴こえなかったわけではなく徐々に聴こえなくなりました。聴こえなくなった原因は色々な説がありますが、鉛中毒のせいだったのではないかと言われています。

26歳の頃、左耳の難聴が気になり親友の医師に相談しています。26歳というとウィーンへ移住した4年後ということになります。

この頃ベートーヴェンはピアニストとしても活躍していました。耳の不調はピアニストにとっても作曲家にとっても致命的ですよね。

もし私の耳が聴こえなくなったらと思うと絶望しかありません。ピアノを弾くことも、教えることも出来なくなるということですからね…。

ベートーヴェンの苦しみは相当なものだったと思います。

彼は30歳の頃から毎年夏にハイリゲンシュタットで療養していますが、32歳の頃にこのハイリゲンシュタットの地で遺書を書きます。

この遺書は結果的には耳の病気と向き合う決意を固めさせてくれるものになり、自殺をすることはありませんでした。

その後も耳の状態は徐々に悪くなっていきました。

メトロノームを発明したメルツェルが作製した補聴器を使用したりもしました。しかし、それでも聴こえなくなり最後は筆談をするようになりました。全く聴こえなくなるのは46歳の頃でした。

 3つ目の苦悩

ベートーヴェンには弟が2人いたと書きましたね。その弟の1人カスパールは41歳で亡くなってしまいました。カスパールにはカルルという息子がいました。

カスパールは亡くなる前に遺言を書いており、カルルの後見人は兄であるベートーヴェンとすると書かれていました。他にも幼い息子のために母であるヨハンナも共同で後見人とすると書いてありました。

母ヨハンナはこれに納得がいかず、正後見人になれるように裁判を起こします。1度は認められるものの、教養のないヨハンナにはカールは任せられないとベートーヴェンも裁判を起こしました。

最終的にはベートーヴェンを単独後見人とすることになり、ベートーヴェンは甥であるカールと暮らし始めます。

ベートーヴェンはカールに自分の跡を継いで欲しいと考えており、教養を身につけさせるために評判の良い学校へ入学させたり、彼の弟子であるツェルニーにピアノを習わせさせたりしました。

カールは徐々にベートーヴェンの愛情を疎ましく思うようになりました。カールは軍人になりたいという思いを持ちますが、ベートーヴェンには聞き入れてもらえず、だんだん精神的に不安定になっていき、ついにはピストルで自殺未遂をします。

このことはベートーヴェンにとっては、とても衝撃的なことだったでしょう。彼にとっては全てカールのために良かれと思ってやっていたことだったのでしょうから…。

自殺未遂後は、カールのことに口出しをしなくなりました。

ベートーヴェンは気難しい部分も多くありましたが、面倒見の良い部分もありました。失職した父に代わって弟2人の面倒を見て、弟カスパールが亡くなってからは甥のカールの面倒も見ていたのです。

しかし、父とはどんなものなのかを自分の父親からは学べなかったこともあり、自分の考えを押し付けて感情に任せて怒ることもあったのです。

自分の耳のこともありながら、甥のこともあり、ベートーヴェンの苦悩は大変大きなものだったと思います。

このような苦悩がありながらも、傑作と言われる作品をどんどん作曲しています。苦悩も作曲の原動力にしていたんですね。すごいですね!

「ワルトシュタイン」第1楽章の難易度

実は「ワルトシュタイン」というのは通称で、正式なタイトルではありません。この曲はピアノソナタ第21番Op.53というのが正式名称です。なぜこの曲は「ワルトシュタイン」と呼ばれているのでしょうか?

「ワルトシュタイン」?どこかでこの言葉を見ませんでしたか?ベートーヴェンの家族に関して書いたところで出てきましたよね!あのワルトシュタイン伯爵のことなのです。

彼はベートーヴェンのパトロンの1人で、ウィーンへ移住させるために尽力してくれた人でしたよね。そのワルトシュタイン伯爵に献呈された曲なので、そのように呼ばれているのです。

「ワルトシュタイン」第1楽章は譜読みをする上ではそれほど難しくはないと思います。しかし弾くとなると難しいと思います。

「きらきら星変奏曲」の記事でモーツァルトは粒をそろえて弾くのがポイントと書きましたが、ベートーヴェンにもそれは言えます。それだけでなく強弱をしっかりつけなければなりません。

ベートーヴェンが活躍した頃のピアノというのは音域以外は現在のピアノとほぼ変わらないくらいまで進化していました。改良によってそれまでよりももっと強弱がつけられるようになりました。

ただ単に強弱をつけるというよりはベートーヴェンの場合、強弱で感情を表すようにすると捉えると良いかと思います。

この曲はテクニック的にも難しいのですが、曲を表現するという点でも難しいと思いますので、難易度は上級です。

「ワルトシュタイン」第1楽章の弾き方


この曲は3楽章の曲で第1楽章はソナタ形式で書かれています。それでは曲について見ていきましょう!

 提示部

〈第1主題〉
ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調Op.53第1楽章」ピアノ楽譜1
ワルトシュタイン第1楽章は印象的な始まり方ですよね。この特徴的な音型は1楽章全体に出てきます。ベートーヴェンはある1つのモチーフを曲全体にちりばめて作曲するというのが特徴の1つです。

一見、伴奏のようですが右手の音をE、Fisと変化させ次に出て来るGへつなげることでとてもシンプルですが印象的なメロディーにしています。

ここはピアニッシモの指示が書かれていますね。同じ音の繰り返しなので音が大きくなりがちなのですが、右手の音の変化を少し出す感じに留めておきましょう。

その後の右手(3小節目と4小節目)には呼びかけと答えのようなメロディーが出てきます。ここは少し膨らませても良いとは思いますが、5小節目に入ったら、またすぐにピアニッシモに戻しましょう。

ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調Op.53第1楽章」ピアノ楽譜2
その後、左手の音型は変えないまま右手が上がったり下がったりを繰り返しながらクレッシェンドしていき、フォルテまで音量が上がりますが、すぐにピアノになります。

そしてまた動きが再開します。

ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調Op.53第1楽章」ピアノ楽譜3
次は最初とは異なり右手も左手も16分音符の細かい動きに変化しています。この部分は粒をそろえることが重要です。

この楽譜は右手を4241で弾くようになっていますが、楽譜によっては31で弾くようになっています。私のおすすめは31ですが、人によって弾きやすさは違いますので、自分に合った指番号で弾いて下さいね。

この部分は「きらきら星変奏曲」の記事で書いた16分音符のリズム練習が役に立つと思いますので、試してみて下さい。

テンポ通りに弾くときのコツは全てを一生懸命に弾かないことです。14小節目の右手の16分音符は8コを1セットにして弾くつもりで弾くと重くならずに流れていくと思います。

15小節目も最初は8コセットにしますが、その後はEとFisを少し強調するように弾くとより良い演奏になると思います。

〈第2主題〉
ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調Op.53第1楽章」ピアノ楽譜4
ここから曲調が変わります。この部分が第2主題です。右手に4から5へ指を持ち変える指示がしてありますね。指でしっかりレガートにして欲しいという指示ですので必ず守りましょう。

ここは歌って弾いて欲しい部分ですので、和音ごとで音が止まらないようにレガートになるように気をつけましょう。

 展開部

ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調Op.53第1楽章」ピアノ楽譜5 (動画4:48)

ここからが展開部です。目まぐるしく展開していきます。

ベートーヴェンの曲は、急激な強弱の変化というのも特徴の1つだと思います。

ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調Op.53第1楽章」ピアノ楽譜6
この楽譜を見るとわかると思うのですが、ピアノからクレッシェンドしてフォルテになったかと思うとすぐにピアニッシモになっていますよね。

徐々に音量を上げたり下げたりするのはそれほど難しいことではないのですが、急にこのようにガクッと音量を落とすのにはそれなりに難しいです。

感情を一気に爆発させたかと思ったら次の場面では冷静にならなくてはいけない。この差をどう表現するかが腕の見せ所でもあるのです。

弾き方としては力加減を上手くコントロールし、タッチを変えるしかありません。

ベートーヴェンの弾き方としてはモーツァルトの頃までのような指だけの弾き方ではないということを頭に入れておかなくてはいけません。

ベートーヴェンの作品は手首や腕の力も使って弾く弾き方をします。それはこのような場面の急激な強弱をつけるためや曲想の変化をよりつけるためでもあります。

 再現部

ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調Op.53第1楽章」ピアノ楽譜7 (動画6:39)

ここからが再現部です。この曲は再現部に入ってからが長いんですよね。

ベートーヴェンの曲の特徴をもう1つ挙げるとしたらしつこいことですかね。終わりそうな雰囲気はあるのになかなか終わらない。

この曲ももっと早く終わらせることは出来るのですが、なかなか終わらそうとはしないんですよね。

ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調Op.53第1楽章」ピアノ楽譜8
294小節目から終止形を作って終わらせようと思えばできたはずなんですけど…また第1主題を始めちゃうんですよね。

最後の部分も最短ルートではないんです。最短ルートで行けば、例えば16分音符で降りてきてF、G、Cをベースにして和音を作れば終われるので1小節少なくできると思うんです。

ベートーヴェンのこだわりなんでしょうが、しつこさが曲が長くなる要因になっていると思います。しかし、このしつこさによって思いの強さは感じられますよね。

ベートーヴェンは自分の書きたいものを書きたいように書いた作曲家なので、弾く人のことや聴く人のことはそれほど考えていなかったようにも思えます。

ベートーヴェンには様々な苦悩がありましたね。実際は他にも色々あったと思います。

そのような苦悩について想像しながら弾くのも深みが出て良いかもしれません。決してさらさらと弾いてしまわないようにしましょう!

まとめ

◆ベートーヴェンはドイツの作曲家
◆父から音楽のスパルタ教育を受けた
◆ハイドンとモーツァルトに会っている
◆宮廷などに仕えなくても音楽家としてやっていける時代になっていた
◆3つの苦悩を乗り越え、作曲を続けた
◆「ワルトシュタイン」は通称
◆難易度は上級
◆ベートーヴェンの曲の特徴
①1つのモチーフを曲全体にちりばめて作曲
②急激な強弱の変化
③曲の展開のしつこさ




「ワルトシュタイン」の無料楽譜
  • IMSLP(楽譜リンク
    本記事はこの楽譜を用いて作成しました。1918年にウニヴェルザール出版社から出版されたパブリックドメインの楽譜です。

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