ロシアを代表する作曲家と言えば、まず初めに名前が上がるのはチャイコフスキーではないでしょうか?

ラフマニノフやプロコフィエフなど他にもロシアの作曲家はいますが、一般的に知られていて、曲も多く知られているとなると圧倒的にチャイコフスキーだと思います。

チャイコフスキーの曲はメロディーが耳に残りやすく、聴きやすいためCMなどで使われことが多いです。

どのCMで使われていたのか例を挙げてみますね。

◆人材派遣会社 「弦楽セレナーデ 第1楽章」


昔はよく流れていましたね。この前久しぶりにCMを見ました!最近また流れているようです。

この曲、実はハ長調で書かれている曲です。しかし曲の始まりは暗いですよね。

出だしがハ長調ではなく、イ短調の主和音で書かれているため暗い印象を与えていますが、その後を聴いてみるとちゃんと長調になっていることがわかります。

一見、絶望的な始まりのような感じを受けますが、希望が少しずつ見えてくるというのがこの曲の特徴だと思います。その冒頭部分だけを使ったのがあのCMです。絶望感がよく表されていますよね。

◆ソフトバンク 「くるみ割り人形 葦笛のおどり」


現在も流れているかどうかはわかりませんが、白い犬とその家族が会話をしているバックで流れていました。

◆セコム 「くるみ割り人形 行進曲」


現在は違う曲になっていますが、「未来をセコムする」Ver.の時にこの曲が使われていました。このCMは原曲ではなく、編曲されたものが使われていました。

原曲とあまりに違いすぎて、最初何の曲かわかりませんでした。聴いたことがあるし、絶対知っているのにすぐには曲名が出てこなくて、少し考えてからわかりました。面白い編曲なので今でもよく覚えています。

「くるみ割り人形」の中の曲は使われる頻度が高く「こんぺい糖の精のおどり」もよく聴きますね。

このようにチャイコフスキーの作品は割と耳にする機会が多いのです!今回はチャイコフスキーとはどのような人だったのかについてや彼のピアノ曲「四季」などについて書いていきたいと思います。

■ 目次

チャイコフスキーってどんな人?


チャイコフスキーのフルネームはピョートル・イリイチ・チャイコフスキーと言います。

彼は1840年にロシアのヴォトキンスクで生まれました。このヴォトキンスクというところはモスクワから700キロ離れた場所にある鉱山の町です。彼の父は鉱山で技師として働いていました。

僻地では教育を受けることが困難だったため、両親は子供たちのためにサンクトペテルブルクからファンニという女性を家庭教師として招きました。

彼女のおかげで読んだり、書いたりなどの基本的なことを学ぶことが出来ました。

チャイコフスキーの母は音楽好きだったそうで、ピアノを弾くことが出来たようです。その影響からか彼もピアノを弾くようになります。

彼はこの頃から音楽の才能があったようですが、両親は音楽の道に進ませようという気はありませんでした。

その後、一家はサンクトペテルブルクに引っ越すことになります。チャイコフスキーは音楽を学びたいと気持ちがありましたが、両親の意向からサンクトペテルブルクにある法律学校へ入学し、その後法務省へ就職しました。

しかし、チャイコフスキーは音楽を学び、音楽家になりたいという気持ちをあきらめきれなかったため、新しく創設されたサンクトペテルブルク音楽院へ入学し、アントン・ルビンシテインのもとで学びました。

卒業後はモスクワに新しく創設されたモスクワ音楽院(アントンの弟であるニコライが創設した)で講師として働き、多くの生徒を教えました。

音楽院で教えるだけでなく、作品もたくさん作曲していきます。

1876年にチャイコフスキーに資金援助してくれる女性が現れました。彼は彼女のおかげで作曲に専念することができるようになり、音楽院を辞職しました。

資金援助してくれたのは莫大な財産を相続したフォン・メック夫人という女性です。1876年12月に支援の手紙がチャイコフスキーのもとへ届き、援助が始まりました。

彼らは1度も会うことはなく、手紙のやりとりのみで繋がっていました。

チャイコフスキーは音楽のことだけでなく、私生活の相談も手紙でしていたようで、彼女はチャイコフスキーの心の支えになってくれていたようです。(彼は1度結婚していますが、結婚生活は上手くはいきませんでした。そのことも相談していたかもしれませんね。)

彼女からの金銭的な援助と精神的な支えのおかげで、チャイコフスキーは多くの作品を書くことができました。

しかし、彼女から突然の支援を打ち切りの手紙が1890年9月に届きました。彼女の懐事情があまり良くない状態になってきたことから家族の反対を受けたため、支援は打ち切られたようです。

メック夫人からの援助が終了した3年後の1893年にチャイコフスキーはコレラで亡くなったと言われています。彼の死因はコレラではないとする説もありますが、よくわかっていません。

多くの音楽家は小さい頃から専門的に学び、有名な先生に師事し、音楽を学ぶ環境が整っていましたが、チャイコフスキーの場合はそうではありませんでした。

なぜ小さい頃から音楽の才能があったチャイコフスキーを両親は音楽の道へ積極的に進ませようとしなかったのでしょうか?

それは当時のロシアの状況が関係しています。

実は当時のロシアには作曲家を職業としている人がいませんでした。他国では職業として成り立っていることがロシアではなぜできなかったのでしょうか?

以前にバイエルの記事で日本は明治から本格的に西洋音楽が入って来て音楽教育が始まり、作曲家や演奏家たちがそれから活躍し始めたと書きましたが、ロシアも似たような感じなのです。

ロシアで有名な作曲家が出てくるのはチャイコフスキーよりも少し前くらいからです。チャイコフスキーと同世代の作曲家としてはドイツのブラームス(1833-1897)などがいます。

つまりロマン派の後期くらいからロシアでも有名な作曲家が出始めたということです。

それまではイタリア、ドイツ、フランスなど他国の音楽を楽しんでいました。その流れを変えたのはグリンカという作曲家です。他国の音楽を輸入し、それに満足するのではなく、ロシアらしい音楽を自分たちの手で作り出したいとグリンカは考えるようになりました。

グリンカ(1804-1857)はベートーヴェン(1770-1827)やシューベルト(1797-1828)と同じくらいの時期の作曲家なので、古典派の後期~ロマン派にかけて活躍したということになります。

鎖国していた日本とは話が少し違いますが、ロシアは他のヨーロッパの国に比べて音楽の歴史が浅いということなのです。

その後、グリンカの後継者としてロシア5人組と呼ばれる作曲家たち(バラキレフ、キュイ、ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ)が活躍します。

チャイコフスキーは音楽院で音楽の基礎をしっかり学びましたが、彼と同じ時期に活躍していたロシア5人組と呼ばれる作曲家たちは、音楽院で専門的に作曲を学んだのではなく、独学で作品を作り上げていました。

彼らは別の職業をそれぞれ持ちながら作曲もしていました。チャイコフスキーも音楽院で教えていましたが、その後メック夫人からの援助を受けられたこともあり、作曲だけを職業としています。

ロシアではそれまで作曲家や音楽家という職業はありませんでしたが、音楽院が出来たことによって、他国に行かなくても国内で音楽を学べるようになり、卒業した者は音楽を職業として良いと認められたため、音楽を職業とすることができるようになったのです。

つまりチャイコフスキーがロシア初の職業音楽家だったということです。

チャイコフスキーとロシア5人組の考え方をみるとわかると思いますが、その頃のロシアには音楽に対しての考え方が2つありました。

1つはイタリアやドイツ、フランスなど他国から入ってくる音楽の流れを汲みながらロシアらしさを加えていくという考え方。(チャイコフスキーはこの考え方です。)

もう1つはロシアらしさを追求し、古くから伝わっている民謡などの独自の音楽を取り入れて作曲していくという考え方の2つです。(ムソルグスキーなどロシア5人組と呼ばれる作曲家たちの考え方です。)

ロシアは他国から音楽では遅れを取っていましたが、チャイコフスキーが活躍した頃から、これ以上他国に遅れをとらないようにするために音楽の向上を国がバックアップしたことによって、多くの作曲家や演奏家たちが活躍していくことになります。

以前、ラフマニノフプロコフィエフについても書きましたが、チャイコフスキーは彼らよりも前に活躍した作曲家です。

バレエ音楽ばかり書いていたわけではない


チャイコフスキーの3大バレエ音楽と言えば「白鳥の湖」、「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」ですよね。

チャイコフスキーはバレエ音楽がとても有名なため、バレエ音楽を書いた作曲家として認識されている方が多いかもしれませんが、バレエ音楽だけを書いた作曲家ではありません。

もちろんバレエ音楽はチャイコフスキー作品の中でも重要なものと位置づけられていますが、その他にもピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、交響曲などの分野もとても高く評価されています。

チャイコフスキーはピアノ曲も書いていますが、演奏会で弾かれる頻度はそれ程高くありません。

そんな中でも弾かれることのあるピアノ作品は今回取り上げる「四季」(Op.37a/37b)や「ドゥムカ」(Op.59)、「子供のためのアルバム」(Op.39)です。

「四季」とはどういう曲なのか


「四季」はその名の通り、ロシアの四季を音楽で表現した曲集です。曲は1月から12月までの1ヵ月ごと、つまり12曲で1つの曲集となっています。

ペテルブルクの月刊誌「ヌヴェリスト」から依頼を受けて作曲したもので、1876年の1月号から毎月1曲ずつ月刊誌の付録楽譜として出版されました。

この曲はロシアの四季を描いた詩を基にして作曲されています。詩はロシアの詩人たちによるものです。

詩は四季だけを描いたものではなく、その月々で人々がどのような生活をしているのかも書かれているので、ただ単に四季を音で表現したのではなく、人々の様子も表されています。

それぞれにタイトルがつけられており、このタイトルはチャイコフスキー自身がつけたものだそうです。

1月「炉端にて」イ長調/アレクサンドル・プーシキンの詩
2月「謝肉祭」ニ長調/ピョートル・ヴャゼムスキーの詩
3月「ひばりの歌」ト短調/アポロン・マイコフの詩
4月「待雪草(松雪草、雪割草)」変ロ長調/アポロン・マイコフの詩
5月「白夜(五月の夜)」ト長調/アファナーシー・フェートの詩
6月「舟歌」ト短調/アレクセイ・プレシチェーエフの詩
7月「草刈り人の歌(刈り入れの歌)」変ホ長調/アレクセイ・コリツォフの詩
8月「収穫(取り入れ)」ロ短調/アレクセイ・コリツォフの詩
9月「狩」ト長調/アレクサンドル・プーシキンの詩
10月「秋の歌」ニ短調/アレクセイ・ニコラエヴィチ・トルストイの詩
11月「トロイカに」ホ長調/ニコライ・ネクラーソフの詩
12月「クリスマス」変イ長調/ヴァシーリー・ジュコーフスキーの詩


ロシアは日本よりも春~秋の期間が短く、冬の期間が長いそうです。曲のタイトルにもあるように白夜の時期(6月~7月)もあるそうです。

※この曲が作曲された頃、ロシアでは旧暦を使っていたそうなので、現在の季節とは多少ズレがあります。

この曲集はロシアの人たちだけでなく、多くの人が親しみを感じる作品なのではないかと思います。



全音版ではチャイコフスキーについて、曲集についての解説が書かれています。それだけなく奏法の解説も少し書かれているので弾く上でのヒントになると思います。

「四季」の難易度と難易度順


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ビクターエンタテインメント

<四季の名盤:ウラジミール・アシュケナージ(上)/スビャトスラフ・リヒテル(下)>


表現するという点で難しいものはありますが、この作品はテクニック的にはそれ程難しいものではありません。

もともと月刊誌の付録としてつけられたものだったということと、親しみを持って欲しかったという点で、それほどテクニック的に難しいものにしなかったのかもしれませんね。

全音の楽譜の最後のページにある難易度別教本・曲集一覧を見ても中級から上級の欄にこの作品が載っています。曲集の中には難しいものもあるので、難易度としてはソナチネやソナタが弾ける程度というところでしょうか。

曲を聴くとわかると思いますが、どの曲も初めに出てきたメロディーが途中、違うものを挟んでもう1度戻ってくるというA-B-Aの形(3部形式)になっています。

それでは「四季」の難易度順を書いていきますね。

★      3月「ひばりの歌」

★★     5月「白夜」

       6月「舟歌」

★★★    1月「炉端にて」
       4月「待雪草」
       7月「草刈り人の歌」

       10月「秋の歌」
       12月「クリスマス」

★★★★   2月「謝肉祭」
       9月「狩」

★★★★★
  11月「トロイカに」

★★★★★★ 8月「収穫」

赤字になっている3曲はこの曲集の中でよく知られているものです。

よく知られている6月「舟歌」、10月「秋の歌」、11月「トロイカ」弾き方のポイントについて

6月「舟歌」

ト短調で書かれた曲です。

難易度は譜面としては難しくはないので★★としましたが、表現をつけるとなると難しい曲です。表現の面から考えると★★★★くらいでもいいかもしれません。

舟歌はチャイコフスキーだけでなく、メンデルスゾーンやショパンも作曲しています。チャイコフスキーは舟歌を4分の4拍子で書いていますが、多くの作曲家は8分の6拍子で書いています。

8分の6拍子は他の拍子よりも揺れる感じが拍子からも表現できるため、選ばれているのだと思います。チャイコフスキーは4拍子で書いていますが、左手で揺れ間を表現するために、細かくスラーを書いています。

チャイコフスキー「四季6月「舟歌」ト短調」ピアノ楽譜1

右手は波、左手は船を漕いでいるような印象を受けますよね。

先ほど書いたようにこの曲集はA-B-Aの形式で書かれています。最初の左手はシンプルでしたが、もう1度出て来るときには左手は少し変化しています。

チャイコフスキー「四季6月「舟歌」ト短調」ピアノ楽譜2
(2:23から再生されます)

どこが変化しているのかわかりましたか?

2回目の方は左手にも動きがありますよね。右手で波を表現していましたが、この部分では左手も波の動きを表しているようになり、右手と左手の掛け合いとなります。

10月「秋の歌」


ニ短調で書かれた曲です。

言葉では表現しきれない哀愁のある曲ですよね。メロディーがとても美しく、聴いていてうっとりしますが、素敵に弾くのは厄介な曲です。

最初はメロディーが上に来ているのですが、途中から内声部にもメロディーが出てきます。

チャイコフスキー「四季10月『秋の歌』ニ短調」ピアノ楽譜1
(0:30から再生されます)


ここからは追いかけるような掛け合いになります。

チャイコフスキー「四季10月『秋の歌』ニ短調」ピアノ楽譜2
(1:01から再生されます)

この曲は動きが定まっていない感じで、悪く言えば「のらりくらり」しています。このメロディーの動きをどう表現するかがとても大切です。

11月「トロイカに」

ホ長調で書かれた曲です。


トロイカが雪の中を走る様子や最後は走り去って行く様子が表現されています。和音を弾くところが多く、スタッカートで弾かなくてはいけない部分も多いのが特徴です。

3頭の馬が軽やかに走っているところをイメージして弾いてみましょう。


チャイコフスキーについてや「四季」の難易度、難易度順について書いてきましたがいかがだったでしょうか?

有名な曲から挑戦されるのも良いと思いますし、お好きな曲からされるのも良いと思います。この曲集は演奏時間がどれも短いので、挑戦しやすいのではないかなと思います。

ぜひ、チャイコフスキーの作品に挑戦してみて下さい!

まとめ

◆チャイコフスキーはロシアを代表する作曲家
◆四季は12曲からなり、ロシアの詩人たちの詩をもとに作曲された
◆難易度はソナチネ、ソナタが弾ける程度




「四季」の無料楽譜
  • IMSLP(楽譜リンク
    本記事はこの楽譜を用いて作成しました。1909年にシャーマー社から出版されたパブリックドメインの楽譜です。


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