プロコフィエフという作曲家を知っていますか?

クラシックを勉強された方は知っていらっしゃると思いますが、一般的にはあまり知られていない作曲家かもしれません。

プロコフィエフの曲で有名な曲は、ナレーションがついた子供のための交響的物語「ピーターと狼」やバレエ音楽「ロメオとジュリエット」でしょうか?





どちらも素敵な音楽ですが、どこか少し違和感が残るような音が使われていて、古典派やロマン派の音楽のように安心して聴いていられる音楽とは少し違うと思います。

今回はプロコフィエフがどんな作曲家でどんな時代に生きた人なのかに触れながら、彼の代表曲である「ピアノソナタ第6番」1楽章について書いていきたいと思います。

プロコフィエフってどんな人?

プロコフィエフは1891年、現在のウクライナ(当時はロシア帝国領)に生まれたロシアの作曲家、指揮者、ピアニストです。

彼には2人の姉がいましたが、幼くして亡くなっています。

2人の姉のこともあり、よほど心配だったのでしょう。病気をもらってしまうことなどを心配したのか、両親はプロコフィエフを村の小学校へは通わせなかったそうです。

そんな彼の教育は、母が行いました。彼女はピアノが上手だったようで、ベートーヴェンやショパンの曲を弾いて聴かせていたようです。

彼女の教え方は曲を聴かせて、その感想を自由に答えさせたり、旋律に自由に対旋律や伴奏をつけさせたりという方法だったようです。

まずはピアノに興味を持たせ、決して無理やり弾かせることはせず、自発的に弾くようにするという、とても理想的な導入の仕方をしました。

彼は母の教育のおかげで、ピアノだけでなく作曲にも興味を持ちました。

そして5歳のときに最初のピアノ曲「インドのギャロップ」を作曲し、9歳のときには最初のオペラ「巨人」を作曲するなど、小さい頃から自然に作曲をし、自分が感じたことを表現するようになりました。

音楽が楽しく、素敵なものということを小さい時に学べたというのは、プロコフィエフにとってとても重要なことだったと思います。

プロコフィエフの母の教育方針、すごいですよね!ピアノの導入が母によるスパルタ教育だった私にとっては羨ましい限りです!!

やはり自発的というのが音楽に限らず、何でも重要なのではないかと思います。

彼はその後、1904年(13歳)にペテルブルク音楽院へ入学し、指揮や作曲、ピアノをこの音楽院で10年間学びました。

どんな時代の作曲家か?


プロコフィエフは1891年に生まれ、1953年に亡くなった20世紀に活躍した現代の作曲家です。

彼が活躍した頃というのは、世界的には第1次世界大戦(1914-1918)、第2次世界大戦(1939-1945)、ロシア内ではロシア革命(1917)が勃発した、とても混乱した時期でした。

この時代の混乱は美術界、音楽界などにも影響を与えました。

美術界では「フォーヴィズム」(特徴:原色をそのまま使用、荒っぽいタッチ)やこれと別方向の「キュビズム」(特徴:単純化を目指す、色に頼らない、遠近法放棄)が広まりました。

音楽界でも変化がありました。この頃には時代をより強く反映している音楽が要求されるようになり、時代思潮を感じられる曲でないと受け入れられなくなりました。

この時期によく使われた技法としては、不協和音の使用、全音音階、旋法、12音技法などです。この技法を使うことで調性を感じにくくなり、無調の曲になります。





このような技法で書かれている曲は安定した音の響きではないため、不安定な印象を聴く人に与えます。これが混乱した、この時代にあった音楽だったのです。

現代曲はどうも苦手という方は、多いのではないかと思います。どういう風に聴けばいいのかわからないというのが理由の1つではないでしょうか?

現代音楽は、印象派までの音楽とは全く違う聴き方をしなくてはいけないのかもしれません。

きれいなメロディーが出て来るということは、ほとんどありません。決してきれいではない不思議な音の響きや雰囲気を楽しむつもりで聴くと良いと思います。

現代曲は、演奏する側にも苦労があります。

作曲家はちゃんと技法に則ってわかるように書いているつもりでも、演奏する側には理解しにくい音の並びになっているので現代曲の場合、楽譜を見て演奏することもあります。

その理由としては音が複雑すぎて正確に覚えられないということが挙げられると思います。

上の動画のシェーンベルクやストラヴィンスキーの音楽と違い、プロコフィエフは基本的には調性がわかるように書いている作曲家なので、まだ聴きやすい方ではないかと思います。

日本に来たことがある!?


プロコフィエフは実は日本に滞在した期間があるんです。なぜ日本に滞在していたのでしょう?

それは1917年に起こったロシア革命という国の状況の変化が関係しています。この革命によって帝政ロシアは崩壊します。

ロシア革命後の政権下の空気に、プロコフィエフはどうしてもなじめませんでした。

そのため、ロシアから出ること決意しました。国内に留まるように引き止められたのですが、彼の意志は固く、外国行きを申請しました。申請は受け入られ、無期限の国外出張命令書が交付されました。

交付後、彼はモスクワからシベリア鉄道に乗りウラジオストックまで行き、そこから船に乗り換え、日本経由で目的地のアメリカを目指しました。

その途中、アメリカ行きの船便を待つため2ヵ月程、プロコフィエフは日本に滞在していたのです。

プロコフィエフを乗せた船が横浜港に着いたとき、乗船客名簿の中に彼の名前を見つけた楽譜出版社の妹尾幸陽が音楽評論家たちにプロコフィエフが日本に来ていることを伝えました。

彼らはプロコフィエフに日本でリサイタルを開いてもらおうと、彼が滞在しているホテルを訪ねます。彼らの働きかけは上手くいき、リサイタルが開催されることになりました。

リサイタルで披露された曲は、プロコフィエフ自身の曲や、スクリャービンの曲だったそうです。

現在ではプロコフィエフの曲は知られていますが、当時(大正7年)は知っている人はほとんどいませんでした。せっかく開いたリサイタルでしたが、客席はあまり埋まらなかったようです。

プロコフィエフはこの滞在期間中に京都、大阪、奈良にも行っているようで、日本を満喫したようです。

その後日本を離れ、彼は目的地であるアメリカへ渡りました。アメリカだけでなく他にもドイツなどでピアニストとして活躍しましたが、次第に祖国への思いが強くなり、結局は帰国することを決めます。

時期によって作風が違う!?

先ほど、プロコフィエフはロシア革命後にロシアを脱出した(1918~1932)ことを書きましたが、彼の環境の変化によって、作風や作曲のペースが変わっています。

ロシアにいた時代

この頃の作風は荒々しく、野性的でした。この作風は新しい音楽を目指す人たちからは、とても歓迎されました。

この時代に作曲された曲:「トッカータ」、「ピアノ協奏曲第1、2番」など

アメリカやドイツなどにいた時代

ロシアからアメリカに脱出したこの時期は、主にピアニストとして活動していました。

ピアニストとして活躍していた彼の評価はいろいろだったようです。高く評価されることもあれば、「音色のグラデーションが少ない」や「鉄の指、鋼鉄の手首」など、あまり評価されないこともありました。

リスト以降は作曲家兼ピアニストというのではなく、次第に分業していくのですが、プロコフィエフのように両方とも行う音楽家もいなかったわけではありません。

同じ時期に活躍したロシアの作曲家、ラフマニノフもピアニストとして活躍しています。(ラフマニノフ自身が演奏した音源が残っていて、現在でもCDで聴くことができます。)

この時代には、プロコフィエフはあまり作曲をしていません。その理由としては、アメリカなどでは作曲家としてはあまり受け入れられなかったことと、インスピレーションが湧かなかったからのようです。

この頃の作風は新古典的(古典的な厳格な形式と客観的な創作)でした。1920年代に流行していていた作風に乗り、作曲を行っていました。

この時代に作曲された曲:オペラ「3つのオレンジの恋」、バレエ音楽「道化師」など
※これらの曲のアイディアはロシアにいた頃から考えていたもののようです。

ソヴィエト連邦に帰国後

祖国への思いを募らせていったプロコフィエフは、何度か祖国訪問を繰り返し、1935年についに帰国します。

これ以降の作風はソヴィエト政府の打ち出した社会主義リアリズムに沿った作曲でした。

音楽においての社会主義リアリズムとは「形式が民族的であること」、「内容が社会主義的であること」、「労働階級の娯楽であること」という条件を満たした作品ということです。

以前よりも自由に作曲が出来なくなったハズなのですが、祖国に戻って来たプロコフィエフは、ソヴィエトの社会主義に上手く対応し、たくさんの名曲を書きました。

この時代に作曲された曲:「ピーターと狼」、「ロメオとジュリエット」、「ピアノソナタ第6~8番」など

ピアノは打楽器!?


プロコフィエフはピアニストとしても活躍するほど、ピアノが上手だったので多くのピアノ曲を残しています。

彼のピアニストとしての評価はいろいろだったと、先ほど書きましたね。その評価の1つとして「鉄の指、鋼鉄の手首」と言われていたようなのですが、これは「力強すぎる、音が重い」ということを意味しているのだと思います。

プロコフィエフはピアノを歌って弾くというよりはピアノを響かせることを重視していたんだと思います。

響かせるにはどうすれば良いのかと考えたときに、彼はピアノを打楽器のように打ち鳴らすことが1番良い方法だろうと考えたのではないでしょう。

ピアノを打楽器のように使用し、ピアノを響かせるというのが、彼のピアノ曲の特徴の1つです。

ピアノという楽器は簡単にいうと、ハンマーが弦をたたいて音を鳴らす楽器です。たたいて音を出すという行為だけみれば、打楽器と同じ音の鳴らし方ということになります。

プロコフィエフはピアノをきれいな音を出す楽器としてだけでなく、打楽器的に扱うという作曲方法や奏法をすることでピアノの可能性をさらに広げていきました。

またピアノを打楽器のように使うというこの方法は、混乱した時代を表現するのにもピッタリだったのではないかと私は思います。

ピアノソナタ第6番1楽章の難易度

プロコフィエフの代表的なピアノ曲であるピアノソナタ第6番は第2次世界大戦中に作曲されたこともあり、「戦争ソナタ」と呼ばれています。

これは第6番だけでなく、第7、8番も同様に呼ばれています。第6~8番は完成した年は異なりますが、1939年に集中して作曲が進められたそうです。

プロコフィエフのピアノソナタは、生涯に渡って書かれており、曲によって作風の変化が感じられるようになっています。

ロシア時代:第1~4番
アメリカ、ヨーロッパ時代:第5番
ソヴィエト時代:第6~9番、第5番(改訂)

ピアノソナタ第6番は4楽章の曲で、全て演奏すると20分以上かかります。

他の作曲家の作品でもソナタのような何楽章もある曲だと、演奏時間が長くかかり全てを弾くのはそれなりに大変ですが、このプロコフィエフのピアノソナタ第6番を全て弾くのはとても大変です。

先ほど、ピアノを打楽器的に扱っていると書きましたが、この打楽器的ということが大変なのです!

1、4楽章は音量もかなり必要ですし、同じ音を何度も連打しなくてはいけない部分が多く、とにかく力強くどんどん進んでいかなくてはいけません。体力と気力のいる曲なのです。

この曲の難易度は間違いなく上級で、打楽器的に弾けるかというのが1つのポイントとなります。

プロコフィエフ自身がとても指がしっかりしていて、相当強い音を出せる人だったようなので、この曲はそのような音を想定して書かれていると思われます。

このような攻撃的な曲となったのには、戦争中に書かれたということも要因の1つなのでしょうね。

プロコフィエフのような現代曲を弾くには、バロック、古典派、ロマン派、印象派など、それまでの弾き方を全て経験している必要があると思います。

実際、私が第6番の1楽章と4楽章を弾いたのは音大の卒業試験のときでした。同じく多くのピアノ科の人たちが卒業試験曲として、近現代の曲を選んでいました。

これまで学んできたことの集大成として近現代の曲を選ぶということは、それだけ近現代の曲はテクニック的にも難しく、表現するのも難しいということなのだと思います。

ピアノソナタ第6番1楽章の弾き方



この1楽章はソナタ形式で書かれており、曲の途中でテンポが変わります。ソナタで途中、テンポが変わるのはかなり珍しいですよね。

それではピアノソナタ第6番1楽章の弾き方のコツについて書いていきますね。

手首や腕をよく使い、響く音で弾く


最初からフォルティッシモで突き進んでいかなくてはいけません。まず弾く前に気合を入れましょう!!

これは曲全体に言えることですが、拍をよく感じ、リズムで前に進むイメージで弾きましょう!!

この曲は音量が必要です。しかし、ただ上から力任せに鍵盤をたたけばいいわけではありません。

たたけば大きな音は鳴りますが、止まったような重たい音になります。同じ大きな音でも響く音というのは、伸びがあり大きい音でありながら軽い印象になります。

響く音を出すには、手首や腕をよく使い、その音を弾くときだけ瞬間的に力を入れ、弾き終わった後はすぐに力を抜くことが重要です!

もう1つこの部分には、アクセントがたくさん出てきますね。アクセントの位置をよく見てしっかり強調しましょう!

掛け合いをしっかり弾く

(動画0:28~0:40)

この部分は左手と右手が掛け合いになっています。右手の方が音が高い分、同じように弾いたとしても音が弱く聴こえてしまいます。右手が左手に音量で負けないように気をつけましょう!

せっかく勢いよくここまで弾いてきても、この部分で右手の音が抜けてしまうと突き進んでいる感じが弱まり、足踏み状態に聴こえてしまいます。

雰囲気をしっかり変える

(動画0:51~)

最初からずっと大きな音量で頑張って弾いてきましたが、この部分は雰囲気がガラッと変わります。

初めてピアノの指示があり、音量が落ちます。メリハリをつけるために、ピアノの指示は必ず守り、急に小さく出来るようにしましょう。(この後すぐに音量が上がっていくので、この部分は重要です。)

この部分、1つずつ弾いてしまうとガタガタした印象になってしまいます。横につながっているように、1つのラインで弾くイメージで弾くと素敵になると思います。

この曲で唯一歌う部分

(動画1:25~2:14)


(1:25から再生されます)

この曲の中で唯一歌って良い部分です。何とも言えないこのメロディーラインが私は好きです。

どのように歌えば良いのか困るかもしれません。ピアノの指示がありますが、あまり弱々しく弾く必要はありません。

楽譜を見ると音が飛び飛びになっていて、上がったり、下がったりしているのがわかると思います。この音程の差を弾き表すつもりで弾くと自然な歌い回しになると思います。

音が上がれば、上がったようにイメージして弾くという感じです。立体的に表現できると素敵な演奏になります。

連打の連続

(動画3:05~)

この辺りからより打楽器的になり、連打が多く出始めます。最初はピアニッシモですが、だんだん音量が大きくなり、音域も高くなり、盛り上がっていきます。

最初から飛ばし過ぎないように気をつけましょう。まだ中盤です!体力を使い果たさないように!

この部分の弾き方のコツは、1つ目の音でしっかりアクセントをつけて弾き、次の音からは残りの力で弾くつもりで弾くことです。

連打を全部同じように一生懸命弾いていては疲れますし、動きが出ません。

スタッカートにはいろんな弾き方がありますが、この曲の場合はかなり短めで弾く方が良いと思います。その方が勢いも出て、攻撃的な感じになると思います。

リズムを鋭く、硬い音で

(動画4:55~)

この部分はぶつかった音できれいな音では決してないのですが、ぶつかった音を楽しみましょう。

とにかく拍を感じ、鋭いリズムで弾き、前へ前へ進んでいるように弾きましょう! 3連符は音が抜けないように、気をつけましょう!

グリッサンドは遅れないように拍通りに弾きましょう。

トリルのように

(動画5:06~)

この部分は左手をメインにし、右手をトリルのように軽く弾きましょう。どんどん速くなっていかないように、テンポの中で弾くように気をつけましょう。

ラストスパート!とにかく進め!!

(動画6:04~)


(6:04から再生されます)

やっと再現部まで来ました。やっと終わりだと気を抜いてはいけません!まだまだ最後まで進み続けなければなりません。

再現部まで来たらあと少しと思わず、もう1度気合を入れなおすつもりで弾いていきましょう!!

この曲の中にcol pugnoという指示が出て来る部分があるのですが、どのように弾くかわかりますか?見たことのない指示ですよね。

これは「こぶし」で弾きなさいという指示です。まさに打楽器です!!

この曲は大曲で、弾くのは容易ではないかもしれませんが、頑張って弾き切って、弾き終えた後の達成感を味わって下さい!!

まとめ

◆プロコフィエフはロシアの作曲家、指揮者、ピアニスト
◆20世紀に活躍した現代の作曲家
◆この頃は時代思潮を感じられる曲でないと受け入れられなかった
◆2ヵ月程、日本に滞在していた
◆プロコフィエフはピアノを響かせるということを重視した
◆ピアノソナタ第6番は「戦争ソナタ」と呼ばれている
◆難易度は上級
◆拍をよく感じ、リズムで前に進むイメージで弾く
◆手首や腕をよく使って弾く


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