ラフマニノフの曲で一般的に知られている有名な曲は「ピアノ協奏曲第2番」や歌詞のない歌の「ヴォカリーズ」でしょうか。

ラフマニノフの曲は華やかというよりはどこか哀愁のある旋律が多く、そのメロディーラインが好きな人は結構多いと思います。

私もその1人です!

ラフマニノフは活躍した時期から考えると近・現代に活躍した作曲家ですが、作風としては近・現代ではなく後期ロマン派です。
これは彼が作曲を学んだ音楽院に大きな理由があります。

今回はロシアの音楽院についても触れながら、「楽興の時」第3番、4番について書いていきたいと思います。

■ 目次

ラフマニノフってどんな人?


ラフマニノフはロシア出身の作曲家、ピアニストです。

彼は1873年に貴族の家に生まれました。ラフマニノフの両親はどちらも名家の出身で、由緒ある家に生まれました。

このような名家に生まれたラフマニノフでしたが彼の父は浪費癖があったため、次第に没落していくことになり、彼が9歳のときに破産してしまったようです。

両親ともに名家の出身ということもあり、2人とも音楽を教養として身につけていました。

両親だけでなく、ラフマニノフの父方の祖父やいとこはピアニストでした。ラフマニノフの周りには高い音楽のスキルを持った家族や親せきがいました。

彼の親族にピアニストが2人もいたこともあり、彼にとってピアノは最も親しみやすい楽器だったようです。

ラフマニノフは母からピアノの手ほどきを受け、1882年からペテルブルク音楽院でピアノを学び、1885年からはモスクワ音楽院で作曲とピアノを学びました。

彼のピアノの演奏は高く評価され、卒業後に国内外で演奏会を開き、好評を博しました。

ラフマニノフはピアニストとしてだけでなく、音楽院を卒業する前から作曲家としての才能も評価されていました。

しかし、1895年に書かれた「交響曲第1番」のペテルブルクでの初演は失敗に終わりました。評価は散々なもので、彼は精神的にダメージを受けます。

この失敗には2つの理由がありました。

1. 指揮者が曲をあまり理解しておらず、オーケストラをまとめきれなかった
2. 当時のロシア国内の音楽は2つの異なる流派によってできていた


2.についてはあとで詳しく書きたいと思いますが、ラフマニノフの属している流派とは違う流派から酷評されてしまったということなのです。

私はこの曲は酷評されるほど悪い曲ではないと思います。

交響曲は楽器の音域や楽器特有のテクニックや音の響きをきちんと理解していなければなりません。

多くの知識と作曲技術がないと作曲することはできないため、他の作品よりも交響曲を作曲する方が難しいと思います。

実際に多くの作曲家は交響曲を円熟期や晩年に書いています。それだけ大変だということなのです。


ラフマニノフの「交響曲第1番」どうでしたか?悪くないですよね!彼の他の作品と比べると曲を聴いた後の満足度はやや低いですが、酷評されるようなできではないですよね?

彼はこの失敗を苦にして精神的ダメージから回復するまでにかなり時間がかかりました。回復するために精神科医に診てもらい、催眠療法も行いました。

回復したのは1901年に「ピアノ協奏曲第2番」を完成させ、モスクワで初演を大成功させたころでした。この曲はラフマニノフの治療に当たった精神科医のニコライ・ダールに献呈されています。

精神的ダメージを受けたあとの作品は彼の代表曲となった、あの曲だったのです!!

この曲の作曲にはかなり悩んだようです。また酷評されたら…と思うと怖かったと思います。そのプレッシャーをはねのけて作曲した曲でした。


その後は作曲活動、演奏活動を国内外で精力的に続けていましたが、1917年にロシア革命(プロコフィエフの記事で詳しく書いています)が起こるとパリへ亡命し、そしてアメリカに移住しました。

スターリンが第一級芸術家の待遇を約束するとして帰国するように促しましたが、ラフマニノフは応じませんでした。

彼はロシアに帰国することなく、アメリカで亡くなりました。

同じ頃に活躍したプロコフィエフも亡命しましたが、その後帰国しました。(こちらもプロコフィエフの記事で詳しく書いています)帰国しなかったラフマニノフと帰国したプロコフィエフの違いは何だったのでしょうか。

この違いは、いろんな理由があると思いますが、ロシア音楽の流派も少なからず関係しているのではないかと私は思います。

ロシアの音楽について


ロシアは19世紀になるまで音楽で目立つということはありませんでしたが、19世紀半ばを過ぎてからイタリア、ドイツ、フランスで西欧音楽を本格的に学ぶ音楽家が出てきました。

ヨーロッパで本格的に音楽を学んで帰って来た音楽家たちなどによって2つの流派に分かれていきました。

ラフマニノフは2つの音楽院(ペテルブルク音楽院、モスクワ音楽院)で学んだと書きましたが、この2つの音楽院は流派が違います。

どのように違うのかを見ていきましょう。

1. ロシアの固有の音楽を目指していったロシア国民楽派
【特徴】意識的に民謡の旋律やリズムを取り入れて作曲
【音楽院】ペテルブルク音楽院

2. 西欧音楽の作曲技法を受け継いだ西欧楽派(モスクワ楽派)
【特徴】ロマン派を受け継ぎ、発展させて作曲
【音楽院】モスクワ音楽院

この2つの流派は場所でも対立していたようです。

ラフマニノフの「交響曲第1番」はペテルブルクで初演されたと書きましたよね!ラフマニノフは西欧楽派の作曲家だったので、ペテルブルクでは受け入れられにくかったということなのです。

もしモスクワで初演されていたら、評価はまた少し違ったのかもしれません。

ラフマニノフと同じ頃に活躍したプロコフィエフはペテルブルク音楽院の出身です。プロコフィエフは1度亡命し、のちに帰国したと書きましたよね。

プロコフィエフは亡命している間、作曲のイメージが湧かなかったと言っています。実際帰国してからは多くの名曲を書いています。帰国後はそれ以前よりも、ロシアらしさをより多く取り入れて作曲しました。

ラフマニノフはペテルブルク音楽院の出身ではありますが、作曲を学んだのはモスクワ音楽院でした。この音楽院の変更はピアニストだったいとこの勧めだったそうです。

彼は亡命後、プロコフィエフとは違い帰国しなかったと書きましたよね。

これには様々な理由があったと思いますが、プロコフィエフと違い、ラフマニノフはロシアでなくても音楽をすることができたというのが1つの理由ではないかと思います。

もちろん祖国への想いはあったと思いますが、プロコフィエフほど強くはなかったのかもしれません。亡命後の2人のその後の行動はこの流派の違いというのが関係しているのではないでしょうか。

この2つの流派はラフマニノフよりも少し前に活躍していた作曲家たちの頃に最も対立していました。

国民楽派のムソルグスキーと西欧楽派のチャイコフスキーは互いに才能を認めてはいたものの、日記などではお互いの作品について酷評していたようです。

実際に会うことはなかったのでケンカをしていたということではありませんが、この2つの流派は当時かなり溝があったのです。

しかし国民楽派と西欧楽派は対立するときもありましたが、ずっといがみ合っていたわけではなく、次第に認めあっていくようになります。

ラフマニノフは国民楽派のリムスキー=コルサコフと親交があり、彼の影響を受けている面もあるのです。

ラフマニノフの手はとても大きかった!!

ラフマニノフはとても大きな人でした。身長は193cmあったと言われています。身長が大きいということは手も大きかったということですよね。

とんでもなく大きな手を持っていたと言われていて、12度を押さえられたそうです。リストも手が大きいことで知られていますが、彼は10度を押さえられたと言われています。

リストよりもさらに大きな手!!!すごいですよね!!

この大きな手は彼の曲に反映されており、こんなの届く訳ないじゃん…という箇所がいくつも出てきます。

楽譜を見ると驚くと思うのですが、絶対に届かない無理な音を書いているんです。弾いてみると笑ってしまいます。こんなに大きな手だったのかと…

通常9度まで届けば、だいたいの曲は弾けます。私も9度までしか届きません。

届かないものに関しては、どちらかの手が空いていれば、両手で弾くこともありますし、空いていなければバラして弾きます。

普通はあまり連続して出てくることはないので何度かその要領で弾けばいいのですが、ラフマニノフの場合はそのように弾かなくはいけない箇所が他の作曲家よりも多く出てきます。

このラフマニノフの手の大きさをネタにした面白い動画があります。


曲は「前奏曲 嬰ハ短調」です。「鐘」という通称で親しまれている曲で、ラフマニノフの作品の中でとても有名な曲です。

彼の手の大きさは「先端巨大症」という病気によるものだったのではないかという説があります。真相はよくわかっていませんが、そのような説が出る程、通常よりも大きな手を持っていたということなのです。

「楽興の時」って何?

ラフマニノフの「楽興の時」の原題は「6 Moments Musicaux」です。6曲で1つの曲集となっているので「6 Moments Musicaux」となっています。

「楽興の時」はラフマニノフ以外にもシューベルトが同じタイトルで曲を残しています。タイトルをシューベルト自身がつけたかどうかは不明ですが…

シューベルトが6曲構成で作曲していたことから、ラフマニノフも6曲構成で書いたのかもしれません。

作品は即興曲的で自由な小品というのが特徴です。

ラフマニノフ「楽興の時」第3番、4番の難易度はどのくらい?

同じタイトルのシューベルトの「楽興の時」はそれほど難しくはないのでソナチネアルバム程度で弾けますが、ラフマニノフの「楽興の時」の難易度はもっと高めです。

ラフマニノフの「楽興の時」の6曲の中でも第3番は譜面がそれほど難しくないのでソナチネアルバム程度の中級レベルで弾けます。しかし素敵に弾くにはそれなりのテクニックがいります。

他の曲はテクニック的にも難しく、3番以外の難易度は上級レベルです。

今回取り上げる第3番、4番はどのような曲が弾けると無理なく弾けるかを具体的に見ていきましょう。

第3番は音の重厚感が必要なので、ベートーヴェンの「ソナタ」を弾いたことがあるとより弾きやすくなると思います。

第4番は左手が練習曲のように同じ音型をくり返すので、ショパンの「エチュード」、特に革命など左手の動く曲を弾いた経験のある方なら、無理なく弾けると思います。

「楽興の時」第3番、第4番の弾き方について



ラフマニノフやプロコフィエフの楽譜はこの版を使っている人が多かったです。

私が持っている楽譜はこれではなく、ジムロック版 Benjamin editionで勉強しました。楽譜を比較した記事で書いたのですが、ジムロック版 Benjamin editionはミスプリがある楽譜でした…。

それでは弾き方について書いていきたいと思います。まずは第3番から書いていきますね。

◆「楽興の時」第3番の弾き方のコツ


この曲の弾き方のポイントは2つです。

●ポイント①
ラフマニノフ「楽興の時第3番ロ短調Op.16-3」ピアノ楽譜
気持ちを切らさないことがこの曲を弾くポイントとなります。休符があったり、スラーが細かく書いてあったりしますが、気持ちをそこで区切ってはいけません。

この曲は音が上ったり下がったりをくり返しながら、徐々に盛り上がって行き、最後はまた静かにおさまっていきます。

フレーズをよく考えて弾くというのがポイントです。

●ポイント②

3連符が多く出てきます。3連符はリズムが崩れやすいので要注意です。3つの音を均等に弾くことがポイントとなります。練習方法としては、3文字の言葉を当てはめて練習するときれいに均等なリズムになります。試してみて下さい!

次に第4番の弾き方について書いていきますね。

◆「楽興の時」第4番の弾き方のコツ


●ポイント①
ラフマニノフ「楽興の時第4番ホ短調Op.16-4」ピアノ楽譜1
左手がずっと動くのでとにかく左手の練習をしましょう。ゆっくり弾いたり、スタッカートや付点のリズム練習をしたりして、まずは考えなくても指を動かせるようになりましょう。

機械的に動かせるようになることは重要なのですが、音がペラペラになってはいけません。しかし、1つ1つの音をしっかり弾くと最後まで持ちませんので、その加減を見つけなければなりません。

ラフマニノフ「楽興の時第4番ホ短調Op.16-4」ピアノ楽譜2
まとまりで弾くようにすると疲れず、流れもよくなります。の部分を強調して後は流れるように弾けるようにしましょう。

●ポイント②
ラフマニノフ「楽興の時第4番ホ短調Op.16-4」ピアノ楽譜3
左手中心で弾いていかないようにしましょう。左手は音数が多いですが、右手をメインで弾いていくようにしなくてはいけません。

最初は左手だけなのでしっかり弾いて良いのですが、右手が入ってきたら左手は少し音量をおさえて弾くようにしましょう。

●ポイント③
ラフマニノフ「楽興の時第4番ホ短調Op.16-4」ピアノ楽譜4 (動画0:36~)

重要な音だけ強調して弾くようにすると、聴きやすい演奏になります。

特にこの部分は左手の親指を強調し、右手はオクターブをしっかり強調して弾くようにして、左手と右手が掛け合いになっているように弾いていきましょう。

●ポイント④
ラフマニノフ「楽興の時第4番ホ短調Op.16-4」ピアノ楽譜5 (動画0:53~)

この部分は激しく弾いてきた部分から少し落ち着いた感じになります。右手の3度音程をきれいにレガートで弾けるようにしましょう。

音の高さが上から下りてくるので、始まりをしっかり弾いて少しデクレッシェンドしていき、また上がって下りてというくり返しをよく弾きあらわしましょう。

●ポイント⑤
ラフマニノフ「楽興の時第4番ホ短調Op.16-4」ピアノ楽譜6 (動画1:10~)

何小節にも及んで長くクレッシェンドする場合は、上の楽譜のように小節ごとや拍ごとで強弱を変えていくと上手くクレッシェンドができます。

クレッシェンドをするときに早くクレッシェンドし過ぎて、後半ほとんど変化がないということや、クレッシェンドをするのが遅すぎて途中で急激に音量が変化してしまったりすることがありますよね。

この方法でクレッシェンドするとそれらの失敗を防ぐことができます。是非試してみて下さい!

私はこの2曲をセットで弾くのをおすすめします!曲想の全く違う曲なので、メリハリが自然とつきます!

思いが抑圧されたような印象の第3番の後に、感情が爆発したような印象を受ける第4番を弾くことで、聴いている人を惹きつけることができると思います。

是非挑戦してみて下さい!!

まとめ

◆ラフマニノフはロシア出身の作曲家、ピアニスト
◆活躍した時期から考えると近・現代
◆作風は後期ロマン派
◆「交響曲第1番」を酷評され精神的にダメージを受ける
◆当時のロシアには国民楽派と西欧楽派という2つの流派があった
◆ラフマニノフは手がとても大きく、12度をおさえることができた
◆「楽興の時」は即興曲的で自由な小品
◆「楽興の時」の全体的な難易度は上級レベル
◆第3番の弾き方のコツは2つ
 ①気持ちを切らさないこと ②3連符のリズムを正しいリズムにすること
◆第4番の弾き方のコツは5つ
 ①とにかく左手の練習 ②右手をメインで弾いていく ③重要な音だけ強調して弾く 
 ④右手の3度音程をきれいにレガートで弾けるようにする ⑤小節や拍ごとで強弱を変えていく




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