数々のアーティストが素晴らしい演奏を披露するコンサートホールの舞台。そのきらびやかな舞台のすぐ横にある舞台袖は実に不思議な空間です。出演者が出入りする隙間からステージの明るい光がこちらの薄暗い奥にほんの少し差し込んできます。真っ暗とも明るいとも言えない神秘、そして静寂…

そんな非日常的なこの場所でステージから鈴の軽快なリズムが聴こえてきます。

シャンシャンシャン…

そして遠くから響いてくるようなフルート。どこまでも遠くへ広がってゆくような朗々とした歌が!思わず天井を見上げると、夜空のような暗い空間が広がっています。

ステージからわずかに差し込んでくる光と相まって、まるで天国から響いてくるような、なんとも言えない幸福感に包まれます。


光が差す方へ!幸福な音楽が聞こえてくる方へ早く行かなくては!そう、私は行かなくてはならないのだから…


今日はグスタフ・マーラー(1860〜1911)が今からちょうど120年前の1900年に完成させた交響曲第4番のリハーサル。トランペットパートである私、ミュート(弱音器)を忘れたので取りに戻っている間にいつのまにかリハーサルが始まってしまったようです。

ヤバイ!早くいかなくては!

舞台裏からステージに向かう一瞬の間にこのような神秘的な光景に遭遇したのでした。

オーケストラ好きならみんな大好き!マーラーの交響曲!そんな油多め「麻辣交響曲」達の中ではとりわけアッサリ風味の交響曲第4番。今回もオーケストラのトランペット席からご紹介しましょう。

■ 目次

角笛三部作最後の作品

グスタフ・マーラーは9つの大規模な交響曲を残しています。オーケストラの編成は大きく演奏時間も長い大作がほとんどですが、その中でも4番交響曲は規模も小さく、他の作品に比べて曲の内容も爽やかで明るい曲です。

室内楽風の編成とマーラー自身は意図したようで、この曲では珍しくトロンボーンとチューバが使われません。それでもそれ以外は三管編成のフルオーケストラとなっていて、聴いただけでは大規模なオーケストラ曲のようにも感じます。

そしてマーラーの初期の交響曲の中で2番と3番、そしてこの4番にはいくつかの共通点があります。

最も特徴的なものは、三曲ともいずれかの楽章で自身が作曲した歌曲集「子供の不思議な角笛」の中から何曲かを転用しています。この4番交響曲の代表的な第4楽章と3番交響曲の第5楽章の両方に使われている旋律もあります。

そういったところからこれら2、3、4番交響曲は「角笛三部作」と呼ばれ、三部作の最後を飾る4番交響曲はその中でも3番交響曲に次いで大自然を感じさせる爽やかな曲となっています。

また親しみやすいけれどもどこか近代音楽のような表現がある不思議な曲でもあります。さらに明るい旋律でありながらも、伴奏低音はどこかおどろおどろしいところも多々あります。

明快すぎるほど目立つ鈴が多用されているのも特徴的です。このあからさまで、しかも第4楽章では何度も繰り返される鈴。聴き方によってはちょっと俗っぽいという意見もあるようです。

これは私が思うところですが、曲の冒頭で鈴という思いがけない楽器を使用するという点では、冒頭でテノールホルン(オーケストラではほとんど使われない楽器)が使われる交響曲第7番と共通しているように思います。

さらに当初3番交響曲に流用されそうな楽章があったものの、マーラーが純粋に古典的な4楽章形式で書いた交響曲という点では、後期の大作である第6交響曲と第9交響曲とも共通しています。

ちなみに交響曲第1番「巨人」も元々は5楽章形式で構想され後に4楽章となりました。

「大いなる喜びへの賛歌」と「天上の生活」


音楽を聴く手段としてCDが全盛期だった頃、ロンドンデッカやグラモフォン、フィリップスなどがCDのカタログを配布していました。クラシック音楽がまだよくわからない初心者にとって数々の名曲と出会える絶好の案内書でもありました。

その中でもマーラーの交響曲には「巨人」とか「悲劇的」とか「千人の交響曲」などといった興味をそそられるようなものばかり。

この曲もかつては「大いなる喜びへの賛歌」という副題が付けられていましたが作曲者自身がつけたものではありません。おそらく曲を理解する手掛かりとして4楽章の歌詞の内容から付けられたものです。

とはいえこういった表題のイメージから曲に親しんでゆくのもアリなのではないかな、と思います。マーラーの伝道師的指揮者ブルーノ・ワルターはこの曲を「天上の愛を夢見る牧歌」と表現しています。第4楽章で歌われる歌詞がまさにそれそのものといえるでしょう。

こういった表題的なものは主観的な表現に偏ってしまいがちで、マーラーの意図とはかけ離れてしまう面もあるかもしれませんが曲の理解をグッと深め、より身近にしてくれるものと言えるのではないでしょうか。

交響曲第4番ト長調


フランクフルト放送交響楽団による演奏。低音の伴奏やリズムがハッキリ聞こえて来る演奏。4楽章のシンプルなソプラノソロこそ理想的な歌声です!

第1楽章(0:04〜)

シャンシャンシャン…非常に印象的な鈴のリズムで始まります。フルートが掛け合うとすぐに伸び伸びとした旋律。

このアウフタクトをいかに歌い出すかが指揮者の腕の見せどころ。



このどこまでも遠くへ広がってゆくような旋律の歌い出しは正に指揮者の「歌心」が試されるところではないでしょうか。

ここまでの部分を客席で聴くのもいいのですが、薄暗いステージ袖で聴くと本当に天国に誘われているような神秘的な美しさがあります。

(9:25)でトランペットの目立つ下降音形が現れます。しっかりとした音で吹かないと拍子抜けになってしまいます。

さらに(9:45)からトランペットが高らかに歌い上げますがすぐその後にトランペットの特徴的な三連符(10:16〜)。この旋律は!次回作の第5番交響曲のあの恐ろしい葬送の旋律が顔を少しばかり見せます。




そして再びトランペットはさらなるオーケストラの盛り上がりとともに同じ旋律を歌い上げます。高らかに!楽しげに!最後はハイDの音まで上がりたいところですが、さすがにトランペットには高すぎる音です…

この流れはホルンに引き継がれるものの、ノリでそのまま高音まで上がりたいのがラッパ吹きのサガというもの。

やはりハイDまで上がりたくなりますがマーラーさんはそこまで望んじゃいないよッ!



1楽章最後の締めも他の交響曲同様キリッとしたセンスあるものとなっています。やはり指揮者として現場で鍛えられた感性なのでしょう。

第2楽章(17:39〜)


この楽章もまた印象的な楽器が活躍します。

ここではヴァイオリンソロが弦を全て一音(長二度)高くチューニングします。それによって硬く骨がギシギシいうような音色となります。どこかサンサーンスの交響詩「死の舞踏」を思わせます。

というか、マーラー自身演奏会プログラムで、この2楽章にそのまんま「死の舞踏」という名を付けて演奏した事もありました。

第3楽章(27:54〜)


マーラーの交響曲の中でも特に美しい緩徐楽章となっています。他の交響曲と違うのは、はっきりとした旋律よりは天国のような爽やかな世界が広がっているような、そんな雰囲気を思わせる息の長い曲となっています。

途中で堰を切ったように次の4楽章の旋律が高らかに歌われます(46:22~)。ここはとても感動するところです。

第4楽章「天上の生活」(49:41〜)

元々は3番交響曲の第7楽章として構想されていました。その後紆余曲折あって最終的にこの4番交響曲の最終楽章として落ち着きます。

前楽章に引き続いて、これでもかっ!!と言うくらいにユルい天国の喜びを天使が歌い上げる、そんな楽章です。いいなー!

しかしながら全楽章に密接に結びついているこの楽章は4番交響曲の要素が全てつまった濃い曲でもあります。

そしてなんと言ってもやはり天使が歌うようなソプラノソロが重要で、これによって曲全体の良し悪しが決まると言っても過言ではありません。

歌われている内容は大体こんな感じです。

天国サイコー!下界の事はもう関わらないよ!
野菜もたくさんあるし聖人さん達だって肉食うよ!魚も食うよ!
BBQだってやっちゃうよ!

キリスト教を題材にした内容となっていて、この少し前にマーラー自身ユダヤ教からキリスト教に改宗した経緯も反映されているようです。

神さま激おこ大意より正しく詳しい歌詞を知りたい方はこちら!

オペラ対訳プロジェクトより。とてもわかりやすい対訳と、テロップの演出なども曲に合わせたものが多く非常にオススメのサイトです!


ソプラノソロの合間に突如鈴を伴った激しい間奏があります(51:32~)。やかましい演奏にならないように金管楽器は注意が必要です。


そして最後は天国の穏やかさが、遠くの景色までどこまでも広がっていくように静かに、というよりも空に消えてゆくように終わります。

名盤オススメランキング

この曲を聴く、演奏する上で大きなカギとなるのは何と言ってもやはり第4楽章のソプラノ、つまり「歌」です。マーラーの作品を語る上で最も重要な指揮者の一人ブルーノ・ワルター曰く「天上の愛を夢見る」ような歌声が絶対に必要となります。

私が個人的に素晴らしい!と思った盤をご紹介しましょう。いやーしかし!どれも甲乙つけがたし!です。

レナード・バーンスタイン/アムステルダムコンセルトヘボウ/ヘルムート・ヴィテック(ボーイソプラノ)



4楽章に普通のソプラノではなくボーイソプラノが起用されている珍しい盤です。ボーイソプラノで歌われる、おそらく唯一の盤だと思います。そのチビッコソプラノに賛否両論あるようですが、私はこの演奏が最も好きです。

やはり少年が歌う歌は天使の歌声を思わせます。大人のソプラノにはない良さがありますがそれだけではありません!

その他の1楽章から3楽章の演奏が素晴らしい!硬くて生々しいティンパニの音色が室内楽らしさと、曲の自然さを感じさせてくれます。オーケストラの音や指揮者の歌わせ方も起伏のハッキリした、イキイキとした演奏です。この点は他の演奏では聴けないものです。

ベルナルト・ハイティンク/アムステルダムコンセルトヘボウ/エリー・アーメリンク

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Philips Classics


声楽を専攻していた方や、シューベルトなどの歌曲が好きな方にとってエリー・アーメリンクの歌はお馴染みではないでしょうか。

私はアーメリンクの歌声がとても好きで、トランペットを演奏する上でも大いにお手本としたものです。その素晴らしい歌声でマーラーが聴けるとは!まさにこの曲にピッタリの歌がここにあります。そして、なんといってもオーケストラとそれを運ぶ指揮者も素晴らしいです。

去年の2019年惜しまれつつも引退したベルナルト・ハイティンク。レパートリーは非常に幅広く、マーラーのみならずブルックナーやショスタコーヴィッチなどの交響曲全集を録音しています。そのどれもが素晴らしい演奏です。

旧録音のものであり、現在では手に入りにくい盤のようですがハイティンクの4番交響曲はこれが1番オススメです。

レナード・バーンスタイン/ニューヨークフィル/レリ・グリスト

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ソニーミュージックエンタテインメント


同じバーンスタインの指揮でこちらは旧録音のものです。オーケストラはマーラーにとってもゆかりのあるニューヨークフィル。こちらのソプラノも他の盤では聴くことのできない歌があります。

清楚なリート(歌曲)のような歌声でもない、オペラチックな歌でもない。どこかミュージカルやポップスを思わせる歌声です。しかしシンプルな歌い方は天から広がるように響いて来るような美しさと感動があります。本当に素晴らしい!

ただ、この盤のオーケストラは少々鋭い音色となっており、全曲を通して平穏な雰囲気で聴きたいと思う方にはちょっとうるさいかな?と感じられるかもしれません。

ウィレム・メンゲルベルク/アムステルダムコンセルトヘボウ/ジョー・ヴィンセント



こちらは非常に貴重な録音なのかも知れません。1939年の録音という古い録音です。

ウィレム・メンゲルベルク(1871〜1951)マーラーお墨付きの大指揮者。ベートーヴェンの直系の弟子でもある。


マーラーが活躍していた当時、最も実力のあった指揮者と言っても過言ではないウィレム・メンゲルベルク。マーラー自身も自分より実力が上と認めた実力派です。

実際マーラーの第5、第8交響曲はこのメンゲルベルクに献呈されていますし、リヒャルト・シュトラウスの白眉の交響詩「英雄の生涯」もこの指揮者に捧げられているほどの大指揮者です。

さて、このメンゲルベルクの録音。ネームバリューだけ先走ってるんじゃないのー?古い録音だからって良い演奏とは限らないよー?その肝心の演奏はというと…


まず録音が古いとか何とかいうよりも、演奏が本当に素晴らしい!第1楽章の歌い出し(動画0:04~)、アウフタクトをこれでもかというくらいにゆっくりと歌います。これはまさにロマン派時代の歌い方で、100年の時を越えてこの当時の歌を聴くことができます。


第3楽章の朗々とした歌い方も現代の演奏では聴けない、思い切った表現を聴くことができます。もちろん第4楽章の躍動感あふれる歌も聴きどころです。録音が古すぎる?そういえばそうだった!と思わせる演奏です。

オットー・クレンペラー/フィルハーモニア/エリザベート・シュヴァルツコップ

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ユニバーサル ミュージック (e)


クレンペラーもまたマーラーとゆかりの深い指揮者です。この盤の魅力は何と言ってもシュヴァルツコップのソプラノです!

歌い出しの表現も素晴らしいですが、その次の躍動感あふれる箇所(動画50:55〜)の歌い方がポイントです。まるでモーツァルトのオペラを聴いているような感覚になります。


また、歌もオーケストラもドッシリと落ち着いた演奏で安心して聴けます。音の強弱も過剰にならず、室内楽のような各楽器の音がハッキリ聞こえる、完全に私好みの演奏なのも良いところ!

ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル/エディット・マティス

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ユニバーサル ミュージック


天国的な響きのするこの交響曲。カラヤンの演奏スタイルこそピッタリなのではないかな、と個人的に思います。


やはり第4楽章の歌が素晴らしく、スタンダードなソプラノとして非常に聴きやすい演奏と思います。しかしこの盤はそれだけではありません。

伴奏のオーケストラの素晴らしいこと!第1楽章から素晴らしい音ですが、この第4楽章で最も良い響きを聴かせてくれます。そして1番の魅力は後半から(動画54:50〜)最後までのゆったりとした、美しすぎるひと時です!

まさに天国的!!ここの表現は他の盤では決して聴くことができない、カラヤンの得意とする表現です。静かに消えてゆくのではなく、空の彼方にいつまでも漂いながらゆっくりと次第に消えてゆく…マーラーの音楽とはそのような一面がありますね。

いつまでも浸っていたい素晴らしいひと時です。

出会いと結婚そして新たな時代と新たな世界

この交響曲第4番が作曲された当時のマーラーはまさに指揮者として絶頂期にありました。

1897年にウィーン宮廷歌劇場の、98年にはオーケストラの代表ともいえるウィーンフィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任し大いに評価を受けます。


翌年の1900年にこの4番交響曲が完成します。さらにその翌年にはマーラーの人生と音楽に大きな影響を与えることとなるアルマ・シントラーとの結婚に漕ぎ着けることとなります。

アルマ・シントラー(1879〜1964)
作曲のスキルも持ち合わせる才女でもある。


その影響は大きく、次回作の5番からマーラーの音楽はガラッと質が変わります。より深淵で巨大な、そして人間の真理に切り込んだこれまでにない音楽となります。

この交響曲第4番は親しみやすい小規模な交響曲ですがマーラーの後期の作品群への大きな架け橋となる曲でもあるのです。


First picture By Неизвестен / GFDL.


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