「何か違うんスよねー」

交響詩「ツァラトゥストラはこう語った(ツァラトゥストラはかく語りき)」の金管楽器セクション練習の時、3番トランペット奏者が何か悩んでいるようです。どうしたのか尋ねると、誰もが思う素直な答えが返ってきました。

「僕の音、カラヤン指揮のベルリンフィルと音が違うんですよね。CDと同じ音が出せないんスよー」

そりゃそうだ!そんな簡単に世界トップレベル奏者の音なんてマネできるわけありません。でも彼の言うことにも一理あります。楽器が上達したかったら、たくさんの良い演奏を聴いて真似をしよう、とよくいわれます。その反面、CDと実際の演奏は違うものだ、という意見もあります。

実際のところCDはレコーディングの際、家庭のオーディオでの再生に対応できるように音色などがほんのわずかに人工的に変えられているのです。ライブ録音でもCDとして商品化する以上、ある程度の編集はされています。とくにカラヤンは音に大変こだわってレコーディングをしているため、その傾向が強いです。なので完全にCDと同じ音を出そうとしても難しいでしょう。

そういったこともあり、CDの演奏の音を完全完璧に真似しようとしても限界があります。

でもだからといって、録音されたものでは演奏者の本当の音は全くわからない、ということではありません。外の音が一切聞こえないコンサートホールで生の音で聞くか、家の限られたスペースで限られた大きさのスピーカーやヘッドフォンで聞くか。それぞれに作品の真価を伝えやすい音のあり方があると思います。

ヘルベルト・フォン・カラヤン、帝王と呼ばれた指揮者



この曲の序奏部は映画「2001年宇宙の旅」の冒頭で使用されました。皆さんも聞いたことのある有名な曲です。

(1:09付近~)

カラヤン指揮のウィーンフィルの演奏ですが、実際これも音などは編集されています。例えば最初のオルガンだけは別な場所で録音され、後にウィーンフィルの録音と合わせたものなのです。

かつてクラシックブームの火付け役となった、といっても過言ではない巨匠カラヤン。重厚で完璧なアンサンブル、そしてレコードやCDを数多く録音し、クラシック音楽の普及に大きく貢献しました。

しかしその演奏スタイルには当時賛否両論ありました。私も最初は不自然に感じるテンポや、盛り付けた感じのする音色など理解できない点が多かったのです。

しかし今回ご紹介する交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」を聴いた時、カラヤンの音楽作りの凄さ、ベルリンフィルの音の巧みさが理解できたのです。冒頭の有名な序奏からして椅子からひっくり返るくらいの衝撃でした。



私の先輩は昔、カラヤンのベートーヴェンの第九交響曲を聴いて人生観が変わるほどの感動を受けた、と語っていましたが、私もこのカラヤン指揮ベルリンフィルの「ツァラトゥストラ」や「アルプス交響曲」を聴いてその感動が理解できたのです。

もちろん先ほどの通り、音そのものは編集されて、実演よりきらびやかに盛りつけられてはいますが、圧倒的なオーケストラの音響への感動には変わりはありません。生の音を編集することは決して間違ったことではなく、むしろ曲の真価を伝える一つの手助けでもあると思います。

リヒャルト・シュトラウスのオーケストラ曲は大規模で多彩なオーケストレーションが特徴です。限られた大きさのマイク、スピーカーを通してその時の演奏を伝えるためにはある程度の編集は必要でしょう。

盛り付けすぎず無味乾燥すぎずに音を再現することもまた指揮者とレコーディングエンジニアの腕の見せどころでもあります。


宇宙の響き

数あるクラシック音楽の中で「宇宙」の響きを思わせる曲といえば、たとえばホルストの「惑星」やマーラー、ブルックナーの交響曲などですが、この「ツァラトゥストラ」もまた宇宙を思わせる曲ですね。映画やCMなどでも使用されています。

何かが新たに誕生するような、そのようなシーンにふさわしい冒頭ですが、題名の「ツァラトゥストラ」をピッタリ表している曲だといえます。

オーケストラの絢爛豪華な絵巻ともいえそうな「ツァラトゥストラはこう語った」。今回もオーケストラのトランペット席からご紹介したいと思います。

指揮者リヒャルト・シュトラウス


リヒャルト・シュトラウスはグスタフ・マーラーと同じく指揮者として活躍した作曲家です。弟子にはカール・ベームやジョージ・セルなど有名な指揮者がいます。シュトラウスの録音した演奏は今でも残っており、その当時の演奏スタイルを聞くことができます。



現代の遅めのテンポで壮大に演奏するのとは違い、速めのテンポで純音楽的な演奏です。

ニーチェを読んで

「ツァラトゥストラはこう語った」はドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが1885年に発表した代表的な著作です。ニーチェの思想の集大成ともいえるこの著作を読んだシュトラウスが、その中から抜粋し曲にしたものが交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」です。ただしその内容を音楽にしたものではなく、読んだ印象や雰囲気を音楽にしたものだそうです。

1896年、マーラーが交響曲第3番を完成させた同じ年にこの交響詩「ツァラトゥストラ」は完成、初演されました。マーラーの3番交響曲もニーチェの「ツァラトゥストラ」を題材にした楽章があります。



ニーチェの著作の内容は後ほど簡単に紹介しましょう。

交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」

オケ全体もすばらしいですが、オルガンとトランペットが大変すばらしい演奏です。


曲は9つの部分からなっており、全曲で30分くらいです。交響詩としては大規模な曲といえます。シュトラウスのオーケストレーションは、まるでSF映画やディズニー音楽を思わせるきらびやかさが特徴です。

しかし、本当のところ序奏は非常に有名で聴きごたえがありますが、その後は難解な音楽が続き、親しみにくい曲だと思う人も多いのではないでしょうか?シュトラウス自身も、自分の曲を聴いてもらいたかったら、「最初でガツンと聴かせるべし!そうすればお客は後は黙って聴いている」と言っています。

しかし、どんな難解な音楽でも区切りがあって、全曲を把握するポイントがあります。

序奏(0:33~)

もう説明の必要がないほど有名な曲です。オルガンの低音から始まり、トランペットの「ド、ソ、ド」という簡素な主題が吹かれ、突然のクライマックス。そしてティンパニーの打音。おや?このティンパニー、マーラーの交響曲第3番の6楽章の最後の部分に似ています。ニーチェ繋がり??

最後の全合奏の和音は一旦デクレシエンドして、オルガンの陰に隠れたかと思うと、再びクレシェンドして圧倒的なクライマックスに達します。一瞬星の陰に隠れた太陽がすぐさま星の輪郭をくっきり描いて再び強烈な光がさすような情景が浮かんできます。


この有名な「ド、ソ、ド」の主題はこの後何度も現れ、曲の変化の手引きともなっています。

切れ目なく次の曲へ。

後の世界の人々について(2:22~)

いきなりのクライマックスから一転、感動的な音楽が展開されます。ここから科学についてまでを「ツァラトゥストラ」の前半と考えるとわかりやすいと思います。

大いなる憧れについて(5:46~)

前曲に引き続き美しい音楽ですが、突然イングリッシュホルンによる、序奏の「ド、ソ、ド」が邪魔をします。そのままお互いが主張するかのようにもつれ合いながら、トランペットのファンファーレ。そして激しいオーケストラヒット!次の曲へ。

歓喜と情熱について(7:40~)

何かに立ち向かうような勇壮な曲です。しかし次第に衰えていき次の「埋葬の歌」へと続きます。

埋葬の歌(9:40~)

オーボエが前曲の勇壮な旋律を悲しげに奏します。途中でトランペットのド、ソ、ドでわずかに盛り上がります。半音階でうごめく沈鬱な曲。弦楽器による多くの声部に別れたアンサンブルが聴き所です。音楽は次第に深く静かに沈んでいきます。

科学について(11:57~)

無音に近いほどの非常に小さな音で、低音楽器によるド、ソ、ドを元にした旋律から始まります。この旋律は後にフーガの主題で再び現れます。

実際のところ、CDなどでクラシック音楽を聴くとppの音が小さすぎてボリュームを上げないと聞こえないということが多いですね。そのまま聴いているとまた大きな音でびっくりして慌ててボリュームを下げる、ということもあるのではないでしょうか。実演ではこのようなことはありませんが、音を編集することの欠点であるともいえます。

曲は次第に天使たちが踊っているような楽しげな舞曲へと場面が変わります(14:51~)。しかし突然またトランペットのド、ソ、ドが神秘的に現れます(15:08)。次に今度はそれに対抗するかのようにクラリネットが「夜のさすらい人の歌」の主題が現れます。(15:20)


この「夜のさすらい人の歌」の主題は、終曲の題名になるほど重要な役割を担っています。


この二つが絡み合いながら展開、一旦終止するとすかさず次の曲、フーガが始まります。

ここまでを前半と考えましょう。

病より癒えるもの(16:08~)

ここからの3つの大曲が後半と考えると聴きやすいでしょう。

序奏の「ド、ソ、ド」の主題を使ったフーガが、トロンボーンを皮切りに展開されます。次第に次第にフーガが荒れ狂っていき、「夜のさすらい人の歌」の主題が現れた途端、打ち消すかのように全合奏で冒頭の主題ド、ソ、ドが盛大にドカン!!爆発します(17:25)。そして再び静まり返ります。

しかし突然不安に駆られたように弦楽器がざわめきだし(18:28~)フルートによる不思議なざわめき(18:47~)。そして刻を告げるニワトリのようなトランペットのファンファーレ!ファンファーレは他の楽器に受け継がれ、さらにざわめきだします。夜があけて、鳥たちが騒ぎだしたかのようです。ざわめきが最高潮に達し、再び静かになります。

舞踏の歌(20:58~)

静かになった所で弦楽器とトランペットが「ド、ソ、ド」の主題を呼応します。9曲の中で最も長く、ヴァイオリンソロが聴かせ所の美しいワルツの始まりです。もう一人のシュトラウス、ヨハン・シュトラウスと同じく、こちらのシュトラウスもオペラ「バラの騎士」など魅力的なワルツを数多く作曲しています。

次第に激しく盛り上がり、オーケストラの咆哮が響き渡りそのまま怒涛の終局へ!

夜のさすらい人の歌(28:37~)

世界の終わりを告げるような鐘を伴った盛大なクライマックス。動画ではチューブラーベルですが、ベルリオーズの「幻想交響曲」と同じく本物の大型の鐘を使用します。ここで今までチラチラ顔をのぞかせていた「夜のさすらい人の歌」の主題が盛大に奏されます。しかしオーケストラの咆哮はすぐに収まり、静かに曲の結びへと向かいます。

この楽章は、以前ご紹介したマーラーの交響曲第3番の第4楽章と同じ「世界は深く、嘆きは人間に消えよと命じ、歓びは永遠であれ」という内容です。

最後(32:08~)は静かな高音楽器の和音の後に、トロンボーンの不協和音と低弦がピチカートで「ド、ソ、ド」を交互に静かに鳴らし(実演じゃないとほとんど聞こえません)、消えるように終わります。

シュトラウスとトランペット奏者の闘い

シュトラウスの曲はワーグナーの流れを受け継いだ、コテコテのドイツ音楽です。必ずしも、ではないのですが、トランペットはロータリートランペットで吹くことが多いです。

そしてもう一つの特徴、それはトランペットパートはあえて難しく書かれていることです。それにはこんなエピソードがあります。

シュトラウスが指揮者として就任したあるオーケストラに若い天才的なトランペット奏者がいました。どんな難曲でも決して音を外さず完璧に吹きこなせる実力の持ち主です。

そこでシュトラウスは「吹けるもんなら吹いてみるべし!」と、どんどんトランペットが難しい曲を作っていったのです。しかし速いパッセージや高音域等、シュトラウスが意地悪くどんどん難しく書いてもこの若き天才トランペット奏者はなんなく吹きこなしたのです。そこからR・シュトラウスvs天才トランペッターの戦い(?)が始まったのです。

この「ツァラトゥストラ」を始めアルプス交響曲など、非常に目立つハイトーンソロがあります。さらに「英雄の生涯」では通常では演奏不可能な低い音(ペダルトーン)もあります。いずれも目立つのでゴマカシはできません。

さて、シュトラウスは天才トランペット奏者を「音を外しました!まいりました!」と言わせる事は出来たのでしょうか?気になる所ですが、残念ながら記録は残っていない様です。

ロータリートランペットのオクターブキィ

とにかく高音域への音の跳躍が激しいシュトラウスの曲ですが、その天才トランペット奏者を困らせてやろうと難しく書かれているので、私のような普通のトランペット奏者にとってはまさに地獄です。

そこでロータリートランペットにはオクターブキーという武器があるのです。

http://japanrotarytrumpetcenter.com/Erklaerung2.html

このキーを押すとツバ抜きの様な穴が開きます。すると息が少し穴から漏れることによって吹いた時の抵抗が増し、やや高音域が当たりやすくなります。ちょうどリコーダーの様に塞いでいる穴を順番に開けていくと音が高くなっていくのと同じ原理です。

(穴を開けることで実際は空気が抜け、抵抗は減るのですが、ロータリートランペットのオクターブキーの穴は抵抗が増すように感じられる位置に穴があります)

通常オクターブキーは「ハイC」、つまりオクターブ上のドの音用のキー1つが付いています。楽器によって3つ付いているのもあります。ハイH、ハイAなど、穴の位置によって当たりやすい音が決まっている様です。これもまたナチュラルトランペットに穴を開けて音階の音が当たりやすい様にするのと同じ原理です。

しかし、穴を開くことによって作為的に息の流れを変えるので、やや音が細くなる様な感じが私はします。それでもこの曲の「病より癒えるもの」の途中のソロを外してしまうリスクを考えれば、これに頼るのもアリですね。

ちなみにツバ抜きを開いて高音域を出してみると、高いシ♭が当たりやすいようです。でもあまり裏技には頼らない様に吹きたいものですね。

トランペットは死ぬほど緊張します

この「病より癒えるもの」のソロですが、ハッキリいってトランペット奏者にとって恐ろしいです。不思議なピヨピヨ鳴っているフルートをバックにこのソロ!(動画18:48~)


最高音までオクターブの跳躍です!さらにその後の長いロングトーン!!これを外したら全て台無しです。

私は先ほどの様に、音が細くなるから使わない!と強がって練習、リハーサルとオクターブキーを使わずにいましたが、いざ本番。やはり緊張します!

いよいよ「病より癒えるもの」のソロ。木管楽器のピヨピヨが始まった途端、とてつもない緊張が襲います。もしナイフや刀、銃を持った兵隊100人に囲まれて狙われるとこんな感じ?という緊張が木管楽器のピヨピヨ音と相まって、もはや恐怖となります。

とっさの判断でオクターブキーをオープン!なんとか外さず乗り切りました。今でも木管楽器のピヨピヨ音を聞くたびあの時の恐怖がよみがえります…

病が癒えるどころか本当に病になりそうですが、トランペットとは度胸も必要な楽器なのですね。

名盤紹介

上記のカラヤンの演奏以外でも素晴らしい盤があります。

ゲオルグ・ショルティ/ベルリンフィル



カラヤンと同じくベルリンフィルの演奏です。ショルティは手兵のシカゴ交響楽団でも録音を残しています。

やや残響が少なめの、アメリカオーケストラの引き締まった演奏も素晴らしいですが、より響きの豊かなベルリンフィルの演奏はよりシュトラウスらしい演奏となっています。

ヘルベルト・ブロムシュテット/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団



このドレスデン歌劇場管弦楽団は非常に歴史の長いオーケストラです。ウェーバー、ワーグナーなども指揮をしましたが、もちろんシュトラウスも自作のアルプス交響曲を初演するなど、指揮者としてこの楽団と演奏しています。

ベルリンフィルとはまた違った豊かな音です。とくに弦楽器、ホルンパートが他のオーケストラにはない音色です。

ニーチェ先生はこう考えた!「ツァラトゥストラはかく語りき」

ところで、この「ツァラトゥストラ」とはどんな内容の著作なのでしょう?

まずツァラトゥストラとは、ペルシャ(今のイランあたり)発祥の古い宗教「ゾロアスター教」の開祖、ゾロアスターのことです。みなさんも中学生くらいの歴史の授業で習ったかもしれませんが、善と悪の神が闘う拝火教(火を崇拝する教え)のゾロアスター教のことです。ゾロアスターをドイツ語読みでツァラトゥストラと読みます。

ちなみにイタリア語ではザラストロと読みます。ニーチェの著作自体とは関連はありませんが、モーツァルトの1791年に作られたオペラ「魔笛」でもザラストロとして登場しますね。

ニーチェがこの著作を発表した当時、ヨーロッパでは「ゾロアスター教」の考え方がちょっとした流行になっていました。最近でいう「禅」がプチブームになっているような感じです。

ただしニーチェは自らの思想をゾロアスター(ツァラトゥストラ)を通じて述べたのであって、実際のゾロアスター教とは関連はありません。もちろん「永劫回帰」もニーチェが考え出したものです。あくまでもキリスト教中心のヨーロッパを客観的な視点で見ようと、教義である善悪二元論から、「道徳」を体得していると思われるゾロアスターに託したのでしょう。

「ツァラトゥストラ」はニーチェの思想を寓話的に表した哲学書、小説のようでもあり、また詩のようでもあります。


その内容は・・・

10年間、山ごもりの修行をしたツァラトゥストラはある日、世界を救おうと旅に出ます。コンビニへバイトをしに、ではありません。山を降りる途中出会った人との対話で「神が死んだ」ことが明かされます。

街に着いたツァラトゥストラは、綱渡りの大道芸を見ようと集まった人々に「超人」と「おしまいの人間」という思想を教えようと語りかけますが、だれも真剣に聞こうとしません。(そりゃそうだ・・)そして綱渡り芸人が綱を渡りはじめますが・・・・・


物語のように進行する場面もありますが、思想を述べている箇所は短い散文形式で述べられている章もあり、今でいうツィッターのような形で自身の思想が展開されています。

その思想とは・・・

・みんなが信じる神様(キリスト教での)はもう死んでいる。

・世界は良いことも悪いことも、何度も繰り返される永劫回帰という繰り返し。

・その永劫回帰をシッカリ受け入れる超人にならなければいけない。

例えば皆さんは「今の体力と頭のままで小学生の頃から人生をやり直してみたい」と考えたことが一度はきっとあるはずです。あの時の失敗の経験を避けてさらに良い人生になる、と思うでしょう。

しかし!そうはいきません。必ず同じ成績、運動神経でまた同じように人生は繰り返されるでしょう。よかったことも悪かったことも全て、再び全く同じように繰り返される、というのがニーチェの永劫回帰の考えです。

これは運命というものではなく、死後生まれ変わって新たな人生が始まるのでもなく、また神のもとに召されるのでもありません。

時間は無限にある反面、人間は死んだり新たに生まれたりと、物質は限りがあります。その中で全ての出来事は必ず同じ組み合わせで過去現在未来のどこかで発生する、しているはずです。

そこでニーチェが強く言いたかった事は、その「永劫回帰」という世界の無限ループに気付き、その上で繰り返される事は良いことも悪いことも全て「ドンと来い!」と受け入れることが必要だということです。

神頼みに逃げずそれを強い意地で受け入れたとき、人は「超人」となるのです。キン肉マンではありません。

永劫回帰なう

ニーチェの考えについて詳しく知りたいけれど、難しすぎて何を言っているのかわからない事が多いと思います。こちらはとてもわかりやすく読みやすいのでオススメです。



これで概要を知ってから、ニーチェの著作を読むと、より深くその思想を理解しやすくなり、ツァラトゥストラの世界へと入りやすいと思います。

ちなみに、ニーチェ自身も音楽に造詣が深く、ワーグナーと深い親交がありました。(後にその仲は決裂しますが)またニーチェ自身が作曲したピアノ曲も残されています。




私にとっては先ほどの「病より癒えるもの」のソロ直前の緊張と恐怖、フルートのピヨピヨ音が永劫回帰となっています。でも、何度でもドンと来い!



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