大好きなドビュッシーの「月の光」を弾ける!めくるめく美しい和音に、いつもは面倒な譜読みすらわくわくしますよね!なんて素敵な曲なのでしょう。

わたしはある時から、かなり特殊なイメージを持って「月の光」を弾くようになりました。
今回は「月の光」特有のたまらない揺れ感を表現する「ルバート」(テンポにとらわれない自由な表現)を、どうやったら自分らしく実現できるかな?ということと、音楽にイメージを持って弾くと、本当に演奏の役に立つの?ということを考えてみようと思います。

「月の光」の難易度

人気曲で比較される「アラベスク第1番」とどちらが難しいかというと、やはり、最初からその世界の中に入っていたい「月の光」でしょうか。

テクニック的な準備としては、手がしっかり大きくなってきて、ツェルニー40番が軌道に乗るころ、いろいろな調のスケールとアルペジオを練習しはじめていると、理想的だと思います。この曲の和音の美しさを、心の動きとともに弾けるようになるには、調性が変わる時の臨時記号に対して、なるべく抵抗感をもたずに取り組めるとスムーズなのですよね。

でも、なによりこの曲は「弾きたい!」と思った時がいちばんの弾き時だと思うのです。
もうちょっと後になってからの方がうまく弾けるかな?と思っているうちに、いつのまにか、ちょっと心が離れてしまうこともありますよね。
強烈に惹きつけられた時に、ぜひ一度弾いてみてほしいなあと思います。



この曲って…おだやかで静かな曲なのでしょうか?どう感じますか?
expressif(情感豊かに)、animant(動いて)など、豊かな表情表記がたくさん書いてありますね。
この曲のトランス状態の美しさって、ちょっと怖いような気さえしませんか?

きれいな曲として憧れていた「月の光」は、ある時、わたしの心に切実に訴えてくる曲になりました。
それは「遭難した飛行機の操縦士が最後に見た、月の光と星空の世界」というイメージになった時でした。
こんなお話のクライマックスの場面です。

「夜間飛行」


フランス音楽の大家ドビュッシーが、「月の光」を含むベルガマスク組曲の作曲に着手したのは1890年と言われています。
それから40年ほどのち、同じくフランスの、飛行機操縦士であり小説家、「星の王子さま」を書いたことで有名なサン=テグジュペリは、「夜間飛行」という小説を書きました。

これは、まだ夜間に飛行機を飛ばすことが非常に危険だった時代、郵便機の夜間就航に携わる人びとの物語です。

真夜中、嵐に見舞われ遭難した操縦士ファビアンが、地上の管制塔と連絡を取り合いながら、雲の渦を抜けるために必死にかじを取るのですが、とうとう、燃料があと30分しかもたない、という事態に陥ります。

不時着するために、地上の目標物を何とか捉えようと、漆黒の極限状態のなかで目を凝らしつづけていたファビアンは、ついに手持ちの照明弾もなくなり万策が尽きます。そのときふと、頭上に、雲の切れたわずかな星空を見つけてしまうのでした。

燃料が尽きかけた今、雲海の上に出てしまっては、もう二度と、地上の目印を見つけることはできません。それはすなわち、命の終わりを意味するのです。

これは罠だ、ファビアンはそう分かっているのですが、星空に焦がれる気持ちを抑えられず、ついに美しい雲上に出てしまうのでした…。



命の最後の30分に見た、満月と星空の世界。



この小説を読んだ時から、「月の光」の曲の美しさから受けるイメージが、わたしの中でがらっと変わり、ものすごく心震える曲になったのです。



わたしはこのように演奏してみました。


はじまりの揺れ感。

わたしの中では、もう力を失いかけているエンジンで、やっと飛んでいる飛行機。
楽譜から受ける印象は、左手の動力によって、右手の機体が揚力を得て、厚い雲のなかを漂っている雰囲気みたいだ…と思いました。すぐに高度が落ちそうになるので、また左手が煽ってあげる、という感じがしました。

ドビュッシーは本当に天才的で、この曲を、「(8分音符×3)×3」の3拍子できちんと楽譜通りに弾けば、詩を口ずさむような素晴らしい音楽が浮かび上がってきます。
でも、ノーブルな音楽づくりをする場合でも、ちょっと分析をしてみると曲の流れが見えてきますよ。

ドビュッシー「ベルガマスク組曲第3曲『月の光』変ニ長調L.75-3」ピアノ楽譜1
青色でかこんだ部分は対になっていて、最後のオレンジ色の部分で「韻」を踏みながら、ちょっと振り返るような表情を感じることができます。
紫色のかこみの2フレーズも、断層的に降りていく感覚を持つと、流れを失わずに弾きやすくなります。

練習をするにつれ、ここの部分に拍の感覚を持ちにくくなっているピアノ弾きさんがいるかもしれません。わたしもそうでした。それはたぶん、自分の中に「想い」が生まれ始めたからなのだと思うのです。まだルバートの指示はないですが、ルバートの感覚はすでに始まっているのですね。

でも、自分軸の拍の中で表現をして、聴いている人に分かってもらうには、ちょっとした力量が必要です。

きっと「センスがいい」とか「味わい深い」なんていう「どうしたら手に入れられるのか誰も教えてくれない力」なんじゃないかって…?

いえいえ、だいじょうぶ!

動きを整理しよう!

まずひとつめのアイディアは、先ほどの「韻を踏む」や「断層的な解釈」などによって「フレーズ同士の意味のあるつながり」が演奏から感じられると、テンポが揺れても深みがついてくる、ということなのです。

うーん分かりにくいですね!
ええと、心のままにルバート!と思ってもなかなかうまくいかなかったら、「ふむふむ、こことあそこはつながりがあるから、ここで拍を揺らしたら、つぎにやってくる部分も同じような揺らしかたをしてみよう」と、動きを整理してみるといいと思うのです。

わたしは音源の中で、対になっているフレーズを、同じような揺れ方で伝えてみたつもりなのですが、どうでしょうか~…?
同じような揺れを2回感じると、弾いている人の言葉が、なんとなくおぼろげに伝わってくるような気が、しませんか…?


これは想像なのですが、主観的な弾きかたって、一度聴いただけだとよく分からないまま過ぎちゃうのではないでしょうか。自分とは違う考え方をする人に出会ったとき、何回か会って話を聞いていると、その人の感じ方が分かって共感してくることがありますよね。


なので「自分の話し方」で良いので「話し方を変えない」方が、聴いている人に分かってもらえるような気がします。

プロのピアニストは、フレーズごとに味が違う「天才的なルバート感覚」で演奏する方もいますが、わたしたちはこんなふうに動きを整理しながらルバートをかけてみるところから始めてみたらどうでしょう?

音の減衰量で時間軸をあやつる

それからこういうゆっくりとしたフレーズの中で、音楽の拍が揺れる場合は、音が減衰していった先に置く次の音を、その減衰した量を受け継ぐくらいの小ささで弾く、というのもポイントです。

本当の音の長さより、きもーち長めに伸ばしたくなる人は、次の音がくるまでにはかなり音量が減衰することを考えて、次の音はとっても小さな音で置くと、時間の流れに説得力がつきます。

ちなみにわたしの中では、曲と一緒に飛行機が飛んでいるイメージなので、空間に置いた音がスーッと伸びた先で、推進力がなくなる前に次の音を上手に置きたい!という意識はすごく強くなりました。


弱いエンジンの力では機体は少しずつ下がっていき…そしてまた、奮い立たせるように、エンジンと揚力を感じて厚い雲の中を飛んでいきます。


具体的なイメージがあったことで、わたしはこのページをこう弾きたい、という思いが生まれて、曲の文脈をすごくとらえやすくなりました。



もちろん「月の光」の煌煌とした輝きの描写を思い描けば、まったくちがう素敵なとらえ方ができると思いますよ!!

ここからが「テンポ・ルバート」

「テンポ・ルバート」とは、直訳で「盗まれた時間」。
隣の音の持っている時間を奪って、訴えてくる音があってもいい、ということなんですって。

楽譜上、「Tempo rubato」とはっきり書かれているのはここからです。(音源1:06から)

悲しいくらい美しいところですね…。
わたしの弾き方は、最初の左手のバス音から右手までの「間」が、ルバートにしてもけっこう長いのですよね。でも、最初のバス音を自分の中で消化するために、どうしてもこのくらい時間が必要なんです。

遅れすぎないようにしなきゃ!と、あせって次の音に行ってしまうと「友達との別れ際に目を合わせて『バイバイ』が言えなかった日」みたいな妙な気持ちになってしまって、そのあとはおおかた失敗しちゃうのです。

なので、時間をもらった分、次の音はぜひ説得力ある音で、雲海の上から操縦士を呼ぶような、きんと冷えた月夜に響く音を出したいなと思っています。
うまくいっているかは分からないですけれど…。

自分が納得できる「間」はすごく大事だと思うので、自分の気持ちに正直な「間」をとってほしいなと思います。


ルバートが心情を受け止めてくれる

感情を込めるときに一番基本的なのは、音が上がる時に少しクレッシェンドして、下がる時に落ち着きながらややゆるめる、というやり方だと思いますが、ルバートを伴っていると、とても不思議なことに、まったく真逆の表現のように弾いても心に沁みることがあるのです!
この部分はまさにそんなところです。

同じ楽譜であっても、「悲しい時に泣く」と「悲しい時に笑う」、どちらもありうるのが、ロマン派以降の最高に素敵なところ。
そして「悲しい時に気持ちを抑える」人もいるのかもしれませんね…。

そのあたりを、ルバートはとてもやさしく後押ししてくれる表現方法なので、ぜひ敬遠せずに、やってみてほしいのです。
自分の素の感じ方で感情が伝えられたら、とても幸せですから。


「動きを整理しよう!」の実践編になりますが、ここはペアのフレーズと3つ組のフレーズになっているので、組んでいる部分は同じように揺らすことにする、と、ひとまず枠組みを決めておきます。
そして、ためしに最初のひとつをどう揺らしたいか、考えてみてください。

ドビュッシー「ベルガマスク組曲第3曲『月の光』変ニ長調L.75-3」ピアノ楽譜2 (音源1:06~)

青色の①は、
夏草の香りが連れてくる切なさのように弾きたいですか?
月を隠す雲が晴れてくるように弾きたいですか?

紫色の①は、
草一本も動かない、しん…とした月夜でしょうか?
それとも今まさに、湖から白鳥が飛び立たんとする、月夜の情景でしょうか?

それぞれの①を思い通りに弾けるように研究してみてください。
和音では、ユニゾンを出したいですか?内声に魂を感じますか?
たぶん、ワンフレーズなら「わたしはこう弾きたい!」を見つけられると思うのです。

あとのフレーズはそれをならう形で盛り上げてみてください。
揺らし方に文脈ができて、自分の揺らし方を後押しするように説得力がついてきますよ。



わたしの音楽と小説に戻りますね。

操縦士は、星空からの誘いを断ることが、できませんでした…。

星空へ向かって


彼は上昇した。星が与える指標のおかげで、乱気流をうまくコントロールしながら。青ざめた星の磁力が彼を引きつけていった。…
…彼はらせん状に少しずつ上昇していった。上空に開いて、彼の下で再び閉ざされる井戸に沿って。


(音源1:53から)
わたしは、「1小節、1小節、2小節」のリズムで、どんどん高度を上げようとしてみました。
自分のイメージだと、本当は3000mも上昇したいんです!
でも、音楽が破たんしないように、となると、こんな感じの演奏になりました。

練習の初めは、バス音の中に分散和音がすべて包まれていると思って、和音が鳴りきるまで全部の音を伸ばしてみます。個別に把握するより、パッキングされた状態で頭の中に入ってきませんか?
それをちょっとだけ離しながら弾くようにすると、ぱらぱらした音色にならないでしっとり弾けると思います。

ここは、指番号を「ナンバープレイス」のゲームのように、入れ込んでいきます☆
2の指かな3の指かな?と迷ったら、2も3も書いておいて、後から選択してみてください。
ご参考までに、ナンプレ式で作ったわたしの指番号メモ☆です。

ドビュッシー「ベルガマスク組曲第3曲『月の光』変ニ長調L.75-3」ピアノ楽譜3
2つ目の小節では、右手の親指と人差し指で打鍵したら、すぐ、上の音の行動開始です。
鍵盤から指を離さずに、鍵盤上で人差し指から小指へ滑らせます。
その動きを、左手さんと分業している分散和音の仕事ノルマが回ってくる前に、終わらせておくのです。

そうすると、すごくなめらかにメロディを弾けるのですよね。
フレーズの最後と、次のフレーズの最初が重なるような場面は、指変えのメモをたくさん作ってくださいね!
こういう部分で、切れ目を感じさせない演奏になると印象がすごく変わってきます。

え?そこまでやってられないなあ…って?
でも、そういう手がかかることも、どうしても叶えたいことのためなら、頑張れると思いませんか?

わたしは「この1ページで3000m上昇して月と星に近づく!」という、他の人にはなんのことだかさっぱり意味が分からないこと!(笑)を、どうしてもやりたくて、練習意欲がすごく上がりました。毎日ちょこちょこ時間を作って練習するのがとても楽しかったのです。


実際は、そんな映像は聴いている人に伝わらないのですけれど、わたしの中で精一杯、空を駆けあがろうとするか、静かな海の波の上に揺れる月影を想うのかでは、それはもちろん「演奏の向かう先」が違ってきますよね。

もうこれで地上に戻れない

(音源2:20)
この1小節のフレーズは、わたしにとっては、これでもう地上に戻ることのできない、命の最後の上昇。すさまじく感情が動く場面になりました。

一番緊張するこのシーンは、メロディも内声もすべての音が一斉に昇華するので、どの音も弾きこぼさずにとらえるには、スタッカートの粒子で捉えてペダルにのせても綺麗です。



雲上には別世界が広がっていました。



数秒間、彼は目を閉じなければならなかった。夜、雲が、まぶしいほど光るなぞとは、これまでの彼には信じ得ないことだった。


何という驚きだったことか。光は彼の目を眩ませるほどだった。…
…満月と星座のすべてが、雲を光る波に変えていたのだ。



満月と星座のすべて!!
とてもとても表現しきれていないのですけれど、わたしは溢れるくらいのいっぱいの星空を右手だけで表現してみようと思いました。
もう、嵐に抵抗していた左手のエンジンはほとんどいらないのですね。左手はどんどん後方に離れていき、機体は自然に上がっていきます。


(音源2:37から)
眼下には、地上の世界には嵐の顔、星空に対しては水晶と雪の顔を向けていた、厚さ3000mの雲の正体が、広がっていきます。
眼下に遠のいていく雲を表すのに、わたしはここではじめてソフトペダルを踏みました。



ファビアンは、不思議な天体の外圏に達したのだと思った、なぜかというに、彼の両手も、着衣も、機翼も、すべてが光を放ち始めたので。



(音源3:02から)
満月と星空に近づいた世界は、空気も薄く。
音色の儚さを指先でコントロールしていきます。
軽いスタッカートをペダルに乗せると、儚くても埋もれない音が出ると思います。



雲上の操縦士と無線士はおたがいにほほえみあい、
そして、命の最後の30分間、美しい静寂を過ごすのです。

いろいろなイメージを借りてくることについて

これが、わたしの「月の光と夜間飛行」のイメージでした。
イメージをもつことで、自分にとってはいろいろなことが生き生きと結びついて整理され、音楽づくりがとっても切実になる!ということがありました。

聴いている人には、弾いている人のテーマはまったく見えない状態で、(うまくいけば)エネルギーの向かう先にあるものを、聴いている人の感性で感じてもらえるかもしれないと思います。

ですが、もちろんドビュッシーが「月の光」を作曲した時には、サン=テグジュペリから影響をうけているはずがありません。作曲家が意図したわけではないところで、あまりにもいろいろなイメージを借りるのはいいのかどうか、と考えたことがありました。


以下はわたしのいいわけです。

絶対音楽と標題音楽

音楽には「絶対音楽」と「標題音楽」という、ひとつのとらえ方があります。
ちょっと乱暴な言い方ですが、絶対音楽とは、音だけの世界で音楽を構築していこうという作曲家のスタンスのことです。

そのほうが、音楽の伝えたいことが行き違いなく聴き手に伝わる、という考え方なんですね。先ほどのわたしの演奏みたいに、演奏する人のストーリーは聴き手には伝わらないのですから、それでは行き違っているでしょう?というふうにも言えます。

バッハや古典的な作曲家は、「プレリュードとフーガ」「ソナタ」など、具体的な題名がつかない鍵盤楽曲をたくさん書いていますが、これは音だけの世界で生きていける、宇宙のような曲たちです。

意外なところで、ショパンもどちらかといえばこちら側なんです。
そういわれれば「バラード」「スケルツォ」「マズルカ」と、曲の形式やざっくりとした題名の曲ばかりですよね。素敵な副題はほとんどの場合、後の人がつけたもので、ショパン自身は特定のイメージで演奏することは避けていたようです。



一方「標題音楽」は、分かりやすい曲の題名がついていて、作曲家自身が積極的にイメージ喚起を促しています。
リストの「森のささやき」、シューマンの「子供の情景」などです。
ドビュッシーの「月の光」もそうなんですね。

「標題音楽」は、題名と曲想から個人が描く、さまざまなイメージが溶けあうことを許してくれる、という土台がまず根底にあります。主観で理解したことを、もしかしたら少しの誤解とともに他のひとにつないでいくのですね。


「もうこれで戻ることはできない」「これで命も最後」という切実さの表現など、わたしは小説の力を借りずには、「月の光」を弾こうとする自分の引き出しの中にあることに気づかないままでした。

そんな自分の気づかない感情を、さまざまなイメージの力で引っ張り出してもらいながら、主観的な伝達をしているのですね。

みんなどこかでつながっている

こんな考え方もあると知りました。
わたし達の身体って、小さな原子が集まってできているでしょう?
友達が教えてくれたのですが、この原子って、実は地球ができた時から、ずっと再利用され続けているんですって。

わたし達の身体には、まちがいなく恐竜や古代生物だった原子も含まれているし、カエサルが息絶えた時の、最後の一呼吸に含まれていた酸素の原子は、2000年の間に地球上に拡散して、今現在のわたしたちの毎回の呼吸に500~1000個は含まれているという計算になるのですって!

19世紀フランスのドビュッシーが月夜に吸って吐いた原子も、20世紀のサン=テグジュペリが機上で吸っていた酸素の原子も、わたしたちの呼吸にきっと含まれているし、いやもしかしたら、わたしたちの身体の何個かの原子は、かつてのドビュッシーの身体と共有しているかもしれないのです。

つまり、今起きていることは、本当にすべての歴史とつながっていて、つながっているのみならず、自分のからだや精神に、若干ながら「本当にある」ものなのではないでしょうか。


音楽の世界でも、身の回りで受け取ったすべての中から表現して、何の矛盾もないのかもしれないのです。


作曲、演奏、聴いてくれる人の、ちいさな誤解の美しい連続は、ほんとうはみんなの中に「実際に微量はある真実」の連続。


そうやって音楽は、つくっている人たちのはるか手の届かないところまで、永遠に続いていく「微量な真実」も鱗粉のように残しながら、無限に飛んでいくのかもしれません。




時と場所を超えて誰かとつながれる、思いを馳せられるということは、人の幸せな瞬間のひとつですよね。


まとめ

〇弾きたいときが「弾き時」です。
〇わたしは小説「夜間飛行」から影響を受けました。
〇ルバートの表現①
 ・自分の「間」と「拍感」で表現するには、つながりのあるフレーズ同士を同じ揺らし方にしてみよう。
 ・音の減衰に注目するのも、時間軸をあやつるコツ。
〇ルバートの表現②
 真逆の表現でも本質を伝えられる不思議!心情に優しく寄り添ってくれるルバート表現にぜひ挑戦しよう。
〇さまざまなことからイメージを借りてくることについて
 ・弾く人はエネルギーをたくさん得られます。「こうしたい!」が生まれるので、練習も前向きに。
 ・聴く人は、音楽のエネルギーが向かう先にあるものを聴く人の感性で感じてくれるかもしれない。
〇絶対音楽の宇宙と、標題音楽の多様性について。
 伝達するときの「ちいさな誤解」は実は、誰の中にも微量は含まれる真実かもしれない。
 わたしたちはどこかでつながっている不思議。



「月の光」の無料楽譜
  • IMSLP(楽譜リンク
    本記事はこの楽譜を用いて作成しました。1905年にフロモン社から出版されたパブリックドメインの楽譜です。「ベルガマスク組曲」全4曲が収録されており、第3曲「月の光」は14ページ目からになります。
  • Mutopia Project(楽譜リンク
    最近整形されたきれいなパブリックドメインの楽譜です。「月の光」1曲が収録されています。

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