暗い空。見上げると暗雲の中から、おぼろげに、幻想的に人の姿が見えてきます。雲が少しずつ晴れてくると、次第にハッキリと2人の男女が踊っている姿が。そして徐々に音楽がざわめいてくる・・・さらに多くの人々が、大勢の人々がワルツを踊っている光景が広がっていきます。
シャンデリアの眩しい光とともに…
優雅な貴婦人たち。人生の数多の深刻さも忘れさせてくれる楽しいひと時。永遠とも思われる絶頂期のオーストリア。しかし次第にワルツのリズムは常軌を逸したように高揚し、踊っている人々の姿は激しくどんどん加速していきます。そして何もかもが、ごちゃ混ぜの渦巻きのように狂乱していきます。
どんどん目まぐるしくなる音楽。音の洪水。しかし2人の連弾ピアノは崩れることはありません。最後は強引に4連符を叩きつけるかのようにして突然終わります。
1920年某日、ある邸宅にて。ラヴェルはようやく完成したこの曲を自らピアノ連弾で弾ききりました。パートナーは友人の女流ピアニスト、マルセル・メイエ。すばらしい腕前!この難曲を共に最後まで弾ききりました。また、そこには一流のバレエダンサー、レオニード・マシーン、そして若手後輩のプーランクとストラヴィンスキーの2人も固唾を呑んで見守っています。
一瞬の沈黙の後、口髭を生やした大柄な紳士が野太い声で口を開きます。
「まあ!素敵な曲ね♥Très bienよラヴェルちゃん。でも、これはバレエというよりは絵ね。うちのバレエ団の子たちではちょっと踊れないわ。前回の『ダフニスとクロエ』はよかったんだけど・・・今回はこの曲はご遠慮しとくわ。ごめんなさいね、却下よ。」
■ 目次
オーケストラの天才職人モーリス・ラヴェル
オーケストラで使用される楽器は時代や作曲者によって様々ですが、基本的には弦楽器に木管、金管楽器。それに打楽器が加わるのが通常です。なので、出てくるオーケストラの楽器の音(条件)は皆同じで、それをいかにして聞き手に聴かせるか、が作曲家達の腕の見せ所と言えるでしょう。
同時にオーケストラの楽器は、いくつかの音色が異なる楽器を組み合わせて、様々な色彩の音を作り出す事もできます。例えばフルートとヴァイオリンの高音が重なれば、柔らかにきらめく響きが、フルートの代わりにトランペットが重なれば、太陽の輝きのような張りのある音になります。まるで絵の具のように、色の組み合わせで無限の表現ができるのです。
このオーケストラの音を絵の具の色の様に様々に変化させて表現する技法を「オーケストレーション」といい、これも作曲家の個性と腕の見せ所でもあります。どの作曲家もそれぞれに色がありますね。ブラームスらしい音、モーツァルトらしい音、チャイコフスキーらしい音…
どの作曲家も素晴らしい管弦楽の使い方ですが、その中でラヴェルのオーケストレーションはズバ抜けていると個人的には思います。聴く側からも演奏する側からも、その楽器の使い方の多彩さに舌を巻くばかり。
絶妙なタイミングでの楽器の使わせ方、曲の内容にピッタリの楽器の組み合わせの音。全合奏でも、大編成の響きながらも決して大袈裟にならずそれでいてその表現は強烈この上なく、一切のスキがありません。楽器の特性を知り尽くした天才と言えると思います。
「滅びの言葉」ではありません。
今回ご紹介する「ラ・ヴァルス」。名前はフランス語読みで「ワルツ」の事をいいます。英語風にいうなら「ザ・ワルツ」みたいな感じです。不幸な出来事というヤツは立て続けにおこるものです。ラヴェルは1914年にこの「ラ・ヴァルス」の作曲にとりかかるものの、次々とふりかかる困難の中、6年の歳月をかけ1920年にようやく完成させることができました。
曲作りに着手した1914年、第一次世界大戦が勃発。ラヴェルはフランス軍の輸送兵として従軍します(当初はパイロットを志願しました)。人類がこれまで経験したことのない大規模な戦い。機銃掃射であっという間に何十人が死に、いつ来るかもわからない毒ガスや手榴弾の脅威にひたすら怯えながら狭い塹壕の中で耐える兵士達。
その中をかいくぐって任務を遂行する輸送兵は最も敵から狙われやすく、非常に危険な役割だったはずです。また、あちこちの戦線に物資を届ける道中、多くの惨劇を目にしたことでしょう。その心痛からラヴェルはこの兵役で健康を害してしまいます。
さらにその従軍中に最愛の母が亡くなるという悲しい事が起き(ラヴェルの母親への愛情は非常に深かった)、この「ラ・ヴァルス」に再度とりかかるまでの約5年間、ラヴェルはほとんど曲を創作することはありませんでした。ラヴェルは友人の手紙の中で「日々絶望が深まる」と書いています。
まさにラヴェルにとっては「滅び」の期間だったといえます。
そういった悲しい出来事が、この曲にこめられています。しかしながら渦巻く暗雲の中から明るい光がさしてきて、天空に浮かぶお城や、その中で優雅な舞踏会が催されている…そんな幻想的な光景が見えてくるような、明るい一面もある曲です。
それはきらめくようなオーケストレーションでリアルに浮かんできます。その多彩で、アクロバティックなワルツ「ラ・ヴァルス」を、今回もオーケストラのトランペット席からご紹介しましょう。
輸送兵として従軍するラヴェル(1916年)
必殺!スーパー高速クレシエンド
「野外録音でもこの音質!!そしてこの若き指揮者の音楽創り!!」いつもこの箇所に来ると不思議な感覚にとらわれます(12:21~)。一体どうやってこのような水が弾けるような、鮮やかなクレシェンドが表現できるのか?どのような楽器の組み合わせなのか?何か特別な楽器を使っているわけでもありません。ラヴェルの管弦楽器の卓越さを感じる一瞬です。
しかし実際この「ラ・ヴァルス」を演奏する機会に恵まれ、楽譜を見た時、そのトリックが解明されたのです。
この楽譜、2小節目の1拍目、pからffまで、一気にクレシエンドします!!ワルツの3拍子リズム、その1拍目と2拍目の短い間に、です。さらに3拍目はすぐpに戻ります。これはウィンナワルツの独特なテンポ感を大げさに拡大し表現しているものと私は思っています。ラヴェル特有のテクニックです。
ウィーンの、いわゆるウィンナワルツは、普通の3拍子とは少し違います。
1拍目と2拍目の間隔が短いのです。つまり、普通のワルツでは
|ズン・チャッ・チャッ|ズン・チャッ・チャッ
な感じですが、ウインナワルツは極端に表すと
|ズンチャッ・・チャ|ズンチャッ・・チャ
最初の2音がほんのわずかに詰まり気味になります。いわゆるオーストリアなまり、というものです。
もう少しでお正月。2018年のニューイヤーコンサートを聴くときは是非注意して聴いてみてください。この特徴的な2拍目をラヴェルは少し大袈裟に表現したのでしょう。
管弦楽のための舞踏詩「ラ・ヴァルス」
オーケストラ曲は、まずピアノスケッチで作曲され、その次にオーケストラに編曲されるのが一般的ですが、この「ラ・ヴァルス」は逆に、始めからオーケストラ曲として書かれました。まさにオーケストラの魔術師です。そのオーケストラ版の後に2台のピアノ用に編曲され、このピアノ連弾版が先に初演されました。
ピアノ版にしてもオーケストラ版にしても、難易度の高い曲といえます。早い半音階のパッセージ、めくるめく3連打音が特徴的です。このような素早いアクロバティックな音の動きをラヴェルはトランペットにも吹かせます。
なのでオーケストラの管楽器奏者は素早い半音階でも指が回ること、トリプルタンギングができること等が求められます。さらに3本のトランペットパートは、絶妙な掛け合いが所々にあり、ポイントでしっかり合わせられるアンサンブル力も必要となります。もちろん先ほどの超高速スーパークレシェンドも難しい箇所の一つです。難しい曲ですが、オーケストラ冥利に尽きるやりがいのある曲です。
他の楽器にしてもフランス音楽特有の和音やキメの細かいパッセージ等、難易度の高い曲といえます。
暗雲が立ち込める空。曖昧で不明瞭な音形のファゴットやバスクラリネット等から始まります(0:31~)。暗雲が少しずつ晴れてくるように、弦楽器によるワルツらしい旋律が見えてきます(1:33~)。フルートの短い動機(2:07~)をきっかけにクラリネットのアルペジオやハープの優雅なグリッサンドを伴奏に、次第にワルツらしい舞曲が立ち上がってきます。
そして最初のクライマックスで大勢の人々が踊る舞踏会の景色が目の前に広がります(2:51~)。
オーボエによるフワッとした穏やかなワルツ(3:00~)。次々にフルートや弦楽器等が加わって、華麗な舞踏会の光景が広がります。
突然金管楽器によるファンファーレ(4:15~)!再びのクライマックス。その後動きが再び穏やかになります。そして場面は変わり、視点は明るいシャンデリアの下で踊る、一組のカップルに移ります。
とても素敵なオーボエとクラリネットのカップル(5:13~ちょっとだけ、他のオーボエがトチってます※)!そしてすぐさま全体の踊りが全合奏で割り込んできます(5:30~)。ここで素早い3連符が次々に出てきますので、トランペットなどの管楽器はトリプルタンギングでの音の刻みが必要になります。
(※トチる=オーケストラ用語で「運指やタイミングなどを間違える」の意)
再び最初のワルツが現れます(6:06~)。
ここで突然会場が慌ただしい雰囲気になります。今まで見ていた舞踏会の映像に、急にノイズが入るような感覚(7:49~)。トランペットによる難しいパッセージによるクライマックスの後(8:13~)、暗雲が再び立ち込めます。
また最初のように暗雲から次第に舞踏会の様子が現れてきます(8:20~)。晴れたところで全体のワルツ(9:10~)。そして視点は一人の優雅な踊り手に。今度はトランペットの絶妙ななソロ(9:41~)!!それを皮切りに周りの人達の踊りはますます盛り上がって来ます。そして皆がクルクルと激しく優雅にナチュラルターン!回ります。回ります(10:09~)!
「年末なのでいつもより多めに回しております」
(10:28~)またまた暗雲が立ち込めますが、今度は乱れるように、不安定に盛り上がっていき、トランペットの激しい半音階をきっかけに(11:23~)一気に盛大に晴れ渡ります(11:27)。
そしてここから次第に次第に加速して乱れだし、ワルツが現れては崩れる、を繰り返します。人々もそのスピードにはもう付いて来れません。
しかし、かろうじてワルツのテンポを持ち直します(12:10~)が、どこかケレン味のある不安定なワルツ。するとすぐさま水が弾けて、しぶきが激しく飛び散るような超高速クレシエンド(12:21~)!!!
もう一回!ワルツが立ち直ろうとしますが、もう元には戻りません。視界はもう舞踏会場ではなく荒れ狂う嵐!!管楽器の次々と現れる素早い半音階(12:41~)!シャンデリアの光も会場も人々も、ごちゃまぜの色となって荒れ狂い電撃のようなオーケストラヒットが何度も炸裂、大狂乱へ!!最後は叩きつけるような強引な4連符で、「狂乱のワルツ」はビシっと締めくくられます。
名盤紹介
13分ほどの曲ですが、演奏するオーケストラの音と、各奏者の演奏技術、そして指揮者の音楽創りのセンスが試される絶好の曲といえます。多くの名盤がありますがその中でもとくに印象的な盤をご紹介!!シャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団
とにかく音が綺麗!そして、一人一人の演奏技術が素晴らしいです。特にトランペットのソロが他の盤にはないほどメリハリがあり、歌い方がセクシーです!この絶妙なソロの歌い方はちょっと真似出来ないバツグンのセンスといえます!(動画の9:41)に当たるトランペットソロ)
モントリオール交響楽団首席トランペット奏者。私が目指して止まない音です。
また、最後の方の水が弾けるような超高速クレシェンドの表現も最も素晴らしいです。
アンドレ・クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団
古くから名盤として有名です。パリ音楽院管弦楽団は、現在はフランスを代表するパリ管弦楽団となっています。この盤が録音された頃は首席指揮者がいませんでした。しかし実際にはこのベルギー出身の指揮者クリュイタンスが指揮者として活躍しています。クリュイタンスが死去するとともに解散、パリ管弦楽団と変わりました。
とても不思議な演奏で、フランスらしいエスプリというのでしょうか、決して演奏技術は良いとはいえないのに、一つ一つの楽器が目一杯、オシャレに歌っています。また盛り上がる所も、言葉で表現するのが難しいですが、フランス音楽らしいザワザワッとした激しい盛り上がり方です。
何度聴いても飽きのこない熱い演奏です。
フィリップ・ジョルダン/パリ国立オペラ座管弦楽団
若手の指揮者です。最新の録音の良さと共に、非常に素晴らしい演奏です。管楽器が明るく、はっきりした音色で、音の動きが明瞭に聞こえてきます。これが管楽器奏者にとっての理想です!全合奏の爆発的な表現、最後のキメの4連符など力強い聴き応えのある演奏です。カップリングの「ダフニスとクロエ」もオススメ!
ピエール・ブーレーズ/ベルリンフィル
フランスの作曲家ブーレーズの演奏も大変素晴らしく、ベルリンフィルは一見地味ですが、オーケストラの機能を十分に発揮した堅実な演奏です。色彩的なオーケストレーションも、実演のように生々しく聞こえます。打楽器が熱い!ゆったりしたテンポのワルツで、曲の綺麗さを前面に押し出した演奏です。
おなじワルツでも…
ラヴェルが活躍していた当時のヨーロッパはフランス、パリを中心にバレエの黄金期といえる時代でした。また第一次世界大戦が始まるまで、バレエ以外でも、絵画など様々な分野での芸術活動が盛んでした。このパリ百花繚乱の時代は「ベルエポック」と呼ばれています。その中心的人物の一人は、当時を代表するバレエ団「バレエ・リュス」率いる卓越したバレエ振付師であり、偉大な芸(ゲイ)術プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフです。
「うちの子たちでは踊れないわ。却下よ」
ディアギレフの依頼によりストラヴィンスキーの「春の祭典」などの名曲が生まれました。またチャイコフスキーの「白鳥の湖」などなど数多くの超名作が、「バレエ・リュス」に取り上げられたことにより世に知られることとなりました。
(白鳥の湖も演奏経験がありますのでいつか取り上げたいと思います。その時により詳しくディアギレフの事も描きたいと思います。)
そしてそれは音楽のみにとどまらす、ピカソやシャネルといった有名人もその渦中にありました。
ラヴェルはこの「ラ・ヴァルス」をディアギレフから依頼され作曲します。しかし冒頭のやり取りのように、舞曲というよりは交響詩的な曲想であったため、ディアギレフはこの「ラ・ヴァルス」の受け取りを拒否します。そのためか、その後ラヴェルとディアギレフは仲違いすることとなりました。
同時にラヴェルはこの曲を、ウィンナワルツの大家であるヨハン・シュトラウス2世へのオマージュとしても作曲しました。シュトラウスのワルツとラヴェルのワルツとでは、もちろん違うものですが、特に大きな特徴の違いは何か?
シュトラウスのワルツは踊れるワルツです。ニューイヤーコンサートの様に曲そのものでワルツを踊ることができるのです。一方ラヴェルのワルツはこれまでの説明のように、舞曲ではあるものの、ワルツの情景そのものを音で表現した音楽です。
ワルツの旋律の後ろで奏される目まぐるしい音の動きは、まるで会場の、目に刺してくる様なシャンデリアの眩しさの様で、朧げに見える大勢の踊り手…つまり、目に映ってくるそういった全体の光景を音で表現しているかの様な音楽なのです。
また、最後は目に見えるものが全て崩れていき怒涛のクライマックスとなる点、幻想曲的な特徴もあります。
細かで多彩な音が集まってひとつの情景を映し出す。同時代に活躍したドビュッシーと趣は違う、より写実的で親しみやすいもう一つの「印象派」の音楽。それがラヴェルの音楽なのです。