「バッハの鍵盤曲はね、声部が重なってできているの。だから、どれもメロディなの。どの声部の話も、ちゃんと聴いてね?」
小学生のわたしに、初めてバッハを教えてくれた、可愛くてやさしい先生はこんなふうに言いました。

でも、せんせい…。いくらわたしがちゃんと聴こうとしても、この声のひとたちは「お互いの話」を聴いているの?
最初のひとの話が終わる前から、自分の話をしだして、ほんとは変な音も鳴っているのに、まるで気がつかなかったみたいに話し続けていくよ。


…大きな声では誰にも言えないけれど、バッハのある種の鍵盤楽曲をピアノで弾いてみると、一瞬不協和を感じて、かつてのわたしのように思うピアノ弾きさんがいるかもしれません。

あんまり納得しないまま、ただ弾けてしまうと、とたんに指練習曲になってしまうのが、バッハ「インヴェンションとシンフォニア」なのですよね…。


バッハの対位法音楽(旋律を向き合わせながら音楽を作るやりかた)の入り口であるはずの「インヴェンションとシンフォニア」、とくに1曲目のインヴェンション第1番はいちばん弾きやすいはずなのに、音の響きを楽しむ難易度が高く感じるのは、一体どうしてなのでしょう?

その弾き方と魅力を考えてみたいと思います!

こちらは古楽器クラヴィコードの演奏です♪

■ 目次

「インヴェンション」ってなあに?

この作品集は、J.S.バッハ先生によって書かれた、演奏と作曲の両方を学ぶための曲集です。この曲集では旋律2声のものをインヴェンション、3声のものをシンフォニア、と言いますね。

シンフォニア…と聞けば、合奏という意味があるのかなと想像ができますが、「インヴェンション」とはいったい何のことなのでしょう?

インヴェンションには「着想」という意味があって、さかのぼれば古代ローマの哲学者さんの言葉に出てくるそうです。人々に物を言い伝える方法を考えていた、キケロさんという哲学者が、「物を伝えるには、まず【着想inventione】に、構想に沿って「配列」を与えて、「表現」し、「記憶」しながら「演示」する」なんていうことを言ったのですって。

バッハ先生の「インヴェンションとシンフォニア」は、このことと、少なからず関係があるようです。インヴェンションとシンフォニアの曲集は、最初の「着想(モチーフ)」をいかに構想力をもって音楽的に拡げていけるか、という音楽アイディアの宝庫になっているのですね。

ピアノ弾きさんが、古典的なソナチネを練習するようになる頃、「鍵盤曲はメロディ+伴奏でできている」というイメージが身についてしまう前に、ぜひ通っておきたい曲集です。


では、その作りを見ていきたいと思います♪

まるで織物のように…。

インヴェンションとシンフォニアのスタイルはこんなかんじ。
提示された音型「モチーフ」を繰り返しながら、複数の旋律を織り上げていくというのが、この曲集の一貫したスタイルです。


これがインヴェンション第1番の冒頭に出てくる、モチーフ基本形です。
↓↓↓
バッハ「インヴェンション第1番ハ長調BWV772」ピアノ楽譜1
これを、反行形(鏡写し)にしたり、
↓↓↓
バッハ「インヴェンション第1番ハ長調BWV772」ピアノ楽譜2
このほか、逆行形(モチーフを右から読んだ形)にしたりして、組み合わせます。
拡大形という考え方もあります。

練習の仕方としては、まずは旋律ひとつずつをよく聴こう!ということで、単旋律を丁寧に練習してから、2声を合わせることになります。


ところが実際に「現代ピアノ」で、「しっかり」2声を合わせてみると?
このモチーフ、ちょっとした不協和をアチコチで感じさせるんです。(小声)


でもそれを声に出して先生に言うと、「えっ!バッハには無駄な音なんてひとつもないのよ?(哀)」と言われがち(笑)




そのあたりを、「現代ピアノならそんな弾き方もありかなあ~」という範囲で、ゆる~く解決してみます♪

不協和に聴こえるのはどこ?

なんだかごちゃごちゃしてきれいに聴こえない…小さい頃、そんなふうに思ったのは、今から振り返ればこんな部分です。最初にひとりの人が話しだし、つぎの人がそれに加わり、音楽が展開していくわけですが、早々にも「ぶつかった音」が聴こえてくるんですよね。

↓↓↓↓↓
バッハ「インヴェンション第1番ハ長調BWV772」ピアノ楽譜3

「レ」と「ド」は7度のきつい響きで、緊張があります。
機能和声の感覚ですと、ぶつかったことに理由を持たせて、解決したときに納得できる音楽づくりをすれば、スッキリと気持ちが良いのですよね。

しかし、バッハの対位法の鍵盤音楽は、すべての瞬間を「和声的なひびき」として聴く感覚ではなかったとも言われていて、こういう部分はすっと通り過ぎていくのです。

このことを、不協和音ではなくて「非和声音」や「経過音」が含まれている、という言い方をするのですよね。


わたしは大人になってから一度だけ、古楽器演奏会を聴きに行ったことがあるのですが、当時の鍵盤楽器演奏は、プラチナネックレスのような細やかなラインの音で、まるで貴族女性の耳元で光るイヤリングのようにゆれながら…

キラっとした軽い装飾音とともに、音楽が華奢に聴こえてくるので、非和声音の印象がちょっと違ったのですよね…(生演奏だとこれがよくわかります!)



そこで、もちろん最初のモチーフが大事なのですけれども、ワンフレーズの「テーマ」として冒頭を捉えてみます。



言葉に出して言いたい発言は赤い四角のかこみBのあたりで、最初のモチーフAは「そういえば、昨日のことなんだけど…」という雰囲気で話し始めてみてはどうでしょう?

バッハ「インヴェンション第1番ハ長調BWV772」ピアノ楽譜4
ぶつかりがちな、モチーフAの2番目の音はできるだけ存在感を消して通り過ぎるように、ラインを考えてみます。
手首の位置を高めにとって、ウェットな音色になりすぎずに弾こうと思います。


そうすると、こんな文脈が見えてきました。




そういえば昨日~かわいいカフェ見つけてさ!(発見!)
        へー昨日カフェ行ったんだあ(相槌と要約)





こんなかんじなら、お互いの話を聞いている雰囲気になっているかな?
モチーフの響きも、ケンカしないで弾けそうです。

長調でも短調でもない「教会旋法」

それから、もうひとつ分かりにくくなっているのは、現在の長音階、短音階の感覚とはどうも違うところがあるんですよね。
たとえばここ。

ハ長調から5度上がって、ト長調になるのかな?と思わせながら、だからといってファ♯にはしない…っていう(笑)
(この版の装飾音はソファソファ~♪の指示ですね。)

バッハ「インヴェンション第1番ハ長調BWV772」ピアノ楽譜5

このあたりの不思議さは、もっと古い時代の音楽にヒントがありそうです。
西洋音楽をさかのぼっていくと、いちばん初期で行き当たるのが「グレゴリオ聖歌」です。ちょっとだけ聴いてみてください。

遠い昔、中世の修道院で日課として歌われていました。
祈りそのもののような響きです…。
ここで使われているのが、教会旋法という音の並び方です。
今の音楽のような、長調短調ではないのが分かります。



その不思議な響きの「教会旋法」は、超~簡単にいうと、こんなふうになっています。

教会旋法
イオニア旋法とエオリア旋法は、現在の長調と短調で、あとから加えられたものでした。現在わたしたちが日ごろ耳にするクラシックは、このふたつがもとになった音階なので、何調であっても主に2つの雰囲気(嬉・悲)で聴こえてきますね。

一方、もとからある教会旋法は、ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディアの4つで、それぞれ、半音間隔と全音間隔の入る位置が決まっています。
お手元にピアノがあれば、ちょっと弾いてみてください。
とても不思議な雰囲気でしょう?

ふだん長調と短調の響きに慣れたわたしたちには、旋律のなかでつぎつぎ印象が変わっていく教会旋法は、何とも言えない光と影を感じさせるのですよね。

※より正確には、各旋法にそれぞれ対応する「変格旋法」というものもあるのですが、旋律のひびきの性質としては各旋法と同じですので、ここでは説明を省略しました。


先ほどの部分(2小節目)は、私は「ソ」から始まるミクソリディア旋法の一端と考えられるんじゃないかな~と思っています。


ミクソリディア旋法って、こんな曲の中にも垣間見られます。


ひょっこりひょうたん島♪(ソーファレ/ファーラー/ソーソ!)
ジブリ映画の「魔女の宅急便」の中から「海の見える街」の後半部分♪
キキちゃんが、自己紹介代わりに街の中を飛ぶシーン
(ソシレ/ミーレド/レードシ/ドーシラ/ソシレ/ファーミレ/ミーレド/レー…ドード/シ♭ラソ/ソー♪)など。

基本的に明るくて、主音に戻る前に「圧」を感じられるあたりがクール☆
そんなミクソリディアンは、ロックやジャズのコードでも使われるんですって!

中世の旋法が、今の私たちをリアルにポップな気分にさせるなんて!
ん~っすごい!!



…なーんてことを聞いてみても、やっぱりこの旋律の終わり方が、ちょっと唐突に感じるのなら、こんなセリフのイメージにしてみては?




昨日のそこ、雰囲気が、ちょー☆良くて!

バッハ「インヴェンション第1番ハ長調BWV772」ピアノ楽譜6



感嘆するように弾けば、一周回って現代的な印象です☆jazzy!

多声音楽の歴史をちょこっとご紹介♪

さて、バロック音楽と言えばj.s.バッハ!と、いまでは代名詞のように思われていますが、このころまでの音楽の主流は、カトリック圏のフランスやイタリアのバロック音楽だったそうです。クープランやビバルディ、スカルラッティが有名ですね。こちらの地域のバロックは感覚的で軽やか♪柔軟で聴きやすいのです。

8世紀から14世紀ごろの、神を畏敬していた中世音楽は、必ずグレゴリオ聖歌を定旋律に置き、それを飾るように多声を乗せていました。しだいに、人間らしい感覚を認め、あたたかみを帯びたルネサンス音楽に移っていきますと、複数の旋律がテーマを時間差で歌いながら、ゆるやかに重なり合い、流れのなかで生まれる和声を慈しむような感性になっていきます。

こちらはわたしの大好きなパレストリーナ(16世紀ごろ)のミサ曲です♪楽譜に小節線はなく、それぞれの旋律の自然な流れで多声が重なっています。
ピタッとしたタイミングで和声を作ろうとすると、ルネサンス音楽独特のおおらかな和声にはなりません。

これには、流れるようなラテン語の発音から生まれた音楽だから、という考え方もできるようです。

しかしルネサンス期後半になりますと、華やかだったカトリック教会社会は世俗的な汚職が問題になっていきました。「このお札を持っていればアナタの罪がなくなるよ~☆」という免罪符を、聖職者が売ってしまったりしたのですね。

そこで、ドイツのマルティンルターさんは、そもそもの聖書に書かれたことに立ち戻ってキリスト教のあり方を見直そう!と、プロテスタントへの流れをつくりました。

ルターさんは、市民が理解できないラテン語の聖歌ではなくて、ドイツ語で市民が親しめる讃美歌を作ろうとしました。それが「コラール」です。
このドイツ式讃美歌「コラール」を作る名人がj.s.バッハ先生というわけです。
「主よ、人の望みの喜びよ。」はとても有名ですよね。

このように、カトリックの「ラテン語発音ベース」の声楽音楽以外に、プロテスタントの「ドイツ語発音ベース」の音楽がひろまったことが、器楽多声音楽にとって非常に重要な意味があったのではないかという考え方があるそうです。

ドイツ語は、ラテン語と違い、アクセントが非常にはっきりしていて、音符ひとつひとつに言葉を当てていくことができますし、拍を刻みやすいのです。
この特徴は、器楽の特徴とよく合いました。
その後の西洋音楽の太い流れになるドイツ音楽が、発音がはっきりした器楽のもとで発展したことと、おそらく関係があるだろうというのです。

そしてさらに、J.S.バッハ先生は、器楽表現化された旋律を「意味関連の標識」のようにとらえ、ことば(歌詞)の音響化として成長してきた声楽的音楽の伝統から離れていくことさえできるようになりました。つまり音楽が、記号学のような方法で抽象表現を可能とするに至った、ということなんです。

(このあたり、こちらの本に詳しく書かれています!)


(西洋音楽の通史はこちらがおもしろい!)




キケロさん的テキスト作りは弁論のような秩序があって…
ドイツ語のはっきりした発音の、器楽による対位法から、さらに抽象化した表現へ進化…と、ヒントを手繰り寄せていきますと…

バッハの対位法は、聴く人によって、人の対話のようにも、美しい宝石の連なりのようにも、大きな秩序のようにもとらえることができるテキスト、と言えるのかもしれません。

「インヴェンションとシンフォニア」や「平均律クラヴィーア」は、演奏する人なりの秩序をもってすれば、自由な音楽設計図のように見えてくるのではないでしょうか。



そこで、ためしにわたしも、自分の身の回りのイメージを使ってこのテキストを読み解いてみようと思います。
わたしは、この曲のすべてのフレーズの動機になっているモチーフを「昨日…」という言葉にしてみたいと思います。


反行の形が下降的につながっていくときには、「昨日」のことについてちょっと説明的にイメージが深まっていきます。
また、上向しながらつながるところは、上乗せ上乗せという感じで、「昨日」の状況について、少し訴えるような雰囲気があります。


また15小節目からは、モチーフ基本形と反行を繰り返し、(ああでもない、こうでもない)と、自分の中で逡巡しているような雰囲気です。

バッハ「インヴェンション第1番ハ長調BWV772」ピアノ楽譜7 (動画0:54から)


そしてここも、伸ばしている音と旋律が、必ずしも和声的に溶けあわないのですよね。
(最初のクラヴィコード奏者さんは、金属音を生かした長いトリルでキラキラキラ~☆と表現していて、和声感を消しているところが素敵です。)


わたしは「おたがい調和はしない=それぞれ声に出していない思考」ととらえてみます。伸ばしている音は、相手の思考の邪魔をしないよう、薄い音量が似合うかな?




あくまでも試みとして、わたしたちの「言葉」をひとつの道具に、バッハ先生の提示した音楽設計図から、音楽の文脈を探ってみることにしたいと思います!

きのう、あれから起きたこと。

たとえばこんな会話を考えてみました。


【設定】
ふたりは仲良し女子大生。かれこれ10年来の幼なじみです。
といっても、言いたいことをあけすけに言い合うふたりではなく。
なにも話さなくても、居心地がいい…そんな相手を、こどものころから大事にしているのでした。


最近ふたりのブームはカフェめぐり。
ちょっとがんばっておいしいコーヒーを飲みに行く時間は最高に贅沢。
インスタ映えするおしゃれなカフェはもちろん、クラシックが流れる喫茶店などにも足が向くようになりました。

同じ講義で1日がおわる、週一回の夕方の時間。
どちらからともなく「このあと、どこでお茶しようか」が合言葉です。

ところが、昨日はめずらしく気まずい雰囲気になってしまいました。
何が理由だったか、思い出せないくらいのささいな不穏。
ちょっとしたきっかけで、ボタンを掛け違えてしまったようです。

もちろん、そんなことで仲がどうこうすることはないのですが、ふたりはコーヒーを飲むことなく、バイバイもそそくさと、別々のホームに向かったのでした。


そして、今日はまた新しい一日。
キャンパスで顔を合わせたふたり。
「おはよう!」
昨日のことは、もう気にしていないのだけれど…。
なにか話そうと思うと、ちょっとひっかかる「昨日」のことです。




【きのう・あれから】

みぎちゃん 
「…あーそういえば昨日あれから…かわいいカフェ見つけてさ!」

ひだりちゃん
「へー昨日、カフェいったんだあ。」



「昨日のそこ、雰囲気が、ちょー☆よくて!」

「それ、大収穫!」



「先週行ったとこに、ちょっとにてるかも。」

ふんふん。



「あそこみたいに、ちょっと薄暗いの。」

そっち系かあ。



「意外に中は広くて、なんかー、グールドのバッハ?とかが流れてるの。」

えーそれ、通うねー!



「「もっかい一緒に行きたいかも~だねー!」」


………


ひだりちゃん
「…わたし、昨日はさー、DVD借りたよ。ひさしぶりに。」

みぎちゃん
「へー昨日―。そーなんだー。」



「それがさ、昔見たのを、また借りちゃってて。」

えー、デジャヴー☆



「そう、途中まで気づかなくって。」

どこまで気づかなかった?



「さんざん謎が深まったところで、『あ、でも。わたし、犯人が誰だか知ってるw』って、ふと気づくっていう~。わーざんねん~。」

気づくの今なの!?っていうやつだー。



「「…なんだぁ、一緒にカフェ行けばよかったねー!!」」



〈ふたりはキャンパスで缶コーヒーを開けた。しばし黙るふたり〉



(そういえば、昨日だけど…)

(昨日って、気まずかったよねー。)

(私が悪かったのかなー。)

(私も悪かったかもー。)

(もう気にしてないのかなあ?)

(でも、今日はふつうに話せてよかったー…)

(あ~、外で飲むホットコーヒーも、おいしいな。今日は晴れてていいかんじ!)

……

「「…っていうかさ? 今から、そこ、一緒に行ってみる!?」」


♪モチーフの動きから文脈を探る音源
↓↓↓↓


曲の分析の話になると「この部分は『応答』です。」という説明を聞くことが多いのですが、実際にどんなニュアンスのことを話しているのかまで想像してみるといいんじゃないかな?と思います。


ひとつの発言が、次の発言や思考のきっかけになっていて、そこからまた同調の視点や、別の角度の視点も生まれていき…さいごはまるで人間関係のように調和を取ろうとする、音のふるまいが見えてくるかもしれません。
まるで「音の世界のコミュニケーション」のようにも見えてきませんか。




生き物ではない、音のコミュニケーション

さて、生き物ではない音たちは、基本的にどういう原理でコミュニケーションしようとしているのか、ということも、妄想してみ…いえ、考えてみました。


これだけ互いの旋律が動いていると、完全5度や3度の響きの部分は非常に大切な瞬間だと思うのです。

(完全5度というのは…「ドとソ」のように半音間隔(ミ・ファのところ)をひとつだけ含んでいる、5度の音程です。ということは、「シとファ」は、半音間隔が2か所あるので、完全5度ではありません♪)


それは、音楽が、人間の感情と親密になるちょっと前のお話です。



中世「グレゴリオ聖歌」に対旋律が生まれ、はじめての多声音楽「オルガヌム」ができた時代、数学的な振動数の関係が和声の源でした。

こちらの「オルガヌム」は中世12世紀ごろの音楽ですが、完全5度、完全4度、ユニゾン部分の調和が聴き取れると思います。冒頭の響きが完全5度、4度の鳴りです。
↓↓↓

まず、うねりや濁りのないユニゾンやオクターブの関係、ついで完全5度や裏返せば完全4度の関係(ドにとってソは完全5度ですが、1oct.上のドからソを見ると、完全4度の関係になっています)、その次に3度(同様に6度も)、というような順で、音は現実の現象として調和します。(このことを協和音程と言います♪)


音がうなりなく調和する様子は、人々にとってそのまま真理でした…。


……って、え?突然なにの話?\(゜ロ\)
…と思いますよね(笑)


このことを「見える化」してみたいと思います☆


たとえば、これはわたしのピアノの「ラ(約440Hz)」を弾いた時の音を、パソコンで録音して解析したものです。
最初の打鍵音が消えた後、こんなにきれいな音の成分が見て取れました。


440Hz前後の「ラ」が、今弾いている音として一番大きく表示されていますね。ところがピークはひとつではなく、次のピークは周波数が倍の880Hzあたりの1オクターブ上の「ラ」、次は3倍1320Hzあたりの「ミ」、次はちょっと高く見えますけれど4倍1760Hzあたりの「ラ」、5倍2200Hzの「ド♯」…次は6倍の「ミ」…というようになっています。

このことを、ピアノの調律師さんに説明してもらいました。
わたしたちはひとつの音を鳴らしているつもりでも、ピアノのボディーや開放弦、そのほか環境の中のすべての要素から、周波数の整数倍で共鳴しやすい音が自然に鳴り出しているのだそうです。

自然に…って、なんて感動的なのでしょう…!
わたしたちは、なんという現象に立ち会っているのでしょうね!

それら鳴り出したものが、弾いている音の成分の中に含まれて聴こえ「音色」を作っている、ということなのです。これが世にいう「倍音」ですね。

波形を見ると、オクターブ列上の(ラ)、完全5度(ミ)、長3度【全音間隔ふたつ分で作られた3度】(ド♯)は、もとの音「ラ」と、かなりつよく共鳴して一体となっていることが分かりました。

(ちなみに…周波数5倍の「ド♯」と6倍の「ミ」の間は、長3度より半音分せまい「短3度音程」になっておりまして、短3度音程も協和するひびきの仲間、とされています~。)


そういえば子どものころ、ミサ曲の合唱をするとき、指揮の先生が一番こだわったのが、ユニゾン、完全5度、(4度)、3度の調和でした。

調律楽器の和音では鳴らせないレベルで、振動がピタリと合ったときは、ふたつの音のうなり(わ~ん・わ~ん、という波のように聴こえるもの)が全く聴こえない状態になります。指揮の先生はそれを目指していました。
そしてミサの最後はユニゾン配置で、完全な協和と調和をもって輪を閉じます。




ここには対位法以前に、多声音楽の原点と、音の真理があると思うのです。


旋律が動き回るインヴェンションの中で、ユニゾンや、完全5度や3度でモチーフがおさまる瞬間というのは、音の真理上、とても調和した瞬間に近くて、おしゃべりしているふたつの旋律の、「目が合うような」瞬間なのかもしれません。

そんなことをちょっと感じながらおしゃべりを進めていくと、歌のようには流れず、けれども気持ちの通った会話になりそうだなと思うのです。

さきほどの文脈を探る音源の前半で、おもに完全5度と3度で「ふたりの目が合う瞬間」だなあと思うところに、こっそり黄緑色の〇をつけておきました☆

こういうところでほんの少しだけ「ふたりにアイコンタクトさせてあげよう」と思うと、どちらかひとりだけの単独スピーチにならず、…きのうのような気持ちの行き違いが起きなくなりそうですよ。


テキストを大切にしたいバッハ弾きさんも、「振動の輪が閉じようとしながら調和する部分がある」と感じてみると、モチーフが無機物にならず、音のコミュニケーションが見えてきませんか?

そんなことを感じさせてくれるクラヴィコード演奏をもうひとつご紹介させていただきます♪


そしてさらに、わたしたちは、バッハの対位法「インヴェンションとシンフォニア」や「平均律クラヴィーア」などを納得して弾けるようになると、メロディと伴奏に分かれたような作品を弾く時でも、1音1音にもっと深い考えを持つことができるようになります。

処理の難しい非和声音にも自分なりの意味を見いだせるように、よくよく耳を澄ませていくことを積み重ねていきますと…シューマンの半音階的な内声の切ない声ですとか、ベートーヴェンの深い長3和音に豊潤な響きを与えているのは、内声の第3音なのだな…といったことにも、多声音楽の声に耳を傾けるように、深く感じ入ることができるようになっていくのです。

まとめ

〇バッハのインヴェンションとシンフォニアは、「メロディ+伴奏」の曲と並行して学びたい、多声の音楽。
〇まるで織物のように旋律を組み合わせてあり、当時の小さな音の楽器では華奢で典雅な音楽に聴こえました。
〇現代ピアノでは、弾き方・聴き方を工夫しないと、ちょっと旋律同士がぶつかって聴こえるかも。教会旋法のような音もあるしね。
〇歴史的には、ラテン語ベースの音楽と、ドイツ語ベースの音楽が、2大潮流を作っているとも考えられます。
〇ドイツ語ベースの音楽は器楽的であり、バッハは、それまでの声楽的な音楽の意味を変えた、とも考えられます。
〇ならば、バッハの音楽設計図を自分なりに読み解いてみよう!
わたしは音のコミュニケーションを感じます。
〇音の共鳴や倍音のしくみから、多声音楽へのヒントが得られるかも☆
〇多声に耳を澄ませていくと、さまざまな作品の内声や伴奏にも、深く感じ入れるようになります!



「インヴェンションとシンフォニア」の無料楽譜
  • IMSLP(楽譜リンク
    本記事はこの楽譜を用いて作成しました。1853年にブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版されたパブリックドメインの楽譜です。「インヴェンション」全15曲が収録されています。
  • IMSLP(楽譜リンク
    1853年にブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版されたパブリックドメインの楽譜です。「シンフォニア」全15曲が収録されています。


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