皆さんは吉野家のスタミナ丼を食べたことがありますか?おろしニンニクとタレが大変美味しいです。生ニンニンの匂いが気になる人や、人に会う予定がある人は直前に食べるのは避けた方がいいですが、スタミナ丼を食べていると、スタミナ丼…スタミナ…スタメナ…スタメナ!モルダウのスタメナ!いいですね〜名曲ですね!(実際の話、私は長い間スメタナをスタメナと間違えて名前を覚えていました(ノД`))

というわけで今回はチェコの作曲家スメタナのモルダウをご紹介しましょう。

郷愁のモルダウ。そのモデルとは?

皆さんは中学生の頃に学校の授業または合唱部だったひとは「モルダウの流れ」を歌ったことがあるのではないでしょうか。校内合唱コンクールでも人気のある曲ですね。

歌詞は色々な種類のものがありますが、きっと多くの人は平井多美子作詞のものを歌ったと思います。ボヘミアの川よ、モルダウよ、過ぎし日の事今もなお…で覚えているのではないでしょうか。私は、古城は立ち…のところがとても好きです^ ^



とても親しみやすく綺麗な旋律ですね。これはチェコの民謡kočka leze dírouを元に作られたと言われています。ちなみに意味は「穴から猫」です。さらにこの民謡自体も、16世紀のテノール歌手ジュゼッペ・チェンチが作曲した「ラ・マントヴァーナ」がモデルになっているといわれています。

kočka leze dírou「穴から猫」


「穴から猫」と「モルダウ」を交互に演奏しています。


「ラ・マントヴァーナ」


確かに!似ている…様な気がします!さらにさらに、この旋律はイスラエル国歌の元となったともいわれています。さらには童謡でお馴染みの「子ぎつねコンコン山の中…」のルーツとも…いや、それは考え過ぎですね。(正確には「こぎつね」は日本の歌ではなくドイツの古い民謡です)

交響詩「モルダウ」



合唱曲「モルダウの流れ」は、チェコの作曲家ベドルジハ・スメタナが晩年に作曲したこの交響詩「モルダウ」の旋律を合唱用に引用したものです。交響詩「モルダウ」は約12分ほどの曲です。

モルダウ川はチェコの大自然の中を経て、美しい街並みの首都プラハ市内を流れる代表的な川です。曲の内容について、スメタナはテキストを残しています。

ヴルタヴァ川上流の2つの小さな源流から溢れる水が1つの川となり、チェコの美しい草原や森林、そして農村の結婚式の踊りのそばを流れて行く。夜、月の光の下妖精たちが静かに舞う。朝になり川は廃墟となっている宮殿や古城のそばを流れ、突如急流にて渦を巻く。やがてそこを抜けると遠い昔戦場となった高い城の側を経てプラハを通り、最後はさらに大きな川へと合流する。

この川はモルダウ川として広く知られていますが、モルダウとはドイツ語で付けられた名前で、本当のチェコ語ではヴルタヴァと呼びます。チェコは長い間ドイツ語を公用とする他の国の支配を受けて来ました。私達の国日本でもドイツ語の呼び方で親しまれています。

名盤紹介

ヘルベルト・フォン・カラヤン/ウィーンフィル
ドヴォルザーク:交響曲 第9番《新世界より》/スメタナ: 交響詩《モルダウ》

ウィーンフィルの弦楽器の音色やホルンの響きがこの曲に非常に合います。また中間部の月光の下で妖精たちが踊る箇所の美しさはカラヤンならではで、時を忘れさせてくれます。またカップリングの「新世界」も大変綺麗な演奏です。カラヤンは演奏会でもモルダウをよく取り上げ演奏したそうで、重要なレパートリーの1つだったようです。

そして次のオススメの盤は…

連作交響詩「我が祖国」

おっと!!ちょっと待って下さい。今回紹介したいのはこのモルダウだけではありません!この交響詩「モルダウ」はスメタナの作曲した6つの交響詩の中の一つでしかありません。奴は我ら四天王の中でも最弱…ということは決してありませんが、モルダウ同様綺麗な旋律や聴きごたえのある曲があと他に5つもあるのです。

この6曲はそれぞれ関連があり、作曲者の故郷であるチェコの自然や歴史、人々の想いが込められています。関連がある6つの交響詩が一つの壮大な作品となっているのです。最後に向かって次第に盛り上がり、最後はベートーヴェンの第九に引けを取らないほどの大賛歌となります。

その大賛歌とは、チェコの人たちにとって我々が想像するよりも、ずっとずっと深いものなのです。

それではモルダウの他の仲間たちをご紹介しましょう。

「ヴィシェフラド」高い城


6つの連作交響詩の第一曲目を飾るのはヴィシェフラド。名前の響きもなんとなくカッコいいのでますます四天王(6人いるけれど)っぽい感じがしますが「高い城」という意味です。チェコの首都プラハ内、モルダウ川の湖畔にある古城です。約千年程前から建て始められ、かつてはヨーロッパ屈指のボヘミア王国国王の居城でもあり、またフス戦争の舞台ともなった歴史的にもチェコを代表する古城です。



まるで歴史を物語る吟遊詩人の様な、2台のハープによる古城の主題から曲はスタートします。


この美しい主題は、ただヴィシェフラド城の主題であるだけでなく、次のモルダウ、最後のブラニークでも雄大に現れます。

曲はトランペットやホルンのファンファーレを皮切りに次第にかつて栄華を誇ったボヘミア王国の様に次第に盛り上がります。(3:17辺りから9:00辺りにかけて)そして次第に衰退して行く歴史を表す様に静かになり、再び最初の廃墟の古城が目の前に広がり静かに曲を閉じます。その雰囲気はそのまま次の曲へと続きます。

「ヴルタヴァ(モルダウ)」

ヴルタヴァ川。実際にスメタナはこの橋で展開していた革命人員の後方支援をしていた。

前曲を引き継ぐように、まるで水面の揺らめきの様な、2本のフルートによって曲は静かに始まります。この2曲目が有名なモルダウです。スメタナはこの曲でトーンペインティングという手法を用いています。



例えば嬉しい時は音が音階で上昇したり、悲しい時は下降したり、苦しみは半音階だったり。これによって曲の情景がよりわかりやすくなるという手法です。モルダウの旋律の伴奏で弦楽器の音が上下して動いていますが(1:47から)モルダウ川の水面の動きを表しています。

そして曲の終わり付近で先ほどのヴィシェフラドの主題が高らかに演奏されます。川の流れが古城、そして都プラハに到達した事を表します。(11:06)そのあとは鳴り止まないようなトランペットのファンファーレが次々現れて大きな川に合流し、次第に遠くへ流れて行って見えなくなり、ジャン、ジャン!で曲を締めくくります。

「シャールカ」 男と女の戦い


曲の雰囲気は突如変わり、荒々しく始まります。シャールカとはチェコに伝わる「乙女戦争」に登場する女戦士の名です。男尊女卑の社会の中、女達が女性の地位を確立しようと男達を相手に戦争をするお話です。もはや夫婦喧嘩とか嫁の叱言レベルではありません。フライパンやお玉などではなく本当に武装しています。



新たな城を拠点とする女性陣に対して男性陣は先のヴィシェフラド城を拠点に闘いを繰り広げます。始めは女性陣が有利でしたが、男性陣の豪傑ツチラトのために一気に劣勢に追い込まれます。

そこで女戦士シャールカがツチラト捕獲のため罠を仕掛けます。自ら木に縛られたフリをし、通りかかったツチラトと部下達が彼女を助け、シャールカはお礼にと酒を振舞います。そして宴会(6:09)。ツチラト達が酔い潰れた頃を見計らって、角笛で隠れて待機していた女性軍を呼び出します(8:24)。ツチラトは捕らえられ部下達は皆殺し、という内容です。

全6曲の中でも最も劇的で情景が生き生きと眼に浮かぶ名作です。

「ボヘミアの森と草原から」 モルダウと並ぶ名旋律


再び曲の雰囲気は変わり、チェコの深い森林と、青い空と共に遠くまで広がる草原を思わせる前奏で始まります。二曲目は川でしたが今度は陸の大自然と人々の生活をこの曲では表しています。



前奏の後、広い草原に一人佇むような寂しげな風景が広がります。その後遠くからモルダウ同様にホルンの美しい旋律が聴こえてきます。(3:49)それが次第に盛り上がり、自然への賛歌となるのです。弦楽器の旋律にトランペットが対旋律で掛け合う箇所はとても感動的です。

そして曲はチェコの農民達の踊りポルカへと徐々に変わります。時折吹いてくる草原の強風(7:00から)が人々をほんのわずかに不安にさせますが、それに負けず曲は苦難の風を乗り切る様に決然と終りをむかえます。

「ターボル」 ボヘミアの城塞都市とフス戦争





大自然から一点、暗い雰囲気の前奏を経て、チェコの歴史を物語る5曲目が賛美歌「汝ら神の戦士」で幕を開けます。(1:28)


この賛美歌のテーマは次のブラニークにも現れます。

皆さんは中学生の頃の音楽の授業で、モルダウを歌いましたが今度は歴史の話。フス戦争を覚えていますでしょうか?試験用に年号は覚えても、600年前のしかも遠いヨーロッパの真ん中の国の話ですから、どんな出来事か想像するのは難しかったのではないでしょうか?

当時キリスト教が多くを占めていたヨーロッパでは免罪符という、お金で買うと罪が許されるチケットが横行していました。

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ヨーロッパの大部分を支配していた神聖ローマ帝国が、ある意味資金集めのために作り出したものです。同時に一部の人達が私腹を肥やす手段でもあったのです。これに対してルターという人が立ち上がって改革をした。これは皆さん覚えていると思いますが、チェコでも同じ状況でした。当然この様な人々の信仰心をお金儲けに利用することは(本来なら)あってはならず、キチンと教義に従った生活をして初めて罪が許されるのが正しいはずです。

そしてチェコにも同じ様に改革をしようとした人物がいました。人々から絶大な支持をうけていた当時プラハ大学学長のヤン・フスです。もちろん教会にとってフスは邪魔な存在なので、正しく神を信じない異端者として彼を火刑に処します。

さらにその後フスの処刑を許可したジギスムントが神聖ローマ帝国皇帝兼ボヘミアの王になると、日頃から神聖ローマ帝国の横暴に不満を抱いていたボヘミアの国民が立ち上がり大規模な反乱を起こしました。これがフス戦争の簡単な内容です。

フスを支持していた国民達をフス派といい、ある街を拠点にボヘミア王ジギスムントと闘いますが、この街が城塞都市ターボルです。現在でもこの街が残っています。

現在のターボル

隻眼の英雄と人類初の銃撃戦

この国民による抵抗軍はターボル派と呼ばれ、タンネンベルクの戦い等で活躍した英雄ヤン・ジシュカが指揮しました。ジシュカは伊達政宗の様に隻眼だったそうです。しかしこの戦争の頃には全盲となっていた様です。迫害を逃れてきたフス派の人々と共にこの城塞都市ターボルを建設しました。

ヤン・ジシュカ

これに対してボヘミア王兼神聖ローマ帝国皇帝のジギスムントは大規模な十字軍を派遣し、ボヘミア国民達と激しい闘いを繰り広げます。

圧倒的な数の十字軍に対し、ジシェカは様々な知略と新兵器を用いて十字軍を何度も撃退します。木材で作られた装甲車を発明、活用し、また闘いに不慣れな農民達を巧みに指揮し大いに戦果をあげました。そして当時開発されたばかりのマスケット(火縄銃)を実戦投入し、少ない人数で多くの十字軍を撃退。ジシュカの姿を見ただけで烏合の集である十字軍は恐怖に慄き、戦う前に逃げ出したそうです。これは人類初の銃撃戦でもありました。

このフス戦争は農民達や一般市民までも闘いに加わり奮闘しました。最後は神聖ローマ帝国に鎮圧されてしまうものの、国民達は自らの民族の意識を強く持ち自由を求めて闘いに挑みました。単に宗教改革の闘いばかりではなく、ボヘミア人の民族意識の独立を求めた闘いでもあったのです。

曲は重苦しい賛美歌を中心に、勝利を暗示する主題が遠慮気に現れ(5:25)またその後も敗走を表す様に、次第に迷走して行く様に進み、最後は慌ただしく歌われる賛美歌によって閉められます。

そして、その緊張感のまま最終曲へと続きます。

「ブラニーク」 英雄たちの闘いは続く。そして大勝利へ

ヴァーツラフ広場(プラハ)

前曲の緊張感は引き継がれ、同じ賛美歌の主題で始まりますが、勇ましくスピーディーに始まります。



チェコ民族の英雄ヴァーツラフと勝利の大賛歌

ブラニークとはチェコの中央にある山の名前で、フス戦争で命を落とした英雄たちが眠っています。この山には古くから伝わる伝説があります。ここにはチェコの守護聖人ヴァーツラフ1世とその騎士団が眠っており、「我が祖国」が危機に陥った時、永き眠りから覚め、白馬にまたがり、カレル橋付近にある、伝説の王ブルンツヴィークの像に隠された勇者の剣を手に敵を撃退する、というものです。

守護聖人ヴァーツラフ1世

戦うような賛美歌の後、ヴァーツラフ率いる騎士団が進軍する情景が展開された後、オーボエとホルンのとても綺麗な旋律でチェコの自然が回帰されます。そして曲は激しい闘いの場面へと流れ込みます。

慌ただしく動く旋律の中から、前曲ターボルで遠慮気に歌われた勝利の旋律が、ホルンを筆頭に徐々に形作られていきます(6:25から)。一旦静まり今度は確かな足取りで次々に楽器が加わって行き、前曲ではなされなかった壮大な勝利の行進曲となります。

そして行進曲が膨れ上がり最高潮に達すると、ターボルで歌われた賛歌「汝ら神の戦士」が盛大に歌われます。さらにそれに呼応する様に1、2曲目に出てきたヴィシェフラド城の主題も高らかに完全に歌われます。(11:42から)それが終わると曲はスピードを増し疾走しながら最後にヴィシェフラド城に回帰して、トランペットの高らかなファンファーレと共に過去と未来へ向けた勝利の大団円を締めくくります。

プラハの春音楽祭5/12オープニング

チェコの首都プラハでは毎年、スメタナの命日である5/12から3週間に渡ってプラハの春音楽祭と若手演奏家の為のコンクールが開催されます。そのオープニングで必ずこの「我が祖国」が演奏されます。チェコフィルにとってこの曲は重要なレパートリーともいえます。

音楽祭のロゴ

この音楽祭は第二次世界大戦終戦の翌年、チェコフィルハーモニー管弦楽団創立50周年に第一回目が開催されました。その時の音楽監督が指揮者のラファエル・クーペリックです。しかし1948年にチェコは共産党政権となり、それを嫌ったクーペリックはイギリスに亡命します。その後多くの苦難がありました。

1989年チェコは再び民主化され(ビロード革命と呼ばれています)再びチェコフィルを振って奇跡のカムバックを果たしました。その時の記念的な「我が祖国」の演奏の録音が残っています。

名盤紹介

ラファエル・クーペリック/チェコフィルハーモニー管弦楽団

スメタナ:連作交響詩「わが祖国」ライヴ (Smetana: Ma vlast/CPO & Kubelik) [Import]

フルトヴェングラーの指揮したバイロイト音楽祭の第九は記念碑的な名盤ですが、こちらもチェコが民主化を果たした革命後、初の「プラハの春音楽祭」でもありクーペリックがチェコフィルに約40年ぶりに復活した記念碑的な演奏です。クーペリックは「わが祖国」を何度も録音していますが、最もテンポが安定していて圧倒的に力強く感動的な演奏なので、私はこの盤が最も好きです。

クーペリックは亡命後さまざまな苦難がありました。例えばかつてシカゴ交響楽団の指揮者として活躍しましたが、高名な女性批評家に手酷い批判を受け続けました。それは音楽以外のことまでに及び(髪形のことかー?!)わずかな期間でシカゴ響の指揮者を辞任することとなりました。もしシカゴ響との録音を数多く残していたらと思うともったいないですね。

ラファエル・クーペリック/ボストン交響楽団

スメタナ:連作交響詩「わが祖国」

同じくクーペリックの指揮でボストン交響楽団との録音があります。こちらはオケのアンサンブルが素晴らしく、特にトランペットパートが素晴らしく、細かい音の動きもよく聞こえてきます。

アンタル・ドラティ/アムステルダムコンセルトヘボウ

スメタナ:わが祖国 全曲

こちらもクーペリック/ボストン響と同じくアンサンブルの整った名盤です。アムステルダムコンセルトヘボウはドヴォルザークなどチェコの曲もよく合います。モルダウの最後のヴィシェフラド城の主題をトランペットが1オクターブ上の音で吹いているのが面白いです!

パーヴォ・ベルグルンド/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

スメタナ「わが祖国」-『ミュシャ展』開催記念盤-

フィンランドを代表する指揮者パーヴォ・ベルグルンドとドレスデン国立歌劇場管弦楽団という、ちょっと珍しい盤です。さらに今はチェコを代表する画家ミュシャの展覧会開催記念盤として発売されているようです。ミュシャはこの絵柄で有名ですね。


演奏は相変わらずのドレスデンです。あっさりとした演奏でも飽きのこない音色と素晴らしいホルンのソロです。

カレル・アンチェル/チェコフィル(1963年録音)

スメタナ:連作交響詩「わが祖国」(全曲) 新リマスタリング

昔からこの曲の決定盤として有名です。アンチェルは21歳のときに初めてチェコフィルを指揮しました。アンチェルはオーケストラの厳しいトレーナーとしても有名で、当時技術的に落ちてしまっていたチェコフィルを、のだめカンタービレの主人公のように徹底的にトレーニングし、ヨーロッパを代表するオーケストラに育て上げました。

演奏は古い録音ではあるものの、各楽器を注意深く聴いてみるとしっかり演奏しているのがわかります。決して上手ではなくても一つ一つが懸命に演奏している演奏はいいものです。

カレル・アンチェル/チェコフィル(1968年5/12プラハの春音楽祭ライブ)

『わが祖国』全曲 アンチェル&チェコ・フィル(1968ライヴ)

こちらはまさに紹介した動画の演奏です。63年の演奏よりもさらに感動的な演奏となっています。

ヴァーツラフ・ノイマン/チェコフィル

スメタナ:連作交響詩「わが祖国」

ノイマンもチェコフィルにとって欠かせない指揮者で長い間チェコフィルの指揮者として活躍しました。もともとノイマンはチェコフィルのヴィオラ奏者であり、同時にスメタナ四重奏団のメンバーでしたが、クーベリクの急病とその後の亡命を機に同オケの常任指揮者となりました。

チェコフィルは他のヨーロッパを代表するロンドンフィルやベルリンフィルなどに比べ、独特な音を持っていると私は感じます。スメタナやドヴォルザークのみならずマーラーの曲でもチェコフィルらしいサウンドと歌を聴くことができます。

ニコラウス・アーノンクール/ウィーンフィル

スメタナ:わが祖国(全曲)

こちらも飽きのこない演奏です。アーノンクールらしい、しかしウィーンフィルらしからぬ演奏ですがホルンや弦楽器の音色の土っぽさはまさにボヘミアの大地を思わせます。他の盤では聞こえにくい伴奏などがクッキリ聞えてきます。

ピアノ連弾

スメタナ:交響詩「わが祖国」(作曲者自編によるピアノ連弾版)

最後はピアニストでもあったスメタナ自身の編曲によるピアノ連弾版です。曲自体を集中して聴けるので、私はある意味この演奏が一番好きかも知れません。

スメタナとチェコ

チェコは地理的にも海に面しておらず、周りはドイツ、ポーランド、オーストリアなど強国に囲まれ地理的にも非常に不利な位置にあります。しかし、ボヘミア人は常に自分達の民族の意識と誇りを忘れずに闘い続けてきました。

この曲で取り上げられているフス戦争の後もハンガリー王国、ポーランド王国、ハプスブルク家の支配を受け、1618年にフス戦争の時の様にもう一度立ち上がりました(三十年戦争)。しかしこれに敗北後は完全に他国の属領となりました。

再びボヘミア人達が立ち上がったのはその約200年後1848年の革命でした。まさにスメタナが20代前半の頃です。スメタナ自身も市民兵として革命に参加しモルダウ川に掛かるカレル橋で革命活動していた人達の後方支援をしていました。

長い間オーストリア・ハンガリー帝国に支配されていたため、言語もチェコ語ではなくドイツ語が使われていました。教育課程でも全てドイツ語であったためスメタナ自身も当初チェコ人でありながらチェコ語がはなせず後に自ら学習して体得したのです。

スメタナは当時活躍していたピアニスト兼指揮者で、晩年にはベートーヴェンの様に耳が聞こえなくなりました。しかしその晩年の約数年間で国民楽派の先駆者としてこの「我が祖国」を始め多くの傑作を残しました。

改めてチェコの歴史を見てみると、長い間他国に支配されてきたのがわかります。20世紀に入ってからも、第一次世界大戦後チェコスロバキアとして独立するものの、ナチスドイツによって解体されます。つまり一次的でしたが国が完全に無くなったということです。大戦終了後国は戻りますが、その後もソ連など共産党体制に支配され1990年にようやく現在のチェコ共和国となりました。

ヨーロッパの中心で「真実は勝つ!」と叫ぶ

ヤン・フスが火刑に処される前、異端であることを認め命乞いをすれば刑はまぬがれると勧められましたが、断固これを拒否しました。最期に残した言葉は「真実は勝つ」でした。そしてその言葉は現在チェコの大統領府の旗に記されています。

この言葉はヨーロッパのど真ん中で、長い間闘い抜いてきたチェコ・ボヘミア人達の心のよりどころでもあるのです。そのボヘミアの精神を音楽で伝えた伝道師こそスメタナだったのです。

Pravda vítězí 真実は勝つ


The picture of Pevnost Vyšehrad By Ondřej Kořínek (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons.
The picture of Prague Spring concert hall with official flag By 532LG (Own work) [CC BY-SA 3.0 or GFDL], via Wikimedia Commons.

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