昔、私が所属していたオーケストラの指揮者から「今度ジュピターをやるけれど、普通とは違う事をやりたい。リズム隊は古楽器のスタイルでやりたいんだけど、どう?」と提案されました。つまり、トランペットはロータリーやピストンの現代の楽器ではなく、この曲が生まれた時代のナチュラルトランペットで演奏するということです。

私は目を輝かせて「やる!やります!」と即答しました。トランペット奏者の気持ちをよく理解してくれるこの指揮者と意気投合し、酒を酌み交わした良き思い出があります。

オーケストラのトランペット奏者にとって、ハイドンやモーツァルトの曲を演奏するということはあまり歓迎されません。なぜかというと、古典派やロマン派初期の管弦楽曲はほとんどがトランペットは目立たず、オマケ程度にしか演奏する箇所はありません。もちろん旋律もほとんどありません。シューベルトに至ってはむしろいらないんじゃないの?というくらい吹く所は少ないのです。

しかも大きな音で吹くとヴァイオリンや木管楽器の人達が一斉にこちらを振り向き、指揮者からはもっと音を抑えて!弦楽器の音が消えてしまう。と注意されます。

おとが出たっていいじゃないか
ラッパだもの

とはいえ確かにトランペットばかり音が目立つと、何となくバランスが悪く変な曲になってしまいます。ではモーツァルトは何のためにこの曲の編成にトランペットを二本も入れたのでしょうか?クラリネットも無くフルートですら一本だけという小編成なのに。

■ 目次

ロータリートランペットとピストントランペットの違い

当時使われていたナチュラルトランペットでモーツァルトなどの古典派を演奏するという意味は、作曲者が生きていた時代のトランペットの音で演奏するという事で、曲全体のバランスとしても作曲者の意図した音にもっとも近い演奏が出来るということもでもあります。特に音量は現代の巨大な編成のオーケストラで出す様な大きな音は出せず、この曲の様な編成でもちょうどいい音量しか出せないのです。

当時の作曲家達にとって、トランペットとはそれくらいの音量の楽器という事が念頭にあったので、楽譜上も他の楽器と同じ様な強弱記号が書かれています。現代の楽器で演奏するなら弦楽器を増員しない限り、他の楽器の半分ほどの小さな音で吹くしかありません。

現代では古典派の曲を演奏する場合、トランペットはピストンの楽器ではなくロータリー機構の楽器を使う事が主流となっている様です。ナチュラルトランペットの事を説明する前にロータリートランペットとピストントランペットについて説明しましょう。


トランペット奏者の間では半ば常識となっていますが、ロータリートランペットが使われるのはドイツやオーストリアなどの作曲者の古典派からロマン派の曲が大半です。

必ずしもそうではないのですが、大まかに言えばヨーロッパのドイツではポップスでもロータリーが使われる事が多く、その他アメリカやロシア等の国々、吹奏楽やジャズ等のジャンルではピストンが使用されることが通常です。特に先駆けとなったフランスの曲はやはりピストンが根強いと私は感じます。

ロータリートランペットはホルン等と同じ機構で横に持って構えます。


ピストンは縦型の筒の中のシリンダー内のバルブで音を変えますが、ロータリーは円形のロータリーバルブで変えます。車のエンジンに詳しい人はよくわかると思います。しかし、最大の大きな違いはやはり音色にあります。ピストントランペットに比べ、弦楽器と良く合う音色です。

それに比べるとピストントランペットはややハッキリした音ですが、悪くいえば角だった音で、弦楽器の音を消してしまいがちです。特にモーツァルトの曲では音を抑えて演奏する必要があります。

必ずしもそうとは限らないのですが、古典派、ロマン派初期の曲をオーケストラで演奏する際はロータリートランペットを使うことが多いです。一方、アメリカ等のオーケストラではピストンを使うことも頻繁にあります。いずれにしてもピストンもロータリーも音量を抑えて吹く事が多いですが基本的にはどちらでも演奏は充分可能です。

ナチュラルトランペットと牛皮太鼓

これまで私の記事を読んでくださった、「もう幻想交響曲作っちゃう!」、「握手権欲しい!」という位の、私の熱狂的なファンの方はご存知かもしれませんが、現代のトランペットと昔のピストンが開発される前のナチュラルトランペットは演奏方法も音色、音量も違います。

さて、喜び勇んで古楽器トランペットに挑戦する事になった私は早速ナチュラルトランペットを入手し(安いものでしたが)練習を開始しました。なんか長くてカッコいいゾ!!これを持ってステージに上がる事を想像しただけでもワクワクしてきます(^ ^

ところが!このナチュラルトランペット、演奏するのがとてつもなく難しいのです。唇だけで音を変えるのは知っていましたが、現代の楽器よりも遥かに音が捉えにくく、ジュピターのトランペットパートの簡単なドミソすらもなかなか当たらないのです。

また音量も現代のトランペットの様に大きくは出せません。それでも音量はオーケストラの中でも一番大きい音ですが、今までの様に音を抑えて吹くことはなく、楽譜通りにフォルテならそのままフォルテで吹くくらいでないと弦楽器や木管楽器に音量が負けます。ト、トランペットが音量負けするだと…?!

しかし、大きな発見がありました。曲の雰囲気とナチュラルトランペットの音色が非常にマッチしているのです。思いっきり大きな音で吹いても弦楽器に溶け込むでもなく、キチンとトランペットの音の個性が活かされているのです。逆に現代のトランペットの音は非常に違和感がある様に感じられます。

そしてこの時のジュピターの演奏の時にはティンパニも古楽器を使用しました。なんと牛皮のヘッドを先端にフエルトを巻かない木そのままのバチで叩きます。これもまたモーツァルトの曲にピッタリの音色です。とても堅い音で「バカンバカン!」という感じの音です。


ナチュラルトランペットと牛皮のティンパニ。これでこの曲にこれらの楽器が必要な理由がハッキリしました。現代の音色とは違う華やかさがあります。もし同じ音量、強さであったとしても、現代の楽器でやったら確かに少しうるさいモーツァルトになりますね。

最近では古典派などを演奏する場合、特に金管楽器は古楽器と現代楽器では音が大幅に違う為、トランペット、ティンパニ、ホルンのみを古楽器で演奏するスタイルが多いです。そのほうがより作曲者の意図した音になるからです。


ジュピターの音。最初と最期はドレファミで。


さて、もう多くを言わずとも非常に人気のあるモーツァルトの交響曲41番K.551、通称「ジュピター」。モーツァルトの最後の交響曲として素晴らしい傑作であります。「ジュピター」という愛称は同時代の作曲家ペーター・ザロモンによって名づけられました。

モーツァルトの曲というと、現代では古典派を代表するクラシック音楽のスタンダード的な、癒しとか胎教とか、そんなイメージが定着していますが、モーツァルトの音楽は当時の人達の耳には非常に革新的で、刺激的なファンキーな音楽に聞こえた様です。

この曲ではないのですが、こんなファンキネスなエピソードがあります。

交響曲31番「パリ」が初演されたときのこと、一楽章の主題が上昇音階で盛り上がるところで演奏中にもかかわらず観客はワッと歓声をあげました。


モーツアルト自身もこの盛り上がりを狙っていたようです。ただ派手に音が上昇するだけなのですが、当時としては非常に画期的な演奏効果で、当時の観客も今で言うジャスティン・ビーバーのライブみたいなノリだったようです。

当時のある評論家に言わせると、モーツァルトの音楽は不協和音を多用した騒々しいものだったそうです。たしかに同時期に活躍していた他の作曲家、バッハの息子達やハッセ、ハイドン、イタリアの作曲家たち等と比べても、意外と激しい、ベートーヴェン的な、ジャジャーン!っぽい所もあります。

ジュピターはその名のごとく、楽器編成が少ないにもかかわらず非常に雄大な曲です。また楽譜通りに繰り返しアリで演奏すると40分ほどの、モーツァルトとしては長い曲になります。調性もハ長調と、シンプルで明快、深刻さのカケラもありません。

そして4楽章はフガート形式(フーガの様に旋律が順番に現れる曲)を用いたソナタ形式という高度な曲となっています。そのフガートの主題は「ジュピター音型」と呼ばれています。

ジュピター音型。動画の4楽章最初25:37から。

これはジュピター音型と呼ばれる主題ですが、特にこの曲だけに使われた主題ではなく、古くはグレゴリオ聖歌の時代にはこの旋律は使われていました。なのでモーツァルトの作った旋律というわけではないのですが、モーツァルトが8歳の時に作曲した交響曲1番をはじめ交響曲33番やその他の作品でもこの旋律が使われています。

この曲を作曲した時には、もしかすると自らの死期を悟り(それでも30代前半!)、最初と最後の交響曲でこの主題を使い締めくくりたかったのかも知れません。

また、ブラームスの交響曲1番4番までの調性を並べるとC、D、F、E
つまりドレファミとなりブラームスもまたこの旋律に特別な思いを抱いていた…かどうかはわかりませんf^_^;

この最後の4楽章は古楽器で演奏されたものは、近現代の大オーケストラ曲に勝るとも劣らない、力強い盛り上がりを見せます。

名盤紹介

モーツァルトやハイドン、シューベルトなどの管弦楽曲は、作曲された当時の楽器の性能や音色を前提に作られています。特に金管楽器と打楽器は現代とは大きな違いがありますので、全古楽器またはトランペットとティンパニのみ古楽器という盤を多く選んでしまいました^ ^

ニコラス・アーノンクール/ヨーロッパ室内管

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ワーナーミュージックジャパン


以前私はモーツァルトの音楽が苦手でした。子供向けというか、お上品な音楽という気がしてどうしても好きになれませんでしたが、このアーノンクールのヨーロッパ室内管弦楽団の演奏を聴いて、一瞬でモーツァルトが好きになってしまいました。これをきっかけに交響曲だけでなくオペラも協奏曲も理解できる様になったのです。

トランペットとティンパニがオーケストラに埋もれる事なくガンガン主張しますが、うるさくなく祝典的な華やかさと激しさがあり曲想にピッタリです。こちらはトランペットとティンパニのみ古楽器の演奏です。

ミンコフスキー/レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル



全て古楽器での演奏です。速めのテンポで、アーノンクール同様、トランペットとティンパニが主張するだけで現代の演奏と比べて大きく印象が変わります。

古楽器での演奏を聴くと、1番最初に気付くことは音程が現代のオーケストラに比べて低いことです。当時の音程は地域にもよりますが415㎐で、現代の音程に慣れてしまった耳では一瞬、半音近く低く感じてしまいますね。

フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ



躍動感のあるリズムと良い意味で土臭い音です。これがモーツァルトの音楽の本当の姿なのではないでしょうか。それにしてもオーケストラの名前がそのまんま18世紀オーケストラ、って面白いです^^

ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ



ブリュッヘンの様な土臭さがない綺麗な演奏です。古楽器での演奏のもう一つの特長として、弦楽器の音色が挙げられます。ガット弦による味のある音色に、ヴィブラートをかけない奏法が古楽器演奏の特長でもあるのですが、それにより教会の聖歌の様に和音と各声部が綺麗に聞き取れます。その特長が最も活かされているのがこのガーディナーの演奏です。

ピノック/イングリッシュ・コンサート



古楽器演奏の先駆的な指揮者です。演奏としては最もスタンダードだと思います。


現代楽器による演奏でも素晴らしい演奏が数多くあります。バランスを重視するあまりトランペットやティンパニが遠慮して演奏している、という事がない演奏が私は好きです。以下で紹介していきます。

レナード・バーンスタイン/ウィーンフィル



モーツァルト以外でもバーンスタインがウィーンフィルと録音した演奏は数多くありますが、この盤はとても録音が鮮明で、ホルンや弦楽器が硬めのしっかりした音で演奏しています。弦楽器の音も綺麗なハッキリした音で、現代のモーツァルトの演奏ではこれが1番好きです。

ブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団



モーツァルトの演奏には定評のあるワルター。スタンダードな演奏ですがやはりオーケストラが上手いです。何度聴いても飽きの来ない演奏です。

ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団



ギュンター・ヴァントと北ドイツ放送響はブルックナーの録音で非常に有名ですが、ブルックナーでの良い点がモーツァルトでも活かされています。弦楽器と管楽器と打楽器、全ての楽器のバランスが良くトランペットもティンパニもしっかり主張していて、どの楽器が遠慮しているとか、あの楽器が聞こえて来ない、という事がない演奏です。

天才にはかなわないけど…

モーツァルトの直筆の楽譜を見ると、手直しをしたり試行錯誤しながら書いた所かほとんど見当たらず、ためらいもなく一気に清書したかのように整然としています。もう書く前から曲が頭の中で全て完成していて、ただそれを書いただけのようです。

そして出来た音楽の完成度は今更申し上げることはありません。ベートーヴェンの様に苦悩とか努力とか、あるいは人間の創造というものを感じさせません。人間ドラマのオペラの曲であっても自然な音楽です。

モーツァルトというと、天才という言葉がすぐ浮かんで来ますが、たしかに神懸かり的なエピソードがたくさんあります。モーツァルトの正式な洗礼名にテォフイルスという名前も入っていますが、これは「神から愛された」という意味があります。

あの人は天才だから〜という言葉を聞くと、どうしても凡人にはかなわないよね〜といった、ややネガテイブなイメージをもってしまいがちですが、どうやらモーツァルトの場合の天才性はそういったものとは違うようです。

例えば私達は、綺麗な景色を楽しむ時、そこに人工的なものがあったら少し残念な気がしますね。その景色をよりよく見せようと努力して人工的なものを置いたとしても。やはりそのままの純粋な自然の奇跡を楽しみたいのと同じ様に、モーツァルトの音楽を聴いて楽しむという事は普通の人間を超えた天才の純粋な自然の奇跡を楽しむ事でもあると思います。

私情を挟まない音楽

ベートーヴェン以前のモーツァルトやハイドン、バッハの息子達等の古典派(バロックも含む)と呼ばれる音楽は、絶対音楽と呼ばれ.あくまでも雇い主に依頼され、何かパーティや当時流行した夜の小さな音楽会、セレナーデ等のために書かれたものが大半で、いわば「実用音楽」的なものでした。なので作曲家自身の私情や思想、体験談的なものは一切音楽の中には反映されていません。そこにあるのは純粋な音楽のみなのです。

例外があるとすればハイドンが「楽団さん達にもっと休日を!サービス残業断固反対!」的なメッセージを盛り込んだ「告別」交響曲等があるくらいです。

このジュピターを含めた39〜41番の最後の三つの交響曲はモーツァルトが死の約3年前に、わずかな時間で完成された奇跡的な傑作です。先ほど挙げたジュピター音型。1番最初の交響曲とこの最後の交響曲に使われていますが、この曲が完成する約2年前に父のレオポルド・モーツァルトが亡くなっています。

自分を一流の音楽家に育てるため、四方奔走し、育ててくれた父の思い出も含むとともに自らの死期も感じ取って、この曲に密かにジュピター音型を取り入れたのではないかと私は思うのですがどうでしょう。もしかするとこのジュピター音型に父との思い出があるのかもしれませんね。

しかしその音楽の中にはそんなことを感じさせる所は一切なく、ただ美しくて楽しい音楽が自然の景色のようにそこにあるのみです。


The picture of trumpet in c german By Aichas (german WP) [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons.
The picture of timpani By Benedikt Emmanuel Unger (Own work) [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons.

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