きっと皆さんはこの気品漂う(?)肖像画をどこかで見たことがあるのではないでしょうか。そう、小学、中学生のころ、学校の音楽室で見たことがあると思います。天井近くの壁にこのような肖像画が何枚も飾られていて私達を見下ろしていましたね。
その中でも特に芸術的な髪型をしているこのオジサンが今回ご紹介するヘンデルです。今からおよそ300年も昔に活躍し、今の音楽に大きな影響を与えた音楽家の一人です。
親しみやすい曲想がヘンデルの特徴です。親しみやすすぎて機械音楽になり、時代を越え現代でもその音楽は使われています。運動会で表彰状を受け取る時、「ハーレルヤ」と歌いたくなる時、クリスマスの時などなど・・・間違いなく!皆さんもヘンデルの音楽に昔から親しんできたはずです。
■ 目次
ヘンデルは「音楽の肝っ玉母ちゃん」??
今から300年以上前の1685年。この年に後世の音楽界に大きな貢献をすることとなる3人の子供が生まれました。1人は鍵盤楽器の表現技術を大きく高めたD.スカルラッティ。
もう1人はフーガなどの対旋律の持つ音楽性を究極の域まで成し遂げた、J.S.バッハ。
そして音楽の持つ劇的な表現を様々な音楽形態で表したヘンデル。ヘンデルはまたオルガン奏者として突出しており、スカルラッティもオルガンではヘンデルには敵わないと認めたと言われています。
この3人の巨人が同じ年に生まれたのです。
最近ではあまり耳にすることはありませんが、以前バッハは「音楽の父」、ヘンデルは「音楽の母」と言われていました。もちろんこれはあくまでもバッハと比較して、例えとして呼ばれたもので日本だけで使われた比喩です。
でも私は思うのです。
もしヘンデルが「母」ならばそれは、もはや「ジ○イアンの母ちゃん」であると。「母」?いや「肝っ玉母ちゃん」であると。
皆さん!ヘンデルの音楽は癒しの音楽ではありません!ヘンデルの音楽は劇的でありまた、現場でも大きな演奏効果があり、そして時に肝っ玉母ちゃんのように温かい…
そう!ヘンデルは熱いのです!
今回はそんな猛母ヘンデルの膨大な作品の中から特に有名な「水上の音楽」をオーケストラ、吹奏楽、ブラスアンサンブルのトランペット席からご紹介しましょう!かあちゃん勘弁〜
特殊諜報員G.F.H?
ヘンデル(左)と上司ハノーファー選帝侯(右)「ヘンデル君、早くロンドンから戻って来いって言ったよね?もう僕の方から来ちゃったよーハハハ…」
この「水上の音楽」はヘンデルの、というよりもバロック期の管弦楽曲として代表的な名曲ですね。この曲ができた経緯として、現在では事実ではないとされていますが、この様な面白いエピソードがあります。
ヘンデルはドイツ出身であり、かつてはドイツ北部の領主「ハノーファー選帝侯」の専属音楽家として仕えていました。つまりハノーファー選帝侯はヘンデルの上司になります。
ところがヘンデルはドイツを出て、居心地が良かったのかイギリスのロンドンに定住してしまいます。ハノーファー選帝侯はさっさとドイツに戻ってくる様に命じますが一向に戻らずロンドンライフを満喫、すっかりロンドンっ子に。
しかし2年後、その上司であるハノーファー選帝侯がなんと、突如イギリスの王様ジョージ1世としてロンドンに迎えられることとなります。
せっかく上司から逃れてロンドンまで来たのに、皮肉にもその上司がこのロンドンに王として就任、またこの地でも上司に・・・という形になったのです。(なんかダースベイダーの音楽が流れてきそう…)
散々帰国命令を無視してきたよヘンデル。ヤバイよヘンデル、焦ったよヘンデル。そこで上司がロンドンブリッジでも有名なテムズ川で舟遊びをする際に、謝罪とご機嫌伺いとして演奏されたのがこの「水上の音楽」ということなのです。
このエピソード、実際は無かったと考えられていますが、お話としてとても面白いですね。
実際は1717年、上司の舟遊びの際に演奏され、特にお叱り等はなかった様です。それどころか実はハノーファー選帝侯は、いずれ王として迎え入れられるイギリスロンドンにヘンデルを現地調査員として事前に派遣したのでは、という話も…
またその約20年後、国王のお妃を迎える舟遊びの際にもこの曲が演奏されました。この時に演奏されたものは別の版で、現在主に演奏される版はこの二つの版から抜粋して一つにしたものです。
「水上の音楽」解説
ベルリン古楽アカデミーによる演奏です。熱い!楽しい!!「水上の音楽」は3つの組曲から構成されています。おそらく全曲通して演奏されたのではなく、その場の雰囲気や王が何をしているか、状況に応じて3つの組曲がそれぞれ演奏されていたのではないかと思われます。そう、野球応援のブラスバンドのように・・・
楽譜の版によっては第2、第3組曲を逆にして演奏することもあります。また、単曲が他の組曲にあるなど、版によって違っているようです。元々が演奏会用の音楽ではないのでこのようなこともありますね・・・
曲はバロック様式によくあるように序曲から始まります。ゆっくりとした伸びやかな序奏部と軽快な中間部(1:19~)。ザワザワとした楽しげな光景が目に浮かんでくるようです。そして再びゆったりとした曲想に。どこか影のあるような旋律。このようにテンポが緩―急―緩と変化する構成の序曲はフランス風の序曲と呼ばれます。
(5:05)突如ホルンの激しいファンファーレが響きます。生き生きとしたスピード感のある楽しい音楽です。
(14:39~)「水上の音楽」の中でもよく単独で演奏される綺麗な曲「エア」。古楽器での演奏だと、優雅に歩くようなテンポで演奏されます。
さて、トランペットが主体で活躍するのは第2組曲になります。(26:44~)。ティンパニも加わり、まさに野外の音楽として華やかな曲となります。バロック期のトランペットらしい技巧的なパッセージが続きます。
そしてよく演奏される名曲「アラホーンパイプ」(28:46~)。「水上の音楽」といえばこの旋律が思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
突然ティンパニが荒々しく連打します(38:39~)。アドリブか!?第2組曲の最後を飾る「ブレー」、全曲の中で最も盛り上がる曲。まさに演奏者の腕の見せどころです。これでもかと言わんばかりの装飾音符で、そしてハイスピードでキメます!
これまでとは対照的に優雅な曲が多く散りばめられた第3組曲(39:58~)。リコーダーとフルートが活躍する曲です。どこか神秘的な雰囲気も漂います。
(43:54~)再びトランペットも加わり、華やかな曲想となります。この「メヌエット」、聴いていると「さあー今日も頑張るぞー」という気持ちになるのは私だけでしょうか?途中からホルンが加わり(44:43~)、そして最後はティンパニも加わって(45:31~)、全合奏で盛り上がります。それぞれが好きに装飾音などを入れて、「音楽」を楽しんでいます。
そう、「水上の音楽」は王様が聴いて楽しみ、そして演奏する人も楽しむ。その場にいる皆も楽しむ音楽なのです。
様々な編成の「水上の音楽」。トランペットは気合で乗り切れ!
この曲は野外での演奏を想定されている事もあり、吹奏楽や金管アンサンブルなど、管楽器主体の編曲版も数多くあります。きっと吹奏楽部に入っていた方ならば演奏したこと、聴いたことがあるのではないでしょうか?私自身も初めてこの曲に触れたのは金管5重奏版、いわゆるアンサンブルコンテストで演奏したのが初めてでした。
1番トランペットを受け持ったとはいえ、少人数で演奏する事が初めてだった私はガチガチに緊張してしまい、演奏は失敗。客席で聴いていた仲間から「メチャ緊張してたネ!金色の楽器が銀色に見えたよ」と言われたのが今でも印象に残っています。緊張のあまり脱色したか・・・(T ^ T)
金管5重奏版
金管8重奏版
金管と木管、チェンバロでの演奏。こちらは音楽学校の公開試験での演奏です。
さて、トランペット奏者にとってこの曲で出番があるのは、楽譜の版によっても違いますが、第2組曲(演奏順序が版によって違い第3組曲だったりもします)です。番号で言うならばHWV349です。
バルブのある普通のB♭トランペットで演奏する際は、編曲された調性にもよりますが、高い音が頻繁に現れます。無理やり出そうと頑張らず旋律の一つとして、音楽の流れを止めない様にしましょう。正に「歌う様に」。高い音が外れることよりも、その音を頑張り過ぎて音楽の流れが変になってしまう方が良くないです。
また、現代楽器編成で原曲を演奏するならば、おそらくB♭管ではなく管長の短いD管のトランペットを使うと思います。この特殊管はとにかく音程が取りにくい楽器です。現代楽器での演奏はある程度正確さも求められるので、高い音の難しさもありますが、慎重に音程を取れるように練習する事が大切です。私は未だに上手くできませんがT_T
この曲を古楽器編成、つまりバルブシステムのないナチュラルトランペットで演奏する場合、どうしても出しにくい、というより出せない音がいくつかあります。基本的に自然倍音しかナチュラルトランペットは演奏できません。ではどうするか?
それは、勢いで吹き切ります!声で歌う様に、難しい事は考えないで。自然と唇が調整して本来出せない音も、何となくですが出ます!完璧に音程を取ろうとせずに。大切なのは音楽の流れを止めない事です。
名盤紹介
演奏され続けて約300年、様々な演奏がされてきたこの「水上の音楽」。この曲の持つ真の魅力を引き出した名盤をご紹介しましょう。ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
初の古楽器スタイルの演奏として、当時非常に話題となった名盤です。全く優雅ではない、ゴツゴツとしたリズム感です。とにかく熱い!それだけでなく序曲の中間部のざわめく様な表現が聞き所。
そして何と言っても三曲目。バルブシステムのないナチュラルホルンのトリル。トリルができないからフラッター(舌をプルプルと震わせる奏法)で乗り切っています。オイオイ…でもそれがまた熱くて良いのです!
そして15曲目のブレー!スーパースピードと熱いティンパニで演奏し切っています。
マルク・ミンコフスキー/レ・ミュジシャン・デュ・ルーブル
この演奏もアーノンクールと同様古楽器スタイルです。そしてもちろん爆演です!所々にバロック期の音楽らしい装飾音符が宝石の様に、良い感じに散りばめられています。
こちらは楽譜の版が違うのでアーノンクール盤とは曲の順番が異なりますが、同じ「ブレー」が別な意味で凄まじい演奏。曲が進んでいくにつれて、これでもかというくらいに装飾音符が加えられていきます。もう最後の方はビックバンドジャズか!とツッコミを入れたくなるほどです。
他の曲も低音がしっかりとガシガシ響き、輪郭のハッキリした音色で、聴いていてワクワクしてくる素晴らしい演奏です。
カール・ミュンヒンガー/シュトゥットガルト室内管弦楽団
さて、こちらは先の2つの演奏とは打って変わって衛生的(?)な演奏です。
ミュンヒンガーとシュトゥットガルト室内管弦楽団のコンビはかつて多くのバロック音楽をレコードに録音しバロックブームを巻き起こした牽引役でもあります。
現代の楽器による演奏は綺麗な素晴らしい演奏が可能ですが、どちらかといえばオーソドックスで「優雅さ」が印象に残る演奏でもあります。私の周りでは古楽器演奏に比べてオーソドックス過ぎて物足りない、と感じる人が多くあまり良く思われていない感じがしました。
いやいや!とんでもない!確かに先の2つに比べれば「ビックリ」がないだけで、他の数ある現代楽器による演奏の中でも素晴らしい演奏です!
特に第2組曲、トランペットに注目です。これほどバランス、音色、表現が素晴らしい演奏は中々ありません。トランペットとは、この様に演奏したいものです!
その他にもここでは紹介しきれない多くの名盤があります。共通して言えることは「水上の音楽」は楽しんで聴く音楽だ、ということですね。
楽しい舟遊び
クラシック音楽、特にバロック期の曲はちょっと聴くと「優雅な」「なんかセレブな」「崇高な」音楽という先入観が働いてしまいます。どうしても「学校の音楽の授業で習う」時にしか聴く機会がないからしょうがない所もあります。
しかし!この「水上の音楽」はじっくりと聴いてみると非常に活き活きとした、ワクワクしてくる、そして熱い曲なのです。なんといっても本物の、一国の王様を喜ばせる音楽として生み出されたのですから。
この曲が作られた経緯は、言ってみれば舟遊びの際のバックミュージックです。もちろん野外での演奏が想定されていて、内容も当時人気のあった舞曲で構成されています。つまり今風に言えばノリノリのダンスミュージックで、テンションアゲアゲで舟遊び!と言ったところでしょうか。
そして野外用の曲という事もあり、楽器編成も大編成となります。当時の管弦楽曲としては桁外れの約50人の奏者が必要となり、しかもその50人が舟に乗って演奏した様です。
目を閉じて、その光景を想像してみると、決してこの曲が優雅さだけの音楽ではなかったと思うのです。
今の時代の様な電動機の付いた、しっかりした舟ではなく、そこそこ大きい木造の舟で、多くの従者達が必死にオールを漕いでいる様子が目に浮かびます。その様な舟があちらこちらに浮いている光景が浮かんできます。きっときらびやかに装飾された舟だったのでしょう。
その中に50人もの演奏者を乗せた一際大きい舟。誤って水にドボンと落ちた人もいたでしょう。「押すなよ押すなよ」とやっている3人組もいたかもしれませんね。昼食などを舟で運んで売っていたお弁当屋さん、お土産屋さんなんかもきっとあったでしょう。動画の様に静かなホールで、広いステージでお客さん達がじっと座って演奏を聴いている光景とは全く逆でワイワイ、ザワザワと楽しいお祭りだったと思います。
今の時代にあって「水上の音楽」はバロック音楽の芸術作品として、鑑賞用の音楽となっていますが、当時の人々つまり貴族や王様達にとってこの曲は、今の時代で言う「びしょ濡れサマーライブ」的な楽しさがあったのではないでしょうか。「水上の音楽」は音楽室から生まれた音楽ではなく、人々を楽しませる音楽として今の時代でも親しまれているのです。
「もうドイツには帰らないから、ハンデルと呼んでくだサイ」