グッド・バイ
あなたは、10人もの異性と同時に付き合ったことはありますか。
そんな人、滅多にいないとは思いますが・・・。
いくら誰からも好かれる好人物だからといって、そんなことを続けていてはいつかしっぺ返しをくうというものです。

何といっても、自分を虚しくするだけですからね。

今回は、生粋の色男の喜劇を描いた太宰治の『グッド・バイ』をご紹介します。



■ 目次

『グッド・バイ』と太宰治

『グッド・バイ』は、未完のまま事実上、太宰治の遺作となった作品です。
昭和23年(1948年)3月初め、太宰は朝日新聞社から連載小説の依頼を受けます。
その連載小説として太宰が提案したのが、この『グッド・バイ』でした。

しかしその直後、太宰は連載小説『グッド・バイ』ではなく、かの有名な「人間失格」の執筆に取りかかります。



そして同年5月に「人間失格」を書き終えた太宰は、ようやく『グッド・バイ』の執筆を開始します。

その後太宰は、5月下旬に第10回までの原稿を新聞社に提出。
6月13日に、第11回~第13回の原稿を残してこの世を去ります。

この『グッド・バイ』は、新聞社の依頼より前に太宰によって構想が練られていた作品だそうで、後に、太宰にこの連載小説を依頼した朝日新聞東京本社の末常卓郎は、「太宰は、”逆の”ドン・ファンを描こうとしていた」と語っていたそうです。

ドン・ファンとは、スペインの伝説上の人物で、女性を次々と口説き落とす女たらしとして文学作品などにたびたび登場します。太宰の描くドン・ファンがどう”逆”なのか注意して読んでみてくださいね。

『グッド・バイ』のあらすじ

この作品は、昭和23年(1948年)6月21日「朝日新聞」に第1回が掲載。
同年7月1日「朝日評論」に第2回~第13回、作者の言葉が掲載されました。


終戦から3年。
世の中は少しずつ変化の時を迎えていました。

それは主人公・田島周二にとっても例外ではありませんでした。
本職は雑誌の編集長でありながらも、時代柄、闇商売に手を染めていた田島は、これまでかなり金回りのいい生活をしていました。

しかし、悪銭身に付かずという言葉通り、田島は毎晩浴びるほどの酒を飲み、田舎に妻と子がある身でありながら、10人もの愛人を養うというとんでもない生活を送っていたのです。

単身東京に出てきて3年。
世の中の流れが変わってきたせいか、それとも自分が歳をとってきたせいか、田島の心にも変化が現れます。
「そろそろ闇商売からも足を洗い、雑誌の編集に専念しよう。そしたら小さな家を買って、田舎から妻と子どもをこちらに呼んで一緒に暮らそう」

しかしそれには、広げに広げすぎた愛人関係に上手くけりを付ける必要がありました。
金ですむ事なら訳ないのですが、それで愛人たちが引き下がるとは思えません。

田島が女性たちの前から黙って姿を消すという手もあるのですが、そんな情の無いことは田島のポリシーが許さないのでした。
そうなれば、自分ひとりの力で処理するのは到底不可能に思えました。

追い込まれた田島は、初老の不良文士に相談を持ち掛けます。


その文士によれば、田島は、「多情なくせに、道徳的で優しい生粋の色男」であるために、田島が愛人関係の解消を持ちかけても、相手の女たちは納得しないだろうということでした。
これには田島も、ひどく納得するところでした。

すると文士からひとつの名案が出ます。
それは、どこからかとびきりの美人を見つけてきて、それを田島の妻だと偽り、愛人たちのもとを一人一人訪ねて回る、すると愛人たちも諦めがつくだろうというものでした。

藁にもすがる思いだった田島は、以前取引のあった闇屋のかつぎ屋の女性・永井キヌ子と偶然再会したことから、この作戦を実行に移すことにしました。

※かつぎ屋・・・闇物資を生産地から運んでくる人

とびきり美人のキヌ子でしたが、何しろかつぎ屋なだけあり、怪力、大食いという他、声が独特すぎるという問題がありました。
しかし田島としては、この機会を逃す訳にはいきません。

田島は謝礼を支払うことで、キヌ子の協力を得ることに成功します。
謝礼に食事も付くということもあって、キヌ子にとってもこれは悪い話ではなかったのです。

そこで田島がキヌ子に課した条件は2つ。
別れる予定の女のもとを訪ねた際は、一言も喋らないこと。
そして、彼女らの前でものを食べないこと。


数日後、田島とキヌ子は、一人目の愛人の元を訪ねます。
田島は、愛人にキヌ子のことを「疎開先から呼び寄せた女房」だと紹介し、最後に「グッド・バイ。」と囁き女の元を去ることに成功しました。

しかし、大食いのキヌ子への謝礼と食事代を合わせるとそう安いものではないことに田島は気がつきます。
田島がこのことを言及すると、「私も、好き好んであなたに付き合っているんじゃないわよ」
と逆にキヌ子は田島を脅迫し始めます。

いくら金回りのいい田島でも、これではいくら金があっても足りません。
考えぬいた田島は、愛人たちと別れる作戦を実行する前に、何とかキヌ子をものにして、自分の都合のよい女に変化させようと思い立ちます。

そうと決めた田島は、さっそくキヌ子の家を訪ねますが、結果は惨敗。
必要のないからすみを高額で売りつけられたあげく、抱きつこうものなら、こぶしで頬を殴られる始末。
こてんぱにされた田島は泣く泣く、キヌ子の家を後にします。


しかし愛人たちとの円満な別離は、キヌ子の協力なしには得られないのです。
数日後、田島はキヌ子の元に電話を掛けます。
かくして田島は、交渉の末、1日5千円という条件で、今後もキヌ子の協力を得られることになったのです。

※消費者物価指数にもとづいて計算すると、昭和23年当時の5千円は現在の5万円に相当します。

そうと決まれば、キヌ子のことを最大限に利用しなければ損だと思った田島は、キヌ子の欠点ともいえる怪力をも利用することを考えつきます。

それは、愛人のひとり、洋画家の水原ケイ子と別れる時のことでした。
ケイ子と田島は、田島の会社の出版する雑誌の挿絵を描いてもらって以来の仲でした。

ケイ子には、幼い頃から乱暴者で今は兵隊だという兄がいたのですが、その兄が最近シベリア方面から引き揚げてきたというのです。
その兄と顔を合わせたくない田島は、ケイ子をどこかへ連れ出そうと電話を掛けますが、電話に出たのはケイ子の兄で「ケイ子は、風邪をひいて寝ています」と、電話すら取り次いでもらえません。

しかし田島は、これを逆にチャンスととらえます。
ケイ子が風邪で寝ていて、おまけに引揚者の兄がいる。
それでは、さぞお金にも困っていることだろう。
そこに自分が現れ、病人のケイ子に優しい言葉のひとつでもかけ、そっとお金を差し出す。
ケイ子も兄も感激するに違いない。

もし、ケイ子の兄が自分に乱暴を働くようなことがあれば、その時は、キヌ子の怪力に頼ればいいと思ったのです。
田島は、キヌ子に「多分大丈夫だと思うけど、これから行く女のところには、乱暴な男がいるから、もしそいつが乱暴をするようだったら、君が取りおさえて下さい」と、キヌ子に丁寧に言って聞かせました。

(未完)

『グッド・バイ』の名言

そんな乱暴な事はできない。相手の人たちだって、これから、結婚するかもしれないし、(中略)男の責任さ。

「黙って姿を消せばいいだけじゃない」といぶかるキヌ子に対して、その無責任さをとがめた田島の言葉です。

田島に相談を持ち掛られた文士や、キヌ子も口にしていますが、妻と子がある身で10人もの愛人を作っておきながら、真面目に男の責任を語るとは、本当に、変な道徳心が働いたものですよね。

グッド・バイ。

そして、タイトルにもなっている「グッド・バイ」。
別れ際、女性にこんな言葉を囁くなんて、田島という男はなんとキザな男なのでしょう。

『グッド・バイ』の感想

私は太宰の作品全てを読んだ訳ではありませんが、この『グッド・バイ』は太宰の作品のなかでも、特にコミカルな部分が多い作品だと思いました。
私がこの作品の前に、「人間失格」を読んだため余計にそう感じたのかもしれません。

特に、キヌ子は、あまり頭が良くないのか天然なのか、「膝栗毛」のことを「アシクリゲ」と言ってみたり、「背水(はいすい)の陣」のことを「フクスイの陣」と言ってみたり・・・。
田島とキヌ子2人の会話のシーンなどは笑わずにはいられません。

また田島自身に、自分が色男だという自覚があるというところが、何とも滑稽でしかたありません。

水原ケイ子の元へ向かう直前のシーンで、絶筆となっているこの作品。
その後、田島がどういう運命を辿ったのか想像するのも楽しいですが、この作品を太宰の紡ぐ言葉で最後まで読むことができなかったことは非常に残念です。

最後に「作者の言葉」として、太宰はある先輩が唐詩選の五言絶句のなかの「人生足別離」の一句を「さよならだけが人生だ」と訳したことに触れています。

これは、于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒(かんしゅ)」の中の一句で、ある先輩とは井伏鱒二のことです。直訳は、「人生には別離が多い」ということなので、かなりの意訳ですね。太宰の中でこの訳に首肯するものがあったのかもしれません。

『グッド・バイ』を遺作として残した太宰は、どのような思いでこの世を去ったのか考えずにはいられません。