あなたは、河童は本当に存在すると思いますか?
もし存在するならば、彼らは私たちの目をかいくぐり、どこでどんな生活をしているのでしょう。
私は河童を見たことはありませんが、自由で楽しい生活をしている姿を勝手に想像していました。
しかし、この作者の考えは違ったようで・・・。

今回は、芥川龍之介の『河童』をご紹介します。



■ 目次

『河童』の登場人物

まずは簡単に、この作品の登場人物をご紹介します。

・第二十三号(僕)
とある精神病院の入院患者で、年齢は30歳を越していると思われます。
院長のS博士たちを相手に「自分が河童の国に行った」経験を長々と話して聞かせます。

・チャック(河童)
河童の国の医者です。
第二十三号が河童の国に迷い込んだ時に負った怪我の診察や治療を施してくれました。

・バッグ(河童)
漁師として生計を立てています。
第二十三号が河童の国に来てしまったのは、谷で見かけたバッグを追いかけていったためです。

・ゲエル(河童)
硝子会社の社長で資本家です。
第二十三号が不思議と好意をもった河童の一匹で、奥さんや子どもに囲まれ、幸福そのものの生活を送っています。

『河童』のあらすじ

この作品は、芥川龍之介が1927年、総合雑誌「改造」誌上で発表した小説です。
「どうか Kappaと発音して下さい。」と不思議な副題がついているのが特徴です。

また、2006年には『河童 Kappa』のタイトルで映画化もされています。


3年前の夏。
僕は、上高地の穂高山を登ろうとしていました。
深い霧に覆われ疲労を感じ始めた僕は、谷へ下り、水ぎわの岩に腰掛け、食事を取ることにしました。

河童
それから10分くらい経った頃、ふと振り返ると、何と僕の後ろの岩の上に1匹の河童が立っていたのです。
それはいつか、絵でみたことがある通りの「河童」そのものでした。

僕はその河童を追いかけるのに必死で、そこにあいていた穴にも気づかず、そのまま真っ逆さまに穴のなかに転げ落ちてしまいました。

気がつくと、僕はたくさんの河童に取り囲まれ、そのうち担架に乗せられ運ばれていきました。
河童の国に来てしまった僕が担架の上で見た景色は、銀座通りと相違なくいろいろな店が並んでいて、道には何台もの自動車が走っていました。

僕が運ばれた先は、医師・チャックの家でした。
チャックの治療のおかげですっかり回復した僕は、この国の法律により「特別保護住民」としてチャックの隣の家に住むことになりました。

そして時が経つにつれ、僕は、人間の世界とこの河童の国の違いを知っていくのです。

例えば河童の出産について。
すっかり友人となったバッグの妻のお産に立ち会うことになった僕はそこで異様な光景を目撃します。

妊娠
まず、バッグが妻のお腹のなかの子どもに対して、「この世界に生まれくるかどうか」と質問します。
するとお腹の子どもは、生まれてくることを拒否。
産婆がその場で妻に何か注射をすると、今まで大きかったお腹がたちまち風船の空気が抜けるように縮んでいくのです。
これが河童の国での常識なのです。

工場
また書籍製造工場に見学に行った時は、1年間に700万部の本を製造するというのに、人手がほとんど掛かっていないということに僕は驚きました。
ゲエルの話によれば、この国ではどんどん新しい機械が開発され、人手のいらない大量生産に移り変わっていくというのです。

そんな状態ですから、解雇される河童の数も半端なものではありません。
しかし毎朝新聞を読んでいても、職工たちによるストライキといった言葉を目にすることはありません。
不思議に思った僕はチャックやゲエルに何故かと尋ねました。

すると僕が想像すらしなかった答えが返ってきます。
なんと河童たちは、解雇された職工たちを殺して食料にしてしまうというのです。
しかもそれは、職工屠殺法という法律に基づき行われる合法な行為だというのです。
そして理屈では、職を失った職工たちの餓死や自殺を国家的に省略しているのだとも。

いろいろなことを知り過ぎて、僕はだんだんこの国にいることが憂鬱になってきました。
しかしいくら探しても、自分がこの国に来るときに落ちた穴が見つかりません。
するとバッグが街外れに、ある年寄りの河童が住んでいることを教えてくれます。
その河童に聞けば何か分かるかもしれないと思った僕は、さっそく街外れに出掛けていきます。

そこにいたのは、年の頃12、3歳の子どもの河童でした。
しかしよくよく聞いてみると、この河童は産まれた時は白髪頭で、歳をとるごとにどんどん若返っていき、現在は115、6歳だと言います。

僕は、この年寄りの河童に導かれ河童の国から脱出することに成功します。

僕が河童の国から帰ってきて1年後。
僕はある事業に失敗し、河童の国に「帰りたい」と思うようになります。
そして、そっと家を抜け出し、汽車に乗ろうとしたところを巡査につかまり、今の病院に入院させられてしまったのです。

病院にいる間も、僕は河童の国のことを想い続けていました。
すると、思いもよらない訪問者がやって来たのです。
それは、河童の国の友人・バッグでした。
なんでも、僕が入院していると聞いてお見舞いに来たと言うのです。
それからも僕は2、3日ごとにたくさんの河童の友人の訪問を受けました。

そして僕は今、ある河童の友人が河童の国の精神病院に入院していることを知り、S博士さえ承知してくれれば、見舞いに行ってやりたいと思って日々を過ごしているのです。

『河童』の名言


行はれない?だつてあなたの話ではあなたがたもやはり我々のやうに行つてゐると思ひますがね。(中略)――ああ云う義勇隊に比べれば、ずつと僕たちの義勇隊は高尚ではないかと思ひますがね。

常談を言つてはいけません。(中略)職工の肉を食ふことなどに憤慨したりするのは感傷主義ですよ。


作中、僕は街角で偶然みかけたポスターに驚きます。
その内容とは、健全な男女の河童の悪遺伝子を撲滅するため、不健全な相手と結婚しろというものでした。

人間の世界では、そんなことは行われないことを僕が友人の河童に話して聞かせると、その河童は、「令息が女中に惚れたり、令嬢が運転手に惚れたりするのは、無意識に悪遺伝子を撲滅しているためだ」と説きます。
決してそんな訳ではないと思うのですが、河童たちの目には人間とはそう映っているのでしょう。
何だか、人間の身としてはちょっと心外ですよね。

それにしても、芥川の描く河童たちはつくづく、恐ろしいですね。
職を失った職工河童の肉を平気で食するなど人間では考えられないことです。

これでは僕が河童の国にいることが憂鬱になるのもしかたがないですよね。

『河童』の感想

結局、「僕」は本当に河童の国に行っていたのでしょうか。
それとも作中のS博士がいう通り、事業に失敗して逃避に走っていたのでしょうか。
河童の国が逃避の末、辿り着いた逃げ道だとしたら、相当生々しいですよね。

しかし、食事中、工場をくびになって殺された河童の肉を勧められた僕が思わず逃げ出してしまった場面では、河童の国に親しみを覚え始めていたとはいえ、人間として受け入れられない部分があるんだなと読んでいて少し安心しました。

私は以前、フィッツ・ジェラルドの短編『ベンジャミン・バトン 数奇な⼈⽣』を読んだことがあるのですが、主人公が年々若返っていくという状況が、芥川の描く河童と似ているなと思いました。
調べてみると『河童』の5年前、1922年の作品なので、芥川が作品に取り入れた可能性はあるようです。実際にネットでそういう指摘をされている方もいました。



また、作中に登場する哲学者の河童・マッグの著書、『阿呆の言葉』という本が登場します。
芥川自身の著書には『侏儒の言葉』、『或阿呆の一生』というものがあり、自作のタイトルのパロディなのかなとクスリと感じられるところもあります。


(『或阿呆の一生』は、新潮社『河童』に同時収録)

『河童』と芥川龍之介

この作品は、芥川が当時の人間社会を痛烈に批判した結果生まれた作品だといわれています。
また、この作品の発表と同年、芥川が自殺しているため、芥川の自殺の動機にも大きく影響している可能性があります。

この作品が、芥川の晩年の代表作とされていることから、芥川の命日7月24日は「河童忌」と呼ばれています。