演劇の台本は読みにくい――。

小説にあるような情景描写は、ト書きとして最低限に書かれているだけで、細かな心理描写もなく、全てはセリフの内に表現されています。

人物の動きも、音楽も、照明も、大事なものは全て現場で作っていきますから、劇作の過程を知ってからでさえ、台本を読むのは難しいと感じます。

シェイクスピアが活躍した当時、お金に困った役者が台本を売ってしまわないように、出演シーン以外のページは渡さなかったと聞きますが(笑)、それでも舞台はできてしまうのですから演劇って不思議ですね。

書店に出掛けても、お目当てのコーナーはほんのちょっと。

ですが、有名な文豪たちも劇場の熱気を愛し、大変面白い戯曲を残しています。

今回は、カタカナの並ぶ外国作品よりずっと馴染みやすいと感じた、読書好きな私のおすすめする名作戯曲の数々をご紹介したいと思います。

一人芝居、会話劇、群像劇の順に、練習や発表会などにもちょうどいい、上演時間30分程の作品を集めてみました。

一人芝居


舞台上の何もない空間に、役者が一人登場し、身一つで劇世界を立ち上げる。

役者の夢です。

日本を代表する作家、三島由紀夫が文学座のアトリエ公演用に書き下ろした『船の挨拶』という一人芝居があります。

モノローグ一幕劇で、11ページの短い台本です。

なかなか書店などには置いておらず、私の手元にあるのは、図書館で借りてきた『決定版 三島由紀夫全集』(新潮社)の第22巻です。(21巻~25巻にかけて「戯曲」が収録されています)

決定版 三島由紀夫全集〈22〉戯曲(2)

『船の挨拶』

大きな船舶が行き来する航路に面した小島に、見張小屋が一つ。

山沿いにある灯台の下、岬と海をのぞむ見張り小屋の大きな窓から望遠鏡を一心にのぞいているのは、このお話の主人公・益田一郎。

若い灯台員で、船の出入りを電話で報告する仕事(港と船を取り次ぐだけの仕事)に寂しさが感じられますが、腕まくりした白いワイシャツ姿に、晴れ渡る空と潮風が心地よく、モノローグに多く見られるような、心情を吐露する切実さとはまた違った趣があります。

舞台装置もシンプルで、大きな壁板に掛けてある、三角定規、海上保安庁の制帽、鏡。

それから、机と椅子、帳面、電話機、望遠鏡。

学校などで上演するなら、ほぼ備品だけで揃ってしまうものばかりで、私も学生の頃、発表会で演出担当として参加した思い出があります。

制帽は、役者の子がどこからか格好いいのを見付けてきました。望遠鏡だけ手に入らず、新聞紙と黒いガムテープなどを三脚と組み合わせて、手作りしました。

基本的に、“ひとりごと”のお芝居ですが、帳面を読み上げたり、電話を掛けたり、ときには灯台に入ろうとしている子どもを叱りつけたりと、様々な表情が描かれています。

そして、迷い込んで来た蝶々に話し掛け、ついには船とその向こうに広がる海、港の人々、全世界への憧れをふくらませていきます。

「……何故だろう? 何故船は、俺に対して何の感情らしい感情も持たないんだろう。俺がここにちゃんといるのに。ここに一日、ちゃんと腰かけているのになあ――」


舞台上に海があるなんて、すごいことですよね。大らかに視界がひらけていく瑞々しいお芝居をぜひ。

会話劇


幕が上がるとすでに、舞台上は何事かが起きてしまったらしい空気に満たされていて、ぽつりぽつりと役者たちが会話を進めるにつれ、ことの成り行きが見えてくる。

長い人生――もしくは、長い一日のある瞬間を切り取ってくるところに、演劇の面白さがあり、観客は、その“途中から途中まで”を物語として垣間見るわけです。

「一体、何の話をしているのだろう?」と、行間を読む愉しみ…と言えば、ト書きにある“長い沈黙”が印象的な、岸田國士の戯曲が思い出されます。

有名な戯曲賞の名前にもなっていますので、ご存じの方も多いはず。台本も書店などで取り扱っています。

大正から昭和初期に書かれた60編をこえる戯曲のなかから、家庭内での普遍的な交流や、日常の些細な出来事を取り上げた『古い玩具』(岩波文庫)収録の馴染みやすい一幕劇2編をご紹介します。(どれも、映画を“活動”と呼ぶような時代のお話で、台本の仮名づかいが古いところも私は好きです)。

古い玩具―他五篇 (岩波文庫)

『紙風船』

文庫本で20ページ程。登場人物は夫と、その妻。晴れた日曜の午後に、結婚一年目の夫婦が暇を持て余しているお話。

小道具は、ちゃぶ台、編み物、新聞、紙風船くらいでしょうか。

どうやら、夫の方が友達の所へ出掛けようとしたことで、喧嘩になってしまったあとの静かな居間を舞台にこの物語は始まります。ぎこちない場面をなんとか取り繕おうと苦心するも、うまくいかない二人。

妻 「行ってらっしゃいよ、ね」
夫 「行かないよ」

完全に閉じられている夫婦の会話で構成されていますので、お互いにとって“当たり前のこと”は口にしません。ですから例えば、「お金がない」という事情を知らないと、何の話をしているのか分からないところなども沢山でてきます。

「また親子(丼)か」というセリフなんかは、滅多に食べられないからこそなんですが、その辺りの当時の感覚なども想像しなければなりません。

夫 「――もうぢき社長の家(いえ)が見える」
妻 「あれがさう、けちな家(うち)ね」

こんな言葉のニュアンスにも面白味があるのですが、実際細かすぎますよね…!

妻 「あたし、日曜がおそろしいの」
夫 「おれもおそろしい」

チェーホフ戯曲のような、「口に出すセリフ」と「内面」に“ずれ”のあるリアリズムからスタートするのですが、散歩に出掛ける話もまとまらず、後半ではなんと“日帰り旅行ごっこ”をし始める二人。

妻 「窓を開けて頂戴」
夫 「煤がはひるよ」

突然、汽車に乗り込んだ体(てい)で話が進み、それこそシェイクスピア戯曲のように、「月夜」と言ったらもう「月夜」なわけで、セリフの強度が急激に変わります。(セリフの信頼度と言い換えても良いのですが、そのセリフがどれだけ「内面」と“ずれ”ているか?その判断は、演技をする上で重要なポイントとなります)。

最終的に、二人してあくびをする静かな日曜の午後は、「あらッ」という小さな声と、閉じられていた家庭の外側から転がってくる「紙風船」によってゆるやかに弾かれて、ラストシーンの余韻へとつながる仕掛けになっています。

とても演じ甲斐のあるお芝居ですので、ぜひチャレンジしてみてください。

『葉桜』

こちらも文庫本で20ページ程。登場人物は母と、その娘。

小道具は、縫物、雑誌、化粧品。

開け放された窓から、葉桜の枝が覗いている四月下旬のあたたかな居間で、縫物をする母と、雑誌をめくっている娘が、お見合い相手の話をしているところから始まります。

結婚する気があるのかどうか…どうもはっきりしない娘の態度に、母は相手の男性とどんな話をしたのか聞き出そうとします。

母 「つまり、お前が好きだとか、嫌ひだとか、云いそうなもんぢゃないか」
娘 「そんなこと、云はないわ」

相手の愚痴をこぼす娘に対し、母の方も、じゃあ断ろうと言って、自分も相手方の態度があまり気に入らなかった話を始めれば、「母さんは、あの人、嫌いなんでしょう?」と、またはっきりしない娘。

娘はまだ、“自分のこと”で精一杯という印象で、母の方は、“母として”話している部分と、“女性としての経験”から話しておきたい部分とのあいだにせめぎ合いがあって、気持ちの高ぶりや、言い過ぎてしまっていることへの葛藤を感じさせます。

このお芝居にも、お互いがお互いを大事に思っていること以外、本心なんて誰にも分からない堂々巡りの会話が続くなかで、どろどろとした心理劇に落ちてしまわないための“仕掛け”がちゃんと用意されています。

最初に、葉桜の枝が覗いていた窓も、途中、話が険悪な方へと傾いて冷え込んでしまったのを感じた母が「窓を閉めておいで」と、娘に閉めに行かせます。

あるときは、会話の途中で縫物の一端を娘に持たせていたり、泣いてしまった娘に「顔をなおしておいで」と、鏡の所へ行かせたり――。向かい合ったり、離れたり、閉めさせた窓をまた開けに行き、桟に肘をついて背中を向けたまま話をしたり。

相手との距離や、座るときの角度の違いで、言葉のニュアンスまで変わってくるようです。

ちょうどいいコミュニュケーションなんて何処にもなくて、ぎりぎりのバランスを保つところで揺れている親子関係に、どうか奮闘してみてください。


その他にも、倦怠期の夫婦のもとへ、新婚旅行に行ったはずの妹が不満を抱えて訪ねてくる『驟雨』、朝の食卓で、夫が妻に今朝見た夢の話を始める『ぶらんこ』、自殺をしにきた二人の男が、線路脇で鉢合わせてしまう『命を弄ぶ男ふたり』、同じ男を好きになった二人の女が、相手はどちらを愛しているのかを話し合う『ヂアロオグ・プランタニエ』などなど、繰り返し上演されている短編の名作が数多くありますので、練習や発表会、読み物としても大変おすすめです。

群像劇


一人、また一人と、舞台上に人物があらわれては消え、薪をくべるたびに焚き火の炎が大きくなっていくように、舞台上の熱気もまた火柱へと成長していきます。

群像劇は、様々な人物の視点で物語が展開し、ミュージカルのようなアンサンブルともなると、上演に約1~2時間は要するものが多くなってきます。

今回は、なるべく短いものを…と思いまして、宮沢賢治の童話から引っ張ってきました『ビジテリアン大祭』(『新編 銀河鉄道の夜』収録 新潮文庫)をご紹介します。

宮沢賢治と言えば有名な童話作家ですが、社会風刺的でユーモラスな戯曲も書いています。

飢えに苦しむ兵士たちが、ようやく帰ってきたバナナン大将の身に着けているお菓子でできた勲章などを次々と食べてしまう『飢餓陣営』や、植物医師を名乗る男が、作物の相談にやってきた農民たちに、でたらめな診断をして儲けようとする『植物医師』など、短編コントのような作品もありますが、ここでは、私がどうしても気になっている『ビジタリアン大祭』をおすすめしたいと思います。

こちらは、戯曲ではありませんので大まかなあらすじ紹介となってしまいますが、私が観てみたい、演じてみたい作品のナンバー1なのです。

文庫本で50ページ程。上演時間は30分。(には収まらないかも…!)

『ビジテリアン大祭』

世界中から、ビジテリアン(菜食主義者)が集まる、このまことしやかなイベントに向けて、日本の信者代表だという主人公が港に着いたところから物語は始まります。

話に先立ち、主人公がビジテリアンについて、色々と解説をしてくれています。

ビジテリアンは大きく分けて、“同情派”と“健康派”に分かれること。さらに、実行の方法からは3つに分けられることなど、ビジテリアンの基本的性質が網羅されます。このあとの展開も、ほとんどはこの菜食主義に関した激論が交わされる「議論劇」となり、登場人物たちの主義主張が火花を散らします。

開催場所の教会に辿り着くまでの描写が、何ヶ所か「以下原稿数枚なし」の記載となっていますので、実際に舞台でできるのは、主に大祭の模様になるかと思います。

さて、大祭を目前に辺りは賑やかになっていきます。青空のもとに花火が上がり、ビラが配られ、バンド演奏が始まります。

こういう空気が、ぱっと舞台上に出現するのが愉しいですよね!

開催に際し、嵐のような拍手が巻き起こり、あまりの嬉しさに泣き崩れてしまった祭司長に代わって挨拶をした祭司次長曰く、“清澄なるニュウファウンドランド島で、九月の気圏の底に於いて析出した”今回のビジテリアン大祭――。

入口で配られたプログラム表には、「挙祭挨拶」のあとが、「論難反駁」と書かれています。

よくよく見ると、会場内に「異教徒席」なるものが設けられていて、異教徒(肉食主義者)たちも参加している様子。さっそく、一人ずつ壇上に立っては、自身の主義主張を論じていきます。

ここからは、ほとんどがセリフになりますが、そのレトリックと分量の多さに圧倒されます。

異教徒が「植物は消化に悪いので、病弱な者に与えてはならない」と言葉を尽くして論ずれば、主人公側の席から一人立ち上がり、「あくまでも程度の問題であること」を大変丁寧に述べていきます。

「食事は享楽である」という主張があれば、「感覚が澄んでくれば、菜食もまた愉快である」と、こう返すのです。

各々が話し終えるたびに拍手が湧き、攻守入れ替わりでこの論争は続きます。

「動物は、一種の機械に過ぎない」という説が出されれば、「動物にも感情があるとしか思えない」事例が列挙される。

こんな具合で、「肉食禁止は食料不足につながる」、「でも家畜の飼料が不要になる」、「植物に心はないのか?空気中のバクテリアは?」、「そうは言っても、常識的な差がある」、「生物学的に人類は肉食に適している」、「自然の摂理に反するのが文明である」、「収穫のために青虫を殺してもいいのか?」、「だから浪費を抑えている。極端に考えてもキリがない」、「全ては神の恵みであるので、両方食べればよい」、「全ての現象が肯定されるなら、このままでよい」、「仏教徒の菜食は自己満足である。釈迦は肉食を許したはず」――。

この辺りで、仏教徒であったらしい主人公がたまらずよろよろと壇上に立ちます。

「所説の誤謬を指摘せざるを得ない」と言い放つと、仏教の精神について語り、生物と生物の関わりについて大演説をやります。

最後には、有名な喜劇役者に似た男が登場し、顔を真っ赤にしながら「それなら君たちは、どうして羊の帽子をかぶるか」と叫び、会場は笑いに包まれます。

このあと、異教徒たちが次々に改宗したかと思えば、全てはベジタリアンたちが異教徒のふりをしていた余興だったことが明かされ、主人公は余りのあっけなさに幻滅し、ぼんやりと愚痴をこぼしながらこのお話は幕を下ろします。


難しい言葉も多いですが、絹糸を吐くような淀みのない言葉の数々と、汲みつくせないほどのあらゆる主張が入り混じったこの分量そのものが、作者の優しさだと私は感じます。

大祭の始まりに胸を躍らせ、大激論の末、幻想が壊れ、主人公がぽつんと佇む姿は、きっと演劇的な感動に包まれると確信していますので、ぜひ壇上に上がってみて欲しいと思います。

朗読劇という手もありますので、ご興味があれば作品は異なりますが、「学芸会におすすめ!宮沢賢治『猫の事務所』の朗読劇・演出のコツ」という記事を以前書いていますので、そちらをお読みください。

おわりに

今回、名前が挙がった作品の一覧です。

三島由紀夫
『船の挨拶』

岸田國士
『紙風船』
『葉桜』
『驟雨』
『ぶらんこ』
『命を弄ぶ男ふたり』
『ヂアロオグ・プランタニエ』

宮沢賢治
『飢餓陣営』
『植物医師』
『ビジテリアン大祭』

青空文庫で読めるものもありますので、戯曲作品だけを抽出した分野別リストへのリンクも貼っておきますね。http://yozora.main.jp/9/1/ndc912.html


一生忘れられない戯曲との出会いを、お祈りいたします。


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