演技の練習は孤独なものです。
稽古場で見つけられる課題は山ほどありますが、大勢の出演者がいるなか、限られた時間で一つ一つのシーンを立ち上げていくためには、そのほとんどの練習を一人で行い、稽古場に持ち込むことが求められます。
これは演劇に限ってなのかも知れませんが、「一瞬通り過ぎた人、後ろに座っていた人が良かった!」ということが起こりうるのがまた面白いところ。
本当は、一人だけ目立っても仕方ないのです。劇全体を押し上げる努力が必要です。それでも持ち込みの量が違えば、その差は歴然。主人公も通行人も関係ありません。
「舞台の上では、全員平等だよ」
これが演劇を始めて以来、演出から言われて最初にガツンと響いた一言です。
とことんやってみようと思ったら、一人でも、今すぐに始めることが出来ます。
演技の練習に近道はありませんが、本番の日が近づいてくる焦りのなかで、どこにエネルギーを注いでいくか。真剣にお話ししたいと思います。
セリフの練習
セリフの覚え方については、役者同士でもそんな話をしますが、人それぞれ違っていて興味深いです。何度も声に出して読んだり、文字にして書くことで覚えたりと、皆さん得意な方法があるようですので、ここでは触れません。(なかには、全員分のセリフを暗記していて、何かあったときは、一人何役だってやってみせましょう!という役者さんもいますので、ちょっと敵わないです)
セリフの練習となると、発声や感情表現へ関心が向くのではないかと思いますが、意外と知られていない大事な練習があります。
【手を動かさない練習】です。
ピンときますでしょうか?私が最初にぶつかった大きな壁です。
台本を手に持って、座った状態で練習している限り、気付くことさえ出来ない課題です。
台本を手から離したとき、どこにも掴まるところがない不安な状況で、手は動きたがります。
セリフに合わせて手を動かしていると、本当に安心なんです。
緊張感を和らげて、演技をしている気にさせてくれる。
上半身だけの説明的な演技を繰り返したくなければ、この安心感に立ち向かうしかありません。
①台本はどこか見えるところに置いて、まずは体をフリーにします。
②「座ったまま・立ったまま」セリフが言えるように練習します。
※手は縛り付けてでも、動かさない!
③慣れてきたら、セリフの途中で「座る・立つ・移動する」などの動きを入れます。
最終的には、台本の流れはあまり気にせずに、何か作業をしながらセリフを言えるようになると、思いがけず色々な可能性に巡り合えると思います。
「こういうセリフは、こう喋る」という思い込みから、なるべく遠くへ行きたいのです。
ここまでやってもまだセリフに合わせて手が動きたがるとすれば、その衝動を信じてみても良いかもしれません。
セリフの練習は、感情表現よりも、「どこに意識を向けるのか」が重要になってきます。
自分のセリフに意識が向いていると、良くも悪くも手が動きます。
心がこもっている感じがしてしまうんです。
「窓の外を眺めながら喫茶店でのんびり話す演技」。
「人混みで待ち合わせの時間を気にしながら話す演技」。
その違いはどこにあるのでしょうか。
手を動かして、同じような演技をしていたのではもったいないです。
「意識を向ける範囲」をひろげ、自由に切り替えたい!
必要なものはただ一つ。想像力です。
心はほっといても動きますから。
状況を想像する
状況を想像すること。
これが、演技をする上で最優先の課題です。
舞台の上に立つと緊張しますよね。
それが何故なのか考えたことはあるでしょうか。
人に見られているから?
どうしていいのか分からないから?
失敗が恐いから?
色々な理由があると思いますが、全ての共通点とも言える答えを、とりあえず一つ見付けました。
「暇だから」です。
これは真面目な話。想像力が追いついていないと、舞台に出て行ってもやることが無いから余計な緊張をするんです。
どんなにベテランの役者でも、本番前の幕裏では、いつも緊張で青ざめています。
ところが、舞台に一歩出るとその緊張が吹き飛ぶのは、「忙しくなるから」。
セリフや段取りのことを言っているわけではありません。やることが多いんですよ!
「舞台に出て行って、立ち止まる」。
まず、これだけで大仕事。
その空間に何があるのか?
自分の立ち位置は?
物や相手との距離は?
頭がフル回転を始めると、緊張している暇がなくなります。全ては思考です。想像力です。0から1へ。
試しに外へ出て、歩道からも壁や木からも中途半端な距離にある、「普通は立ち止まらないような所」に立ってみてください。
不安な気持ちに襲われるはずです(笑)。
これが緊張の正体だと思ったんです。
自分の体って、思っている以上にせわしなく動いていて、待ち合わせの誰かを探しながら、通行人を気にしつつ、無意識に「居やすい場所」を探している。
何も想像せず、無防備に舞台へ出ていくということは、「普通は立ち止まらないような、何もない空間」で立ち止まるようなものです。
これは居心地が悪い!
(のら猫はなぜか、中途半端な場所に平気で座っていますね。猫を演じるなら、また違う演技になるでしょう)
照明の当たる位置や、客席も意識しなければなりませんので自由は限られています。
でも、決められた位置へすっと出て行って、ただ立ち止まるのでは不誠実だから。
いかにして段取りだと感じさせないか。
これだけのために、心血を注いでも良いんです。
映画界の巨匠・小津安二郎監督は、ちゃぶ台から立ち上がるシーンのために、丸一日を費やしたことがあるそうです。この短いシーンに手間ひまをかける。決して、次のシーンに繋ぐだけの段取りにはしません。贅沢ですよね。
理想は高く持ちたい。全てのシーンが面白くなくちゃいけないと本気で思っています。
芸とはそういうものです。
途中から見ても、ストーリーが分からなくても、面白いものを。
その手掛かりとして、ゴールではなくスタートとして、想像力が必要なんです。
部屋に入る練習
ダンスの練習でも、殺陣の練習でもありません。
【部屋に入る練習】です。
やったことはあるでしょうか。
これこそ、アクションです。
これなら家で一人だけでも出来ます。
①あまり深く考えず、今帰って来たと思って部屋に入ってみる。
慣れ親しんだ部屋のはずなのに、途方に暮れませんか?
舞台の上で緊張するとは、そういうことだと思います。どうして良いのか分からない。
②そこで、何かキャラクター設定をしてみる。
何が思い浮かぶでしょうか。
生い立ちや職業。抱えている悩み。目標。
これは、台本に書かれていない場合、自分で考えてくるように言われる項目です。
ほとんどの役者がしっかり考えてきていて、質問すれば即座に答えられる。
「遠方より、出張ついでに久しぶりの帰省。まだ付き合ってもいない幼馴染との結婚を考えている。ちょっと無神経だけど優しいところもある。なかなか決心がつかない」
設定をいっぱい考える。
ところが、演技に一切反映されないという問題が発生してきます。
何か思い詰めた表情はしているのですが、何をしているのか分からない。
頑張って考えてきたのに、どうしてそうなってしまうのでしょうか。
それは、過去にとらわれているからです。
どんなに自己紹介を考えてきても、部屋に入ってくつろぐことは出来ません。
③こうなったら、状況を設定してみる。
自己紹介よりも大事なことがあります。
季節です。
曜日です。
時間です。
つまり、今です。
「長旅からやっと帰って来た。こっちの方が寒いな。懐かしいにおいがする。静かだな。誰もいないのかな?こっちにもいない。連絡してみるか。いや、面倒くさい。ちょっと横になろう。仕事まで3時間はあるな。寝ちゃうとまずいし。はぁ、それにしても自分は…」
目で見て、肌で感じる。
これが、最低限の演技です。
①から③の順番にしたのは、自分の持ち込みが演技にどう影響するのか、その違いを知るためです。
「玄関のチャイムが鳴る。はっ。やばい、寝てしまった。お母さ〜ん!あれ、いないんだっけ?お母さ〜ん!?ああ、面倒くさいと思いながら、立ち上がり部屋を出ていく」
これだけやることがあれば、緊張している暇はありません。
部屋に入ってきて、そして出ていくアクション!
舞台上に人が現れては消えるのが面白いのですから。
立ち止まる練習
部屋の中で、自由に動けるようになったら、今度は舞台の上を想像します。何もない空間に、自分の居場所を作ってみてください。
【立ち止まる練習】です。
どこか知っている場所でも、台本上の場所でも構いません。
とにかく場所を想像して入ってくる。
まさか、一人の時に部屋の角を向いて座らないじゃないですか。
でも、部屋に二人いて、険悪な雰囲気であれば、それもあり得ます。
①まずは、きっちりと状況を想像する。
今現在の状況から、必然的に立ち位置は決まってきます。
時間はあるのか無いのか?
好きな場所なのか、嫌いな場所なのか?
くつろげる場所はどこなのか?
誰かいるなら、その人との関係は?
ちゃんと客席から見える位置かどうかも大事です。
②そこに、居続ける。
立ったままなのか、座るのか、横になるのか。
普通にそこに居て、普通に考え事をする。
これが出来て、初めてセリフが言えるのです。
③自分の肩と相手の肩の間に、「糸が張られている」と想像する。
※横に並んだ時に、近い方の肩同士が結ばれているイメージです。
これは、何の本で読んだのか思いだせないのですが、相手との距離・関係をあらわすイメージとして、ずっと頭の中に残っている言葉です。
言わば、緊張の糸ですね。
一定の距離を保てば、その糸はぴんと張りますし、近づけばだらりと緩みます。
登場人物が一人で、例えば、自分の居場所から電話が鳴るのを待っているのであれば、その対象物とのあいだに、緊張の糸がイメージ出来ます。
相手や、対象物と向かい合っているのかも知れませんし、横並びだとすれば、たった一歩、相手側の足を前に出して、そのまま同じ側の肩も前に入れて、その肩越しに相手を見る。
ただそれだけで、緊張感がぐっと高まるんです。
一人で練習する時は、相手や対象物の位置を想像するか、実際に物を置いてみて、キャッチボールの壁としてではなく、緊張の糸を結んだ状態で練習してみて下さい。
今、そこに居て、何かを意識するための練習です。
これを、ほとんど無意識レベルで出来るように、体に馴染ませるために、繰り返し練習をするのです。練習が足りず、無理やり実感しようとすればするほど、全ての演技が遅れをとることになってしまうので。
後ろに立っているだけの役
主人公の付き人として、後ろに立っているだけの役を演じたことがあります。
これ、急遽出演が決まりまして、台本には無い役だったんです。後ろに付き人が立っていた方が、シーンの見栄えが上がるだろうと(笑)。
自由にやって良いとのことでしたが、台本無しの、セリフ無し。主に立っているだけで、シーンのグレードを上げてくれと言われているのですから焦りました。主人公にくっ付いているので、出番がまた多い。
私がまずやったことは、ひたすら主人公たちのやりとりを、熱心に聞くことです。
役者としては、リアクションの一つもとりたいところでしたが、自分が動くとシーンのバランスが崩れることが分かったので、じっと耳を傾け、舞台上の集中力を高めるためだけに立っていました。
話の渦中にいるわけではないのに、確かにそこにいて、シーンを支えているという距離感覚の難しさ!緊張の糸の張り具合ときたら!
それを何とか探りながら、次に取り掛かったのが、場所を作ること。
自分が場所になろうと思ったんです。
主人公は、画商のような、ちょっとセレブな階級の人間でしたので、付き人がふにゃふにゃしているわけにはいきません。
私は猫背気味なので、これではマズいと思って、お財布と相談しつつ、時間がある時は、美術館で一日を過ごしました。礼儀正しくシャンとした振る舞い方を体に染み込ませるためです。
(ちなみに、絵画鑑賞は演劇のシーンを考える上でも、構図や照明、人間関係など、物凄く刺激になります。私のおすすめはフェルメール)
また、夜更けには近所の大きな公園に通いまして、ひたすら立っている練習をしていました。これは恐かった。
「ある晩、だだっ広い場所に呼び出されて、ひと一人の命が奪われようとしている」
そんなシーンがあったからです。
鬱蒼とした木々のざわめきや、時折聞こえる鳥の羽ばたき、ガサガサっと何かが通り過ぎる気配。
そんな場所で、いかにも悪い予兆が漂うなかで、気を張って付き人としての仕事をしなければならない時、体の意識はどこに向くのか。その感覚を養うために、ひたすら立ち続けました。
「今、現在」をはっきりと想像・体感しながら、自分が置かれている状況に対して思考を巡らせていれば、演技がストップすることはありません。
たしか、「ホテルマンの心得」というような勉強までした記憶があります。
少しでも、自分を超えた魅力的な人物に近付けるために。
どんなに練習したって、全部自分のなかだけの勝手な想像で終わってしまうんじゃないかと、正直不安でした。
けれども、実際に本番を終えると、スタッフや共演者、観に来て下さった方々にちゃんと響いていたようで、大変なご好評をいただきました。今ならもっともっとやれたはずとも思いますが、苦労して練習した甲斐がありました。
真の演技
想像はスタートです。
私たちが、芸術家の端くれであるならば、日常の再現で終わってはいけません。
誰もが、当たり前過ぎて見落としていることを。
劇を観て初めて感じたはずの心情を、「ああ、この気持ちだ」と驚きと共に感じてもらいたい。
それは例えば、セリフのはしばしに。振り返る一瞬、情緒のゆらぎのなかに。指先の所作に。見事な立ち居振る舞いに。
「人が歩く姿って、こんなに美しかったか」と。
今でも鮮明に覚えています。
実際には存在しないグラスでウィスキーを飲むシーンを、私は客席から観ていました。
そのシーンが抱えている不安と、手のなかにあるグラスの重さが妙にマッチしていて、生々しくこちらに伝わってくる。そして、役者の小指がかすかにグラスに触れたとき(確かに触れたんです)役者の体を通じて、私の肌に電流が流れてきた。
あんなことは、実際にグラスがあったとしたら起きなかった!再現された真(まこと)よりも、嘘から取り出された真のほうが、きっと純度が高いのです。