「はい!」
の掛け声と共にいきなり始まる即興劇。
部活でも、スクールでも、現場でも、頻繁に目にする光景ですが、苦手で苦手で仕方がないという役者さんも、実は多いのではないでしょうか?

役者なんだから苦手じゃ困るだろう…と思うかも知れませんが、即興劇が得意なことと、演劇に必要な即興性とを、イコールで結ぶのは少し強引です。

舞台本番後に、お客さんから「アドリブで演じているんですか?」となぜかよく質問をされる私ですが、間違えていなければちゃんと台本通りですし、なにより即興が大の苦手なんです。

では、演技に必要なアドリブ=即興性とは何でしょう?
無理のないエチュードのやり方をご紹介しつつ、改めて考えてみたいと思います。

■ 目次

即興劇とは?

演劇を続けていますと、「即興」に関する言葉がたくさん飛び出しますので、最初に整理しておきますね。

テレビなどを通じて一番よく耳にする言葉は、「アドリブ」でしょうか。

大方のイメージ通り、その場その場の即興的な言動を表しますので、「即興=アドリブ」という使い方で問題ありません。

全く設定が無いか、一部のセリフ、シチュエーション、目的などを決めて、台本の無い状態で行われる劇が「即興劇=アドリブ劇」です。

次に、「エチュード」というと、音楽に詳しい方ならすぐに「練習曲」をイメージするかと思います。

即興的に劇を行うことを「エチュードをやる」と表現しますので、「即興劇=エチュード」という使われ方が多いですが、「練習用」の含みが強いため、お客さんを前にして「即興劇をやる」、「アドリブ劇をやる」という言い方はあっても、「エチュード劇をやる」とは言いません。

また、同じ「即興」の意味で、「インプロビゼーション」という言葉もあります。
これは、「インプロをやる」、「インプロ公演をやる」という使われ方をします。

何が違うかと言いますと、とても単純なんですが、「インプロ」は英語です。「エチュード」はフランス語です。例えば、演劇講師がどのルートで演劇を学んできたのかが、使う言葉に表れてくる部分でもありますので、調べてみるとちょっと面白いですよ。

因みに、「アドリブ」はラテン語です。
そして、ここからが重要なんですが、最初から最後まで台本通りの演技だとしても、「アドリブではない瞬間」など舞台上には存在しないのです。

即興の心得


エチュードが得意な役者さんの中には、台本にないことをやるのがアドリブだと思っている方も多いようですが、舞台上で行われる全ての演技は、シーンを繰り返すたびに、毎回毎回、即興的に創造されるものです。

ですから、一にも二にも演技に必要なのは、台本の読み取りなんです。

台本をベースにして、上手くいかないところ、不十分なところが出てきて始めてエチュード=練習を行えば良いのです。

そうでなければ、即興劇なんて完璧に劇作家の仕事ですから、役者が挑むには難し過ぎます。確かな指導者とセットになってやっと実現できる高度な方法だと思ってください。
ほんと、できなくていいんです。


エチュードの目的を間違ってしまうと、ほとんどの場合、ただ間(ま)を埋める為のもの、設定を話し続けるもので終わってしまいます。とりあえず成立させることが目的になっているわけですから当然ですよね。

さらには、誰かが可笑しなことを言ったり、言い淀んだり、はたまた暴走したりと、そのハプニングによって盛り上がってしまい、演劇とは関係のないところに着地します。

こんなことで、間違った賞賛や、必要のない挫折といった悲劇を招くのはもったいないです!

(エチュードを恐いと感じてしまう役者さんや、エチュードは得意だけど、結局、台本のある演技が上手くいかないと悩んでいる役者さんが多いんですよ…!)


演技は、アクションです。
身を持って体現するのです。

台本に書かれていることを、単純な心情だけで押し切らないこと。
とんでもなく複雑に動いている世界と、子どものような真剣さで関われるなら、エチュードは必要ないんです。

エチュードの実践

とは言え、闇雲なエチュードが氾濫しているのが実情ですから、エチュードのやり方をしっかりと考えてみましょう。

エチュードが苦手な役者さんは、「エチュードが苦手」ではなく、エチュードの「何が」苦手なのか、はっきりさせる必要があります。

◎セリフが全く出てこない。
◎面白い設定が思いつかない。
◎緊張で震えてしまう。

色々とあるかと思います。
私は全部当てはまりますね。笑

エチュードとは、会話を続けることではありませんので、セリフなんか思いつかなくても全然大丈夫です。

間を埋めるだけで良いなら、何だってできます。話しが続かないのなら、黙ってうつむいて、服に付いた毛玉を取ってたって構わないのですから。


言葉は、心配しなくても勝手に生まれてきますので、まずは状況を設定してみましょう。面白い設定など要りません。発信よりも、受信です。周りの方に意識が向くと、自分に向いていた意識が弱まり、緊張もほぐれてきます。

例えば、話の展開に困ったら、「あれ?荷物どうしたっけ?」とつぶやき(相手役に聞こえなくて良い)、稽古場に来るまでに通った場所を、頭の中でさかのぼってみます。

そんな心配をしながら、相手役にも集中する。そうやって負荷をかけることで頭が回り始めると、余計な力みが消えて、なぜか体の方はリラックスしてくるのが分かると思います。


ただ、エチュードは繰り返してこそ意味がありますので、状況設定を少しずつ変えながら、演技がどのように変化するのかよく観察します。

空気の質がガラリと変わる瞬間、そして俳優たちの劇的な瞬間を探すのです。
その辺りを見極めて、止めるのか、続行するのかを判断することも、大事なポイントになりますので、見る側にもよっぽどの集中力が必要です。

静かなエチュード


まずは場面を設定してみましょう。

神様だって、光と影、空、海の順で創ったと聞きます。
魚から創ったら、あとが面倒ですよ。

キャラクターを中心に状況設定してしまうと、無理やり行動を起こさなくてはなりませんので、まずは明確な場所を設定し、そこに巻き込まれていくことが大切です。


「真冬の朝」なんてどうでしょうか?

ストーブを点けて、段々と部屋があったまる。
「あったかい」のセリフが出たら終了。

何人でやっても良いので、空気の質が変わっっていくのを体感してください。


一転して、「灼熱の砂漠」。

ギラギラと照りつける太陽。
足もとには砂が絡みつく。
(水音、エンジン音、砂嵐など)何か一つの音に耳を澄ます。
「何の音・・・?」のセリフが出たら終了。

上手いも下手もありません。わずかな入力の変化が、演技にどう作用するのか分かれば大収穫です。ジェスチャークイズではありませんので、見せることではなく、感じることだけに集中しましょう。慣れてきたら、色々な状況設定をしてみます。


「美術館の中を歩く」。
これも立派なエチュードです。人数が多いとやり易いかな。

「美術館」から外へ出るところまでやれると、姿勢や足取りの変化にも気付けて面白いです。
「水中」なんかも良いですね。

「火事」とか、「葬儀場」とか、極端に刺激の強い場所だと難しいかも知れませんが、なるべく大勢でやると、場の空気が一変するのが分かるでしょう。


事故現場に人が群がっているとき、例え現場が見えなくても、後ろから近づいただけで空気って変わりますよね。舞台上でも、お客さんをひっくるめてそういう事態が起こるんです。

空気の質を意識して、改めて台本と向き合うことが目的です。

動きのエチュード


劇的な瞬間と聞いて、私が思い浮かべるのは「バランスをとる」ことです。

「船の上」のエチュードは有名ですね。
決まった範囲を「船の甲板」に見立て、床が傾かないようにみんなで動き回るだけです。


他にも、演劇界の巨人と称されるピーター・ブルックのドキュメン映画(『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』 2012年 仏・伊)に、「タイト・ロープ」というのが出てきますが、これは「綱渡り」のエチュードです。



もちろんただの床で行います。「綱」をイメージして、その上を歩いて渡るのです。
うんと高い場所、激流、燃えさかる炎など、見下ろす景色を次々に変えながら練習したことがありますが、想像以上に恐いです。

軋みをあげる綱、足先の感触、体がぐんと沈み込み、腕が空を切ります。
人から言われて気付いたのですが、条件を変えたときの演技の違いが、はっきりと見て取れたそうなんです。

イメージを体感することに精いっぱいで、動作自体はほとんど変えずにやったつもりでしたので驚きました。誰かに見てもらうことは本当に大切ですね。動きのエチュードを通して、劇的な瞬間をみんなで探してみましょう。

「物を投げ合う」とか、「重いものを持ち上げる」なんて、まさに劇的です。
「風に飛ばされた帽子をキャッチする」、「みんなで力を合わせて岩を動かす」。
それだけで忘れられないシーンが生まれそうです。

まず初めに、そういうシーンを良いなあと感じる。
それから、運命の出会いだとか、敵対する者同士の協力だとか、キャラクターや細かい設定を重ねていって、ドラマチックに仕立てていくのが劇作です。

エチュードで困ったら、「こぼさないように運ぶ」、「走り出す」、「転ぶ」、「ふり向く」なんて動作を入れてみてください。台本でうまくいかないシーンを、あえて「揺れる船の上」でやってみるのも良いでしょう。

舞台上の一歩は大きいのです。きっと何かが変わりますよ。

会話のエチュード

誰だって、思いついたことをぼそぼそと発声すれば普通に話せます。
それではお客さんに聞こえないので、いざ大きな声でやろうとすると、途端に普通の会話じゃなくなっていきますよね。

力みが生まれて、いかにもわざとらしい声になってしまう。
そんな時は、「大きな声を出さざるを得ない」という状況を作ってみましょう。

「後ろを電車が通っている」とか、「道路を挟んで会話している」とか、何でも構いません。

そういう状況を想像したら、あとは普通に話すだけです。難しかったら、「え〜!?聞こえな〜い!」と言ってみる。

そうやって、空気の質を変えていくことで、特別な発声など意識しなくても、力みのない声が出せるようになります。エチュードを通して、大きな声で普通に話す感覚を掴めたら儲けものですね。


リラックスをする訓練というのももちろんあるのですが、イメージによって力加減を分散させて、力みの少ない演技に一気に到達できることって結構あるんですよ。

「舞台全体に意識を働かせて」と急に言われても難しいですが、「雨が上がったことを確かめるように」と言われたらどうでしょうか?


対立のエチュード


海外の劇作家・演出家でありますジェラルド・チャップマン著『子どものための劇作レッスン』という本に書かれている「対立」の構造を持つエチュードが、とても魅力的でしたのでご紹介したいと思います。



この本でも、エチュードのポイントとして、「シンプルであること」、「時間は短くやること」などがあげられ、キャラクターよりも状況設定を重視しています。

また、即興は「劇作」の練習に非常に役に立つという考えから、「劇作家」のためのエチュードとしても行われているようです。

例えば、「だれかと会い、その人物と意見が対立する」というもの。

最低限の状況と、アクションが指示されるのみです。人の出入りによってシーンに勢いを持たせるために、掛け声では始めず、登場するところからやるそうです。

難しく考える必要はありません。この本の中では、二人の生徒が登場し、すれ違いざまに片方がにこやかに「こんにちは」と言い、相手が「フン」と無愛想に応じたことで、シンプルでいきいきとした劇的なシーンが生まれたそうです。


それから、もう一つ。
「椅子の塔」と呼ばれるエチュードがあります。

椅子を高く積み上げて、その「塔」に向かって感情を吐き出すというもの。
普段、口答えもできず、怒りや不満を感じている相手としてです。
何人かで、一人ずつ順番に行います。


通常、ネガティブな感情のやりとりは、確かに白熱こそしますが、勢いに乗って罵り合った結果、劇的な瞬間はとうとう訪れず、ただ嫌な気持ちになって終わることも多いです。

その点、このエチュードの主役は「塔」です。
見る側も、役者ではなく「塔」に意識を集中します。


実際にやってみると、不安定な「塔」が少しずつ怒りを吸い込んで、悪意を帯びてくるのが分かります。相手が壁だと、跳ね返ってしまってこうはいきません。

うまくいけば、「塔」に溜まった怒りや憎しみがピークに達する頃、耐えきれずに誰かが手を出してしまうことによって「塔」がぐらりと揺れ始め、最後には崩れ落ちるという劇的な瞬間が訪れます。

この本の中で、ある少年が、小声で何かつぶやきながら、椅子を軽くひっかいた後、「塔」の下を軽く蹴ったときの緊張感は、圧倒的だったそうです。

「塔」の恐ろしさに気付かず、怒鳴ったり、すぐに手を出したりして、単なる憂さ晴らしのような状況になると、劇的な瞬間は遠ざかり、いつしか「塔」の悪意は停滞してしまうのですが、少年のかすかな言動が、それを突き崩すという劇的な瞬間を生んだんですって。


そして、どのエチュードでもその演技の良し悪しを判定するのではなく、「劇作家」の立場からシーンを「書き直す」つもりで、何度もシーンを繰り返し、みんなでディスカッションを行うことが、ここでも求められています。

おわりに

私たちは日々、決まりきったやりとりを真剣に繰り返しています。それでも、ちょっとずつ昨日とは違うところに物語があって、ささやかな即興劇を演じ続けているのです。

言動に負荷をかける、同時進行のエチュード。
場面設定をして、空気の質を感じるエチュード。
綱渡りなど、バランス感覚を養うエチュード。
力みのない声で会話をするエチュード。
「椅子の塔」など、対立のエチュード。

今回ご紹介したエチュードが、新たな気持ちで台本と向きあうきっかけになればと思います。
演劇は、登場人物がいて、物語があって、セリフが決まっています。それを、幕が開くたびに天地創造からやり直すように、音が変わり、明かりが入り、人が現れると、真っ暗で冷たかった舞台に、豊かな気配が蠢き始めます。

そう言えば、「ドラマ」という言葉の語源は、ギリシャ語で「行動」だそうです。
物語がわけも分からず動き出す瞬間を、私は「劇的」と呼んでいます。


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