ピアノはどの楽器よりも幅広い音域を持ち、「楽器の王様」と呼ばれるまでになりましたが、発明された当初は音域が現在ほど広くありませんでした。
年代が進むにつれてだんだんと音域が広がっていき、現在の88鍵になりました。現在はこれ以上の鍵盤数を持つピアノも存在しますが、通常のピアノはこの音域までとなっています。
現在の技術を持って開発や改良に取り組めば、もっともっと音域は広げることが可能のように思いますが、なぜそうならないのでしょう?
今回はそのようなことにも触れながら、鍵盤数がどのように増えて行ったのかを見ていきたいと思います。
■ 目次
ピアノが発明された時の鍵盤数
ピアノはフィレンツェのメディチ家に仕えていた楽器製作者のクリストフォリ(1655~1731)によって発明されたイタリア生まれの楽器です。
クリストフォリは元々チェンバロの修復、作成、改良などを行っていました。そしてその豊富な知識と経験を活用しチェンバロとは違ったアクションを作り出すことに成功しました。1700年までにアクションを完成させ、新しい楽器を作り出しました。
クリストフォリが作った新しい楽器はチェンバロと同じ鍵盤楽器ですが、チェンバロとは発音構造が全く異なります。
チェンバロは弦をはじいて音を出す撥弦楽器ですが、クリストフォリが新しく作り出した楽器は弦を叩いて音を出す打弦楽器です。
現在のピアノの基本的な構造はこの時にすでに完成していたそうです。この新しい楽器は小さな音も大きな音も出る画期的な楽器という意味で「グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」と呼ばれるようになりました。
それが「ピアノフォルテ」や「フォルテピアノ」のように省略されるようになり、最終的にはもっと省略されて「ピアノ」と呼ばれるようになりました。(現在でも楽譜にピアノのパートを示す場合にpfと表記します。)
私達は様々な鍵盤楽器があることを知っていますよね。オルガン、チェンバロ、ピアノの音がどのようなものなのかをすでに知っているので、楽器を見ただけで、どんな音がするのか想像が出来ます。
しかし、ピアノが発明された当時の人達は当然ながらピアノのことを知らないわけです。それまでにあったチェンバロやクラヴィコードの音色に慣れ親しんだ人達にとって新しい楽器であるピアノの音色は不思議なものだったのではないかなぁと想像します。
クリストフォリが発明したピアノは作曲家やピアニストなどの要望や意見を取り入れながら、楽器製作者が改良を加え、進化していき、現在の姿になりました。
クリストフォリがピアノを作った時の音域は49鍵(4オクターブ)だったようです。現代のピアノは88鍵(7オクターブ+3音)なので、発明されたばかりのピアノは現在のピアノに比べてかなり音域が狭かったことがわかります。
発明された時のピアノと現代のピアノの違いは音域だけなく、ハンマーにも違いがありました。現代のピアノのハンマーはフェルトで出来ていますが、クリストフォリが作り出した当時のピアノのハンマーは羊皮紙を筒状に丸めたものだったそうです。
クリストフォリが作ったピアノは3台現存しています。日本に実物はありませんが、復元されたものがあるようです。クリストフォリのピアノの音を聴いてみましょう。
復元されたクリストフォリのピアノ
音を聴いてみていかがですか?ピアノと言われて私達が想像する音とは違い、チェンバロに限りなく近いという印象ではないでしょうか?
こちらの動画では中のハンマーの動きがわかります。
音色はチェンバロに近いという印象ですが、発音構造はやはり違っていますね。動画を見るとわかるように下から弦を打って音を鳴らしています。
鍵盤から手を離した時にチャッと音が鳴るところが現代のピアノと違うなと感じ、チェンバロっぽさが残っているなと私は思いました。
チェンバロの音も聴いてみましょうか。
このように聴き比べてみるとクリストフォリのピアノは、チェンバロとは違う響きなんだなということがよくわかると思います。
クリストフォリがピアノを発明してすぐにピアノが鍵盤楽器の主流になった訳ではなく、チェンバロやクラヴィコードなどの楽器と共存する形で時代が進んで行き、徐々にピアノが主流になっていきました。
その過渡期の時代を経験したのがハイドンやモーツァルトなどの古典派時代の作曲家達だったのだろうと思います。
バッハも新しいピアノという楽器に興味を持ち、試奏しているようですが、初めは批判的だったそうです。その後、改良されたピアノに対しては満足していたそうなのですが、新しい楽器よりもオルガン、チェンバロ、クラヴィコードという慣れ親しんだ楽器の方が好みだったのかもしれません。
この動画ではフォルテピアノと現代のピアノの聴き比べができます。
全然違いますねー。ピッチも全然違う!!ピッチが現代のピアノよりも低いということもあって、全体的に落ち着いた柔らかい印象になる気がします。
時代によって音域がどんどん広がっていく
クリストフォリがピアノを発明した1700年頃には4オクターブしかなかった音域が1800年頃には5オクターブ半、1815年頃には6オクターブに広がりました。
こうした音域の広がりと改良は多くの作曲家達の創作意欲を刺激したことでしょう。楽器製作者達も作曲家のさらなる要望に応えられるようにと現状に満足することなく突き進んで行ったのだと思います。
年代、音域、その頃に活躍していた作曲家を表にしてみるとこのようになります。
1700年頃 | 4オクターブ | 【バロック時代1600-1750】 バッハ(1685-1750) |
1770年頃 | 5オクターブ | 【古典派1750-1820】 ハイドン(1732-1809) モーツァルト(1756-1791) |
1800年頃 | 5オクターブ半 | 【古典派】 ベートーヴェン(1770-1827) |
1815年頃 | 6オクターブ | 【ロマン派1820-1900】 ショパン(1810-1849) リスト(1811-1886) |
1850年頃 | 7オクターブ | 【ロマン派】 リスト |
1860年頃 | 7オクターブ+3音 (現代のピアノと同じ88鍵) | 【近現代1900~】 ドビュッシー(1862-1918) ラヴェル(1875-1937) |
1830年頃プレイエル
1837年製エラール
1911年製エラール
プレイエル、エラール、ヤマハピアノ聴き比べ
年代を追って音を比べてみると現代のピアノの音色にだんだん近づいて来ているということがよくわかりますね♪
現在のピアノの鍵盤数
現在の通常のピアノの鍵盤数は88鍵(7オクターブ+3音)となっていますが、これよりも音域の広いものも作られています。私が実際に見たことがあるのはベーゼンドルファーのインペリアル97鍵(8オクターブ)です。通常のものより増やした低音部分の白鍵が黒く塗ってあります。
https://www.boesendorfer.com/ja/pianos/pianos/Concert-Grand-290-Imperial
私は実際に弾いたことがないのですが、昔に少しだけ習っていた先生のレッスン室に置かれていたのがこのピアノでした。低音部分が黒く何だか威圧感があるゴツいピアノという印象がとても残っています。
この他にも鍵盤を通常よりも増やし、音域を広げているピアノが続々と登場しているようです。スチュアート&サンズというオーストラリアのピアノメーカー(1990年設立)が108鍵のピアノを2018年に制作しているようです!こちらが現在のところ、最も音域の広いピアノだと思われます。
通常のピアノ鍵盤数が88鍵でそれ以上なかなか増えていかないのは、人間の耳が音程としてちゃんと聴き取れる範囲が決まっていて、88鍵以上の音は認識しにくいからだと言われています。
確かに最低音と最高音は他の音域よりも聴き取りにくいですよね。それ以上の音となると何の音かわからないと思います。
追加された鍵盤や弦は弾くというよりは共鳴させるという目的のために追加されたものなので、実際に弾くということは、ほとんどないようですね。
日本はピアノの生産台数が世界一
日本にピアノが入って来たのは江戸時代後期のことで、ドイツ人の医師シーボルトが持ち込んだものが日本最古のピアノと言われています。
シーボルトが持って来たピアノは彼が帰国する際に親交のあった熊谷五右衛門義比(山口県、萩)に贈られ、現在も萩にある熊谷美術館で保管されています。
その後、明治に入り「音楽取調掛」が作られると、それをきっかけにして西洋音楽が日本へ本格的に入ってくるようになります。音楽教育をするためにオルガンを輸入し、小学校に配置していきました。
そのオルガンが壊れてしまい、修理が必要になりました。その修理を任されたのが山葉寅楠さんです。この山葉さんがお気づきの通りYAMAHAの創業者です。
彼は時計や医療機具の修理など機械を修理する仕事をしており、その時に働いていた浜松でオルガンの修理を依頼されたのです。このオルガンの修理が全ての始まりでした。
そのことをきっかけに自分の手でオルガンを製作することを決意し、オルガンをつくる製作所を立ち上げます。その後、国産のピアノを作ることに力を注ぎ、1900年にはアップライトを製作し、2年後にはグランド・ピアノを作り始め、その後の西洋音楽の普及と楽器の普及に大きく貢献しました。
そして現在では世界最大の楽器製作会社になりました。
ヨーロッパでは長い年月をかけて少しずつピアノに改良を加え、成長させてきましたが、日本はピアノというものが完成された状態で楽器と出会っています。そのようなことがあるので、歴史はヨーロッパに比べてとても浅いですが、短期間に急成長することができたのかもしれません。
もちろん、この急成長は技術者さん達による努力によるものも、とっても大きいと思います!!
日本のピアノメーカー『YAMAHA』と『KAWAI』
日本のピアノメーカーと言えば、「YAMAHA」と「KAWAI」ですよね。
実はカワイはヤマハから独立した河合小市さんという優秀なピアノの製造技師さんが創業された会社なんです。河合さんの独立は面倒を見てくれていた山葉寅楠さんを裏切ったというものではありません。
創業者である寅楠さんが亡くなった後に、会社の経営が上手くいかなくなった時期があり、その時に会社内で対立が起こったそうです。その対立によって寅楠さんの意思を継いだ天野社長が辞任する事態となり、その時に河合さんはヤマハを去ったのです。
詳しいことはよくわかりませんが、河合さんは山葉寅楠さんのことを尊敬し、慕っていたからこそ、寅楠さんの考えとは違うことに物事が進んでしまうということが我慢ならなかったのかもしれませんね。
河合さんを慕っていた数人が一緒にヤマハを去り、「河合楽器製作所」を立ち上げました。そして現在、ヤマハと競い合う楽器メーカーにまで上りつめました。
この2つの楽器メーカーについては皆さんよくご存知だと思うのですが、実は日本には数多くのピアノメーカーが存在していたようなんです。私もよく知らなかったのですが、本当にたくさんあったようですよ。
廃業したり、合併したりで現在どのくらいの数が残っているのかはよくわかりません。
私の家のアップライトは「MIKI」のものなのですが、先日、グランド・ピアノが置いてあるお店で伴奏をする機会があり、そのグランド・ピアノも「MIKI」のものでした。
新たに製造をしていないメーカーさんもたくさんあると思います。どんなに古くなっても思い出のピアノを大切にされているところを見ると嬉しくなります。これからも大切にして頂けるといいなと思います。
調律師さんによると、メーカーさんによってパーツの規格が違うそうなので、製作が終了しているメーカーさんのピアノだと取り替えて修理するというのが困難なものもあるんだそうです。
そうなると一般的な調律師さんではもう手に負えないという感じなのでしょうね。ピリオド楽器の修復家の方なら何とかなるのかもしれませんが、そこまでする必要があるのか…。悩ましいところですね。
今回はピアノが発明されてから現在のピアノまでの鍵盤数の変化について書いて来ましたが、いかがだったでしょうか?
ピアノがどのように発展してきたのかについて少しでも知って頂き、興味を持って頂けたら幸いです。最後まで読んで頂きありがとうございました♪
まとめ
◆ピアノはクリストフォリによって1700年頃に発明されたイタリア生まれの楽器◆チェンバロは撥弦楽器でピアノは打弦楽器
◆初めは4オクターブ程の音域しかなかった
◆88鍵以上鍵盤数が増えないのは音程を認識しづらいから