まず「偽りの愛を許せるか」について。
私は、許すことはできません。自分の利益を求め、相手を傷つける行為を私は絶対許すことができません。
でも、それも人それぞれの考え方によるものなので、違う考え方の人もこの記事を読んで下さっている方のなかにはいるかもしれません。
みんな違う感想を持つことができるのが、読書の醍醐味なのですから。
ちょっと、熱くなってしまいましたが・・・
今回は、菊池寛の『藤十郎の恋』をご紹介します。
『藤十郎の恋』のあらすじ
この作品は大正8年(1919年)に、大阪毎日新聞で発表されました。また、同年10月には、大森痴雪の脚色により大阪浪花座にて初演を果たしています。
さらに、この大森痴雪の脚本とは別に、本作を菊池寛自身が1幕3場の戯曲に書き改め、翌年の大正9年(1920年)に戯曲集『藤十郎の恋』に収録、刊行されました。
時は元禄。
この年、京の都に住む人々の注目を集めているものがありました。
それは、万太夫座の坂田藤十郎と、山下座の中村七三郎という二人の人気歌舞伎役者でした。
今まで京でその名をとどろかしていた藤十郎でしたが、この前年に江戸からやってきたある人物によって、その座がおびやかされつつありました。
その人物こそ、江戸歌舞伎の統領と名高い中村七三郎でした。
二人は江戸と京の歌舞伎のためにも、相争わなければならない宿命を持っていました。
七三郎が京に進出してくることを聞いた京の歌舞伎役者たちの間には、異常なほどの緊張が走りました。
そして実際、年明けに行われた初春狂言で、演目「傾城浅間ヶ嶽」の巴之丞を演じた七三郎の評判はすさまじいものでした。
それをみた藤十郎は、十八番である「夕霧伊左衛門」で対抗しました。
藤十郎の「伊左衛門」は京の人々に絶賛されました。
しかし、藤十郎の「伊左衛門」を何度も観ている京の人々は、七三郎の新しい芝居に目移りし出していました。
それは、藤十郎が10年守り続けた王座を七三郎に奪われることを意味していました。
しばらくすると「七三郎の人気は、前代未聞だ」などと、巷はそんな噂でもちきりになりました。
しかし、藤十郎もその様子を傍観していたわけではありません。
そもそも藤十郎は、七三郎を恐れてはいませんでした。
むしろ藤十郎が恐れていたのは、自分の芸に対することでした。
藤十郎が「伊左衛門」を演じさえすれば客たちが拍手喝采すること。そのため、少しでも客足が遠のくと、自分は切り札のように「伊左衛門」を演じてきたこと。
いつも同じような役に扮して舞台に立つことが、人知れず彼の心に不安の影を落としていたのです。
そうした藤十郎の耳に、とうとう一番聞きたくない言葉が入ってきたのです。
「また伊左衛門か。もう何度観たか、数えきれない程だ。」
小手先だけの芸では、七三郎に劣ってしまう。
そう考えた藤十郎は、近松門左衛門に新作の狂言を書いてくれるように頼みます。
それからしばらくして、近松の書いた新作狂言「大経師昔暦」は、歌舞伎始まって以来の珍しい狂言だと都中で噂になりました。
その狂言の内容は、大経師の女房・おさんが夫以外の男と不義をして刑死するまでの命懸けの恋を描いたものでした。
新しい世界が開けたと思った藤十郎でしたが、それと同時に、この新しい狂言は彼の強い自信をも乱さずにはいられませんでした。
いくら色好みの藤十郎でも、人妻に手をだすような非道な色事には一切足を踏み入れたことはなかったのです。
どんな役でも演じきるという自信を持っていた藤十郎も、自身が経験したことのない、人妻との身を焦がすほどの激しい恋を舞台上で、どう演じればいいのか悩みました。
そしてある酒宴でのこと。
藤十郎は騒々しい酒宴の席から一人逃れ、離れ座敷で腕組みをしながら、自分の芸が定まらないことに苦しんでいました。
するとそこへ、この茶屋の主人の女房・お梶が現れます。
今まで、お梶のことを恋愛対象として見たことのない藤十郎でしたが、この日は何故かこの人妻が魅力的に思えてしかたがありません。
藤十郎とお梶は昔からの馴染みの仲でした。
藤十郎は座敷を出て行こうとするお梶を呼び止めました。
そして、こともあろうにお梶に対し、「そなたが結婚してしまっても、そなたのことを想わぬ日はなかった。」と愛の言葉を囁いたのです。
そう言って藤十郎がお梶に身を寄せると、お梶は、わっと泣き出してしまいました。
すると覚悟を決めたらしいお梶は、傍にあった行燈の灯りを吹き消しました。
お梶は、恐ろしさと情熱にふるえながら、藤十郎が近寄ってくるのを待っていました。
しかし聞こえてきたのは、藤十郎がお梶の傍をすり抜けて去っていく足音でした。
そして月の初め。
万太夫座では、いよいよ近松門左衛門の新作狂言が封切られました。
その狂言のすさまじさは、山下座の七三郎の評判もかき消すほどでした。
そしてこの興行の評判と同時に、「藤十郎は、この狂言の役作りのためにある茶屋の女房に偽りの恋を語った」という噂が流れました。
しかし、「偽りにせよ、藤十郎から愛の言葉を語られた女房は果報者だ」という言葉がついて回り、この噂までもこの狂言の人気を高める結果になりました。
そしてある朝、楽屋の片隅でお梶が死んでいるのが発見されたのです。
お梶の死を知った藤十郎は、雷に打たれたような衝撃を受けました。
彼は心の中で「藤十郎の芸のためだ」と力強く繰り返しましたが、彼の負った大きな深手は、その後も藤十郎の心を苛まずにはいられませんでした。
芝居をする藤十郎の瞳には、人妻を奪う罪深い男の苦悩がありありと刻まれていました。
藤十郎自身が、その恐ろしさを肝に銘じたためなのでしょう。
『藤十郎の恋』の名言
千寿どの安堵めされい。藤十郎、この度の狂言の工夫が悉く成りもうしたわ
覚悟を決めたお梶を座敷に残し、酒宴の席に戻った時の藤十郎の言葉です。
この時、一人部屋に残されたお梶は何故、藤十郎からこのような仕打ちを受けなければならないのか分からなかったのと同時に、自分の操を捨てようとした行為に、憎しみと絶望を感じたに違いありません。
藤十郎の芸の為には、一人や二人の女の命は
これは、お梶の死を知った藤十郎が心の中で繰り返し続けた言葉です。
藤十郎のしたことは、人として間違っていましたが、こうでも言っていないと罪の意識にのみ込まれてしまうという心の現れなのでしょう。
『藤十郎の恋』の感想
正直、最初この物語を読んだときは、私は、藤十郎のことを絶対に許せないと思いました。自分の芸を磨くためとはいえ、結果的にお梶の気持ちを裏切っただけでなく、命までも奪う結果となっています。
しかし、お梶と過ごしたあの夜、藤十郎にほんの少しでも、お梶を想う気持ちはなかったのでしょうか。
お梶に言い寄った藤十郎の気持ちは、全てが芝居だったのでしょうか。
何にせよ、藤十郎がこの先も重い十字架を背負って生きていかねばならないことに変わりはありません。
それがせめてもの、お梶への罪滅ぼしになると思います。