あなたは、自分のパートナーを大切に想っていますか。
この問いに、「パートナーなんだから当たり前だ!」と思う人もいるかもしれません。
しかし、現実はそうでもありません。
世の中は、不倫や浮気はたまた離婚という言葉に溢れています。
好き同志で一緒になるのに何故そのようなことになるのでしょうか。
人間の心というものは、なかなか複雑です。
そんなパートナーの大切さを感じることのできる作品。
今回は、江戸川乱歩の『一人二役』をご紹介します。
(この文庫本で読むことができます)
『一人二役』のあらすじ
『一人二役』は、大正14年(1925年)に文芸誌「新小説」で発表された江戸川乱歩の短編小説です。この文芸誌は、夏目漱石の『草枕』や泉鏡花の『高野聖』など、数々の名作が発表された場でもありました。
さて、物語は一人の男性の語り口調で展開していきます。
話の内容は、知人・Tのことについてです。
Tは無職の遊民で、奔放な暮らしをしていましたが、しかし食うには困らない、そんな生活をしていました。
しかもTは既婚者で、その妻というのがTにはもったいないほどの美人だったのです。
それなのにTは、妻だけでは満足せず次々と違う女性たちと関係を持っていくようになります。
それも、精力を持て余している訳でもなければ、新しい恋を求めている訳でもない。
要は、ただ退屈を凌ぐためだけの行為なのです。
これには、妻もたまったものじゃありません。
しかし、そんな嫉妬している妻の様子を見るのさえTの楽しみのひとつだったのです。
そしてある日、Tは思いつきます。
「自分の妻が、自分以外の男性と交わる様子を覗き見したら、さぞ変な感じがするだろう」
ある夜のこと。
Tはついにその思いつきを行動に移します。
いつものように、家を出たTは、頭から足の先まですっかり新調した服装で、鼻の下には付け髭までして変装をしました。
そして、用意周到に準備した他人のイニシャルの入ったシガレットケースを袂に忍ばせ、いつものように夜遅くに帰宅したのです。
妻は、Tがいつものように夜遊びして帰ってきたと思っているので、Tの変装に少しも気がついていません。
夜更けに寝ぼけ眼で見たのだから無理もないことです。
しかし、それこそがTの狙いだったのです。
真っ暗な床のなかで、Tが付けていた髭の感触に驚いた妻は、
「アラ、・・・」
と可愛らしい悲鳴を上げます。
なぜなら、自分の夫であるTは髭など生やしていないのですから。
そしてTは、妻の寝息が聞こえ始めると、そっと床を抜け出し例のシガレットケースを枕元に残し家を出ます。
そして、翌朝になるのを待つのです。
そして翌朝。
驚いたのは妻の方です。
一緒に寝ていたはずの夫の姿はないし、寝坊の夫がこんな朝早く出掛けて行くはずもない。
そして、枕元に残された見覚えのないシガレットケース。
それには、夫のものでなく、まるで心当たりのないイニシャルが刻んであるのです。
極めつけは、昨晩の髭の感触。
妻は、どんなに心配したことでしょう。
そこへTが、さも「今、帰りましたよ」という顔で帰宅します。
もちろん服装は、昨日家を出た時の服装に着替えているし、付け髭も外しています。
いつもは、夫の朝帰りに対し、ただではおかない妻もこの日はだんまりを決め込むしかありませんでした。
さらにTの悪戯は続きます。
二回目は、床につき妻が寝入る頃を見計らい再び妻に髭の感触を感じさせ寝入ったのを見届けると、シガレットケースに刻まれたイニシャルと同じイニシャルが縫い付けられたハンカチを残し、家を出ます。
しかしこの奇妙な行動が三度、四度と続くと、妻の心に変化が現れ始めます。
これは、Tも予想していなかった出来事でした。
妻が、変装したTに対して好意を見せ始めるようになったのです。
まず、変装したTが残していく逢瀬の証拠品を夫であるTに隠すようになり、変装したTに対し、
「あなたがいらっしゃらない夜が淋しくすら感じます」
「今度はいつ来て頂けますか?」
と秘密の愛の言葉を囁くようになったのです。
こうなるとTの心は、混乱状態に陥ってしいます。
最初は、頃合いをみて、変装した自分をこの世から永久に葬ってしまえばいいと考えていたTですが、妻が自分以外の男性を愛し始めたという恐ろしい事実に気がついたのです。
嫉妬しようにも、相手は変装したT自身なのですから。
自分自身の仕掛けた罠に掛かってしまったTは、さらに思いもよらぬ行動にでます。
まずTは、旅行と称して一ヵ月ばかり家を空けます。
その間に、なるべく容姿を変えようと、頭髪の刈り方を変え、口髭を生やし、眼鏡をかけ、一重瞼を二重に整形まで施しました。
そして髭が伸びた頃、九州地方から妻に対して絶縁状を送ったのです。
つまりTは、実在していたTという人物をこの世から葬り去り、妻が愛した変装したT、つまり別人として生きることを選んだのです。
そして突然、絶縁状を送られて途方に暮れている妻の元に、変装したTがひょっこり現れます。
そして彼らはまもなく同棲を始めることになりました。
それからしばらくして、語り手の男性は、今は別人として生きる元Tであった男性に出会います。
彼は例の妻を同伴していたので言葉をかけては悪いと、何気なく通り過ぎようとすると、意外にも声をかけてきたのはTの方でした。
「いや、大丈夫ですよ」
実は、妻はTの悪戯に最初から気づいていたのです。
すべてを知っていたうえで、Tのお芝居に付き合っていた妻。
しかし、この喜劇のようなお芝居が功をそうし、彼らは引き続き仲睦まじくやっているということです。
ことさらTは、そんな妻のことが自慢らしく幾度も同じ話を繰り返しているということです。
『一人二役』の名言
あなたが、どこの何というお方だか、その見知らぬあなたが、どうして妾の所へ通って下さるのか、妾には少しも分からない。(中略)この次は、いつ来て下さるのでしょうか
ナニネ、もうすっかり手品の種が分かっているのですよ。(中略)道理でうまく運び過ぎると思いましたよ。ハハ......、女なんて魔物ですね
結局、妻は最初からすべてお見通しだったというオチ。
それを考えると、男との密会を疑って妻を困らせようとしていたTの何とも白々しいこと!
しかし妻は、Tの悪戯を知ったうえで、秘密の愛の囁きをしていたんですよね。
本当に、女って魔物かもしれません。
全てを見抜いていたうえで、上手くTの狂言にのっかっていた妻。
どの時代も、女は強いということでしょうか。
『一人二役』の感想
タイトル通り一人の男が、自分自身と他人の二役を演じて妻の反応を楽しむというこの作品。
結末を知ると、「女なんて魔物ですね」と言われて、恥ずかしそうに微笑むTの妻が非常に愛らしく感じました。
私も、こんな気丈な女性になりたいとちょっぴり思ってしまいました。
Tも、妻の本来の愛しさを改めて感じたことでしょう。
この話は、Tの一生の自慢話になるでしょうね。
まずは、短編から!江戸川乱歩のススメ
さて、江戸川乱歩といえば独特のエロティシズムや、グロテスクな描写が苦手という方も多いかもしれません。しかし、このようなクスっと笑えるような短編もいくつも執筆しています。
ことに、この『一人二役』は9ページで完結する作品なので、手軽に楽しむにはもってこいの作品です。
エロ・グロが苦手という方は、このような短編の作品から乱歩ワールドを堪能してみてはいかがでしょうか。