19世紀のロシアに酒に溺れ仕事も休みがちになり友達も離れて行ってしまった、見るも無残な作曲家がいました。荒れ果てた生活をする彼は、働いても給料さえもらえないこともあったそうです。

しかしそんな彼は30代で誰もが耳を澄ましてウットリしてしまうような素晴らしいピアノ組曲を完成させました。そのピアノ組曲は後に管弦楽に編曲され、後世に残る名曲となります。

――その名曲を作曲した作曲家の名前はムソルグスキー。今回はもとオーケストラ所属・トランペット奏者の私がムソルグスキー『展覧会の絵』について解説していきます。
 
ムソルグスキー『展覧会の絵』(管弦楽版)


ムソルグスキーの生涯

モデスト・ムソルグスキーは1839年にロシアのプスコフ州に生まれました。リューリク家の血を引く名家で経済的には恵まれていたと言います。6歳の頃に母親からピアノを習い始めます。その実力はリストのピアノ曲を弾きこなしてしまうほどだったそうです。

10歳の時にはサンクトペテルブルクのエリート養成学校であるベマトロパヴロフスク学校に入学。ムソルグスキーは武官(国から任命された軍人や公務員)になるべく勉学に励みます。努力の甲斐あってか13歳の頃には士官候補生になりますが、その一方で音楽の方も努力を続けていきました。

同じく13歳の年には、父親の出資によりピアノ曲『騎手のポルカ』が出版されました。それから数年で、ムソルグスキーの運命を変える出会いが。ロシア5人組メンバーであるミリィ・バラキレフとツェーザリ・キュイと出会うのです。

ロシア5人組とは19世紀後半にロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団のことです。メンバーは先ほどのミリィ・バラキレフとツェーザリ・キュイに加え、アレクサンドル・ボロディン、ニコライ・リムスキー=コルサコフ、それに今回のムソルグスキーを加えた5人です。

ムソルグスキーはそんな凄い先生たちに出会い歌曲やピアノ曲の作曲の手解きを受けます。ミリィ・バラキレフとツェーザリ・キュイはロシア5人組のリーダー的な存在で、メンバーのまとめ役的存在だったと言われています。

その後19歳の時にムソルグスキーは軍務を引退。その後はミリィ・バラキレフに師事し本格的に作曲を学び、経験を積んでいきます。

24歳ぐらいになると、だんだんムソルグスキーもミリィ・バラキレフの影響下から自由になるように。この頃から27歳ぐらいまで、ムソルグスキーは独学状態で作曲を勉強していきます。

その頃のムソルグスキーはもっぱら下級官吏として生計を立てていました。あまり仕事には夢中になれないのか、この頃のムソルグスキーは仲間との「議論」に熱中。近代科学や近代芸術についての本を読み漁っては、仲間と議論を交わしていました。

そのことは後のムソルグスキーの作品にも影響を与えます。ムソルグスキーの関心はだんだん「現実社会」に。再現やシンメトリーのある音楽を「現実的でない」と拒否し、現実社会のような予想のできない、同じことの繰り返しのない音楽を作ろうと奮闘しました。

そんな時ムソルグスキーの人生の転落となる出来事が。26歳の時にムソルグスキーの母親が亡くなってしまうのです。それをきっかけにムソルグスキーはアルコール依存症を発症。だんだんと堕ちていく自分と、美しい音楽を作りたいという意欲を持つ自分との狭間で苦しむようになります。

それでもムソルグスキーは「ゴパーク」「愛しいサーヴィシナ」「禿山の一夜」などを作曲。「禿山の一夜」はムソルグスキーの代表曲で、よく「展覧会の絵」と一緒にCDに収録されています。

禿山の一夜


(しかし当時「禿山の一夜」は師匠であったミリィ・バラキレフから酷評されます。演奏の指揮を依頼するも断られたのだとか。)


その後のムソルグスキーの人生は順調に進んだり、停滞したり。ロシア5人組の合作に参加したこともありましたし、仕事では冒頭で書いたように働いても給料のもらえない「欠員要員」にされたこともありました。

今回の「展覧会の絵」はムソルグスキーのアルコール依存症がさらにひどくなった1874年以降に作曲されました。

少しずつ少しずつ荒れていく生活の中でムソルグスキーは42歳の若さで心臓発作をきっかけに亡くなります。若すぎる死でしたが、ムソルグスキーはロシア5人組の一員として、数々の名曲を残した作曲家として、今でも語り継がれる偉人となりました。

ムソルグスキー「展覧会の絵」

「展覧会の絵」はムソルグスキーが友人であるロシア人画家ヴィクトル・ハルトマンの遺作展で見た10枚の絵の印象を音に込めた作品です。もともとはピアノ曲ですが、後に「ボレロ」の作者らによって管弦楽版に編曲され、今では多くのオーケストラの人気演奏曲となっています。

特徴的なのは、ムソルグスキー自身が絵を見ながら歩く姿を表していると言われている「プロムナード」のメロディが5回も挿入されているところ。プロムナードのメロディは展覧会の絵で一番有名なメロディなので、あなたも聴いたことがあるかも知れません。

(動画1:36, 5:25, 10:35, 15:01, 19:33の5箇所です)

「展覧会の絵」は次の表題から成り立っています。
「小人」「古城」「テュイルリー,遊んだあとの子供のけんか」「ブイドロ」「卵の殻をつけたひなどりのバレエ」「サムエル・ゴルデンベルクとシュムイル」「リモージュの市場」「カタコンブ ローマ時代の墓」「鶏の足の上に建っている小屋」「キエフの大きな門(キエフの大門)」

特にムソルグスキーが感動したというのがヴィクトル・ハルトマンがキエフ門を描いた作品。一番最後に持ってきて、その感動を力強く表現しています。

私の「展覧会の絵」体験

私はオーケストラ所属時代に、この「展覧会の絵」にトランペット首席奏者として参加しました。この曲と言えばトランペットのプロムナードのソロ!と言っても過言ではないくらい。今まで演奏した曲で一番緊張した曲だと言っても言い過ぎではありません。

添付した動画では1:36~トランペットのソロが始まっていますね。このソロは「ソーファーシードファレードファレーシードーソファ」というメロディなのですが、私にとってのポイントは「ソーファーシー」のあとの「ドファレードファレー」でした。

と言うのもドからファは音が4度開いていて、かつ「ド」から「ファ」へ音が上がっているので、ミスが出やすいのです。その上曲の序盤でかなりの緊張。少しでも音を外してしまえば全ての人にそのミスが聴こえてしまいます。

(当時は「弦楽器だったらちょっとくらい間違えても分からなそうなのに」なんてことも思っていました。)動画では高い音を出すのに適しているC管を使っていますね。


ここで少し余談。トランペットにはピストン(指を押すところ)が縦向きのものと横向きのものがあります。ピストントランペットと呼ばれる縦向きの方が一般的ですが、この動画のオーケストラでは横向きのものを使っていますね。横向きのものはロータリートランペットと言います。

私はオーケストラ所属時代、手が小さいために、この横向きピストンのトランペットを持つだけでも一苦労でした。指は届くのですが、縦向きトランペットは片手で持つことができるのに対し、横向きはグラグラして両手で支えなければいけなかったのです。演奏に集中できないので私はいつも縦向きを使っていました。

さて、話は戻りますが、5:25~の弦楽器によるプロムナードの箇所も良いですよね。チェロの切ない音色が心に染み渡り、和音も言葉にできないほど美しいです。酒に溺れて荒んだ生活をしていたムソルグスキーの心の中にも、こんな絢爛豪華なメロディが生み出される豊かさが残っていたのですね。

もと金管メンバーとしておすすめしたい聴きどころは22:21~の箇所です。「カタコンブ ローマ時代の墓」の箇所です。

私はこのアンサンブルのために、どれだけロングトーンの練習をしたことか分かりません。(ロングトーンとは音を長く出す金管楽器の練習法のことです)音程が取れないのはもちろん駄目ですが、腹筋がなくて息の量を保てず音程が下がってしまったり、一定の音の強さを保てなかったりと、色々と難しい箇所なんです。

特にトロンボーンとチューバは何度も何度もこの箇所を練習していました。短い音を出すよりも長い音を出す方が音程が取りづらく難しいのです。ここは私が「展覧会の絵」の中で苦労した部分でした。

そして個人的に好きだったのは、30:00~の「キエフの大きな門」。全楽器フル参加で、トランペットが主旋律を吹けるのも気持ちよかったです。34:27~の部分ではドラが「ボワ~ン」と登場しますが、トランペットは打楽器の近くに座っているので、ドラの音を近くで聴きながらの演奏は気分が上がって最高でした。

まとめ

先日気になったので「展覧会の絵」のモチーフになったヴィクトル・ハルトマンの絵をネットで検索してみることに。絵ももちろん素晴らしかったのですが、私が驚いたのはこれらの絵からあれだけのメロディを創り出せるムソルグスキーの才能です。

あの音の重なりや、音の広がり。オーケストラで聴くのも素晴しいですし、ピアノバージョンも心に直接訴えかけてくるようで感動的です。私が今感じている感動が、ムソルグスキーがかつてヴィクトル・ハルトマンの絵を見て感じた感動なのかも知れません。その感動を、この「展覧会の絵」という作品にできるなんて、その才能には本当に驚きです。

私の「展覧会の絵」の感想を言葉にするなら、ピアノ組曲は綺麗でカラフルな雨がざあーっと降ってくる感じ。管弦楽版は色んな種類の風が次々と自分の周りを吹き抜けていくような感じです。――あなただったら「展覧会の絵」を聴いて感じた感動をどんな言葉で表しますか?ピアノ組曲も管弦楽版もぜひ両方聴いてみてくださいね。

ピアノ版 展覧会の絵


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