1936年のことです。ソヴィエト共産党機関紙である「プラウダ」にこんな批判文が載りました。「ショスタコーヴィチのオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は音楽ではなく荒唐無稽」「ショスタコーヴィチのバレエ『明るい小川』は偽善である」

――プラウダはスターリンの意志が反映される共産党の機関紙で、当時西洋モダニズムの強い影響を受けて作曲されたショスタコーヴィチのこれらの作品は、ソヴィエト連邦の文化弾圧の標的となったのです。

それまでショスタコーヴィチのオペラや交響曲は西洋のスタイルを積極的に取り入れ、民衆には大変な人気がありました。プラウダで辛辣に批判された「ムツェンスク郡のマクベス夫人」も不倫を題材にした作品で、過激な演出の新鮮なオペラとして人々に親しまれていたのです。

さて、そんな人気者だったショスタコーヴィチがプラウダで自分の作品を大きく批判され、一転して収容所送りを心配される身になりました。この事件の頃ショスタコーヴィチは交響曲第4番の初演を控えていましたが、このプラウダ批判により初演が中止になる事態に。

その後すぐに政府が求める作風に沿うようにして作られたのが今回紹介する「交響曲第5番」。迫ってきた身の危険を回避して、なおかつ人気挽回を狙いたいショスタコーヴィチが作曲したこの作品は一体どんな出来になったのでしょうか?

今回は元オーケストラ団員トランペット奏者の私が、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を解説していきます。
 
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番(革命)


■ 目次

ショスタコーヴィチの生涯

ショスタコーヴィチは1906年にロシア帝国のサンクトペテルブルクに生まれました。著名な音楽家の中には幼い頃から音楽を本格的に始めていた音楽家も多いですが、ショスタコーヴィチの音楽教育の始まりは比較的遅く彼が9歳の頃でした。

その年ショスタコーヴィチは両親と一緒に初めて劇場へ。リムスキー=コルサコフの「サルタン王の物語」を鑑賞します。もともと母親はピアノが弾けたので、それから間もなくショスタコーヴィチは母親からピアノの手解きを受けるようになるのです。


1916年にはグリャッセール音楽学校に入学しますが、同年代の少年が路上で警察官に殺害されたのを目撃してしまい、それ以来学校に通う意欲を失ってしまいます。その翌年にはローザノヴァに師事しピアノのレッスンを開始。更にその翌年にはペテルブルク音楽院に入学しグラズノフに師事しています。

余談ですがペテルブルク音楽院はかのリムスキー=コルサコフが教授を務めていたことでも知られていますね。ショスタコーヴィチが師事したグラズノフは当音楽院の院長を務めていたこともありました。

1923年にはペテルブルク音楽院のピアノ科を卒業。お気づきかもしれませんが、ショスタコーヴィチは学生時代作曲の勉強をしていたのではなくピアノの勉強をしていたんですね。ショスタコーヴィチ本人も進路を決めるときにピアニストになるか作曲家になるかずいぶん悩んだと言います。

プライベートでは1932年にニーナ・ヴァルザルと結婚。ニーナは科学者でした。このニーナとの婚約記念に書かれたのが冒頭でご紹介した「ムツェンスク郡のマクベス夫人」です。婚約記念に書いた曲が後に大きな批判にさらされるなんて、この頃は夢にも思わなかったかもしれませんね。

ムツェンスク郡のマクベス夫人

ショスタコーヴィチとスターリン

ショスタコーヴィチは現在こそシベリウスやプロコフィエフと共にマーラー以降の最大の作曲家としての地位を確立していますが、現役時代はまさにスターリン体制に翻弄され悩まされた作曲家の一人でした。

もともと暗く重苦しい雰囲気の曲が多いのですが、彼は軽音楽やジャズなどの音楽も好みました。しかしそんな西洋の雰囲気を取り入れたポピューラー音楽はスターリン政権下の文化弾圧の対象となります。社会主義国家のソヴィエト連邦にはそぐわないとしてショスタコーヴィチをシベリアに送る案も出されたそうです。

そんな時代の波に流され、プラウダ批判後、今回ご紹介する交響曲第5番を含めスターリンの気に入るような音楽を作曲していったため、西洋諸国から見たショスタコーヴィチのイメージは「体制迎合」というマイナスイメージとなってしまいました。


そんな状況を変えたのがショスタコーヴィチの死後4年後に発売された「ショスタコーヴィチの証言」。これはショスタコーヴィチが自身の作品や周りの人物たちについて語った回想録という体裁の本です。父親や母親、師匠からスターリンまで様々な人物が登場します。

この本は偽書だという説もあり、最近になってその証拠も揃ったようなのですが、内容自体は専門家の間でも当たらずも遠からずという意見が多いようです。

この本にはショスタコーヴィチの知られざる苦悩が描かれていました。そこには自らが求める自由な音楽と、スターリン体制が求める社会主義国家らしい音楽との狭間で葛藤し続けた姿が書かれていたのです。

この本によってスターリン政権下の体制迎合作家というショスタコーヴィチのイメージを払拭することができました。本書は1980年日本でも中央公論社より出版され、ロシア音楽に親しみを持つ人だけでなく、今までロシア音楽を聴いてこなかった人の間でも人気となりました。

偽書であったとしてもショスタコーヴィチの音楽を多くの人に触れさせ考えさせることで、彼の正当な評価を取り戻すのにとても貴重な役割を果たしたものであるということは間違いありません。



ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」

スターリンの批判を恐れてお蔵入りさせた「交響曲第4番」。その後の交響曲はもちろん「体制的」でなければいけません。そんな思いが込められた交響曲第5番。交響曲の伝統的な形式をとった声楽を含まない4楽章の古典的な構成となっています。


この構成からもショスタコーヴィチがこの交響曲第5番で「反体制的」と見なされてしまった状況を必死に回復させようとしている思いが伝わってくるようですね。また、この曲が完成した1937年はスターリンの文化弾圧によりショスタコーヴィチの多くの友人や親族が処刑や逮捕をされた時期でもありました。

演奏者はショスタコーヴィチ交響曲第5番をどう聴くか

さて、ここでは元オーケストラ所属トランペット奏者の私が、演奏者目線で交響曲第5番を解説していきたいと思います。

ショスタコーヴィチの作風の特徴は、力強いユニゾン色の強いオーケストレーション。様々な楽器が違う音色を異なるリズムで奏でるのではなく、1つの楽器また音色的に近い楽器がユニゾン(同じ音)で音色を奏でていくのですね。

例えばそんな特徴が分かるのが4:54〜ですね。ファーストバイオリンとセカンドバイオリンがメロディーを、ビオラとチェロとコントラバスが伴奏を演奏しています。ちなみに私は元トランペット奏者なのでついついトランペットの視点に立ってしまうのですが、この辺はトランペットは暇ですね。プロの方はそんなことはないと思いますが、私は子どものアマチュアオケだったので交響曲第5番を演奏した時は「暇だな〜早く出番来ないかな」なんて考えていました。

第1楽章で私が好きなのは10:14〜です。スネアドラムとティンパニがトランペットのすぐ後ろにいるので前からは弦楽器や木管楽器の音が、後ろからは打楽器がズンズン聴こえてテンションがぐーんと上がります。メロディーもなんとなくソビエト連邦の雰囲気を醸し出していますよね。

第2楽章でぜひ注目して欲しいのが19:15〜のバイオリンのソロ。私はバイオリンが弾けないので「あ〜これ弾いたら気持ち良いだろうな〜」と羨望の眼差しを向けていました。「きゅーい」と音が上がるところが腕の見せ所でしょうか。軽やかに跳ねるようなリズムも綺麗です。

さて最後に38:15〜始まる第4楽章。私はこの出だしのメロディーが大好きです!とてもキャッチーで耳に残りやすく弦楽器も管楽器もノリノリだと思います。40:43〜はトランペットのソロ。音程も吹きやすい音域なのであまり失敗を恐れずに吹けるソロですね。

47:38〜始まる曲の終盤もぜひ聴いてもらいたい箇所です。一定のリズムで執拗に奏でられる弦楽器のユニゾンに、金管楽器のファンファーレが響く清々しいメロディーが続きます。勢いを後押しするかのようなティンパニもカッコ良いですね。

49:30辺りからはトランペットはだんだん苦しくなってきます。特にファーストトランペットは高音続きでかなり疲れます。私は当時大きな疲れを感じていましたが、それと同時に素晴らしい音楽の中に自分がいることの喜びをひしひしと感じていました。

そして曲はフィナーレを迎えます。動画でも大きな拍手が沸き起こっていますね。指揮者はドッと疲れています。

まとめ

ショスタコーヴィチ交響曲第5番――楽しんでいただけたでしょうか?

余談ですがショスタコーヴィチは大のサッカー好きとしても知られていて、地元のサッカーチームのスコアを逐一メモに残すほどだったそうですよ。サッカー好きが高じてサッカーの審判の資格も持っていたのだとか。一度凝るととことん熱中する性格だったのかもしれませんね。

そんなショスタコーヴィチですがスターリンの死後は音楽活動も少しずつ自由になっていきます。中止されていた交響曲第4番の初演もスターリンの死後されましたし、批判を恐れ中断していた交響曲の作曲も再開し、20世紀を代表する交響曲作家として後の評価を欲しいままにしました。

時代の波に翻弄されながらも、自らの音楽を作り続けたショスタコーヴィチ。その音楽は今や確固たる地位を築いて多くの人の心を豊かな音楽で満たしています。ショスタコーヴィチの文化弾圧の以前と以後やスターリン体制崩壊前と崩壊後の作品を聴き比べてみるのも面白いかもしれません。ぜひ彼の他の作品も聴いてみてくださいね。

最後までお読み頂きありがとうございました。


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