1931年フランスパリのシャンゼリゼ劇場――曲が始まった途端、会場にどよめきが起きました。観客の中にはオーケストラに野次を飛ばしたり、隣に座る人と喧嘩をし始める人も。

こんなクラシック史上に残る初演を迎えてしまったのがロシアの作曲家であるイーゴリ・ストラビンスキー。一体彼が作った『春の祭典』とはどんな曲だったのでしょうか?もとオーケストラメンバーの私が今回はそんな彼の『春の祭典』という曲を解説していきます。
 
ストラビンスキー『春の祭典』


■ 目次

イーゴリ・ストラビンスキー

イーゴリ・ストラビンスキーは1882年ロシアのロモノソフに生まれました。作曲家として知られていますがピアニストや指揮者としても活動しており、多才な作曲家として知られています。ストラビンスキーの父親はオペラ歌手で読書家でした。家には20万冊程度の本があり、ストラビンスキーは音楽と本に囲まれた生活を送ります。

大学は法律を学ぶためにロシアの名門サンクトペテルブルク大学へ進学。このサンクトペテルブルク大学はロシアで最もノーベル賞受賞者を出している大学で、プーチン大統領の出身校としても知られています。そんなストラビンスキーですが在学中も音楽の道への思いを捨てきれませんでした。そこで運命の出会いが彼を待っていたのです。

大学で出会ったのは『シェヘラザード』を作曲したリムスキー・コルサコフの息子。その息子と親しくなり、彼の父であるリムスキー・コルサコフに師事する流れとなり、作曲法や管弦楽法を本格的に学ぶようになったのです。

そうして曲を作り続けていたストラビンスキー。26歳の時にまたしても運命の出会いがあります。彼の師であるリムスキー・コルサコフの娘の結婚祝いに書いた『花火』が初演された際、ロシアバレエ団の創始者であるセルゲイ・ディアギレフに実力を評価されたのです。

当時セルゲイ・ディアギレフはロシアの芸術プロデューサーとして活躍しており、ストラビンスキーの作品が彼の目に止まったことで大きなチャンスを掴んだのです。セルゲイ・ディアギレフはストラビンスキーに作曲を依頼します。

その1年後、ストラビンスキーが27歳の時に作曲したのが『火の鳥』。これはパリのオペラ座で初演され大成功を収めました。さらにセルゲイ・ディアギレフはストラビンスキーに作曲を依頼。その翌年ストラビンスキー28歳の時には『ペトルーシュカ』が発表されます。

セルゲイ・ディアギレフに依頼された楽曲の第三弾としてストラビンスキーが30歳の時に作られたのが今回の『春の祭典』。これが正に歴史に残る大論争を巻き起こすのですか、実はストラビンスキーはある人の力によって『春の祭典』の評価を上げることに。それは誰もが知っているあの世界的ブランドの創始者。一体誰だと思いますか?


『春の祭典』とは

ストラビンスキー30歳の時にセルゲイ・ディアギレフから依頼されたバレエ曲として作曲されたこの『春の祭典』。20世紀近代音楽の傑作と今では呼ばれていますが、発表当時はその複雑なリズムと不協和音の数々に批判の声も多く上がりました。

初演は1931年。曲が完成した翌年、ストラビンスキーが31歳の時にパリのシャンゼリゼ劇場でフランス人指揮者モントゥーの指揮で行われました。当時会場にはサン=サーンス、ドビュッシー、ラベルなどもいたそうです。

冒頭で書いたように初演は惨憺たるものでした。曲が始まると、あまりにも斬新で度肝を抜くようなメロディーに観客は驚きを隠せません。会場には嘲笑する者、感激する者、怒り出す者、失笑する者、様々な反応がありました。

あまりに会場が騒がしく音楽が聞こえなくなってしまった為に会場にいたセルゲイ・ディアギレフが「どうか最後まで聞いてください!」と叫んだほどだったとか。翌日の新聞には「『春の祭典』でなく『春の“災”典』だ」と書かれてしまいました。もちろんストラビンスキーはそんな反応に落ち込む気持ちを抑えることが出来ません。

パリで行われた初演ではニジンスキーが振付を担当。春の祭典での生贄の儀式を表現しました。それを聴いた人々は、あたかも未知なる生物・宇宙人に出会ったかのように動揺し反発の気持ちを表してしまったのです。

しかし新しくて良いものとは時間をかけてゆっくりと人々の心へ受け入れられていくもの。ストラビンスキーの傑作『春の祭典』は人々の心に新しい種を蒔き、それが時間をかけて人々の心の中で育っていきました。

その後1920年ストラビンスキーが38歳の時に再演されました。そのコンサートを金銭的に大きくサポートしたのが、ストラビンスキーの不倫相手であったココ・シャネル。そう、妻子あるストラビンスキーはシャネルの創始者であるココ・シャネルと長年不倫関係にありココ・シャネルの莫大な援助を受けて再演コンサートを大成功させたのです。

演奏者目線で『春の祭典』を聴いてみよう


私はトランペット奏者としてこの『春の祭典』を演奏しました。感想を一言で言ってしまえば「難しい!」でしょうか。聴いて分かるように「これ」と言った主題もなく、無秩序でつかみどころがありません。

私が『春の祭典』に参加したのは13歳の頃。初心者の子供が演奏するには難易度が高かったと思います。当時擦り切れるくらいCDを聴きましたが、演奏会を終えて演奏しなくなるとすぐ記憶から消えてしまいました。

当時は「つまんない曲」と生意気なことを考えていましたが、大人になって聴いてみると全く違う気づきが。無秩序に見えるようで、そうではありません。僅かな狂いもない緻密で完璧な音楽だと感じました。それはまるで春の生命の秩序を表しているようで、正に『春の祭典』という言葉がぴったりのように思えたのです。

曲はファゴットのソロから始まります。このソロは演奏者を苦しめる超高音続きです。ファゴット奏者にかかるプレッシャーは並大抵のものではありません。私のオケのファゴット奏者も顔を真っ赤にして練習していたのを覚えています。

次に注目したいのは2:53のトランペットのソロ。以前解説したミュート(弱音器)をつけてのソロです。弦楽器がドロドロと流れる血液のような旋律に突き刺さるようなトランペットが重なっています。

映像を観ていただくと分かると思うのですがこのソロでは殆どピストンを押していないですよね。「シファーシミラシファー」のうちシとファは口の緩め方を変えるだけで何も押さずに音が出ます。ミとラは一番手前のピストンを押して口の緩め方を変えるだけで出すことが出来ます。

これはトランペット奏者にとっては怖いんです。なぜかと言うと、指を動かさないという事は、自分の口の緩め方一つで音を外してしまいます。つまり音を外しやすいソロなのです。

次に8:18から始まるバス・クラリネットのソロ。バス・クラリネットは通常のクラリネットよりも大きく低い音域の音を出すことが出来ます。このバス・クラリネットのソロは次の8:45から始まる新たな主題(のようなもの)に向けて長くしぶとく続きます。

最後に注目したいのが23:29頃から現れるトランペットの「フラッター」と呼ばれる技法。フラッターとは「トゥルルルル」と巻き舌をしながらトランペットを吹く技法です。私はフラッターなど出来ませんでしたがこの曲で必要だったので習得しました。

23:44ぐらいにも出てきますが、トランペットの音が「トゥルルルル」となっているのが聞こえますか?実は私はフラッターを習得するとき、普通の巻き舌も出来ませんでした。巻き舌から練習したフラッターは今となっては良い思い出です。

まとめ

春の祭典はそれぞれの楽器が噛み合わない別々のメロディーを奏でることで一つの曲を作り上げています。私はそれが私たちの命の在り方と似ているように感じるのです。それぞれの生物がそれぞれ生きているように見えて、実は深い深い根の部分で連鎖し繋がっている。

その混沌たる豊潤さが生命の輝きであり「春」の「祭」なのかも知れません。キャッチーではないですが、人が創ることのできる最大の無秩序を表現したという意味でやはりストラビンスキーは偉大な作曲家だと思います。

あなたもこの『春の祭典』をじっくり楽しんでみてくださいね。


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