今回は、金田一耕助シリーズでは第3作目にあたる「蝙蝠と蛞蝓(こうもりとなめくじ)」をご紹介いたします。この作品は、金田一が住む同じアパートの住人・湯浅順平の目線で描かれ、お話が進みます。金田一耕助ももちろん登場して活躍しますが、いつも人懐っこい金田一さん、今回はなぜだか「嫌われ者」になってしまいます。どうして金田一は嫌われてしまうのでしょう?

人が金田一を疎んじる時、それは「罪悪感」があるときです。何といっても「凄腕の探偵」ですから、なにかしら罪悪感を持っている人は、金田一のような探偵に「何もかも見透かされている」気になります。「三つ首塔」で登場した深窓の令嬢・宮本音禰(おとね)が良い見本ですね。

しかし今回の主人公・湯浅順平は、やましいことは何にもない男子学生です。そもそも、順平は金田一と同じアパートに住んでいるというだけで、金田一が探偵だと知りません。順平の感情を逆撫でしている原因は「金田一耕助自身」なのです。あまりに嫌いすぎた結果、順平が金田一につけたあだ名は「蝙蝠男」です。薄汚れた服をはためかせて活動する姿、確かに蝙蝠に似ていますよね。

順平の持つ「不快な感情」は日に日に増すばかり。ほとんど八つ当たり・言いがかり的な嫌いっぷりです。ある日その感情が昂じて「こうなったら、あいつ(金田一)を題材に小説を書いてやる!」という突飛な行動を起します。現代だったら「SNSにアップしてやる!」というのに似ています。SNSに「やばいヤツ発見!」と画像付きでアップしちゃう人がいますが、この時の順平はこれに似た感情だったはずです。それほどまでに金田一を不快に思う順平は、一体どのような小説を書くのでしょうか。

順平は「金田一を凶悪な犯人に設定した小説」を書き始めます。(完成しませんけどね。)金田一だけでは話が進みませんので、もう1人自分の身近に実在する人を登場させます。それは順平が「蛞蝓女」とあだ名を付けている隣家の住人・お繁です。順平は「嫌いだ、嫌いだ」と言いながら、金田一やお繁の生活をストーカーのように観察しています。本当に嫌いなら、毎日のように観察なんかしないでしょう。順平、難しい年頃ですね。

この作品のみどころ


この作品は、シリーズ第3作ですから「超初期作品」です。第4作にあたる「黒猫亭事件」では、横溝正史と金田一耕助が正式にタッグを組む記念すべきシーンが描かれました。第3作目にあたる本作品、どうしてこんなに金田一が毛嫌いされる内容になったのでしょうか。確かに「華々しくニューヒーロー登場!」というのは金田一には不似合いです。

アパートの大家の姪・剣突加代と順平が、金田一の陰口を言い合うシーンがあります。金田一の部屋を見たことがある加代は「死人だの骸骨だの、それから人殺しの場面だの、そんな写真ばかり出ている本があったのよ。」と金田一を不気味がっています。(プライベートの金田一、そんな時間を過ごしているのですね・・・。)

このように自宅で過ごす金田一の様子や、住んでいる環境、そして隣人からも疎まれる彼の風貌。横溝正史が「金田一のキャラクター」を具体的に作りながら書いた作品ということがわかります。第1作目の「本陣殺人事件」と第2作目の「獄門島」で大舞台を繰り広げた後、この作品で「ちょっと一息」つきながら、自分にとっての永遠のキャラクター像を少しずつ作り上げていくのです。

あらすじ


あるアパートに住む学生・湯浅順平はもともと蝙蝠が嫌いだった。その嫌いな蝙蝠に似た男が隣の部屋に住んでいる。隣人・金田一耕助の不気味な風貌から、順平は彼のことを陰で「蝙蝠男」と名付けていた。順平にはもう1人、気に入らない人物がいる。いつまでも過去を引きずり、毎日「遺書」を書くのが日課の女・お繁である。お繁には「蛞蝓女」というあだ名をつけて蔑んでいた。

順平には、ひそかに思いを寄せている女性がいる。アパートの大家の姪・剣突加代である。ところが加代は、順平と同じアパートの住人・山名紅吉と恋愛関係にあるようだ。ああ、なにもかも気に入らない、誰も彼も気に食わない!順平の鬱憤は限界に近づいていた。

順平は「でっちあげ小説」を書くことで鬱憤を晴らそうとする。「蛞蝓女」のお繁を殺し、殺人の罪を「蝙蝠男」の金田一耕助になすり付ける・・・という小説を書き始めた。書いてまもなく、順平は小説を書くことに飽きてしまい・・・完成には程遠い“作成途中の原稿”を投げ出してしまった。

ある日、学校からアパートに帰った順平を出迎えたのは警官たちであった。「蛞蝓女」のお繁が本当に殺害されたのである。現場から順平の指彼が発見されたことで、順平は知らない間に事件の容疑者になっていた。自分がお繁に殺意を向けたのは、あくまで小説の中だけなのに・・・。蝙蝠男・金田一耕助が真犯人の正体を暴く!

まとめ


この「蝙蝠と蛞蝓」は短編小説です。登場人物も少なく、身近な誰かの「策略」がトリックになります。順平が真犯人でないことは、お察しの通りです。それでも金田一がいなければ順平は無実の罪を課せられたまま・・・のはずでした。金田一は順平に助けを求められなくても「探偵の勘」を働かせ、その結果順平を冤罪から救い出すことになります。

「あなたはこれでもまだ蝙蝠が嫌いですか」という金田一から順平への問いかけが印象的です。問いに対する答えはもう明らか。順平に「オレは蝙蝠が好きになった」と言わせてしまいます。初対面では必ず「けったいな人」という印象を持たれてしまう金田一耕助ですが、付き合っていくうちに誰しも熱烈なファンになってしまいます。このキャラクター設定はシリーズの最初から最終まで変わりません。

この後に登場する作品「黒猫亭事件」のエピソードと合わせて読むと、金田一耕助が出来上がるまでの「エピソード作品」と捉えることができます。前シリーズの主人公・名探偵「由利麟太郎」とは真逆のイメージに、急ごしらえで登場させたのが金田一です。(第1作目の「本陣殺人事件」にも金田一耕助を登場させるか、決めていなかったそうです。)やや「行き当たりばったり」な登場エピソードに「金田一耕助」らしさが感じられます。


『死神の矢』(『蝙蝠と蛞蝓』収録)