金田一耕助シリーズでは、異色の作品である「女怪」。シリーズの歴史上、初期段階の作品です。このシリーズでは「頭脳明晰な探偵・金田一耕助」の姿で描かれることがほとんどですが、「女怪」ではまったく違った彼の姿を知ることが出来ます。この金田一耕助の「意外な姿」は、これ以降の作品で見ることは出来ません。
どのように「異色」かに触れていきたいのですが、ここでいきなりあなたに質問です。
あなたが失恋をしたときのことを思い出してください。不躾な質問ですが・・・その恋はどうして叶わなかったのでしょうか?失恋した時、あなたはどんな感情を持ちましたか?
すみません、出来るだけ「ひどい失恋」を思い出してくださいね。「今となっては素敵な思い出!」とか「あの失恋があったから、今の自分がいます!」とか、そういうのは結構です。
三角関係とか裏切られたとか、好きな人を奪われたとか、道に倒れて名前を呼び続けたとか、そういう「暗い・辛い・耐えるに忍びない失恋エピソード」を思い出してください。
今回の「女怪」は、そんな「とても辛い失恋」をベースにした作品をお届けします。失恋するのは・・・なんと「金田一耕助」です。それも、彼の人生に大きく関わるような大失恋です。そう、金田一耕助も1人の男だったのです。恋の相手はもちろん、人間の女性です。(ちょっと変わり者の金田一、人間じゃないものに恋心を抱きそうですよね。)
金田一耕助を愛する読者からは、この作品のウケはあまり良くなかったようです。「金田一耕助は恋愛なんかしない」「女に縁がなさそうなのが魅力だったのに」と感じた人が多かったそうです。そんなレビューが書かれるほど、この作品の金田一耕助の姿は「熱烈に恋する男」なのです。
「金田一耕助を愛する友人」の視線で描かれます。
作品の中で「私」と名乗りストーリーを進めていく人物、名乗りはしませんが限りなく「横溝正史」です。誰よりも金田一を愛し、理解し、評価している“友人の視線”が泣けます。この「私」は金田一が優れた探偵であることを、我がことのように誇らしく思っています。
「私」は、叶わぬ恋愛をして苦しむ金田一耕助を温かく見守ります。「探偵だからって、恋愛をして悪いはずがない、彼(金田一)だって血が通った人間なのだから」と金田一の恋心を否定しません。(本当は、相手の女性にはまったく“その気”がないことを「私」はしっかり見抜いていました。)
金田一の恋が叶わないと分かったときには「金田一を失恋させてくれた人に感謝したいくらいだ」と言っています。金田一の類まれなる才能が(恋愛に)破壊されずに済んだ」と考えるのです。探偵という厳しい職業を、甘い恋愛と同時進行させることの難しさを知っているからこそ、言えることではないでしょうか。
あらすじ
連続して起きた事件解決後、報酬をたっぷりと得た金田一耕助は、友人と伊豆の温泉宿に逗留する。その温泉宿の近所には、通称「狸穴(まみあな)の行者・跡部通泰」という怪しい修験者の修行場がある。その修行場が開かれている土地の以前の持ち主は、すでにこの世を去っている持田電機社長・持田恭平であった。持田恭平は、金田一が恋愛感情を寄せている銀座のバーのマダム・持田虹子の死んだ夫である。
すっかり暇をもてあました2人は、温泉宿の女将から「修行場の近くで墓場荒らしが頻繁に発生している」と聞き、狸穴の行者の修行場を見物するついでに墓場にも足を向ける。墓場に到着するやいなや、1つの墓から修験者の姿をした男が、木の箱を抱えて逃げるように立ち去る姿に出くわした。
荒らされた墓を見つけ、その墓石をあらためて見ると墓石に彫られていたのは持田恭平の名前であった。荒らしつくされて棺から露出した人骨には、頭蓋骨がなかった。あの修験者の男が持っていた箱には、持田恭平の頭蓋骨が入っていたのではないかと金田一は考えた。
温泉宿から帰りほどなくした頃、再会した金田一はひどく憔悴した姿を見せる。思いを寄せる虹子のために、金田一は秘密裏に虹子の夫の死に対する調査を進めていたのだ。虹子の夫・持田恭平は「脳溢血」で若くして急死している。そして盗まれた彼の頭蓋骨の謎。
調査を進める中で、金田一は虹子の“過去”に秘められた事実をその目で確かめてきたのである。
金田一の調査から、虹子は跡部通泰に恐喝されていることが分かった。金田一は、夫である持田恭平の死因は妻である虹子による殺害によるもので、虹子は夫を殺害したことをネタに跡部に脅されているのではないかと金田一は睨む。
その時、虹子には新しい恋人ができていた。金田一の虹子への思う気持ちは変わらず、やがて彼女の幸福を願うようになる。金田一は虹子の幸せを阻む跡部通泰の正体を暴くべく、再び伊豆へ旅立っていった。それからしばらく経ったある日、跡部通泰が「脳溢血」で急死した。これによって、虹子の周りでは2人の男が「脳溢血」で死んだことになる・・・。
やがて「私」の元に北海道から金田一の手紙が届く。そこには一連の事件の真相と、その顛末が記されていた。
ちっともコミカルじゃない!読んでいて辛くなる作品!
「あっはっは、してやられましたな!」と、人懐っこい笑顔で己の失態を笑い飛ばすイメージのある金田一耕助ですが、この作品では痛々しいほどの姿を見せます。好きな女性の前で見せる異常なほどのハイテンションや、好きな人の“過去”や“現実”に対峙して顔色を極端に悪くするなど、「恋する男」そのものの金田一耕助の姿です。
結論から言いますと、金田一はこの未亡人に自分の思いを告げることなく失恋してしまいます。なぜ告げられなかったのか、それはこの未亡人の”過去“を知ってしまうからです。
男と女として関わっていくべきところを、「探偵」として関わらざるを得なくなるのです。
そして、彼女をとりまく事件に探偵として介入していきます。すべては彼女の幸せを願う気持ちからの行動ですが、あまりに辛い行動です。恋する人の過去を、探偵としての目で暴く辛さはどれだけのものでしょうか。人並み外れた推理力と洞察力を持つ彼の目には、見たくもない事実、凡人では見つけることの出来ない事実までもが入ってきたことでしょう。
凡人の恋愛のごちゃごちゃは、「真実は見なかったことにしよう!」と脳が拒否しますよね。それでも事実を知ってしまったときのショックは、心に相当の傷が残ります。「もう人を好きにならない!」と言ってしまいたくなります。それは天才・金田一も同じで、この作品以降彼は「独身主義者」になり、シリーズ最終章まで異性へ恋心を抱くことは一切ありませんでした。
虹子が可哀相すぎる
なにもここまで辛い人生を送らなくてもいいじゃないか、と言いたくなる「不幸の連続」のヒロインです。その結末もさることながら、自分を本当に愛して幸せを願ってくれた人(金田一)の気持ちに気付かないまま・・・ということに同情してしまいます。当時、望んだ幸せが叶いにくい時代でありましたが、虹子の場合は本人の努力ではどうしようもない「不幸な運命」がそうさせているのです。虹子はイケメン好きだったようですから、もじゃもじゃ男に興味が湧かなかったとしても仕方はないのですが、虹子がもう少し大人の女性であったら・・・と思ってしまいます。男は顔じゃないよ、虹子!
まとめ
金田一耕助は、シリーズの中で2回恋をします。1度目の恋の相手は「獄門島」のヒロイン・早苗です。不幸な事件が起きた島から出て、自分と一緒に東京に行かないか?と早苗に持ちかけますが・・・玉砕します。2度目の恋の相手が今回の作品「女怪」の虹子です。悲しいことに、どちらの恋も成就しませんでした。
「獄門島」は昭和22年、「女怪」は昭和25年に発表された作品です。シリーズが昭和54年まで続いたことから、初期の段階で金田一耕助から恋愛要素を取り去ったことになります。前回ご紹介した「黒猫亭事件」(昭和22年)では、横溝正史と金田一耕助が対面し、金田一耕助というキャラを「確固たるもの」に設定する作品に仕上げていましたよね。
この「女怪」では、「金田一耕助は、この失恋をきっかけに“生涯独身主義”の男になりました」という、新しい金田一耕助像のPR作品ではないかと私は思います。当時、このシリーズも人気が出てきた時期なので、根強いファンを増やすためにもこのような「エピソード作品」を作ったのではないでしょうか。
現代でも同じで、人気俳優が結婚したらその人気がガタ落ちになってしまいますよね。あんなにモテ男だった福山雅治のファンはどこに行ってしまったのでしょう。もし、福山雅治が今でも独身で「オレは一生結婚しない!」などと発言していたら、今でもその人気は高いままだったかもしれません。(福山雅治ファンの方ごめんなさい)
昔も今も、金田一耕助には多くの熱烈なファンがいたようで、昭和51年頃ファンによって結成された「金田一耕助を守る会」の女性会員の方からの手紙の中に「獄門島で、金田一が早苗によろめきかけたシーンに、ぞっとした!」という言葉があったそうです。どのようにぞっとしたのかはかかれていませんが、このような手紙は1通だけではなかったでしょうね。
このように、作品の生み出された時期やエピソードを調べていくと、作品では見えない面白いことが見えてきます。横溝正史は金田一耕助の有能なプロデューサーであり、マネージャーでもあったのです。