今回は金田一耕助シリーズ「吸血蛾」のご紹介です。昭和30年に出版され、シリーズ第27番目の作品として登場しました。舞台は東京、新進気鋭の女性ファッションデザイナー・浅茅文代が主人公です。ファッションデザイナーだなんて、初期作品と比較するとかなり現代的な雰囲気の作品です。

主人公の文代は、「彼女がデザインした服は必ず売れる」と謳われている流行の先駆者的存在の女性です。彼女を慕い取り巻くのは、文代専属の7人のモデルたち。美貌に恵まれた文代は、彼女自身もモデルとして加わりショーに登場します。そのショーの最中、殺人事件が起きます。突発的にケガを負った文代の代わりを務めたモデルが最初に殺されます。その後も次々とモデルたちが無残な姿にされていくというお話です。

ざっとここまで書いていて気づくのは、作品がどんどん現代的に変化しているということです。横溝正史といえば「田舎に根付いた因習」を題材にした小説家というイメージが強いですが、この「吸血蛾」の少し前あたりから現代的な作品が次々と展開されています。「通俗路線」への過渡期がまさに昭和29年あたりから始まるのです。

横溝正史の人生年表では昭和23年に疎開先の岡山県から東京・成城に帰っています。作品に現代的な傾向が表れ始めた(通俗路線への変化)のは、昭和29年出版の「幽霊男」(※登場人物がヌードモデル。作中金田一はホテルのボーイに扮装する)あたりです(
昭和23年の帰京から6年、すっかり近代化した東京で横溝正史の感じる景色も変わったのではないでしょうか。

■ 目次

みどころ


とにかくこれは猟奇殺人ストーリーです!死者は10人!シリーズ史上第2位の死者数です。殺されて箱に蛾と一緒に詰め込まれたり、切断された脚をアドバルーンで空中に上げられたり、操り人形のように脚だけ踊らされたり・・・猟奇的極まりない事件です。現代的になればなるほど、猟奇殺人って不気味に感じられませんか?

いつもながら金田一さん、今回も連続殺人を止めることが出来ませんでした。これは作品の時代を問わず変わりません。今回は依頼人も含めて10人殺害されてしまいました。しかも依頼人は、以前金田一が事件を担当したクライアントの友人です。かつてのクライアントに対して、友人が殺されたことを金田一がどのように説明したのか、それについてのエピソードは書かれていません。

あらすじ

浅茅文代は新進気鋭のデザイナーで、いつしか「婦人服飾界の第一人者」とまで世間に言わしめる存在になっていた。彼女を慕い取り巻いている「虹の会」は、文代専属のファッションモデル7人で構成されている。

「虹の会」の面々は、銀座裏にある「グリル黒猫」で今シーズンのショーの打ち合わせをしていた。その打合せの途中に、文代の弟子・村越徹が見知らぬ1人の男に声を掛けられる。
徹に声を掛けた男は、外套の襟を立て帽子を被っているうえに、顔半分はマフラーで隠されている。目元もサングラスで覆われ、徹は男の顔をしっかりと確認することができなかった。

男は徹に小さな箱を手渡し、文代に渡すよう言いつけた。徹が男の名前を尋ねようとした矢先、男はマフラーをずらして無言で大きく口を開いて見せた。その口、耳まで裂けているかと思うほど大きく開き、その中には狼のように尖った歯が並んでいた。異様な容姿はそれだけでなく、顔下半分にかけて赤黒いミミズのような傷跡がついていた。

少し遅れて打ち合わせに参加した文代が、徹から渡された箱を開ける。その中身を見た途端、文代はショックを受けたように気を失う。箱に入っていたのは1つのリンゴ。ただのリンゴではなく、そこには狼のような歯型が残されていた。

その後予定通りファッションショーが開かれる。文代はデザイナーのみならず自身のブランドのモデルも務めている。今回もランウェイを歩くはずの文代は、直前になって足を挫いて歩けなくなってしまった。やむなく文代は、自分の体型に良く似た体を持つ専属モデル・滝田加代子に自分が着るはずのドレスを着せ、代役とした。

いつものように、今回のショーにも問題の人物が来ている。問題の人物とは、一見品の良い“老紳士”であるが、この男は頻繁にショーに来ては、文代のデザインに対して大声であからさまに文句をつけるのである。今回も、文句を言うだけ言って満足したのか、にやにやと笑いながら帰っていった。

その夜、文代の代役を務めた加代子の行方がわからなくなる。文代のアトリエにあるマネキンを収納する木箱の中から、加代子の死体が発見された。死体は、左乳房が噛み千切られ、その血溜まりの中で一匹の蛾が真っ赤に染まってうごめいていた。

加代子の次に犯人の標的となったのは「虹の会」のメンバーの1人・有馬和子であった。和子は「昆虫館」と呼ばれる館の浴室から死体となって発見される。調べが進み、やがて昆虫館の主の正体が判明してみると・・・かつて文代のショーにしつこく文句をつけて帰る老紳士・江藤俊作、その者であった。

モデルの1人から事件の捜査を依頼された金田一は、江藤のことを文代に尋ねる。文代は江藤俊作と面識がなく、まして恨みを抱かれる心当たりなどまったくない。これまで同一人物と思われていた、歯型つきのリンゴを贈った男と、ショーに難癖をつける老人・江藤は別人であると金田一は睨んだ。どうして文代は2人の男から嫌がらせを受けるのか、金田一はさらに文代に質問を続ける。

やがて文代は、歯型付きのリンゴの贈り主の男について心当たりがあると、自身の過去を話し始める。文代のかつて留学先のパリで知り合った恋人・伊吹徹三という画家の存在がこうして明らかになる。文代の話では、伊吹は狼に噛まれた後から、挙動がまるで狼のように粗暴になったという。

粗暴になった伊吹から逃げるようにしてパリから去った文代であったが、歯型がついたリンゴを見て、伊吹が追ってきたことを知ったという。これまでのトリッキーな殺人は、伊吹だけが起したものなのか。和子はなぜ江藤の部屋から発見されたのか。江藤の正体を追及するうちに、捜査は犯人のアジトに及ぶ。そのアジトで、いよいよ伊吹と江藤の正体が判明する。

「吸血蛾」は誰のこと?題名にまつわる謎


題名にある「蛾」ですが、蛾自身は題名になるほどの存在感がありませんでした。昆虫館の標本にされているか、遺体の血溜まりに浸かっているかくらいしか登場シーンがありませんし。何より誰も「血を吸う」という行為をしていませんので、「吸血蛾」の題名にますます謎が深まります。

仮に「吸血」を「冷酷」「残忍」という意味に置き換えて考えてみると、この作品上「蛾」に直接繋がる昆虫館の主・江藤俊作は「吸血」と言われるまでの悪人ではありません。

では、誰のことを「吸血蛾」と言っているのでしょうか。残忍な性格の伊吹(文代のかつての恋人)なら、すでに「狼」と表現されているため、さらに「蛾」という違う生物をもって比喩する意味は、ほとんどないと思います。

考え方を変えて、「吸血」を「血を吸う」のではなく「吸い尽くす」という意味で捉えてみると「貪欲」とか「欲望」などの言葉が当てはまります。「貪欲な蛾」と繋げてみると、1人の登場人物が私の頭に浮かびました。

「蛾」は決して可愛らしい生き物ではありませんが、大きな羽をゆっくりと動かし舞う姿は、禍々しく・毒々しくも、美しいとさえ感じられます。そういった意味で、「蛾=女性」であり「貪欲な女性」「欲に溺れた女性」と解釈できそうです。今回は、「蛾のように」華やかなファッションモデルたちのお話でした。

結末は読んでのお楽しみですが、モデルの中の誰かが「吸血蛾」であることは、ここでお伝えしておきましょう。

まとめ


横溝正史の書く作品が「幽霊男」や「吸血蛾」で本格的に“通俗路線化”して、以前のような「田舎」を舞台にした「ザ・横溝正史」的小説はしばらく発表されません。(※「幽霊男」は77シリーズで21番目にあたります。つまり、残り56作品は“通俗路線”ということになります)

これ以降に岡山県を舞台にした作品は、「蜃気楼塔の情熱」「首」「三つ首塔(兵庫県の説あり)」「悪魔の手毬唄」「人面瘡」そしてシリーズ最後にあたる「悪霊島」だけです。私は岡山県に程近いところで育ちましたので、自分のホームは中国地方です。東京の人たちからすれば「岡山県は疎開先だから、作品が少なくて当たり前!」と思われるでしょう。

私からすれば、今まで一緒に住んでいた父親が、東京で新しい家族を作ったみたいな?寂しさがあるのです。それでも、シリーズ最終話である「悪霊島」が岡山県であることで、岡山贔屓の私は満足しているのです。


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