楽譜をヤマハなどに買いに行ったことがある方はわかると思いますが、楽器店などでは同じ曲集でも出版社が違う楽譜がいくつか置いてあります。
前はもっといろんな版を置いてあったと思うのですが、特に最近は外版があまり置いていないように思います。売れそうな版だけ置くという感じなのでしょうか?
私の場合、お店に行って実際に楽譜をその場で見て買って帰るということがとても少なくなり、お店に行っても欲しい楽譜がないということが結構多いです。そのため店頭で注文するかネットで買うという感じになっています。(東京など大都市の大きな楽器店であれば別だと思いますが…)
買うと決めているものについてはネットでもいいのですが、まだ気になっているという段階の楽譜はやはり実際に中身を見てから買いたいという思いがあるのでネットで買うのをためらいます。
特に連弾や編曲されているものはアレンジが気に入った楽譜を買いたいので中を確認したいです。(このように書くと長時間立ち読みしているように感じられてしまうかもしれませんが、楽譜を少し確認すれば構成や音の響きがだいたいわかるのでそんなに長時間立ち読みはしませんよ!)
直観的にこのアレンジ好き!と思ったら楽譜を買ってしまいます。こうやって買ってしまった楽譜はものすごく多く…今まで楽譜につぎ込んだ金額のことは考えたくもありません…。
旦那さんが同じようなデザインのものをいくつも集めていて奥さんが怒るというエピソードをTVなどでたまに見ますが、私の楽譜集め?(集めているわけではありません、気になっているものを買っているだけ)もそれとほぼ同じようなものなのでしょうか。
興味のない人には同じに見えるかもしれませんが、それぞれちょっとずつ違うんですよ!収集癖のある方にはきっとわかってもらえるハズ!
連弾や編曲された楽譜だけでなく、クラシックのピアノ楽譜にも多くの版があります。パッと見ただけではわからなくても中身をしっかり見ればそれぞれ違いがあります。
今回は同じ曲でも出版社によってどのような違いがあるのか、なぜ違いがあるのかなどについて書いていきたいと思います。
■ 目次
楽譜にはミスプリントがあることも…
たくさんあるわけではありませんが、ミスプリも中にはあるんですよ!これまでピアノの楽譜、伴奏の楽譜、子供用の教材の中などでいくつか見つけたことがあります。
ミスを見つけると四つ葉のクローバーを見つけときの様にちょっと嬉しいです。クラシックの楽譜の中で見つけたミスプリを2つ紹介しますね。
ショパン「エチュードOp.10第12番『革命』」コルトー版
この部分です。どこが間違っているかわかりますか?
間違っているのは〇の部分です。本来ならこのFの音の前に♭をつけなくてはいけません。
オクターブ上のFにも♭はついていないし左手にもついていないのでミスではないように感じられるかもしれませんが、その前のF(〇部分)には♭がついています。
この部分の右手はオクターブの間に音が入っているという流れになっているのにミスがある4拍目だけ上がFesで下がFというのはあきらかにおかしいです。この通り弾くとぶつかった音になり不自然です。
自宅にある他の版を確認するとやはりミスだということがわかりました。
ヘンレ版では下のFの部分に♭がついていました。全音版はとても丁寧でオクターブともに♭がつけてありました。(本来は前に♭がついているので上の方のFには♭をつける必要はありません。)
ラフマニノフ「楽興の時Op.16第4番」ジムロック版(Benjamin edition)
※この楽譜はミスのない楽譜です。IMSLPにこの版の楽譜がなかったのでミスの楽譜をお見せすることができなくて残念なのですが、ミスがあったのは3小節目の1拍目の右手の重音です。
EGの音が正しいのですが、私の持っている版はCEになっていました。(ブージー&ホークス版でも同じミスがあるようです。)なぜそんなことになってしまったのか??
このように音に違和感があった場合はもしかするとミスかもしれません。CDなどの音源でも確認してみておかしいなと思ったら違う版を見て確認すると良いと思います。
楽譜もいろいろ改訂されているので新しく発行されたものは訂正されているものもあるかもしれません。
原典版と解釈版について
クラシックのピアノ楽譜には主に原典版と解釈版の2種類があります。原典版
「原典」という言葉は元の文献という意味ですが、楽譜で言う「原典版」は少し意味が違い、原典を元にして出版されているという意味で使われています。原典版の楽譜で有名なヘンレ社のホームページを見てみるとギュンター・ヘンレがどのような思いで出版社を創業したのかが書かれています。そして「原典版とは?」という項目では原典版であると自信を持って言えるように多くの努力と苦労をしていることが窺えます。
https://www.henle.de/jp/the-publishing-house/was-ist-urtext/
作曲家が思っていたものとは違う楽譜があまりにたくさん出版されてしまうと、原典に返り楽譜自体を見直すべきだという考えにいたるのは当然のことだと思います。
原典版はヘンレ版以外にウィーン原典版、ベーレンライター版などがあります。ウィーン原典版は運指が割と多く書いてあります。
大きく捉えれば運指も解釈になるのかもしれませんがスラーを加えたり、デュナーミクを変えたりしているわけではないので運指を書くことは許されているのでしょう。
原典版にも校訂する人がいます。原典版の場合、校訂者は自分の解釈を書き込まないということが重要です。
原典版とは作曲家自身が書いたことや意図していたことをなるべく忠実に楽譜にしたものということです。
解釈版
解釈版とは演奏家などがより素敵な演奏になるようにと楽譜に表現を豊かにするための解釈を書き加えたものです。有名な版には外版で言うとコルトー版やブソーニ版などがあり、他にも多く出版されています。原典版と解釈版どちらを使うのかというのは難しい問題です。
原典版は表現に関してあまり多く書かれているとは言えないので、どうやって弾いたらいいのか迷ってしまうということがあるのではないかと思います。解釈版は指示が細かく書かれているのでどうやって弾いたらいいのか迷うということはあまりありません。
原典版、解釈版どちらにも良さはありますが、解釈版だけでは作曲家が本来考えていた曲の姿がわからない場合があると思いますし、逆に原典版だけでは表現の仕方がわからない場合があると思います。
本格的にピアノを勉強するのであれば原典版と解釈版を両方持っている方が良いのではないかと私は思います。
実際に楽譜を見比べてみよう
原典版や解釈版など同じ曲でも出版社によって様々だということは理解して頂けたと思います。実際にどのくらい違いがあるのかをショパンとバッハの楽譜で比較してみたいと思います。ショパンの場合
ショパンのエチュードOp.10-12「革命」の最初の部分の楽譜をブライトコプフ版、シャーマ―版、コルトー版の3つで比較してみたいと思います。【ブライトコプフ版】
比較する3つの楽譜の中では1番シンプルです。ヘンレ版とほぼ変わりません。ヘンレ版では拍子が2分の2になっています。そのためメトロノームの表記も2分音符=76となっています。
【シャーマ―版】
7小節目に注目して下さい。他の版はcresc.になっていますが3つの版の中で唯一このシャーマ―版だけがPの指示をしています。そしてシャーマ―版では他の2つの版よりも細かいスラーになっています。
ブライトコプフ版は7、8小節がスラーになっており、コルトー版は5小節目から8小節目までがスラーになっています。
【コルトー版】
コルトー版はペダルの指示がとても細かく書かれています。この曲の場合、ペダルをどのように踏んだら良いのか困っている人は割と多いと思います。コルトー版は細かく指示してあるので大変役立つと思います。
他にもクレッシェンドとデクレッシェンドが細かく書いてあります。これもどのように表現するのかニュアンスを捉えるのに役立つと思います。
3段だけでもこれくらいの差があります。テンポや表現に関することだけでなく運指も版によって違いがあるので全く同じ楽譜というのはないのではないかと思います。
バッハの場合
次にバッハのインヴェンション第1番を先ほどと同じく3つの版で比較してみたいと思います。【ブライトコプフ版(Bach Society Edition)】
こちらの楽譜はとてもシンプルです。こちらとムジェリーニ版とブゾーニ版と比較してみようと思うのですが、下の楽譜を見るとあきらかに違うのがわかると思います。
私が持っている原典版との比較もしてみましょう。ウィーン原典版やヘンレ版には運指が書いてありますが、こちらの楽譜には運指が書かれていません。
運指以外でこの楽譜とウィーン原典版とヘンレ版の違う点と言えば8分音符の書き方くらいです。ウィーン原典版やヘンレ版では8分音符が2つずつのセットで書かれていることがほとんどですが、この楽譜では4つをセットにして書かれています。
【ムジェリーニ版】
先ほどの楽譜とは全く違いますよね。初めにテンポ指示がしてあり、強弱記号も書かれています。スラーやスタッカートの指示もたくさん書かれていますね。
バッハを弾く時に迷うのがトリルの入れ方だと思うのですが、この楽譜では上の段に弾き方が書かれています。
【ブゾーニ版】
この楽譜はムジェリーニ版に似ているようですが、全く違う点があります。何かわかりますか?
トリルの表記がなくなっていますよね!これはトリルの音を削ってしまったではなく、ブゾーニ版ではトリルを実音符で書いています。
ブゾーニ版にはもう1つ特徴があります。何だと思いますか?他の2つの版の楽譜と何が違うのか6小節目と7小節目を見比べてみて下さい。
気づきましたか?6小節目の終わりが2本線になっていますよね!
始めから6小節目までは上の声部が主となり進んでいきますが、7小節目から下の声部が主導権を握ります。ブゾーニ版ではその構成を見ただけでわかるように複縦線(6小節目の終わりの2本線のこと)で示しています。
楽譜によって解釈が違うのでどの版を選ぶかによって差は出て来ます。ショパンの場合は解釈の違いで済むのですが、バッハの場合は少し状況が違います。
バッハ(1685-1750)が活躍していた頃にはピアノという楽器は発明(1709年)されてはいましたが、ピアノが主流となるのはまだ先なのです。
つまりバッハは元々ピアノで弾くことを想定していないのに現在多くの人がピアノで弾いているということになります。
そのため「ピアノでは弾くけど、バッハが弾いて欲しかったようにピアノで何とか表現しようとする人達」と「ピアノで弾くのだからピアノらしさを出して弾こうとする人達」というように分かれてしまっていると感じます。(ムジェリーニ版やブゾーニ版はピアノらしく弾くヒントが書かれている版になります。)
他にも色々ありますが、バッハを弾く上で難しいと思わせてしまう要因の1つがこの部分なのではないかなと思います。
楽譜について色々書いてきましたが同じ曲でも版によっていろいろな違いがあるというのがわかって頂けたでしょうか?
音楽は1つだけが正しいのではなく、いろんな解釈があっていいと思います。聴き比べる、見比べるという作業はきっと自分自身の表現の幅を広げてくれるきっかけになってくれるハズです。
この記事が楽譜にもっと注目して頂けるきっかけになれば嬉しいです。
まとめ
◆原典版とは作曲家自身が書いたことや意図していたことをなるべく忠実に楽譜にしたもの◆解釈版とは演奏家などによって素敵な演奏になるように弾き方などが書き加えられたもの
- ショパン「エチュード」Op.10
- バッハ「インヴェンション」BWV772-786
- ラフマニノフ「楽興の時」Op.16
- ユンゲンソン版(楽譜リンク)1897年にユルゲンソン社から出版されました。
本記事はこれらの楽譜を用いて作成しました。いずれもパブリックドメインの楽譜です。