昭和23年に発表された、横溝正史の金田一耕助シリーズ・「夜歩く」。
金田一耕助シリーズには「岡山編」と呼ばれる、岡山県を舞台に描かれた作品があります。
「本陣殺人事件」「八つ墓村」「獄門島」「悪魔の手毬唄」などが「岡山編」に当たりますが、
この「夜歩く」もそのうちの1つです。

「金田一シリーズの中で好きな作品は何ですか?」という質問に、「夜歩く」を挙げる人が必ずいるほどの、評価の高いこの作品ですが、題名も少し珍しいですよね。なぜ「夜歩く」なのでしょうか。

仮に私がこの小説に名前をつけるなら、「夜歩く“女”」とか「夜歩く“男”」となにかオマケをつけてしまいそうです。え、いらない?では、横溝正史のこれまでの作品の傾向だと「夜歩く”悪魔“」とか「悪魔が歩く夜」とかありえそうですよね。

でも、あえて「夜歩く」なのです。だれが、どうして夜歩くのか・・・知りたいことがスッポリと隠されています。この小説の人気の秘密は、題名がミステリアスな雰囲気を放っているからかもしれません。


■「夜歩く」のあらすじ

売れない探偵小説家である「私」と、大学時代からの友人「仙石直記」との会話からストーリーは始まります。

ウイスキーをかっくらって、酩酊状態の仙石直記が繰り広げる、取り留めのないそんな話。
どうやら、彼に近しい女性が結婚することになったらしい。
それが彼にとっては面白くないのだろうと「私」が呆れていたその時、仙石の話が過去に世間を騒がせた、「キャバレー銃撃事件」に飛ぶ。

今から半年ほど前に、銀座で有名なキャバレー「花」でその事件は起きた。1人の女性客が、別で店に来ていた男性客の右脚を突然ピストルで撃ったのである。銃撃されたのは「※佝僂(くる)病」の新進気鋭の画家「蜂屋小市」であった。
※佝僂病とは病気の一種で、ビタミンD欠乏症のひとつ。見た目の変化として脊椎や四肢骨の弯曲や変形が起こる【出典:ウィキペディア】

仙石の心を乱している、その女性は「古神八千代」という。八千代の実家である古神家は、旧幕時代から続く名家であり、対して、仙石直記の実家は古神家の家老を務める家柄であった。そのような代々の因縁話を「私」は仙石から大学時代に聞いていた。
「古神家」の血統には、ときおり「佝僂」が現れるということ。
そして、八千代の腹違いの兄が「佝僂」であることも。

“「それなんだよ、八千代のやつが結婚したいという相手が即ち蜂屋小市なんだ。」
私ははっとして直記の顔を見た。
「それじゃ・・・・もしや蜂屋を射ったのは・・・」(原文ママ)“

突然身の回りに現れた、2人の佝僂の男。不穏なものを感じた「私」と直記は古神家に乗り込むことにした。その日、そこで目にした異様な光景を目にした。
直記の父・仙石鉄之進が日本刀で蜂屋小市を切りつけようとしているのである。
「化け物屋敷」と近所から陰口を言われている古神家の人々、まさにうわさ通りの面々。
「私」はただ、立ちすくむしかなかった・・・・

■この本の見どころ

主要人物に「売れない探偵小説家」が登場するのは、この話が初めてではありません。
「呪いの塔」の主人公の職業も「売れない探偵小説家」でした。
「呪いの塔」の売れない小説家・由比耕作は、特に小説家でなければ話が進まないものではありませんでした。(当時の横溝正史自身を、由比に投影したと言われています。)

しかし、この「夜歩く」の主人公こそ、“探偵小説家でなければいけない”のです。その理由、それは読んでからのお楽しみ、ということでお願いいたします。

この本の特徴は、金田一は後半から登場するところにあります。
それまでは主人公が「私」と名乗って書いている「手記」で始まっています。この「私の手記」がとんだ“クセモノ”です。

一度読了しないとこの本の面白さは50%しか味わえません。
一度読んで、もう一度読むと・・・「嗚呼!」と金田一耕助のような声が出ること間違いなしです。もう一度読んでみよう、ではなくこの本は2回読むことにさせられる本なのです。

ネタバレのヒントになりますが、あえて書きましょう。
この手記自体「トリック」なのです。読んでいる間にトリックに気がつける方は相当探偵小説を読み込んでおられる方とお見受けします。

最後の数ページでその正体が明かされますが、どこで自分が騙されていたのかページを遡ることになります。
さて、この本のもう1つのみどころですが。当然のように「人は死にます」。でも死に方に新しい手法が使われています。
横溝正史自身が「こんな風に殺してみたかった」と言っている、“とある手法”で殺人事件が起きるのです。
今ではその手法を使った探偵小説はいくつか発表されています。現実にそんな殺人事件があったらとても恐ろしいですが・・・その犯人は「探偵小説ファン」であることは間違いないでしょう。

■映像で観る「夜歩く」

さて、私はこの小説に「TVドラマ版」(1978年版)があることを知っておりましたので、小説読了後、そのDVDを借りてまいりました。なぜかというと、全3回のドラマでこの緻密なトリックをいかに描くのか、たいへん興味深かったからです。


時間に制限がある映像版(しかもドラマ版、映画よりさらに制限がある)ではよくありがちな失敗「原作とぜんぜん違うじゃないか!」という仕上がりを嘆く原作ファンの悲鳴が聞かれることがあります。
それに関しては、この映像版にはほとんどありませんでした。お屋敷の雰囲気、ヒロインの雰囲気、その他登場人物に関しても違和感なく楽しむことができました。

ところどころ、ある出来事のキーパーソンの役目が違ったり、この本の特徴ともいえる身体的特徴などを、都合上やむを得ず変更したようですが、構成上という製作者側の視線で、納得できました。

気になる金田一の登場も、他の人たちとの関係を変えることで冒頭から登場しますし、映像ならではの「人物の表情から匂わせる」というメリットを生かした「優良な変更」がなされていたと、私は思います。

横溝正史はかつて、映像化されるとき「どんな作品になってもある意味しかたない」と記していたことがあります。かつては「殺人事件」という題名を変えられたりした時代もあったようですが、その歴史からみればこの「夜歩く」は意匠が尊重された、良い作品なのではないでしょうか。


と、ベタ褒めしましたが、ちょっとばかり私の中で事件が起きました。
今回は「ファッション」に関しての事件です。

■映像版「夜歩く」が起こした“私の事件”

 いびつなファッション事件

「夜歩く」に出てくる男性の登場人物は、30歳前後のナイスガイたち。しかも全員妙齢の独身です。みんなジーンズとシャツといった、比較的近代的なスタイルで登場しま
した。
そのような中、いつもの“もじゃもじゃよれよれスタイル”の金田一が可哀相なくらい浮いていました。何ていいましょうか、スタイルは変えようがないですが、衣装をもう少し体に合わせるとか、なんとかならなかったのか。

さらに今回は、画家・蜂屋小市の奇妙な衣装(ヒゲで白装束、頭髪に飾り物)が、さらにイケメンたちとの雰囲気の溝を深めます。
イケメンたちをもう少しアンティークな雰囲気に、例えば1人くらい着物を着せるとかしてバランスを取って欲しかったです。
  

 登場人物・混乱事件

小説での主人公は、「私」目線で登場しますので、当然姿がないのですが、ドラマ版では「私」が金田一耕助と友達という設定にしたことで、「私」が姿を現します。小説を読んだ人からすれば、映像では役者が1人増えることになりますね。

小説を読んでいると、頭の中で登場人物を想像して、それぞれの関係を整理しますよね。「私」の視線・一人称で書かれていると、「私」の心境などを深く想像しなくてもいい(私だけ?)ので、登場人物として1人に含まれない、数に入れない、そんな感覚みなさんにはありませんか?

「お家騒動」の事件ですから、従兄弟だとか兄だとかで、同じ年頃の男性が登場します。
しかも役者さんが、同じ体格や同じ髪型で、何度も巻き戻しして話を確認させられました。「この人誰だった?」状態が、この記事を書いている今でさえ、頭を整理するのに一瞬戸惑います。

 今回もやっぱり美女登場!驚きのエピソード事件!

今回も出ました!複数の男から愛される美女「八千代」。

小説の中の八千代を、「悪戯っぽい、それでいてどこか平衡をうしなっているような美しい小悪魔が躍動しているのである。白痴美というのはこういう美人のことをいうのかも知れないと私はその時考えた」と主人公の「私」はこのように表現しています。

さて、この八千代を演じた女優さんは、范文雀(はんぶんじゃく)さんという女優さんです。(分かる方はそれ相応の年齢とお見受けします。)
この范文雀さん、八千代の役を演じられた方ですから、とてもおキレイな女性です。
次にお話するエピソードを読めば、きっと「夜歩く」を映像版でも見たくなること間違いないと思います。

そのエピソードがこちら!
サザンオールスターズの「栞のテーマ」という曲、その歌詞はこの范文雀さんをモデルにして書かれたのだそうです。今でもこの「栞のテーマ」はサザンの名曲として、色あせることなく歌われていますよね。そのモデルになった人が、金田一のドラマに出ておられたなんて・・・。
(ちなみに、蜂屋小市を演じた岸田森さんは、樹木希林さんの最初の旦那さんだそうです!)


この「夜歩く」が放送された当時は、横溝正史は存命中で、亡くなる2年前でした。作者の人生とも絡めて作品をみれば、何倍も作品に奥行きが生まれます。

「金田一耕助シリーズ」は、小説で読んでもよし、映像で観てもよしです。
映像化された作品を観るメリットとしては、違った視線から原作を見直すことができることにあります。
何よりも、私が知らない俳優さんたちと出会うことができます。これは現代作品からは、絶対に得ることはできない、大変貴重な出会いです。