33年間も続いた金田一耕助シリーズは、横溝正史の小説家人生の「後半」に当たる作品です。前半にあたる作品を読んでみると、ほぼ初期の頃から、随所随所に「金田一になっていく要素」がすでに現れています。

横溝正史の作品は、基本的にどのシリーズから読んでもOKです。
シリーズは、どれから読んでもらっても違和感はありません。悪く言えば「続きが気にならない」ので、「その本」一冊で終わっても、なんの未練も残らないのです。

しかし、全巻読んだものから言わせていただくと、これは非常にもったいないのです!
ピンポイントで読むなら、どのポジションにその作品が位置づけられているのか、ぜひ知っていただきたい!
今日は、これから横溝作品を読む人たちのために、より面白く読んで頂こう!というピック
アップポイントをまとめて、ご紹介します。

■ 目次

知っておけばもっと面白い・作者と作品のエピソード


■1冊で何度も美味しく読めた、私の経験

書店にザッと並んでいる横溝正史の本を、手にとって読んでみると、知らない探偵のシリーズだったりして、金田一シリーズだけ読みたかった当時の私は、よく騙された(?)ものです!いつの間に、探偵は由利麟太郎に変わったのか不思議に思いながら、しぶしぶと読んだことがありました。(※注:由利麟太郎の方が登場は先です!しかも面白いです!)

同じ作者だけど、主人公が違うと、なんだか「親戚のおじさんの家に預けられた子」みたいに、「このおじさんと仲良くできるかなあ」なんて・・・心細くなりませんか?

せっかくだから由利シリーズも読んでしまったのですが、「なぜ探偵が違う作品があるのか」といった、疑問を払拭するために横溝正史について調べていきました。調べた後で読み返すと、着眼点が変わり、新鮮な作品として生まれ変わりました。

横溝正史の人生をある程度知っていると、「この人はやっぱりここにこだわるか!」など新たな発見がざくざくと出てくるのです。とくに、この小説家は、「自分が見たこと・聞いたこと・体験したこと」を材料に探偵小説を書いています。
しかも、「けっこうな正直もの」で、材料を捻じ曲げたりせず、作品を通してありのまま自分を表現していると私は思っています。

一人の小説家の人生を年表で知るのも結構大変なので、今回はそれらを「ポイント」にしてまとめてみました。

横溝正史の意外な経歴!


■小説家になる前は、江戸川乱歩の編集者だった!

横溝正史は、東京の出版社で、江戸川乱歩の編集者として働いていました。
神戸で開かれた小説家の会合で出会った横溝正史を、江戸川乱歩が東京に誘い、出版社に紹介したのです。

会合の後、「トモカクスグコイ」という乱歩からの電報を受け取った横溝正史は、神戸からすぐに上京!江戸川乱歩は当時32歳(当時24歳の横溝からすれば、兄貴という感じですね)。「これから探偵小説の時代が来るぞ!」と乱歩の誘いに乗った横溝でした。

横溝は19歳の時「恐ろしき四月馬鹿」で小説家デビューを果たしていて、江戸川乱歩より1年先輩。乱歩、目の付け所が違います。もっと遡れば、すでに10歳の時点で、ある探偵小説家の影響を受けて、探偵小説に目覚めていたといいますから・・・もっと早くなにかを書いていたらどうなっていたのでしょう?

江戸川乱歩との関係は「微妙だった(呼び寄せてくれた恩人だけど、編集者として苦労させられたから)」という説が多いようです。
こういうエピソードを聞くと、江戸川乱歩の作品も読んでみたくなりますよね。同時期に書かれたものの「読み比べ」とかも面白そうです。

■編集者時代に書いた探偵小説「呪いの塔」・・・そして独立!

「呪いの塔」は、江戸川乱歩が書いた「陰獣」のネタを軸にして(リスペクトと言われますが)横溝正史が編集者をやりながら書いた、探偵小説です。

「呪いの塔」は、探偵小説の編集者をしている主人公(由比耕作)が、担当している探偵小説家の別荘を訪れ、怪奇な殺人事件に巻き込まれる・・・というお話。
この関係、誰かさんと、誰かさんの関係じゃないですか。
繰り返しますが、ネタにした「陰獣」・・・江戸川乱歩作・横溝正史編集の作品です。

この小説の中最初の方に、由比耕作が小説家である大江黒潮に、
「いや~いい作品ですねえ~、みんなはいろいろ言うけど僕は好きですよ~」と言うシーンや、「編集者を辞めることを、大江さんに相談してみよう!」と悩むシーンもあります。
江戸川乱歩に言いにくいこと登場人物を使って伝えたのでしょうか。

「乱歩にお世辞なんか言ってないで、はやく編集者辞めて、自分の小説が書きたい!」と、私にはそういう風にしか聞こえません。
でもこれはそのように受け取っても間違いではないのです。なぜなら、「呪いの塔」が出版されたその年に、横溝正史は出版社を辞めるのです。

私だったら売れ行き見て、印税入って、次の作品に着手して半分くらい出来たあたりで様子みながら、乱歩の顔色みながら辞めますが、よほどのことがあったのでしょうか。

乱歩のお尻を叩いて「早く書いてくださいよ」とやるのが日常だったようですし、なによりこの作品が、世間からの評価が良かったことで、探偵小説家として生きてゆく自信があったのでしょう。私はいい機会だったと思います。
こうして慣れ親しんだ(?)編集者としての仕事に別れを告げ、小説家の人生が始まりました。

病のなかで、生み出された名作たち


■病に倒れ療養生活をしていた時期に生まれた「耽美小説」

編集者から、念願だった小説家への転身・・・ではなくカムバック!
ところが「呪いの塔」を発表した翌年、横溝は結核にかかり、信州での療養生活を送ることになります。さあ、これから書くぞというときに、発病したことは横溝本人にとってかなりショッキングな出来事だったでしょう。

この療養生活時代にも、横溝は書き続けました。その時書かれたものでは、「由利麟太郎シリーズ」の他に「鬼火」「蔵の中」耽美系小説の短編集があります。(この時期に書かれた由利麟太郎シリーズの「真珠郎」も耽美的です。)

「蔵の中」は、登場人物は“結核”にかかっていて、隔離されている蔵の中の出来事を描いています。暗い蔵の中で、繰り広げられる美しい姉弟の儚い命を描いたストーリーです。

これは、横溝正史の療養生活をモデルにして書いたもので、これまでの作品と比べると、かなり雰囲気が違います。

新鮮な空気が入ってこない、病人がいるからと誰もが避けて通る蔵の中の出来事。ちょっと儚げでもあり、蔵のヒンヤリした空気が感じられるような作品です。
トリックもあるのですが、それがとても珍しい手法で、読む人を作品の世界に引きずりこむ力があります。

最初に読んだ時は、「かなりジャンルが違うな、こんなのも書くんだな」と思いました。後になって、「蔵の中」を書いたその時が「結核で療養中だった」と知りました。
読みなおすと、ああなるほど、と腑に落ちましたね。

病だからこそ書けた、これは横溝正史の中で読んでおくべき作品だと思います。(私は5回読みました。)コミカルな金田一シリーズと比較して、明暗コントラストがこれほどはっきりした作品も珍しいです。

戦争で失ったもの、そして得たもの


■太平洋戦争で、探偵小説が書けなかった時期

療養生活も無事終わり、さあこれからだ!という時に太平洋戦争が始まりました。編集者からカムバック、そして病気。やっとこれからというときです。またしても横溝の探偵小説家人生に暗雲がたちこめます。

戦争中は検閲が厳しくなり、探偵小説を書くことを禁じられてしまうのです。

続いていた「名探偵・由利麟太郎シリーズ」も、やっぱり中断となってしまいました。江戸川乱歩や他の探偵小説家にも、このような「失われた空白」という歴史があるのです。
この空白期間、他の作家も含め、横溝正史がどれだけの作品が書くことができたかと思うと、とても残念に思います。

その時、横溝正史が探偵小説を書いていたら、どんな作品になっていたのでしょうか?戦争反対論者だったといいますので、「耽美小説」のように、違う一面を持った作品が生まれていたかもしれません。

■太平洋戦争で疎開したのが、運命の地・岡山県

戦況が悪化し、横溝正史は一家とともに東京から岡山県へ疎開します。
岡山県では慣れない農作業をしていました。これまでペン一本で生きてきた人が、農機具を使う力仕事なんて、大丈夫だったのでしょうか。

終戦の日、ラジオで終戦を知った瞬間に、隠しておいた「探偵小説セット」を出してきたそうです。とっておいた書き損じの原稿用紙を切り貼りして、原稿用紙も手作りしました。
それだけ探偵小説を、書きたくて書きたくて仕方がなかったんですね。楽しそうに準備をする姿が想像できます。

探偵小説の再開の日、そんな歴史的な日を岡山県で迎えたのです。
普段何気なく、新幹線で通り過ぎる岡山県ですが、こんな歴史があると見る目が変わりますよね。(岡山県のみなさんごめんなさい)

■岡山に疎開しなければ金田一の話はまったく別物だったかも?

どうしてすぐに東京に帰らなかったのかと疑問に思いましたが、当時東京が物資の不足が続いていたことで、3年半、横溝は岡山県で生活を続けます。この時のことを横溝はこう言っています。

「東京にいたら、いらない情報まで入ってきて気が焦ったと思うけど、岡山にいたら落ち着いて小説を書くことができた。小説家には孤独が一番!」

そうです、誰かがもう作品を仕上げたとか、誰かが成功したとか、聞けば気が焦りますよね。
この岡山の逗留期間は、私は横溝にとっての「宝物」だったんじゃないかと思います。

さらに、岡山での疎開生活で人々が話してくれた「因習」「家柄」「血縁」にまつわる話は、横溝に鮮やかなインスピレーションを与えました。最初に「家柄」という言葉を耳にした時、東京人の横溝は「家柄?なにそれ?」と思ったほど、まったく無縁で、思いもよらない、未知な価値観だったのです。

これら田舎独自の風習を知らなければ、「本陣殺人事件」も「八つ墓村」「獄門島」は生まれてこなかったのです。また、岡山県が因習や因縁の宝庫ではなく、「サバサバした気性」の土地だったら、やっぱり金田一耕助は生まれて来なかったのです。
(岩井志麻子さんという怪奇小説家の方も、岡山の因習・因縁を題材にして小説を書くほどの岡山県、一体どういう町なのかとっても気になりますよね!)

岡山の因習を、知らない世界と敬遠しなかった横溝正史もさることながら、横溝が“軍師”と呼ぶほどに、「田舎の因習」を横溝に伝え続けた方々との対話の結晶が「金田一シリーズ」なのです。
そんな素晴らしい岡山県、「名探偵金田一耕助ミステリー遊歩道」を整備してくださっています。なかでもおすすめしたいのが「横溝正史疎開宅」。
なんと疎開先の家が、横溝が使用していた家具とともに佇まいもそのままに現存されているのです!この家で横溝正史と地域の人々が金田一耕助を生み出したのです。

“軍師達”と話し込んだり、新しいトリックを考えたりした場所だなんて、考えただけでも興奮します。

URL  http://www.kurashiki-tabi.jp/see/252/

金田一耕助の意外な○○


■「金田一耕助」は、恩人の急死がきっかけで生まれた、新キャラ!

かつて横溝が病で倒れ、予定していた作品に“穴”をあけた時、それを埋めてくれた小説家がいました。ところがある日、岡山にいる横溝のもとに、その恩人の訃報が届きます。
その恩人は、奇しくもあの時の横溝のように、一編の小説を雑誌に投稿する予定を控えていました。

恩人の急死によって開いた“穴”を、今度は自分が埋めるべく、名乗りを挙げた横溝正史。小説家、という特異な分野を職業に持つ人同士の友情でしょうね。誰にでも温厚に接したと言われる横溝正史らしい行動だと思います。

それは由利麟太郎の復活小説である「蝶々殺人事件」の執筆中の出来事でした。つまり、ほぼ同時にトリッキーな長編を書くという、一世一代の大仕事を引き受けたのです。

そんな「大仕事」の中、生まれてきたキャラクターが金田一耕助なのです。明るく人懐っこい性格の金田一耕助の設定には、岡山県の軍師達、そして急逝した恩人への感謝の気持ちが含まれているように、私には思えるのです。
読み出したころの印象としては、長い間、考えぬいて作ったキャラクターとばかり思っていましたので、私にとってこれは意外なエピソードでした。

■由利麟太郎と金田一耕助のキャラクターの違い、そのワケ

由利麟太郎はダンディ探偵で、洋服が似合う、元警察捜査課長。しかも戦後に若いお嫁さんまでもらっちゃうようなロマンスグレーの探偵。
その真逆のスタイルということで、「もじゃもじゃ頭で・よれよれの着物」の金田一耕助像が出来上がったのです。ちなみに、金田一シリーズの中でも人気のある「夜歩く」の中の登場人物が、金田一の印象をこのように言っています。

「 ”(金田一を)ひと目見て、村役場の書記だ“と思った」

今でいえば、どんな感じの男性でしょう。同じスーツ着てアームカバーとか指サックとかしている人ですよね。架空の人物としては人気が出そうですね!!ちょっと極端すぎる設定ですが、長編を2本書き分けるのですから、このくらいの違いがあったほうが確かにいいでしょう。

親しみやすいキャラの金田一耕助の人気が爆発すると同時に、由利麟太郎は去っていかざるを得ませんでした。由利先生のファンの方は「あんな終わり方ないじゃないか」と今でも惜しんでおられるようです。(私の頭の中で由利先生は、「真田広之」で再現されていました。)


■登場人物の名前にひたすらつきまとう「耕」の字

これまでの登場人物に「耕」の字がつく人物が多く、それも主人公ばかりに限ってです。
金田一シリーズから始まった私は、次に読んだ「呪いの塔」の由比耕作の名前を見たとき、しばらく金田一シリーズではないことに気づきませんでしたから(!)。

ちなみに、「耕」がつく名前をピックアップしてみると・・・

・山名耕作 (山名耕作の不思議な生活)昭和2年
・由比耕作 (呪いの塔)昭和7年
・椎名耕助 (真珠郎)昭和 昭和11年
・金田一耕助 昭和21年

昭和2年から21年ですから、19年経っても、「耕」にこだわったのですが、これにまつわるエピソードが見つかりません。とても気になるんですけどね。
私なりに推測しましたが、疎開地で農作業をしていたから「耕す」にしたのかなと思いきや、昭和2年の時点(この頃はまだ疎開していません。)すでに使われていました。
ご両親の名前かと思って調べましたが、かすりもしませんでした・・・。

探せば他にも共通点がある登場人物がいるかも知れません(※実は結構います)。横溝正史を取り巻いていた人たちからも、お名前拝借していることがあります。
お世話になったある人と同じ名前の登場人物がいたり(その人物の結末はどうあれ)、これも横溝らしい名付け方法だなあと思います。

そんな「名前」にも注目しながら読んでみてはいかがでしょうか。

広がり続ける、横溝ワールド!


■「本陣殺人事件」と「蝶々殺人事件」は一冊にまとめて発売された!

今の時代だったら「新キャラ登場!」とばかりに、絶対2冊に分けて売られそうですが、当時は1冊にまとめて作られた、ちょっと珍しいパターンです。
この2作がまとめられた本は、今でも中古で入手できるので、ひょっとしたらみなさんもどこかで目にするかもしれません。

この1冊には「横溝正史が2つ一気に書いた」というエピソードがありますので、それを知ってから読むと、彼の技巧の素晴らしさがより強く感じられますよ!

横溝正史自身はこの2つの作品について
「当時44歳で若かったから出来たんだよ・・・」と言っています。

当時、田んぼを徘徊しながら、気持ちを静め、構想を練ったのだそうです。着物の帯が外れて引きずっているのも気がつかないくらいの状態だったとか。(長男一成を外出先に忘れて帰る、長嶋茂雄みたいですね!)
すさまじい集中力です!

■初のビジュアル化は、映画化ではなく・・・漫画化!

小説の域を超え、いろんな媒体に広がりを見せる横溝作品。
映画に関しては、今現在もいろんな人が演じリメイクされ続けています。「犬神家の一族」が映画化されたのは、昭和51年。大ヒット映画になりました。

でも、ビジュアル化は映画が初めてではなく、遡ること8年前の昭和43年に「八つ墓村」が漫画化されています。
しかも!漫画はその後4回、作者が変えながらリメイクを繰り返しました。その中にはつのだじろうの描いた作品もあります。
漫画にしよう!とした影丸譲也さん、もっともてはやされてもいい気がします。
でも、TVアニメにはしないほうがいいと思います。(絵だと余計に怖いので。)

映画でも役者を変えて何度もリメイクされていますが、初めてのビジュアル化はこんなに早かったのですね!私は今後、漫画版を集めて読んでみようと思います。

まとめ


読み出した当初、「横溝正史が書いたものは、全て金田一の本」だと思っていた恥ずかしい思い出があります。買い漁った本の中に「探偵・由利麟太郎シリーズ」が入っていて初めて、別のシリーズがあったことを知りました。

「呪いの塔」の由比耕作と出会ったときは、金田一耕助とキャラクターが似すぎていて、「名前微妙に間違ってるんじゃないの、これ?」なんて、無知な私は思いました。
でも、呪いの塔が、金田一シリーズの始まる14年も前に書かれたものと知ったときは、かなり驚きました。時間の差が感じられなかったのです。(表現力は後半の方が優れていますが)
全部読んでみないと分からないことですが・・・全ての作品は、目には見えない一本の線で繋がっています。共通性とかのように“見出す”ものではなく、“感じさせる”一本の線です。
愛する登場人物に、その時の自分を投影して書いた、横溝正史自身の精神(スピリッツ)みたいなものかもしれません。