人面瘡(じんめんそう)とは、人間の顔をした腫瘍のことです。人の顔に見えるだけではなく、その腫瘍は人間のように言葉を発したりすると言われています。
人面瘡を題材にした作品は、横溝正史のものだけではありません。過去のもので有名なのは「飯くい女房」ではないでしょうか。ある男が嫁をもらってから、米の減りが早い。不審に思って調べてみたら、嫁の頭にもう1つ顔がついていて、男の留守中に嫁はもう1つの顔に米を食べさせていた・・・という昔話を聞いたことはありませんか?
谷崎潤一郎や手塚治虫、岩井志麻子氏も、人面瘡をモチーフにした作品を発表しています。
人格をもつ人面瘡があれば、祟りによって現れた人面瘡もあります。岩井志麻子氏の作品では、主人公が人面瘡を慕うシーンがあります。恐ろしくも、我が身の一部に変わりない人面瘡なのです。横溝正史はこの「人面瘡」をどのように描くのでしょうか。
「人面瘡」って本当にあるの?
「人面瘡」は、腫瘍の大きさによって生じたシワや凹み、それがあたかも人の顔のように見えることで、このあだ名がついたそうです(※医療的な用語ではありません)。凹みが生じるような大きさの腫瘍は、誰にでも発生する可能性はありますよね。しかし、横溝正史の「人面瘡」は、ただの腫瘍で終わらないのが面白いところです。こんな終わり方があるのか!と言いたくなるほど、最後の最後でひっくり返されます。ただの腫瘍ではないなら、一体それは何だったのか、と気になるところですが、ここは「不思議な“病気”による腫瘍だった」とだけ申し上げておきましょう。
この“病気”は実在するものです。私もこの病気を知ったときは信じられない気持ちになりました。今では原因と詳細が解明され、腫瘍の発生の原理を知れば理解できる病気です。しかし初めてこの腫瘍を切除して解剖した人は・・・相当驚いたはずです(この時点で、もしかすると、ネタばれしたかもしれませんね)。
「金田一あるある」が凝縮された短編小説!
この作品には、もう1つ興味深いところがあります。前回ご紹介した「夜歩く」とロケーションがそっくりです。「夜歩く」を読んでから、この「人面瘡」を読むとちょっと不思議な感覚になります。主要人物の名前や、ヒロインが抱える特殊な病、殺人現場が滝、なによりも舞台が「岡山県と鳥取県の県境」これらが共通していて、まるで「夜歩く」のスピンオフ作品のようです。
短い作品ではありますが、このお話も立派な「金田一耕助・岡山編」です。「本陣殺人事件」や「獄門島」など岡山県で数件の殺人事件を解決した金田一耕助、彼はすっかり岡山県の人たちに親しみを覚えました。大好きな岡山で疲れを癒そう!と、岡山県警の磯川警部と一緒に訪れた岡山県の温泉で殺人事件に巻き込まれます。
訪れた先で事件に巻き込まれるパターンは「金田一耕助あるある」の1つです。「本陣殺人事件」では結婚式に出席したら殺人事件に巻き込まれました。「獄門島」では戦友の紹介で療養に訪れた島で巻き込まれました。そして今回も湯治に来た温泉で・・・殺人事件の神様は、金田一耕助を休ませてはくれないようです。
この作品のみどころ
短い作品ながらも「田舎」「男女のドロドロ」「美しいヒロイン」という要素が詰め込まれています。トリックはありませんが、ちゃんと「種明かし」があります。淡々と話が進められていくのかといえば、そうではありません。100ページに満たない作品ですが、読者が求める「要素」は1つとして省略されていません。短編作品は登場人物の心理描写がうすくなりがちですが、どの登場人物もそのような“うすさ”がありません。どの人物も感情移入させられます。中でもヒロインの過去やヒロインをとりまく人物の過去も興味深く、後半になるまではその過去はベールの中。興味を失うヒマもないほど、あっという間に読めてしまいますが、短い作品だったという印象がありません。
この作品は2003年にTVドラマ化されました。原作が短編でありながらも、映像化できたのは、このような素晴らしい構成であるからなのです。
あらすじ
岡山県と鳥取県の県境にある著名な湯治場「薬師の湯」で女中として働く松代(まつよ)が服毒自殺をするが、未遂に終わる。療養目的でこの湯治場に来ていた金田一耕助は、彼の持つ医療知識を活かして(※金田一はアメリカ滞在中に看護師見習いをしていた)松代の診察に立ち会うことになる。その時、松代の体を巣食う人の顔をした腫れ物「人面瘡」を発見する。腫瘍のその顔には、目鼻口があり、まるで作りかけの人の顔の彫刻のようである。やがて、松代の書いた遺書が発見される。
「あたしは今夜また由紀ちゃんを殺しました。由紀ちゃんを殺したのはこれで二度目です。
病気とはいえ二度も由紀ちゃんを殺すなんて、なんというわたしは恐ろしい女でしょう」
遺書の中で殺したとされている「由紀」は、松代の妹である。その由紀と「人面瘡」の顔がどこか似ている、と女中仲間の1人が言う。
遺書の通り、由紀が遺体となって発見された。松代は、自分が由紀を殺したと話すが、死亡推定時刻と松代のアリバイがどうしても合わない。「あたしのあの病気がまた出たのだ。病気がでたから由紀をころしたのだ」と、自分が殺したと言いつづける松代。
その病気とはなにか。なぜ松代は自分が殺したと、強くこだわるのか。そして、真犯人は誰なのか・・・
松代にイライラする私
松代を見ていると、イライラしてしまいます。あんたがきちんと自己主張しないから悪いのよ!と思ってしまいます。でも、実はこの「イライラ」させる松代が、事件のカギです。自己主張をしないのではなく、できないのです。その「自己主張できない」理由が、松代自身にもわからないのです。この松代の深層心理を、金田一耕助が解明し、そして松代に1つの提案をします。それは「体にできている腫瘍を、しかるべき病院で診察してもらいなさい」というもの。
由紀が殺されたとか、真犯人が意外な人物だったなどの騒ぎで、忘れかけていた「人面瘡」がここで再登場します。突拍子もない提案のヒミツは、金田一のセリフの中の「摂理の神のいたずら」という言葉にあります。 このセリフは、作品の最終から数えて3ページに書かれています。このことから、このお話のダイドンデン返しっぷりが想像していただけるかと思います。
今回も観ました!映像化された「人面瘡」
2003年に放送されたドラマ版では、松代を斉藤由貴さんが演じました。ドラマ化された当時は30代半ばくらいです。松代は原因不明の罪悪感を持つ、アンニュイな女性でしたね。そんな松代を、斉藤由貴さんが演じたら・・・アンニュイというより「ボーッとしている、どんくさい女中」になってしまいました。原作の松代は、湯治場の女主人から、自分の跡を継いで欲しいと言われるほどの働き者ですが、斉藤由貴が演じる松代ではちょっと跡を取らせるには不安です。意地悪ででしゃばりな妹・由紀の方が女主人向きです。
TVドラマ版は、このような松代に仕上がっています。ミスキャスト、というより「斉藤由貴だから仕方ないや!」という、斉藤由貴ワールド炸裂の作品です。
まとめ
このお話には特長がもう1つあります。それは、この作品では巷に流れる「人面瘡」の通説である「腫瘍がしゃべる」という設定がないところです。もし、人面瘡が通説どおりしゃべっていたら、このお話は別のものになっていたでしょう。もっとも松代の謎や真実をしゃべってくれたら、の場合ですが・・・。
横溝正史の「人面瘡」は怪奇小説ではなく、「人面瘡」を現実的かつ医学的に描いた、確かな探偵小説なのです。