あなたも知っているであろう音楽家、バッハ。バッハは多くの音楽家を輩出していることで有名な家に生まれ、生まれた時から音楽家になるべく大切に大切に育てられました。

同じ時代に生まれたのにそんなバッハとは正反対の境遇で育てられた音楽家がいます。音楽に理解のない父親が法律家にさせようと必死になり、不本意にも、大学も法律科に進学することになってしまった男。

しかし彼はそんな不遇な環境にも負けず現代に名を残す有名な音楽家となりました。――その音楽家が誰だかあなたは分かりますか?

答えはヘンデル。ヘンデルの作曲したオラトリオ「メサイア」、特に第44番はイギリス国王も聴いた時に感動して立ち上がって喝采を送ったとか送らなかったとか。あなたもきっと「ハーレルヤッ!ハーレルヤッ!」というメロディーを耳にしたことがあるでしょう。

今回は元オーケストラ団員トランペット奏者の私がヘンデルの「メサイア」を解説します。
 
ヘンデル「メサイア」より第44番「ハレルヤ」


■ 目次

「メサイア」とは

「メサイア」は「神から選ばれた支配者」を意味するヘブライ語の英語読みです。ヘンデルの代表曲であるこの曲は「救世主生誕の預言と降誕」「受難と贖罪そして復活」「永遠の生命」を表現しています。

宗教的意味合いが強い楽曲のため世界中でクリスマスから年末にかけて演奏される定番曲です。ベートーベンの交響曲第9番を年末に演奏する習慣は世界中でも日本だけの習慣ですがこの「メサイア」特に44番の「Hallelujah(ハレルヤ)」は世界中で年末に演奏されています。


「メサイア」の曲構成

「メサイア」は全部で3部構成です。第1部から第3部までのすべての曲は第1曲から第53曲まである超大作。演奏は全部でおよそ3時間かかりヘンデルの代表曲にふさわしい大掛かりな構成となっています。

合唱の歌詞は全て聖書から引用されています。

第1部 救世主生誕の預言と降誕

キリストの誕生を穏やかに表現している部分。第12番の「一人の嬰児は我らのために生まれたり」はキリストの誕生の喜びを表したフレーズとして有名です。

こちらで聴くことができます。
第12番 for unto us a child is born

第2部 受難と贖罪そして復活

劇的な要素を強調した音楽のつくり。これはバロック音楽の特徴とも言えます。キリストの受難と贖罪を表現した第2部は感動的な合唱とメロディーと共に今でも多くの聴衆の心を揺さぶっています。

第23番の「神はあなどられて人に捨てられ」はヘンデルがキリストへの思いが有り余り泣きながら作曲したという逸話が残っている注目のアリア。

第2部の最後に演奏される第44番「ハレルヤ」はヘンデルのメサイヤの中でも最も有名な楽曲であり、単独演奏されることも多いですね。

第3部 永遠の生命

キリストの復活と永遠の生命を表現。一番最後の楽曲に当たる第53番では力強く雄大な「アーメン・コーラス」が組み込まれています。

「屠られた子羊こそ(キリスト)富や知恵、賛美を受けるにふさわしい」とキリストを賛美しています。

綺麗なメロディーでキリストの神聖さを感じさせる雰囲気を纏っています。男性パート女性パートにそれぞれ聴かせどころがあり、合唱者の立場からしても歌いこなすのが難しい楽曲です。

気になる人はぜひ聴いてみてください。

ヘンデルはもともとドイツ生まれですがイギリスに移り住み最終的に帰化したため英語での歌詞がメジャーとなっています。

イエス・キリストを題材としていますが教会で歌われることは多くはなく劇場でオーケストラと合唱によって演奏されることを前提として作曲されました。この偉大なヘンデルの大曲は教会音楽という枠を超えて世界中で親しまれることとなったのです。

ヘンデル「メサイア」初演と演奏秘話

メサイヤの初演は1742年。1685年生まれのヘンデルが57歳の時にアイルランドのダブリンにある音楽堂でヘンデル自身がタクトを振り初演を迎えました。

初演は大好評でイギリスの新聞各紙で絶賛されたと言います。さらにその翌年にはロンドンでも演奏されます。その時会場で演奏を聴いていたのが国王のジョージ2世。

あまりの素晴らしさに国王は立ち上がって大きな拍手を送ったと言われていますが、実はそれは作り話だった・・・という話もあります。どちらにせよヘンデルのメサイアが当時多くの人々に好評だったのは間違いなさそうですね。

当時このメサイアは20名ぐらいの合唱団とオーケストラで演奏されていました。

それから100年をかけて、この曲を演奏する際の合唱団の人員は年々増えていき、1857年にアメリカのボストン・ヘンデル・ハイドン協会主催の音楽会で600名程度の合唱団と一緒に楽曲が演奏されたのをきっかけに1万人の合唱団と500名のオーケストラなど大人数での演奏が行われるようになりました。

ヘンデルとバッハの比較

ここで面白いエピソードを紹介しましょう。音楽の父と呼ばれるバッハと、音楽の母と呼ばれるヘンデルの比較です。

冒頭でも少し書きましたが、ヘンデルが生まれた時父親はすでに63歳。母親は34歳で両親が音楽をやっていたという記録もありません。さらに父親はヘンデルが音楽の道に進むことに対して猛反対。当時音楽家の地位は低く、収入も不安定だったのです。

もちろん両親はヘンデルの音楽教育に熱心なはずがなく、特に父親はヘンデルが社会的地位の高い法律家になることを強く希望していました。

一方バッハはルター派音楽家一家の末っ子に生まれ、幼い頃から音楽に親しんだ生活を送ります。ヘンデルとバッハは生まれた時の環境から正反対だったのですね。

一方でヘンデルとバッハが大人になって音楽家として活動するようになると、ヘンデルの方が人々の人気を集めるようになります。ヘンデルもバッハもドイツの出身でしたが、ヘンデルはドイツをでてイタリアに留学、その後イギリスに移住(その後イギリスに帰化)し世界を股にかけて活躍していました。

それに対しバッハは生涯ドイツで過ごし音楽活動をしていました。ザクセン公国(現在のドイツの北西部を支配していた公国)の宮廷音楽家に任命されるなど、一定の評価を受けて活躍していましたが、当時国際的な知名度で言えばバッハよりもヘンデルの知名度の方が高かったのです。

名家である音楽家一家にまれ音楽家として恵まれた環境で育ったバッハに対し、両親にすら音楽家になることを望まれなかったヘンデルは、バッハよりも自分で自分の音楽家としての道を開拓しなければいけないというハングリー精神が強かったのかもしれません。

当時バッハはヘンデルの存在をかなり強く意識していたと言われています。1719年と1729年の2回にわたりヘンデルに面会を求める申し入れをしていますが、すれ違いになってしまったり、ヘンデルに断られたりといった状況で結局バッハとヘンデルの面会は生涯叶いませんでした。

このことからもバッハはヘンデルを意識していましたが、ヘンデルの方はあまりバッハに興味がなかったことが伺えます。

ちなみに二人の存命中に行われたドイツのライプツィヒの新聞の人気作曲家ランキングではヘンデルは2位、バッハは7位だったそうですよ。1位は18世紀前半のヨーロッパで不動の人気と名声を得た作曲家テレマンです。


私のハレルヤ演奏体験

私はオーケストラ団員だった頃、メサイアの第44番「ハレルヤ」を演奏したことがあります。その時の演目は前半「G線上のアリア」「ハレルヤ」後半「ベートーベン交響曲第9番」という内容でした。

「G線上のアリア」の作曲家はバッハ。今考えるとバッハ、ヘンデル、ベートーベンという超豪華ドイツ音楽家の作品を集めた演目ですね。

ここからはぜひ冒頭の動画を観ながらお楽しみください。

曲は弦楽器とファゴットの軽やかなリズムで始まります。そのあとは合唱団の「ハーレルヤッ!」に追随するようにオーケストラが同じリズムを奏でていますね。

トランペットの出番は0:34〜。個人的には0:46から0:50までのトランペットのメロディーが好きでした。メロディーもキャッチーで弦楽器も木管楽器も合唱も音楽を奏でているので、音に重厚感があって演奏していても楽しいのです。

そこから1:17ぐらいまでの間もトランペットパートの聴かせどころです。高音を担当している特にファーストトランペットは高音のファンファーレをどれだけ伸びやかに吹けるかがポイント。失敗してしまうとせっかくの合唱も台無しになってしまいます。

それから個人的に1:36〜の合唱の部分が好きでした。合唱のバス・テノール・アルト・ソプラノパートがそれぞれ順番に歌います。音がだんだん高くなっていくのでそれに伴い気持ちの高揚感を感じていました。

聴いていると分かると思いますがこの曲ではトランペットはほとんど休みなく吹いています。弦楽器と違いトランペットにとってこれは珍しいことで、その上高音が続くファーストトランペット奏者にとっては失敗はできないし音は高いし・・・ということでなかなかしんどい曲なのです。

動画の3:18の部分を見てください!画面手前のメガネのトランペット奏者のおじさんの顔が真っ赤ですね。プロでも顔がこんなに赤くなってしまうくらい高音が続く曲なのです。

当時私のハレルヤの演奏が終わった瞬間の気持ちは「あ〜やっと終わった〜!」でした。私は高音担当のファーストトランペット奏者だったので、このハレルヤの演奏はとても大変でした。

おまけ

バッハとヘンデルについて、もう一つ面白い比較ができます。2度の結婚をし20人の子供をもうけたバッハに対しヘンデルは一生涯独身を貫きました。音楽家としての人生だけでなくプライベートも二人は対照的だったのです。

ヘンデルの晩年については、ヘンデルは左眼の視力を失いのちに右眼も視力を失います。それにより作曲活動ができなくなり、晩年は演奏活動に専念していました。

それから数年後ヘンデルは体調の悪化により74歳でその生涯を閉じました。

3時間程度の大作ですが、ヘンデルの豊かな才能を感じることができると思います。ぜひ一度じっくり聴いてみてください。


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