若干16歳で母を亡くし、アルコール依存症の父親に代わりいくつもの仕事を掛け持ちした少年・・・。その少年は自分の死後、超有名作曲家として世界中でその名を知られる偉人になることを予想していたのでしょうか?

その作曲家はあなたもきっと知っているベートーベン(ベートーヴェン)。仕事をいくつもこなし、兄弟たちの世話に追われ、ストレス性の難聴(鉛中毒による難聴という説もあります)になりながらもいつまでも世に残る作品を残し続けたあの偉大なる作曲家です。

そんな彼が生涯最後に作曲した交響曲が『交響曲9番』です。特に4楽章のメロディーは誰もが聴いたことがあるほど有名で、「喜びの歌(歓喜の歌、歓びの歌)」としても知られています。今回は元オーケストラ団員でトランペット奏者の私がベートーベンの交響曲第9番について解説します。

リッカルド・ムーティー指揮
シカゴ交響楽団演奏


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン

ベートーベンは1770年、神聖ローマ帝国ケルン大司教(現ドイツ領)のボンという町に生まれました。父と祖父は共に宮廷歌手でベートーベンは幼いころから父の厳しい音楽の英才教育を受けていました。そんな父は酒好きで酒におぼれることが多く、生計は祖父の援助により成り立っていたといいます。

そんな一家の頼みの綱である祖父もベートーベンが3歳の時に亡くなり、それから彼の家庭は困窮を極めました。父の音楽の英才教育は続き、その教育は時に虐待だと言われるほど厳しかったそうです。

7歳の時にはケルンという大きな都市での演奏会にも出演。その4年後にはオペラ作曲家や指揮者として知られるクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事します。この時ネーフェは34歳。ベートーベンは11歳でした。

16歳でベートーベンはウィーンへ尊敬するモーツアルトを訪ねる旅に出ます。モーツアルトに会えた喜びもつかの間、母の危篤の知らせを聞き故郷へとんぼ返り。その後母親は治療の甲斐なく肺結核で亡くなります。

そのショックからかベートーベンの父のアルコール依存症はひどくなるばかり。ついには職を失ってしまいます。父に代わり一家を支えたのがベートーベン。それから数年間は苦悩の日々を送ることになるのです。

そんなベートーベンに転機が訪れたのは彼が22歳のとき。ハイドンに才能を認められて、ハイドンに弟子入りします。ベートーベンはハイドンの住むウィーンに移住。音楽を本格的に勉強していこうという矢先、移住の翌月に父が亡くなってしまいました。

数々の困難を乗り越えてきたベートーベンですが、今度は彼自身に不幸が襲い掛かります。なんと元々患っていた難聴が悪化してしまうのです。彼の難聴は28歳で最悪レベルに。これが音楽家の彼にとってどれほどの絶望だったかは誰もが容易に想像できるでしょう。

ベートーベンはこの時期、起き上がっても起き上がっても困難の襲い掛かる人生に絶望し、どんどん自分を追い込んでいきます。


遂にベートーベンが32歳の時に「ハイリゲンシュタットの遺書」という遺書を甥のカールと弟のヨハンに向けてしたためます。その遺書には日に日に悪化する難聴への絶望の思いが書かれていた一方で、芸術家として精神的、肉体的な病を克服して作曲をしていきたいという希望が語られていました。

ベートーベンはその後40歳の時に聴力を完全に失ってしまいますが、54歳の時に交響曲第9番を完成させます。この曲は難聴や神経性の腹痛、様々な苦しみを乗り越えながら作曲した魂の叫びのような一曲。その後57歳で肝硬変のため亡くなるまで、彼が交響曲を作曲することはありませんでした。

ベートーベン 交響曲第9番について

交響曲第9番はベートーベンの最後の交響曲。演奏時間は1時間を超え、独唱と合唱を伴った超大作です。日本では「第九」と呼ばれ親しまれており、年末になると各地で第九の演奏会が開かれています。

ちなみに、なぜ日本では年末に第九を演奏するのかという理由は様々ですが(海外では第九を年末に演奏するという習慣がありません)一説によると昔貧しかった日本のオーケストラ団員が年末に人気曲である第九を演奏しチケット代を稼いだ、という説があります。第九は演奏すれば必ずお客さんが見込める人気曲だったのですね。

ロマン派音楽の先駆者とも言われるベートーベンがこの交響曲で取り入れた画期的なアイデア。それはティンパニ以外の打楽器を使用したことです。当時打楽器と言えばティンパニが主流でシンバルやトライアングルを使用することはあり得なかったのです。

冒頭で添付した動画の演奏でも第4楽章の1:03:15~は打楽器のハイライトとも言える聴きどころがあります。合唱と打楽器の掛け合いが何とも言えず素敵な箇所なのでぜひ聴いてみて下さい。

演奏者目線で交響曲第9番第4楽章を聴いてみよう

私はオーケストラに所属していた時、交響曲第9番の第4楽章を演奏しました。ここではそんな一演奏者の目線に立って第4楽章を解説してみたいと思います。

まず冒頭の動画を観て私が思ったことは「トランペットが2人しかいない!!」です。YouTubeなどで様々な第九の演奏動画を観てもほとんどトランペットは2本なので、一般的には何も不思議ではないのですが、私だったら2本は無理です・・・。

第九のトランペットパートは「第一トランペット」と「第二トランペット」で成っていますが、私が演奏したときは第一トランペット2本と第二トランペット2本の計4本でした。同じパートを吹く人が2人いると何が利点だと思いますか?――そう、どちらか一人が吹いていて音が弱まってしまう場面でももう一人が補うことが出来るのです。

私の時は例えば第一トランペットが「ラーーーー」と長く伸ばして吹く箇所では、二人の間でブレス(息継ぎ)をするところをわざとずらして決めておき、観客にはあたかも一つの音がずっと続けて鳴っているかのように聴こえる工夫をしていました。

これが一人だけだと、ごまかすことが出来ないのでずっと音を出し続けなければいけないのです。さすがプロだな、と感心してしまいました!

さて、そんな第4楽章ですが、みなさんのおなじみのメロディーは55:28から始まりますね。この箇所なのですがなんと指揮者がほとんどタクトを振っていません!世界的な指揮者と交響楽団なら、あんな風にほとんど振らなくても演奏できちゃうのでしょうか・・・。アマチュアオケ団員の私は見ていてドキドキしてしまいます。

余談ですが個人的に気になり、指揮者のリッカルド・ムーティーについて調べてみました。彼はイタリア人指揮者でミラノ音楽院で作曲と指揮を学び、1967年のカンテッリ国際指揮者コンクールで一位を取ったこともあるのだとか。ちなみにインフルエンザにかかりやすい体質で、12月~2月のインフルエンザの流行る時期はよく公演がキャンセルになるそうです。

個人的に大好きなのは56:14~始まる二つのメロディーが美しく重なり合う部分。主旋律に重なるもう一つの魅力的なメロディー。何と言うかこの幸福感に満ちた二つのメロディーの組み合わせ方・一つ一つの音符の長さ・音の動きその全てにベートーベンの偉大さを感じます。

最初はコントラバス、チェロ。続いてファゴットとビオラ、そしてファーストバイオリンとセカンドバイオリン。この楽器の組み合わせ方も絶妙ですよね。

59:23~独唱が始まります。私がオーケストラで演奏していた時の演奏会でもプロのオペラ歌手を呼んで演奏をしたのですが(子供だったのでどなたかまでは覚えておらず・・・)私がトランペットを持って座っていた場所はオペラ歌手のすぐ近く。生まれて初めてあの「ア~~」という美声を至近距離で聞いた経験でした。

独唱の部分だけでなく合唱の部分は鳥肌が立つようです。私は合唱と独唱とオーケストラの合わせ練習の時についつい合唱の部分をなぜか歌ってしまったことがありました。小さい声だと思ったのですが、指揮者に聞こえていたようで「なんでりこが歌ってるんだー!!」と怒られたことがあります。子どもだったのでついつい気分が高揚して歌ってしまいました。恥ずかしかったです。

さてトランペットのハイライトですが、個人的には1:11:38~だと思います。合唱の声で重なってしまっていますが、トランペットも合唱と同じ音を吹いています。合唱とオケが共に喜びを求めて一筋の光へ向かっていく。私はそんなイメージで吹いていました。1:12:58ハイAと呼ばれるとても高い音で酸欠状態で吹いているんですけどね。

1:18:07~いよいよ曲のクライマックスです。ベートーベン最後の交響曲だからだと知ったからでしょうか。私にはこの部分がベートーベンの人生の最後を表しているような気がしてなりません。

色んな苦しいことがあったけれど、人生の終わりが近づいた今となれば、全てが豊かで美しく見える・・・そんなメッセージを私は受け取った気がします。終わり方も最高ですよね。もし私が会場にいたら、ブラボー!と立ち上がっていたと思います。

終わりに

私は毎年なるべく年末には第九を聴きに行くようにしています。去年は東京ニューシティ管弦楽団の第九を聴きに行きました。第九を聴くと「ああ今年も終わりかあ」という気分になります。いわば第九は私に年の瀬を実感させてくれる時計のような存在なのです。

今年はどこの楽団の第九を聴きに行こうかな、と今から楽しみにしています。有名な第4楽章のあのメロディーを聴いたことがあるあなたも、ぜひ最初から最後まで通して聴いてみて下さい。また新たなこの曲の魅力に出会えるかもしれません。