今回ご紹介するのは、金田一耕助シリーズの短編作品「蜃気楼島の情熱」という作品です。
舞台は岡山。瀬戸内海に面した町の宿で、金田一とパトロン・久保銀造が語り合うところから物語が始まります。

久保銀造氏は、金田一が若い頃アメリカで放浪生活を送っていたときに知り合った、いわばアメリカ時代の恩人です。探偵という職業を始めたときも金田一は久保から出資を受けていました。(現在でもパトロン関係は続いています。)お互いに「おじさん」「耕さん」と呼び合い、本当の親子のような2人の姿も見どころの1つです。

2人の間には親子ほどの年齢差がありますが、お互い日本に帰国してからも友情は続きました。金田一は毎年1回必ず久保の顔を見に、岡山県を訪ねます。今年も例年通り久保を訪ねてきた金田一は、久保とともに1つの島にやってきました。ここでもまた、いつもの通り事件に巻き込まれてしまうのです。

■ 目次

金田一が和服で居続ける理由が明らかになります。

久保は金田一に会った早々、次のような言葉を投げかけます。「あんたの和服主義も久しいもんだな(中略)なにか主義とか主張とかいうようなものがあるのかな。」これは、私たちが金田一に何よりも聞いてみたかった質問です。よく聞いてくれました、久保さん!さて、その質問に対する金田一の回答とは・・・。

「靴ひもを結ぶ時、前につんのめって脳溢血を起すかもしれないから」だそうです。「おじさん(久保)みたいに腹の出た人がフーフーいいながら靴の紐を結んでいるのを見ると気の毒になる」とも言っていますが、要は靴の脱ぎ履きが面倒だということです。はい、これで金田一が和服スタイルを貫いている理由があきらかになりました?ね? 洋服に下駄じゃダメなのか?と思いますが、久保もそこまでは突っ込みませんでした。

あらすじ


金田一耕助は、パトロンの久保銀造を訪ねて岡山県にやってきた。ある日久保に誘われて瀬戸内海に面した港町を訪れる。久保がアメリカにいた頃からの友人・志賀泰三が近くに住居を構えているため、2人して志賀の住まいを訪ねることにした。

アメリカ時代、志賀泰三にはアメリカ人の妻・イヴォンヌがいたが、ある日イヴォンヌは何者かに殺害されてしまった。嫉妬深く激情型の性質ゆえに、志賀は妻殺害の容疑を一身に受けることとなった。逮捕寸前で真犯人が自首したことで志賀に対する容疑は晴れたものの、犯人が泰三の友人であったことから志賀の気持ちは後にも決して晴れることはなかった。

帰国後も長い独身生活を送った志賀は、岡山の海に浮かぶ小さな島を買い住まいを構えた。その住まいは極彩色に彩られた、まるで竜宮城のような豪邸であった。周りの人から「蜃気楼島」と揶揄された住まいに、志賀は2度目の妻を迎えた。志賀の妻となった静子は、町医者である村松医師のもとで看護師として働いていた女であった。

金田一と久保が志賀を訪ねた夜は、奇しくも村松家の次男・滋の通夜の日と重なっていた。通夜が終わりしだい金田一たちを迎えに来るといっていた志賀であったが、彼が現れたのは深夜0時で、その上ひどく酔っ払っていた。結局金田一と久保は、泥酔した志賀と深く語らうこともなく村松家の長男・徹の運転するランチで「蜃気楼島」にたどり着いた。

滋賀の妻である静子は現在身重の体で、体調が悪く床に伏せがちの生活を送っている。今夜もやはり床についたままで、客が来たというのに挨拶にも出てこない。他ならぬ志賀も泥酔しているため、耕助と久保は使用人に部屋に案内されて一夜を過ごした。

翌朝、部屋で静子が死体となって発見される。志賀は静子の亡骸を抱いて嘆き悲しんでいた。静子の首には手で絞められたような2本の指の跡がくっきりと残っていた。志賀も昨晩は静子に会わないまま別の部屋で床についてしまい、起きたときには静子はすでに亡き人となっていた。

やがて、志賀が昨晩泥酔していた理由が明らかになる。通夜の席で、死んだ滋の父・村松医師が、滋は静子と男女の関係にあり、その関係は最近まで続いていたと公衆の面前で暴露したのである。前妻・イヴォンヌの異常な死に方も手伝って、妻殺害の容疑の目がふたたび志賀に向けられた。

殺人動機は「胸クソ注意!」です。


横溝正史作品に登場する犯人たちがもつ「動機」は、醜いものばかりではありません。「死神の矢」のように、誰かのことを守りたいから人を殺めた・・・など、美しい動機?もありましたよね。殺人は決して褒められるものではありませんが、同情の余地が少し残されている事件もあります。(犯罪を推奨しているわけではありません!!)

今回の動機は、一片の同情の余地もない、極めて「醜い」動機です。現実の世界でも、事件のいきさつをテレビで知ることがありますが、その中で一番ムカつくのが「大人数でよってたかって犯行に及ぶ」ことではないでしょうか。そこに「弱みにつけこむ」という要素が加わると、我々視聴者の胸クソの悪さは頂点に達します。

この作品がもたらす「胸クソの悪さ」の正体は、まさに「よってたかって」の部分です。
2回読むと、犯人たちが投じた布石を再確認することになり余計にムカつきます。静子が殺される対象になった理由も金田一が解き明かしてくれますが、犯人が企てた計画のあさましさに閉口するばかりです。

静子の持ち物が事件解決のヒントになります。


金田一は、志賀の所有するランチの中で静子の腕輪を発見します。ロケット部分に安産のお守りが入っていたことからも、腕輪はふだんから着用していたと考えられます。床に伏せがちの静子の腕輪が、海上を走るランチの中にあるのは不自然です。これが静子が自宅以外で殺害されたことの裏付けになります。

静子は自宅の床の中で絶命していたことから、最初は屋敷内部のものによる犯行と見られていましたが、この腕輪の発見によって疑いの目は外部へと変わります。では、床に伏せるほどに弱っている静子を、どのようにして外に連れ出したのでしょうか。その方法とは・・・まさに私が先に書いた「静子の弱みに漬け込む」ことだったのです。

静子の弱みとは?

あらすじで書いたとおり、静子は看護師時代に勤めていた村松医院の次男・滋と男女の関係になっていました。やがて現在の夫・志賀泰三に見初められて泰三と結婚します。でも、ここで後ろ髪を引かれるのは「元カレ」との関係です。さらにその元カレが病に倒れ、死んでしまったとしたら・・・静子の気持ちはけして平穏ではないはずです。

犯人たちは、静子の「平穏ではない気持ち」を利用したのです。人妻になり身重の身となった静子を外に連れ出す方法は、「元カレが死んだのに線香の1本もあげてやらないのか?」と静子の良心に訴えたらいいのです。もし、私が静子の立場であればこれできっちり縁が切れるなら・・・と無理をして出かけるだろうと思います。

女性の目で、静子の気持ちを考えてみました。


静子の結婚の仕方については疑問を感じるところもあります。お付き合いしていた滋(しかも自分の雇用主の息子!)がいたのに、いきなり年の離れた富豪男性へ嫁いだのですから。
静子にはセリフがないので本当のキャラは不明ですが、けっこうシタタカな女性だったのではないでしょうか。

しかし、金田一がランチで発見した金の腕輪で、静子自身の口から語られることがなかった気持ちを垣間見ることができます。金の腕輪のロケット部分には安産のお守りが入っていました。このことから、静子は夫との間にできた子の誕生を心待ちにしていたと伺えます。もし、これが滋との間の子であったら・・・腕輪にお守りを入れて身につけられないのではないでしょうか。

ネタバレになりますが、滋の父・村松医師は静子のお腹にいる子の父親についても通夜の席で言及します。(お腹の子は滋の子かもしれない、と!)静子はこれを否定する間もなく殺害されてしまいますが、この腕輪によって静子の潔白は証明されたと私は思います。

今回も登場した「義眼」!!

かつてご紹介した作品「湖泥」の中でも事件に義眼が登場しました。義眼によって事件がはじまり、また義眼によって事件が解明されました。今回の作品の中にも、謎の義眼が登場しますが、義眼の使い方は「湖泥」とは一味違います。ネタバレになりますが、今回の義眼は「思いやり」のために用いられるのです。

ある人物の目に埋め込まれていた義眼が、ある人の側に転がっていた・・・というちょっとギョッとするシチュエーションですが、この理由は終盤になってからわかります。実際にこのシチュエーションを仕立て上げるにはやや無理があるなあ、という気はしなくもありませんが、悲しい物語をさらに悲しくさせる演出となりました。

まとめ


この作品、一部のファンの中では「失敗作」と言われています。トリックにすこしばかり無理があったり、やや「こじつけ」な部分があるのが理由だと思われます。しかし、この作品の見どころは緻密なトリックや、金田一のあざやかな事件解決スタイルではありません。

この作品でもっとも目立つのは、「金田一・久保・志賀の語らい」だと思います。彼らの意気盛んにアメリカで奮闘した若かりし過去と、年老いた現在の姿との対比から伝わる「寂しさ」や「むなしさ」、そして「変わらない友情」は名シーンと呼んで間違いはありません。

探偵小説、という視点で読むと確かに「失敗作」なのかもしれませんが、金田一の人生の中のワンシーンとして読んだり、スピンオフ作品のような、普段のシリーズとは違う一面を捉えるには「成功作品」と呼べると思います。


『人面瘡』(『蜃気楼島の情熱』収録)