3楽章が静かに終わると、待っていたかの様に大喝采が鳴り響きました。その大喝采の中、やや小柄な2人の紳士はそそくさと客席を離れ、舞台袖の人目につかない秘密の特等席に腰を下ろします。

「ここで最終楽章を聴くのである。…やはり思った通りの音である。これは大作である…しかし、認める訳にはいかない音楽である。」

1892年12月18日。この日のウィーンフィルの定期演奏会は、フィルハーモニカー始まって以来の大喝采。圧倒的な終楽章が終わり、興奮冷めやらぬ会場を先程の2人の紳士がそそくさと出ようとした時、出口に大きな銀皿に揚げパンを山盛りにし、ウロウロしていた大柄で、だぶだぶの黒服を着た男が呼び止めました。

「ハンスリック先生に博士(ブラームス)殿!今日はほんま聴きに来て頂いておおきに。エライ大成功ですわ〜」

「やあ、これはこれはトーネル君。ハ短調交響曲の成功おめでとう。しかし、その大量の揚げパンは何であるか?」
「へぇ。舞台がハケましたらリヒター先生(初演指揮者)と食べよ思いましてな。お二人も食べまへんか?」
「いや、結構である。それではおやすみ。である。」
「へぇ。それでは車までお送りします。」

ブルックナーは本日の主役であるにも関わらず、冬の寒い中、急いで先回りして車のドアを開けました。
「ささ、どうぞ。」
ハンスリックに続きブラームスが馬車に乗ろうとした時、彼は口を開きました。
「アントン君。私。あなたの交響曲。理解不能」
ブルックナーは答えます。
「そうでっか。ワシも博士殿の交響曲に関しては同感ですな」

帰りの車中、ハンスリックは静かにつぶやきます。
「あのリンツの田舎合唱指揮者がここまで成長するとはな。である。」
ブラームスもわずかに同調するように頷きました。
「ブルックナー、確かに天才」


交響曲第8番初演当日、ブルックナーは指揮者リヒターへのねぎらいとして、本当に48個の揚げパンを皿に盛って、出口で待っていました。リヒターと一緒にたいらげるつもりだったようです。また当時の演奏会では楽章間に拍手が入るのは通常のことでした。

前作の交響曲第7番で世界的な交響曲作曲家としてその地位を確立したブルックナー。休む間も無くさらなる大曲を完成させました。しかしそこに至るまでいくつかの困難が待ち構えていたのです。今回は交響曲史上でも大曲中の大曲、交響曲8番を聴く側と演奏した側両面から紹介したいと思います。


オットー・ベーラー(1847~1913)による影切絵。8番交響曲初演の折のハンス・リヒターとブルックナー。左から「先生ほんまありがとうございました」「いや~先生はすばらしいで!ヨッ、大統領!」「さささ、どうぞ月桂冠を」(ちなみに当日の主役はブルックナーです)

■ 目次

数奇な運命をたどった名作

交響曲第8番の初演は数々の困難を乗り越えての大成功でした。1887年に一度は完成したものの、初演指揮を担当する予定だったレヴィが演奏不可能と判断。ブルックナーの弟子のシャルクを通じて、やんわりと伝えたのですが自信満々だったブルックナーはひどく落胆してしまいます。最も尊敬する人物に予測外のダメ出しを受けたので、なおさらの事でした。

この版がいわゆる第1稿です。

一時は作曲がストップしてしまいましたが心機一転、自ら奮起して再び大幅な修正をし、1890年に第2稿として完成させました。ブルックナーにとっては自分自身を見つめなおすとともに、自分自身の限界に挑戦した結果の完成形です。

この第2稿が現在主に演奏される版です。その第2稿にはさらに弟子による改訂版、そしてハース版とノヴァーク版等の版があります。

なので、交響曲第8番に異なるバージョンが存在するという不思議な事になってしまっています。8番以外では3、4番交響曲も違いが大きく、同じ曲なのにそれぞれ違った楽譜が存在しています。

そういった困難を経て、交響曲第8番の初演は大成功でした。そしてこの曲はオーストリア皇帝に献呈されています。同日には先のハンスリック、ブラームス以外にもワーグナー派のフーゴー・ヴォルフなども聴きに来ていました。

ハンスリックの対抗馬としてのワーグナー派論客ヴォルフはこの交響曲8番の初演について「闇に打ち勝つ、光の交響曲やー!(彦麻呂風)」と書評に書いています。

この曲には特に表題や情景のようなものはありませんが、ブルックナーの他の交響曲にくらべて、トランペットのファンファーレが多用されている事や、2楽章、3楽章にハープが効果的に使われていたり、終楽章ではコサック兵のようなリズムやティンパニのソロがあったり、最後のコーダに向かって盛り上がっていく点など、随所に劇的な表現が見られます。

ウィーンへ


ブルックナーが交響曲の大家として成功したきっかけとして、リンツから音楽の中心地ウィーンに活動拠点を移したこともあげられます。

当時のウィーンの芸術界隈は、ブラームスを筆頭とした純粋な形式美を尊重すべきとするブラームス派と、先進的で表現重視のワーグナーを中心としたワーグナー派が互いに論争を展開していました。

ブラームス派の論客ハンスリックはウィーンの音楽界では非常に影響力のある評論家で、ワーグナー派に対して激しい批判を展開していました。ワーグナー派とみなされたブルックナーも例外なくハンスリックの批判攻撃の対象でした。ブルックナーがオーストリア皇帝に謁見した際、何か望むものはないかと尋ねられた時、「ハンスリック先生に私の事を悪く言わへんように計らって下さい」と言わせるほどの影響力でした。

激しい批判攻撃を受けていましたが、元々ハンスリックとブルックナーは古くからの付き合いでした。

私が破滅させようとした人間は・・・・


エドゥアルト・ハンスリック(1825~1904)ブルックナーに送られた写真。下線が引かれている所にAnton Brucknerと書かれている。「ブルックナーへ。1865年6月リンツでの親しき思い出の日に。エド・ハンスリック」

ブルックナーを語る上で、偉大な評論家であるハンスリックも重要な存在です。

ブルックナーと一歳違いのハンスリックは、ブルックナーがリンツで音楽教師兼オルガニストとして細々と活躍していた頃から、いち早くその才能を見抜いていました。ウィーンへ上京する事を薦めたのもまたハンスリックでした。彼の薦めがなければブルックナーの交響曲は誕生していないか、忘れ去られていたかもしれません。

また、結婚願望が強いブルックナーが色々な女性にアタックしたり、婚活などをしていた時、自分の親戚を花嫁にと紹介したのもハンスリックでした。しかし、あれだけ嫁探しをしていたブルックナーでしたが何か引っかかる事があったのでしょうか、結局はお断りした様です…

ブルックナー自身もハンスリックを尊敬しており、彼のためにオルガン曲を献呈しています。

敵対するようになったキッカケは、先程の断られた親戚の事もあったかもしれませんが、交響曲3番を敵対するワーグナーに献呈した事が大きな原因となったようです。

上の写真は1865年リンツでブルックナーとハンスリックが対談した際の記念にブルックナーに送られた写真付絵ハガキです。その際にハンスリックは「私が破滅させようとした人間は必ずや破滅するのである」と発言しています。

ハンスリックの批評の内容としては徹底したワーグナー派の批判で、理にかなわない個人的な感情論だとも見られることもありますが、批評する際は作品を充分に研究し、理解した上で批判しています。

例えば、これは私の意見になるかもしれませんが近年のバイロイト音楽祭や、ミラノスカラ座では衣装や演出、舞台全てが現代風になっていたり、明らかに笑いを狙った様な演出が多いです。私は聴く気観る気が失せてしまいますが、当時のワーグナーの斬新な演出や音楽もハンスリックらには同じ様に感じたのではないでしょうか。


ブルックナーはいつも他人には必要以上にへりくだっていた為、絵等では身長が低く描かれているが、実際身長は175cmほどあり、ワーグナーやブラームス、ハンスリックよりも大柄だった。

交響曲第8番


稀に見る大曲なだけに聴くのも大変ですが、演奏する側も一筋縄ではいきません。曲が難しいだけでなく、時間も長いので集中力も要します。しかし各金管楽器奏者にとって、数々の魅力的なアンサンブルがあります。

特にトランペット奏者にとってはこの8番は他の交響曲に比べ、コラールよりもファンファーレや旋律が多いのでバランスなど神経を使います。

しかし、この様な大曲を演奏する事はやはり何にも変えがたい感動と、忘れ難い思い出となります。

1楽章(0:27~)

これまでのブルックナーの交響曲にはなかった雰囲気の出だしで、ほの暗い雰囲気が漂います。ブルックナーリズムと呼ばれる特有の音形が多用されています。(2:38~)


このリズムは特に四番交響曲に見られます。♩×2→3連符のつながりは、聴く人に雄大な印象を与えます。演奏する方はテンポが遅れがちになるのでちょっと難しいです…
曲の最後の方の盛り上がりでトランペットが第一主題のリズムのみを豪快に吹く箇所があります。ブルックナーはこれを「死の予告」と呼びました。(13:36~)

その後第一主題が、ゼンマイの切れそうな振り子時計、またはメトロノームのように途切れ途切れに奏され、終に止まるように、静かに終わります。(14:20~ドクロ注意)

「諦め」と名付けられたこの音形は、4楽章の最後に再び大きな形となって現れます。

一方、オリジナルの第1稿は逆に全合奏で派手に終わります。

2楽章(15:42~)

ブルックナーのこれまでの交響曲は、古典的な形式で2楽章がアダージョ楽章でしたが、ベートーヴェンの第九交響曲の様に2楽章にスケルツォを配置しました。

ホルンのアンサンブルから始まる、巨人が踊る様な独特な旋律の舞曲です。次にトランペットアンサンブルが加わり、さらにトロンボーン、チューバ、ティンパニの素晴らしい掛け合いが展開されます。同じリズム、同じ旋律の繰り返しでグイグイ盛り上がる所は病みつきになりそうです。

中間部ではブルックナーの交響曲では唯一のハープが使用されます。夢を見るような美しい旋律にハープがアルペジオで彩りを添えます。(21:53~)

3楽章(29:40~)

星空を見上げる様な、美しく深いアダージョです。ここでもハープのアルペジオが旋律をより引き立てます。ホルンやチェロの伸びやかな旋律は正に宇宙を感じさせるものがあります。

途中から少しずつ空を昇る様に、クライマックスに向かっていくのですが、これまた7番の様に、今度は宇宙に昇っていくようです。その中でトランペットの非常に長いフレーズの旋律があります。(45:41~)これもまた苦しいです…そして頂点でアダージョの旋律をシンバルと共に高らかに演奏します。(49:11~)トランペットは大気圏を突破したようです。

その後は7番のアダージョと同じく、ホルンによる美しいアンサンブル。このフワフワした感じは大気圏を突破して宇宙空間を漂っているような安心感があります。(51:50~)

クライマックス迄の道のりで疲弊したトランペット奏者達。ここで束の間の宇宙遊泳リラクゼーションです。

4楽章(54:56~)

弦楽器の行進曲のドラムのようなリズムが始まりトロンボーンの勇壮な主題、そしてド派手なトランペットファンファーレ!間髪入れずティンパニの強打!ブルックナーの作品の中でも飛び抜けて派手な開始です。特に開始直後のティンパニソロはわずか1小節、4つの音ですが効果抜群で、この8番交響曲の顔と言っても過言ではありません。(55:19)

その後ブルックナーの集大成と言える各楽器の掛け合いが遺憾なく発揮されます。木管楽器の美しいソロの数々も聴きどころです。

そしてこの曲の最大の聴きどころ、最後のコーダです。(1:14:25~)壮大な夜明けを思わせる所から盛り上がっていき、スケルツォの旋律の一部を使ったクライマックス!そしてトランペットのファンファーレが最後の頂点につなげます。1楽章から4楽章までの全ての主題が同時に演奏され、(1:16:22~)1楽章の締めくくりだった「諦め」の音形が「勝利」に変わり盛大に締めくくります。

版の問題

この交響曲第8番も3、4番の様に作曲者によって大幅に改訂され、版によって全く別の曲となった交響曲です。おおまかに説明すると、第8番は2つの版が存在します。

・最初に自信満々で誕生したのが1887年版第1稿。

初演指揮者レヴィ(体調不良の為後にハンス・リヒターに変更)に「これはアカン。無理や」と言われ落胆。心機一転、大幅に改訂したものです。

・心機一転、自らを見つめ直し大幅に変更改訂したのが1890年版第2稿。

改訂された1890年第2稿が現在主に演奏されるスタンダードなものです。

しかしさらにこの第2稿に弟子のシャルク版、音楽学者のハースとノヴァークらが改訂したものがあり、現在ではハース版とノヴァーク版が主に演奏されます。聴く上では極端に違和感をおぼえるほどの違いはありません。第1稿にあった数小節程度があったりなかったり、多少のオーケストレーションの違いのみです。

最近ではあまりありませんが、著名なオーケストラの演奏でたまにハース版と明記しながらもノヴァーク版の箇所があったり、何版か記載されていないものもあります。これにはある現実的な理由があります。

歴史の長いオーケストラは、初演当時の改訂版をそのまま長い間使用してきました。楽譜にも歴代の指揮者達の指示が書き込まれています。

近年になって原典版やノヴァーク、ハースがまとめたものが主になりましたが、長い間この楽譜で演奏してきた楽団としては今さら変えるのも大変だという問題があります。

もう1つはハース版、ノヴァーク版の著作権があり、楽譜をレンタルするのに多額の費用がかかるという理由もあります。確かに私が以前7番と8番交響曲を演奏した際もレンタル代が非常に高額だった事を覚えています。

なので、特に海外では使用版の明記を避けて18〇〇年版としたり、版名を記載しない事があります。

とはいえ、何版かという事よりも、どんな演奏なのかという事が一番大切な事ですね。

おすすめ名盤紹介

初演された当時から名曲ではあったのですが、曲の難易度、長大さなどから現代のようにレコードやCDなどの録音が普及するまではマーラーの作品同様、一般の人達には馴染みのない曲でした。

今では非常にたくさんの名演奏がありどれも素晴らしいものです。インターネットのブログなどで多くの人が名盤を紹介していますので、ここでは特に印象に残ったオススメを紹介したいと思います。

オイゲン・ヨッフム/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

国際ブルックナー協会の会長を務めたヨッフムはブルックナーの交響曲全集を2度録音しており、いずれも素晴らしい名盤です。この2回目のドレスデンとの録音が、他には無い異彩を放っています。

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ユニバーサル ミュージック (e)


早めのテンポにも関わらず、不思議と安定感があります。ハープも通常ならサラッとしたアルペジオですがじっくりと鳴らしています。

金管楽器が目一杯吹いています。特に2番トランペットが楽器が壊れるんじゃないか、というくらい吹きまくっています。それでも硬い耳障りな音にならない所がドレスデンの素晴らしい所です。

4楽章の最後のキメの3つの音は他の盤ではミーレードと伸ばしていますが(確かにタイミングを合わせるのが難しい)楽譜通りにかつ正確に合わせられているのはこの盤しかないようです。

好き嫌いがわかれる音とは思いますが、私は個人的にこの盤が一番好きです。

ギュンター・ヴァント

ブルックナーを得意としたヴァントの演奏はこの3つが素晴らしいです。

・北ドイツ1993
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ソニーミュージックエンタテインメント


金管楽器が明瞭で、綺麗という点で最も素晴らしい盤だと思います。良い意味での硬質な音色です。特に2楽章スケルツォのキメに向かってホルンがクレシェンドする所が熱いです。

・ベルリンフィル


発売された当時、ベルリンフィルの音色に賛否両論ありましたが、オーケストラの技量、曲の運び等文句の付け所がありません。安定感あるブル8を聴きたい方はこれが一番オススメです。

・ミュンヘンフィル


アダージョの奥深さでは最も素晴らしいです。4楽章のティンパニ等、チェリビダッケの演奏をそのまま普通のテンポにしたような感じです。

ハンス・クナッパーツブッシュ/ミュンヘンフィル



古くから名盤として有名な盤ですね。第2稿のハースでもノヴァークでもない改訂版(シャルク?)での演奏です。違和感をおぼえる人もいるかもしれませんが、これも確かなブル8です。

ハンス・クナッパーツブッシュはドイツ国内では絶大な人気を誇る指揮者でした。第二次大戦後、進駐してきたアメリカ人は彼の演奏のどこが良いのか理解できなかったそうです。

残響が少ない録音ながら、引き締まった響き、つまり渋い音とはこの事なのかもしれません。テンポもどっしりとしていますがモタれる事はありません。

セルジウ・チェリビダッケ/ミュンヘンフィル



一言で言うならば、遅い!デカイ!です。

この大曲をさらにスケール増しで演奏しています。各楽章、他の盤にくらべ1.5倍近く割り増しのスケールです。なぜか2楽章は普通ですが3楽章に至っては35分もかかります。全曲でマーラーの3番交響曲と同じくらいの時間がかかります。

ただし、聴いてみると不思議と遅さを感じません。この曲を100%聴き手に伝えるなら、この遅さでなくてはと錯覚してしまうほどです。

1楽章と3楽章のクライマックスに昇っていくトランペットの長いフレーズ。この盤のトランペットは音がとてつもなく太く、これ目的でこの盤を聴く事が多いです。ブラボー!

また4楽章最初のティンパニソロは面白い表現をしています。これはヴァントの指揮でも同じ表現をしています。

とてつもなく遅い演奏ですが、聴き終わった後の充実感は何にも変えがたいです。

リカルド・シャイー/アムステルダムコンセルトヘボウ



あまり語られることの少ないリカルド・シャイーのブルックナー。しかしこの盤はもっと評価されて良い名盤だと思います。

ブルックナーは全合奏で音が鳴らされると弦楽器や木管楽器が聞こえなくなってしまう事が多々ありますが、この盤は全合奏になってもしっかり木管楽器も聞こえてきます。

これはオルガンの高音部の音を彷彿とさせ、ブルックナーらしいオルガンの様な壮大な響きがします。この点は他のどの名盤にも無い特徴です。

4楽章の再現部でホルンが楽譜に無いパッセージを吹いています。おそらく他の版のものを使用していると思います。これもまたカッコいいです。

朝比奈隆/大阪フィル



朝比奈隆のブルックナー8番交響曲は数多くの録音がありますが、私はこの大阪フィル、2001年愛知県芸術劇場のライブ録音をお勧めします。演奏上の事故も少なく、聴いた後の満足感もいい感じです。全曲に渡ってティンパニの音が素晴らしいです。

朝比奈隆のブルックナーも賛否両論あり、特に言われるのは大阪フィルの技術のことです。確かにNHK交響楽団とのブル8もあり、大変素晴らしい演奏ですが、やはり大阪フィルの方が私は好きです。

なぜなら楽器の音のバランスがヨーロッパやアメリカのオーケストラとは全く違い、金管楽器のパワーで聴かせる演奏とは別の良さがあるからです。それでいてブルックナーの音楽をシッカリ捉えています。それが最もよく現れている盤だと思います。

大阪フィル自体が朝比奈隆を中心として戦後誕生したオケで、ブルックナーを始めドイツ音楽を得意としています。

ロブロ・フォンマタチッチ/NHK交響楽団

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コロムビアミュージックエンタテインメント


意外と言ったらお叱りを受けるかもしれませんが、とても素晴らしい演奏です。

7番でも素晴らしい演奏を残しているマタチッチ。NHK交響楽団からこれほどパワフルな音が出せるとは…

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー/ザールブリュッケン放送交響楽団



つい最近亡くなってしまった巨匠です。ブルックナー交響曲全集を全ての版で録音(!)しています。

ノヴァーク版を使用していますが一部ハース版にある何小節かを取り入れています。

この盤を紹介したのは、全体的にも素晴らしい演奏ですが、4楽章最後の全合奏の前のトランペットのアンサンブルがあまりにも素晴らしいからです。読売交響楽団との録音でも同じ表現です。

この箇所だけでも聴く価値ありです。

クルト・アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管弦楽団



オケの名前からしてブルックナーのための楽団のようです。

演奏は金管の音が非常にわかりやすく、自分が演奏した時にはこの盤のアンサンブルを参考にしました。ただ、金管楽器群の音に弦や木管が消されてしまっている点が残念です。

ブルックナーといえばウィーンフィル!ウィーンフィルによる名盤

ブルックナーの音楽はウィーンフィルの音色か最も良く合うと思います。初演したオケということもありますが、オーストリア独自の音楽である事を思い出させてくれます。

カルロ・マリア・ジュリーニ/ウィーンフィル

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ユニバーサル ミュージック


ウィーンフィルの演奏で、最も安定した力強い演奏です。

カール・シューリヒト/ウィーンフィル



シューリヒトほどウィーンフィルから透明感のある音を引き出せる指揮者はいなかったでしょう。

1950年代、ウィーンフィルの団員はプライドが高く、「伝統にあぐらをかく」様な状態でした。そこへ就任してきたシューリヒトは大いに怒り、自らの見事な指揮で団員たちを見直させました。

この盤では速いテンポながら、ウィーンフィルの最も良い音を聴くことができます。

カール・ベーム/ウィーンフィル

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ユニバーサル ミュージック


金管楽器の良い意味での硬い音色もウィーンフィルによるブルックナーを聴く醍醐味です。

ブル8の原点!1887年版第1稿による名盤

もし今、ブルックナーが生き返って、生前演奏されることのなかったこの第1稿の演奏を聴いたならば、きっと感激すると思います。

ブルックナー自身が自分の意思で作り上げた純粋な交響曲第8番。現在主に演奏されている第2稿とはかなり別な曲になっており、ハースやノヴァークどころの違いではありません。より劇的な曲になっています。と言うよりこれが元々の形ですが…

確かに第2稿は聴きやすく、洗練されていますが、私はこの第1稿も素晴らしい作品と思います。激しい曲想や執拗なリズムの繰り返しで盛り上げていく点は、ブルックナー臭100%です。

しかしレヴィや弟子達の言う通り、曲自体が非常に難しく長く、とっつきにくい曲なので、強く改訂をすすめたのもわかる気がします。

ゲオルク・ティントナー/アイルランド・ナショナル交響楽団



非常に素晴らしい演奏です。3楽章などはチェリビダッケと同じくらい遅いテンポです。第2稿の演奏も聴いてみたかったです。

エリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団

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世界で初めて録音され、現代の人々にオリジナルの8番を耳に届けた記念すべき盤です。演奏はティントナーよりも聴きやすい演奏です。

シモーネ・ヤング/ハンブルク・フィル



女性指揮者によるブルックナーですが、非常に熱い演奏です。

最後にブルックナーといえばオルガン、オルガンといえばブルックナーです。

オルガン編曲



ブルックナーは宇宙人?

ところで、音楽の授業的に考えて、ブルックナーはクラシック音楽の中の何派になるでしょう?時代はワーグナーやブラームスが活躍していた後期ロマン派と一応は捉えられています。

たとえば古典派といえばモーツアルトやハイドンの曲は、個性はあるものの、それなりに古典派らしい音楽だし、ロマン派のシューマン、メンデルスゾーン等もロマン派らしい箇所が必ずあります。

ブルックナーの場合、同時代の作曲家と比べても似通った「らしさ」が全くありません。ゆかりの深いワーグナーと似ているようで全然違います。ブラームスとも全く違います。宗教曲やオルガン風なのでバッハか?もちろん全く違います。

金管楽器の奏法を除けば、バロック時代の作曲家といわれても気づかないかも知れません。ブルックナーの音楽自体が時代の影響を全く受け付けていないようです。時代を超越して聴き継がれる音楽ですが地球上のどの音楽にも似ていない、もしかしたら宇宙人にも通用する音楽なのかもしれません…

またブルックナーは生涯、会話でも生まれ故郷のリンツなまりを直すことはなく、純朴な人柄で、教師時代の教え子たちからも非常に人気がありました。

このようなエピソードがあります。

ウィーンの女学校でピアノ講師として勤務していた時のことです。仲の良い女生徒にたまたま「リーバー・シャッツ(かわい子ちゃん)」と呼んだのを、近くにいた女教員が聞いてしまい「ンーマー!ハレンチざます!」とブルックナーを告発します。

結局はお咎めはありませんでしたが、ついウッカリして誤解される所も純朴な人柄を感じさせます。この様な事は現代でもよくありますね。

また、交響曲を発表する際、弟子たちや当時著名な指揮者たちがブルックナーの為に改訂をしたり、奔走したりしている所もその人柄の表れではないでしょうか。

ブルックナーの周りの流行に流されない人柄と意思も、その音楽同様なのかもしれません。


The picture about Hanslick and Bruckner By Universität Wien.

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