『亡き王女のためのパヴァーヌ』(Pavane pour une infante défunte)は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875-1937)が1899年、パリ音楽院在籍中に作曲したピアノ曲です(以下、『パヴァーヌ』と省略します)。


オーケストラのコンサートのアンコールピースとして、ご存じの方も多いと思います。

私もこの楽曲を知ったのは、アンコールピースとしてなのですが、ピアノ版があることを知り、「あの楽曲がピアノで弾ける!」ということで、楽譜屋さんで楽譜を買ってしまいました。
高校2年生だった私は、「音楽Ⅱ」の授業のコンサートで『パヴァーヌ』を弾くぞ、と決心してしまったのです。

当時、音大に進んで音楽学を専攻したい、などという、自分にとっては高すぎる志を持っていました。そうするからには、少し自分を甘やかさない楽曲を選ぼう、などと思っていたわけです。

ありがたいことに、その志は実現して、その後高校の教員として仕事もしたので、ピアノは自分にとって親しい楽器になってくれたのですが、それにしてもこの頃までは、ほんとうに雑な弾き方をしていたのだな、と思います。
ある意味、『パヴァーヌ』は私とピアノとのかかわり方の転換点にあった楽曲です。

当時はまだ、全音楽譜出版社さんからのピースは出ていなくて、アイボリーの表紙に紺色のフランス語の文字が書かれた輸入楽譜を、なけなしのお小遣いから出しての、今にしてみればかなり無謀なチャレンジでありました。
 
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片手で練習…指が届かない!

『パヴァーヌ』は、A-B-B’-A’-C-C’-A”という、シンプルな構成になっています。

パヴァーヌとは、16世紀にヨーロッパで流行した、ゆっくりなテンポの宮廷舞踊、および、それに使われる2拍子系の舞曲で、17世紀、イギリスで器楽的な形式として確立されました。
「よし、テンポを遅くする分には、問題ないのね」と思って練習を始めます。

いきなり両手で弾き始めるのは無謀なので、まずは左手だけ、右手だけと少しずつ練習していくのですが…途中で大きな壁にぶつかりました。

私は手が小さくて、ふだんの練習もあまり本気にしていなかったせいか、両手とも白鍵でぎりぎり9度届くか届かないか、という状態だったのですが、それ以上のことをこの楽曲は要求してきたのです。

この楽曲の軸となる「A」の部分は、中央のハから5度上がったトからの旋律で、このあたりはピアノも表情豊かに、物憂げに鳴ってくれました。

しかし、「B」の部分に利き手の右手に1オクターブと2,3度の和音が出てきてしまったのです(ピアノ演奏1分05秒~)。しかも、旋律は1オクターブ上がっています。


1オクターブ上がった部分の音を、素直に弾いてしまうとからりとした響きになるので、もっと旋律をやわらかく歌い切るだけの力量が求められることがわかりました。

ただでさえ手が届かない和音はアルペッジョでだましだまし、必死に旋律を歌わせる練習をしました。
旋律のほとんどは右手の小指担当になります。
あわてる必要のないテンポの楽曲なので、鍵盤を深く沈めることを意識しました。

つづいて、「C」の部分に当たるのですが(ピアノ演奏3分18秒~)、今度は譜読みに苦労させられます。急に臨時記号が多くなります。


音源を簡単に入手できる現在ならば、耳コピと譜読みの両側から攻めていけるのですが、当時はそこまで音源を簡単に手に入れられるわけでもなく、よちよちとひとつずつ、あれはこれ、これはあれ、と進めていきました。

このころがいちばんしんどかったように思います。四和音を1オクターブで作ることは、響きのイメージをするのはとても簡単ですが、作業として手を広げて打鍵するのはむずかしいです。

ところで、この部分では、いわゆる普通の「調性」ではなく、「旋法」を借りた形で旋律が作られています。

19世紀末頃、今までの「長調」と「短調」の枠組の中で音楽を作っていくことに限界を感じつつあった作曲家たちは、いろいろな試みをしています。

12個の音を列に並べ、それをモチーフに、順行、逆行、裏返しなど楽曲の一貫性を保ちながらリズムの変化を加えてみたり、
モチーフを思い切り小さなもの(「細胞」とも呼ばれました)にして、周期的なリズムを否定して、拍子やリズムの変化に活路を見出したり、
あえて起承転結を作らないで、音楽的な響きの美しさや趣きを何より優先して作曲をしてみたり、
といろいろな傾向が現れました。

その中のひとつに、中世ルネサンス時代の教会旋法を使って、調の枠組をゆるくして、響きに趣きを求めようという動きがありました。ラヴェルもそれを試みてみたのでしょう。

『パヴァーヌ』のCからC’の旋律は、高音域でト短調⇒中音域でハ長調、高音域でハ短調⇒中音域でヘ長調という慣れた形での転調をしているようにみえます。

しかし、短調の部分の第6音にあたる、前半ではホ、後半ではイの音は、どちらもフラットしておらず、ナチュラルのままです。これは、「短音階」ではありえない形であって、教会旋法の「ドリア旋法」にたいへん似ています。ラヴェルもおそらく長調/短調の調性以外の枠組にひかれて、使ってみようと思ったのだと思われます。


この2つの交代を、調性から解放された和音の高低と音の強弱で弾きわけるのが、「C」の部分のおもしろさ、妙味であって、実は弾く側の楽しみでもあるのです。

そうした冷静さや知識を、高校生の私はほとんど持ち合わせておらず、「四和音、困ったなあ」と感じているばかりでした。

両手弾きに挑戦する!

片手で練習したあと、いよいよ両手で弾いてみます。
最初はできそこないのロボットがガタガタ歩いているような、とても舞曲とは言えない『パヴァーヌ』です。

最初はテンポ指定に入りきらない速さでしか弾けませんでした。しかし、ここでくじけて、他の楽曲に変更するだけの時間はもうありません。
とりあえず、ゆっくり最後まで止まることなく弾ききることを目標にしました。

アルペッジョをどこで使うかも、あらためて楽譜に書き入れたりして、少しでも踊れそうな流れを作れるようにしました。

パヴァーヌは宮廷舞踊です。ハードな表現はいらないと考えました。追求するのは、やわらかさ、繊細さ、ゆるやかでよどみない流れです。

とにかく右ペダルを使いまくる

そこで、右ペダルの踏み方が重要な技術として浮上してきました。

ラヴェルは楽譜にペダルを使うように指示をしてくれています。
それ以上に、自分の手の指が届かないところでは、アルペッジョと右ペダルを組み合わせて、できるだけちゃんとした和音っぽく聞こえるようにしました。
練習していくうちに、踊れそうな『パヴァーヌ』になってきました。

幸い、テンポ指定は4分の4で、四分音符=54。なんとか右足も追いついてくれました。それでも、やはり靴は邪魔で、本番では右足だけ靴を脱いで演奏した記憶があります。

それだけ細かくペダルを踏まなければいけませんでした。アルペッジョを多用しなければならない、ハードな表現はいらない、ゆっくりでもいいから踏みかえをどんどんしていきました。
音の濁りもいくつかできてしまいましたが、ここまで細かく踏みかえをしたのは初めての経験で、思い返せば、このチャレンジは自分にとって大きな意味を持つものでした。

踊る王女になりきる!


最後はやはり、これになるでしょうか。

本番の1週間前くらいは、「なりきり」の練習です。

ラヴェルはこの『亡き王女のためのパヴァーヌ』のタイトルについて、「あまり深い意味はない、infanteとdēfunteで韻を踏ませるために言葉を選んだだけ」と発言していますが、やはり、「王女」というタイトルがあるならば、「王女」に思いをはせなければラヴェルに申し訳ないし、ゆっくりとしたテンポであってもやはり踊るわけですから、流れを断ち切るわけにはいきません。

もちろん、雑になっていいわけではありませんが、少々のミスタッチには片目をつぶってでも、王女になりきり、優雅で、少し物憂げな気持ちになってピアノに向かう練習をしました。

右手の小指にかなりの神経を集中させていたように思います。


ドタバタ体験のまとめと、難易度について

1.片手ずつ練習することから始め、右手小指の旋律を意識する
2.その後、ゆっくりでもいいので、両手弾きに挑戦する
3.ソフトな響きのために右足ペダルを細かく踏み分ける
4.自分が踊る王女になりきる気持ちで弾く

この流れで、私は『パヴァーヌ』をなんとか弾ききることができました。

のちに出版されている全音楽譜出版社さんのピアノピースでは、難易度がC(中級の下半分)くらいになっていますが、手の小さい人にとっては、Cよりずっとむずかしいと覚悟して、とりかかるべきでしょう。

特に小指をあまり鍛錬してこなかった人(私がそうでした)にとってはつらいはずです。
でも、とてもやりがいのある楽曲だったからこそ、人前で弾く程度までもっていけたのだと思いますし、弾いてみることをおすすめします。

ところで、ラヴェル自身は、ピアノ版の『パヴァーヌ』をあまり気に入っていなかったそうです。

1902年に初演されたときも、世間的には好評でしたが、当時のロマン派から20世紀初頭の音楽の変化の大きなうねりの中にあっては、古典的な構成をとっており、旋法を使ったこの楽曲に対して「大胆さに欠ける(当時のいわゆる印象主義からすると、半端だと自分で思ったとしてもおかしくない)」と自己反省しています。

仲間の作曲家からもあまり高い評価を受けていなかったそうなのです。

ラヴェルはこの楽曲を、1910年に管弦楽に編曲します。
「実はあとで編曲するつもりで、ピアノ版を作曲したんじゃないの(笑)?」と言いたくなるみごとなアレンジです。
旋律は管楽器、装飾音はハープ、など、楽器の持ち味を生かした管弦楽版『亡き王女のためのパヴァーヌ』は名曲という評価を受けていまに至るのですが、すぐれたピアノ版があったからこそ、ここまで魅力的に管弦楽として練り上げられたのではないでしょうか。

管弦楽版演奏はこちら