今回は、短編作品の中から「女の決闘」という作品をご紹介いたします。

横溝正史の短編作品は、短いながらも面白さがギュッと凝縮されていて、どの作品を読んでも満足感を味わうことができます。今回も同じく、読者の期待を裏切りません。

この作品には、鮮やかな「ダイドンデン返し」はありませんが、事件の真相に驚かされるだけではなく、読み終えたとき、爽快感にも似た気持ちが沸き起こるやや異色の作品です。同情の余地がない凶悪な犯人も、涙を誘うような悲劇のヒロインも登場しないのです。

太宰治の小説にも「女の決闘」と同じ名前の小説があります。(太宰が書いた小説、というより、「ヘルベルト・オイレンベルクが書いた「女の決闘」を森鴎外が日本語に訳し、それを太宰治が解説(アレンジ)を書いている」というのが正しいようです。)

この「太宰版」では、夫の愛人に決闘を申し込む妻の姿が描かれますが、「横溝版」では、元妻と現在の妻の直接対決シーンはないものの、それぞれの立場がもつ「微妙な感情」が描かれています。

この作品のみどころ

なにより、読みやすい文体が印象的な作品です。

これまでにご紹介した作品は、登場人物の相関関係や、プロットなどをしっかり読みこなさなければならないものも多かったのですが、今回は小さな家の中(周辺)で起きる事件なので、普段の作品よりも気負わずに読み進めることができます。

悪意を持っている人も少ないので、「こいつも怪しい!」というナナメ目線も必要ありません。サクサクと短時間で読了できますので、多くは触れないことにしますが、少しでも多くの作品を読みたい、でも長い作品は読了する自信がない!という方にはオススメの作品です。

外国人と日本人の関わり方にも注目!

ロビンソン夫妻とパーティの参加者たちが、片言の英語や日本語まじりの英語で会話を交わしたりするなど、当時の日本がかなり国際化していたことがわかります。

外国人とのかかわりもすでに「珍しいもの」ではなく、外国人を受け入れ尊重し、友情まで成立しているような「こなれた姿」から、戦後まもない頃の日本人の強さ、懐の深さを感じることができます。

反対に、外国人であるロビンソン夫妻から見た日本人の姿も印象的です。「日本人は性質が淡白にできており、またあきらめもよい人種である。」ロビンソン夫妻は、このように日本人を理解しています。日本人の強さは、この「あきらめのよさ」に由来しているのかもしれません。

また、戦後からそれほど年月が経っていないのに外国語が堪能になっていたり、別れまで惜しむような間柄になっていたりと、異文化に抵抗なく“すんなり”入り込んでいける日本人に対する的確な表現だと思います。

「獄門島」や「八つ墓村」のすぐ後にこの作品を読んだら、同じ作者が書いたものとは信じられないほど、雰囲気が違います。

山奥の田舎の因習から、都会の異文化コミュニケーションまで書き分けてしまうのは、横溝正史の「頭の切り替えの早さ」の賜物であると私は思います。

あらすじ


東京の緑ヶ丘の住宅街に住んでいるロビンソン夫妻は、諸事情から母国へ帰らなくてはならなくなった。

緑ヶ丘の住民たちとすっかり仲良くなっていたロビンソン夫妻は、これまでのお礼も兼ねてお別れパーティを開くことにした。パーティの席には、緑ヶ丘の多くの住人達が呼ばれ、緑ヶ丘に居を構える金田一耕助も招待を受けていた。

ロビンソン夫妻の温かい人柄を表すように、ほのぼのとした雰囲気の中でパーティは盛況を見せていた。

しかし、ここに1人の女性が登場したことで穏やかな空気が一変する。パーティの招待を受けてやってきたというその女性は、河崎泰子というロビンソン夫妻の妻・マーガレットの親友であった。マーガレットは、泰子にパーティの招待状を送っていなかったのである。

泰子は、この緑ヶ丘の住宅地に、かつて夫であった藤本哲也と住んでいた。しかし、哲也から一方的に離縁された泰子は、緑ヶ丘から立ち退かざるをえなくなった。

このような経緯があって、誰しも泰子がこのパーティに招かれるとは思っていなかったのである。泰子に対して厚い友情を感じているマーガレットは、別の場所でゆっくり別れの時を過ごそうと考え、泰子をパーティにあえて招待していなかったのである。

予想外の泰子の来訪からまもなく、哲也と新しい妻・多美子がパーティの場に到着した。

緑ヶ丘の住人たちはみな、2人が離婚したのは結婚生活に飽きた哲也が、一方的に泰子を捨てたものと考えていた。泰子の振舞い方からも、今でも藤本を愛しているような未練がましさも見受けられる。
そんな泰子と夫を伴い誇らしげな表情の多美子が、お別れパーティーの席で鉢合わせしてしまったのである。

わざとらしく親しげに挨拶を交わす2人を見守る出席者たちの間には、一時不穏な空気が流れた。

出席者たちの取り成しの甲斐もあって、再びパーティは盛り上がり始めた。

歓談のムードが漂う中、突然会場の片隅から悲鳴が上がった。泰子と並んでソフトクリームを食べていた多美子が倒れたのだ。ソフトクリームを床に落としたまま痙攣を起こしている多美子を介抱した金田一は、ソフトクリームに何か混入していたことを見抜き、すぐに胃の内容物を吐かせた。

金田一のとっさの判断が功を奏し、多美子は命は取り留めた。警察の検証の結果によると、多美子のソフトクリームに猛毒のストリキニーネが混入されていたことが判明した。多美子とともに同じソフトクリームを食べていた泰子には異常がないことから、疑惑の目は一気に泰子に向けられた。

後日、改めて催された「お別れパーティ」で、今度は哲也の命が狙われた。またしてもストリキニーネを使った犯行であった。泰子はそのパーティにも顔を出しており、パーティ終了後、不審な単独行動をとっていたことが明らかにされる。

女性向けに書かれた作品です!


この作品は、当時出版されていた女性雑誌「婦人公論」に連載されていた作品です。女性が対象の雑誌ですから、長すぎず短すぎず、残酷な描写もありません。「女の決闘」という題名もいかにも女性が飛びつきそうなものですよね。

堅苦しくない「親しみやすい文体」と「人の優しさ」が織り込まれ、始終アットホームな雰囲気が漂っています。その「アットホームさ」が放つ“光”と、元妻・泰子のもつ“陰”との対比が、女性読者の心を捉えて離しません。

「どこの夫婦にも少なからず問題がある」と言われますが、その問題は深ければ深いほど強く興味が引かれます。さらに、問題が歪であればあるほど「これはどうやら、普通の離婚ではなさそうね!」という「女の勘」みたいなものが喚起されます。

特に「元妻」と「現在の妻」が対面するシーンは、「元妻」と「現在の妻」がどのように対峙するのか、特に既婚女性にとっては展開が気になるシチュエーションです。「離婚」と「元妻」、そして「現在の妻」。複雑な人間関係に秘められている秘密は、いつの時代も女性たちの好奇心を刺激するのです。

哲也と泰子の正体に、驚かされます。

元妻・泰子と鉢合わしてしまった哲也は、容姿端麗のイケメンです。しかも哲也は流行作家でありながらスポーツマンです。

家庭的過ぎる泰子に嫌気を覚えた哲也は、地味な泰子を捨て、華やかな新しい妻・多美子に鞍替えしました。新しい妻に選ばれた多美子は、自分の魅力がより勝っていることを夫に認められ、誇らしい気持ちを抱いています。

夫に捨てられた「可哀相な」泰子は、多美子殺害未遂の容疑までかけられてしまいます。多美子は自分から夫を奪った憎い女ですから、泰子には殺害の動機が十分にあるといえるでしょう。若い女に夫を奪われた「可哀相な女」は悲惨な結末を迎えるのでした・・・。ん?本当にそんな単純なお話なのでしょうか?

泰子は単なる「可哀相な女」ではありません。

文豪・横溝正史は、こんなくだらない作品を書く作家ではありません。ネタバレ覚悟で書きますと、泰子は決して「夫に捨てられた可哀相な妻」ではないのです。では、なぜ泰子がこんな惨めな生活を余儀なくされているのかが気になりますよね。

「地味な泰子だから、イケメン夫には物足りない妻だった」哲也と泰子のそれぞれのキャラクター性から、周りが勝手に「泰子が一方的に捨てられたもの」として扱ってきたのです。
周りの人たちの優しさはありがたいものですが、こんな思い込みをされてしまうのは、かなり不本意ですよね。

しかし、その「勝手な思い込み」を、泰子はなぜか否定しませんでした。それは、自分の非を認めているからでもなく、夫の身を案じているからでもありません。どうしても明かせない真実を泰子はひた隠しにしています。その真実を知っている人物はただ1人、親友のマーガレットでした。

離婚にまつわる隠された真実が分かるのは、物語の最後の最後の、本当に最後です。その理由を、金田一が秘密裏に、そして優しく解明していきます。真実が露呈するとき、哲也と泰子の本当の姿も明らかになるのです。

今回の金田一、「大人の男」の立ち振る舞いがステキです♪

パーティの主役であるロビンソン夫妻の住まいは、緑ヶ丘の住宅街の中にありました。

緑ヶ丘は金田一の構える探偵事務所がある場所です。お世話になったご近所さんにむけたロビンソン夫妻主催のパーティに、金田一もお招きされていました。多美子が毒入りソフトクリームを食べて倒れたとき、応急処置を施したのは他ならぬ金田一耕助でした。

このような事態にすっかり馴れている金田一です。事件の証拠集めも、非常に的確です。そして事件解明への道筋も気が利いていて、大人の男らしいものでした。そんな金田一の姿は、女性にとっては間違いなく「理想の探偵の姿」であり、なにより「本当の大人の男の姿」でもあったように思います。

疑惑の渦に親友を置いて旅立たなければならないマーガレットと孤独な泰子、この2人の女性の未来を考えて、波風を立てぬよう気を配りながら、非常にスマートな方法で事件を解決したのです。

男の魅力は見た目?収入?それとも・・・?

この作品は「男というものは見た目や収入で判断できるものではない」という女性たちへの戒めを含んだお話であったように思います。哲也の正体が露わになるシーンは、女性が持つ「永遠の白馬の王子様思想」をものの見事に打ち砕いてくれます。

しょぼしょぼ探偵金田一と、イケメン・お金持ちの哲也との対比によって、読者女性諸氏も、自分のパートナーの素晴らしさを再認識させられるのではないでしょうか!?容姿や収入額で選んだ旦那様が、実はとんでもない男だった・・・という失敗談も、決して珍しいケースではありません。

そう、哲也の真実の姿は・・・「だめんず」です。哲也の恵まれた美貌は、2人の女性を見事に翻弄しました。哲也の「ためんず」っぷりは、その美貌によって帳消しにされていたのです。「あちゃー」と思ったときは時すでに遅し・・・。「女の決闘」は、女の浅はかさも浮き彫りにされる、「自由恋愛」が認められている現代日本ならではのお話なのです。

まとめ


金田一シリーズは、年を追うごとに現代の日本に近づいていく作品です。

これまでも、女性の姿の変化や、食生活の近代化に目を向けてきましたが、この作品には「近代化した金田一の世界」が顕著に現れています。女性の地位が向上したことだけではなく、国際化された日本の姿は、戦後間もない時期の作品とは比較にならないほど彩に溢れています。

パーティに並ぶ食材にも「カナッペ」や「レモンスカッシュ」、「ソフトクリーム」などの西洋文化らしいものが登場します。これまでの作品に登場した「もてなし料理」といえば、「いなりずし」(悪魔の手鞠唄)や「吸い物や酢の物」(八つ墓村)のような日本料理がメインでした。

外国の食べ物が食卓に並べられるようになったことからも、戦後の日本がいかに短期間で復興し、発展したのかがよくわかる貴重な記録だと思います。


支那扇の女 (角川文庫 緑 304-27)
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