今回は短編の「貸しボート十三号」をご紹介します。

短編の中ではかなり人気が高く「(金田一シリーズの中で)好きな作品」としてよく名前が挙がる作品です。その人気の理由は、他の作品にはない「爽やかな」雰囲気のせいだと思います。1970~80年代にかけて大流行した学園ドラマのような雰囲気、といえば分かりやすいでしょうか。

そんな雰囲気の中で、2人の男女の首切り殺人事件が起こります。2人の男女が死体で発見されたのは、湖に浮かべられたボートの中です。首を刃物で中途半端に切られていて、「その死体を見た人はその後3日間は食事が摂れなかった」と書かれるほどの惨たらしい状態です。

一見まったく無関係に見える「爽やかな雰囲気」と「陰惨な事件」が、どこでどうして繋がってしまうのか・・・?そこがこの作品の最大のみどころです。

「普通の大学生たち」を描く青春ストーリーです。

熱血や友情、そして恋愛をベースにして描いた作品です。

メインキャラクターは、X大学のボート部に所属している男子大学生たちです。これまでの作品のように「田舎の名家の息子たち」でもなければ「自称・芸術家のおかしな男たち」でもありません。ごく普通の、ちょっとマッチョな大学生ばかり。

横溝作品に「普通の男の子たち」ってあんまり登場していないですよね。(「悪魔の手鞠唄」の歌名雄の取り巻きくらいでしょうか?) 学生といえば、「蛞蝓と蝙蝠」に登場した、やる気のない学生・湯浅順平とか、「悪魔の百唇譜」に登場した乱れた高校生・園部隆治が頭に浮かびます。

横溝の描く若者に「爽やか」というイメージがなかったので、私にとってはちょっと珍しく感じられた作品になりました。

40代女性がかなりの○○!

死体が発見されたのがボートの中であったことに加えて、現場の状況などから「殺人犯はボートを漕ぎ慣れている人物である」と金田一は睨みます。

やがて、男の死体の身もとが判明します。彼はX大学ボート部のエースでした。一緒に見つかった女性は、40代の中年女性です。一見無縁とも考えられる大学生と中年女性にどのような関係があったのか、それも物語のキーになります。

結論を言っちゃえば、この40代女が結構なクセモノです。

「オバサンってほんとに嫌ね」というレベルではありません。同じ40代女として、ちょっと恥ずかしい女です。友達がこんなことをしていたら、間違いなく友達やめます。まるで最近のワイドショーを見ているようです。今も昔も、人は変わらないのですねえ。

「殺され方」が事件のカギを握っています。

女は最初に絞殺、そして心臓をえぐられています。男は先に心臓を一突きされ即死、その後で首を絞められています。

犯人はなぜ、すでに死んだ男の首を絞める必要があったのでしょうか?絞殺と刺殺、どちらも「強い殺意」と「突発的に起きた感情」が感じられますが、「絶命した後に首を絞める」これは「意図的な行動」であることに違いありません。しかも、その時犯人が非常に冷静であったことが窺えます。

人を殺して冷静でいられる、なにが犯人をそうさせたのかも気になるところです。

最初から、この殺人スタイルを計画していたのでしょうか。それとも犯人は人を殺したり、死体を傷つけることに対して快感を覚える「狂った人物」なのでしょうか。それとも、自分が殺したことをアピールする「刻印」を残したのでしょうか。

残念ながら、今回の作品はこのような「計画的殺人」や「猟奇的殺人」そのどちらでもないのです。

あらすじ


浜離宮公園にある湖に浮かんでいた1つの貸しボートから、男女2人の死体が発見された。それぞれが心臓部を抉られ、頭部と身体が中途半端に切られているという、惨たらしい有様であった。スーツとレインコートを着ている40代女性と、下着1枚だけを着用している20代の男性の不思議な組み合わせであった。

2人の首には、ひもで絞められたような痕跡が残されている。そして、2人ともが心臓部を刃物で刺されていた。当然2人とも同じ手順で殺されたものと思われたが、検死の結果殺害方法の手順は逆であることが判明する。女の方は、首を絞められた後に心臓を刺されて死亡しているが、男の方は最初に心臓を一突きされ、即死している。

つまり犯人は、すでに死んだ男の首を絞めて「絞殺」の痕跡をわざわざ付けたのである。

2つの死体の本当の「異様さ」はここからである。犯人は、首を絞め心臓をえぐった後、刃物で首に「中途半端」な切れ目を入れているのであった。首と胴体が完全に分離されていないため、生々しい首の切断面や大量の血に塗れた毛髪、被害者の苦悶の表情などがそのまま残されているのだ。犯人はそんな陰惨な死体をボートに乗せ、川に流したのである。

翌日の朝刊に、この凄惨な事件は大きく掲載された。新聞記事の反響によって、朝10時ごろ1人の男性が警察を訪れる。男の名は大木健造という中年男性であった。大木は、死体の身もとを確認すべく、死体との対面を希望して警察を訪れたのである。死体の写真を見た大木は、放心したように椅子に腰を落とした。

様子を見守っていた警察に大木は言った。「女のほうは、私の家内の藤子です。そして男のほうは、娘の家庭教師を頼んでいる、X大学のボート部の学生でボートのチャンピオンとして有名な男です。」

事件当日のアリバイを黙秘し続ける大木に、警察らの疑いの目が向けられる中、金田一だけはすでにX大学のボート部に対して疑惑の目を向けていた。

「あっはっは!」現場に響き渡る金田一の笑い声!


事件現場に響き渡る「あっはっは」という笑い声。その声は、1人から発せられたものではありません。「あっはっは」「あっはっは」。2つの死体を前にして、金田一と等々力警部が笑っているのです。一体、なにがそんなにおかしいのでしょう。

これは、おかしくて笑っているのではありません。もう、笑うしかないのです。発見された死体の、あまりの惨たらしい有り様に・・・。

多くの死体を見てきた2人に「もう笑うしかない」と思わせる死体とは、どのような死体でしょうか。

発見されたのは「首を切断“されかけた”男女2人の死体」です。「切断されかけた」というのは「完全に頭部を切り離されていない」のです。首なし死体も十分に恐ろしいですが、「頭部が中途半端に身体と繋がっている死体」の方がもっと恐ろしいです。何より、首なし死体には「死に際の苦悶の表情」というものがありませんからね・・・。

「首なし死体になるまでには、途中でこういう状態になるんですよという、そのおそろしい過程をまざまざと見せ付けているのである。」横溝正史は、2つの死体の死に様をこのように説明しています。中途半端な状態の死体の姿を「結果」ではなく「過程」として捉えると、さらに恐ろしさが増します。

首に刃物を押しつけ、皮や肉、さらには骨を切断していく。そんな「犯人の怨念」が、残り香のように死体にまとわりついているのです。異様な死体たちを見た時は、さすがの金田一たちも「もう笑うしかない」のかもしれません。

「カレーライス」が食べたくなる作品です。

さんざん「無残な死体」とか「陰惨な事件」とかを書き連ねておいて、急に「カレーライス」に話が飛ぶのもどうかと思いますが・・・。この「カレーライス」も、みどころの1つです。

「カレーライス」は、ボート部の学生たちのお世話をしている寮母さんのお得意料理です。寮まで聞き込みに来ていた金田一らに、「ぜひ試食してください!」と学生たちが薦めるほどの美味しさです。

おなかペッコペコの刑事さんたちは「せっかくのご厚意ですから」と、遠慮なくご相伴に預かってしまいます。カレーライスを食べながら聞き取り調査をするため、食べているシーンが非常に長いです。カレーの盛り付けからスプーンの上げ下ろしまで描写されているため、全員が食べ終わるころ(聞き取りが終わるころ)には、私の頭の中がカレーでいっぱいになっていました。(その日の晩御飯はカレーにしました。)

最後はちょっと切ない!

「ひとに見られてはならぬ場面を、よりによってもっとも見られたくない相手に見られた」これが事件の「発端」であり同時に「結末」でした。愚かでありながら、切なくもある。そんな終わり方です。

しかし、それはまだ「本当の終わり」ではありませんでした。「終わりを迎えたもの」に「もう1つの終わり」が付け加えられたのです。

「もう1つの終わり」が加えられた理由に、すべての人間が同情します。愚かな行為であるにせよ、その動機があまりに健気で、誰かを守るために考え抜かれた行動であったためです。

それは「友情と伝統を守りたい」という、スポーツマンらしさに溢れたものでした。(ちょっとネタバレしました!)切ない終わり方ではあるものの、最後に爽やかな風が吹く、そんな作品です。

まとめ


横溝正史は、子ども時代を兵庫県神戸市で過ごしました。

自宅の側を線路が走っていたために、行きかう電車に身を投げてしま人が何人かあったそうです。少年の好奇心も手伝ってか、横溝正史は生涯の中で、何度か「人の死体」を目にすることがあったそうです。今回の作品では、殺害された2人の死体の有り様が、臨場感たっぷりに?描かれていました。これは横溝正史の抱える「トラウマ」を吐き出したものじゃないかと勝手に推測します。

あまりの凄惨さに笑い出し、オチまでつけようとする金田一と等々力警部の姿は、まさに「実際の現場を見たことがある人」にしか書くことができない、絶妙な描写です。

大学生たちの友情や恋愛感情といった若者らしいストーリーが、この陰惨な雰囲気を少しだけ和らげてくれたように思います。


貸しボート十三号 (角川文庫 緑 304-30)
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