目の前に台本が一つ。

自分の役のところに「泣く」の一文字があったら焦りますよね。

その役に乗れれば、もしかしたら初読みでも「涙が出てしまう」ことはあるかも知れませんが、たまたま「泣けた」だけだと、本番で繰り返すのは難しいもの。

最初は無意識に出来たことも、意識すると出来なくなって、それがまた出来るところまで戻ってくるには、台本と真摯に向き合う必要があります。

私は舞台役者として、様々な舞台に立ってきましたが、作られた物語の中で、そのシーンが来ると必ず「涙が出てしまう」という体験は、物語と呼ばれる流れの速い水の中へ飛び込む“勇気”と“自信”を与えてくれました。

「泣く」演技に必要な、「台本を大事にすること」について、実体験を交えながらご紹介していきたいと思います。

人はなぜ「泣く」のか?


大人になるにつれて、泣くことは少なくなってくると思いますが、子供はすぐに泣きますよね。

そろそろ2歳になる姪っ子は、なんでも「自分のもの」だと言って聞かず、それを奪われると、火が付いたように泣き出します。

凄まじい思い込みですね。笑

この、子供の頃は誰でも出来たはずの「凄まじい思い込み」こそが、演技には欠かせないんです。

一番単純に考えて、「大切な何か」を失ってしまいそうな時に人は泣くわけですよね。
子供にとってはそれが、おもちゃだったり、丸めた新聞紙だったり。
歌を歌っていても、「それは自分のだ」と言って怒られます。笑

こんなにあっさりと、自分にとって「大切な何か」を信じられるのですから、台本に沿って出来ないはずはありません!(と思いたい!)

子供と大人の違い


子供は泣くのが仕事だと言われていますので、ただ泣けば良いのですが、大人はそういうわけにはいきません。

どうやって泣いているのか、子役へのインタビューなんかを読むと、「過去の悲しかったことを思い出して泣く」というのが多い気がします。

これは、方法としては分かりますが、大人がこれをやった為に、台本から外れた「身勝手な涙」になってしまうこともしばしば。

そもそも、自分自身の辛い過去なので、コントロールを失ってむせび泣いてしまい、稽古が中断するなんて事もあります。

理想はやはり、台本を大事にすることに尽きると思います。

泣くことに囚われない


「自分が泣くこと」に囚われて、周りのものが見えなくなると、台本から外れたり、仲間に迷惑を掛けたり、ということが起こり始めます。

素晴らしい演技をする役者さんほど、台本を大事にしていて、「自分が泣くことで、物語にどんな影響を与えるのか?」「それを通じて、観る人をどんな気持ちにさせるのか?」を考えているものです。

そういう役者さんは、台本そのものも大事に扱っていますし、稽古場や、舞台、衣装、小道具に至るまで、意識が行き届いています。

反対に、自分のことで精一杯になってしまう役者さんが、台本や小道具を置きっ放しにしているところをよく見かけます。

「何かを大事にする」気持ちが鈍ってしまうと、舞台の上で何が起きても、それを信じることが難しくなります。
当然、「大切な何か」を奪われたとしても、心の動きは鈍いままです。

そうすると、自分で考えてきた背景や設定を必死で思い出しながら「自家発電」するようになり、思い詰めた表情で「自分の気持ち」を説明するしかなくなってしまうのです。

結果として、どうやっても泣けなかったり、泣けたとしとも、観る人が不快を感じるような涙になってしまったりするのです。

客観的な目を養う!


演出家から泣き方が違うと言われたらどうしますか?

女優の深津絵里さんは、「今のシーン、気持ちを半分に抑えてくれ!」と指示が出れば、その通りに演技を変えることが出来るそうです。

映画『悪人』(2004日本)のなかでは、信じられないほどの悲しい事態に遭遇しながらも、実に軽やかな「泣く」演技を見せてくれました。

「張り詰めていた緊張が解けて、その場にへたり込んでしまいそうな震える涙」から、「悲しみの淵にあって尚、強い意思を秘めた、自分が泣いていることにも気づかないような、スーッとこぼれ落ちる涙」、「大切なものを今にも失いそうで、泣きじゃくりながら、それでも笑おうとする涙」、「絶望的な状況のなか、海に沈んでいく美しい夕日を眺めながら静かに流す涙」など、一体何種類あるのかというほど様々な「泣く」演技を、自分自身のなかに溜め込まず、自分と相手の間にポンッと出してみせるような、ちょっとでも状況が変わればすぐにでも笑ってみせられるような、無防備で軽やかで優しい涙の演技でした。

私は、共感や悲しみを超えたところで、なんて可愛いのか!と思ってしまいました。
可愛いとは、好き!というファン心理ではなくて、ここに生きているこの人は一体何なの!?という気持ちです。
(分かりにくかったら、ごめんなさい。笑)

良い役者さんというのは、「自分がどう見えているのか?」をしっかり見つめることの出来る「客観的な目」を持っていますので、決して泣くことが目的にはなりません。

もしも、泣き方が違うと言われたら、台本を読み直し、「心理」を訂正します。
心理が正しくても、立ち位置や、顔の向き、歪めた表情など、「見たところ」がおかしいということなら、その場での調整は必要ですが、声の量や言い方だけを調整することはありません!

気持ちを半分に抑えるように言われたとしたら、例えば、置かれている状況を考え直して、周囲をもっと意識するようにすれば、自然と抑えた演技に変わりますし、もしかしたらここで怒りの感情が交じっていてはいけないのかな?ということは・・・という具合に、さかのぼって心理を探っていくわけです。

舞台上で泣いた話


台本をいくら読んでも心理が分からないことは多々あります。
そんな時は、実際にシーンを演じながら見付けるしかありません。

私が、「母子家庭育ちの主人公」を務めた舞台劇で、その日初めて会った「腹違いの弟」が、自らの生い立ちを皆に語っているのを、後ろで静かに聞いているというシーンがありまして、私はセリフの無いシーンをどのように演じたら良いか悩んでいました。

話されている内容についても、会ったばかりの設定ですし、何度耳にしてもあまり実感が湧かず、黙って聞いているしかありませんでした。

とにかく真剣に聞いているしかないかなと思っていたのですが、ふと、自分には始めからいなかった「父」の名前の一部が、その子の名前にも入っていることに気が付いたんです。
もちろん、自分の名前には入っていません。

突然、胸が冷たくなったのを、今でもはっきりと覚えています。そんな悩みは台本に書かれていないことですし、そこで初めて「父」がいないことに、途方もない寂しさを感じたのです。

それからは、そのシーンが来る度に同じことを考えてしまい、涙が浮かんで仕方ありませんでした。ここでなら、キャラクターの背景を想ったり、自分の過去の記憶から、身体にたまった疲れとか、一人で寂しく家にいたことなどを思い出したりすることで、いくらでも「泣く」演技をエスカレートさせていけますが、ここで泣いてしまうとシーンが崩れてしまうので、必死でこらえていました。

その代わりに、ただ聞いているのではなく、岩のようにじっと動かない寂しさで、そのシーンを支えることが出来たと思います。

まとめ

自転車に乗る練習と一緒で、自分が確かに「役に乗れた」という経験は一生消えません。

「泣く」演技を求められても、むりやり泣こうとするのではなく、とりあえずサドルにまたがって、ペダルをこぎ出すように、まず物語の進む方向を見て、それから考えたり、周りを見たりと、行動を起こすことで、自然と目的地に到達できるようになります。

後ろで支えていてくれる人が必ずいますので、安心して物語のなかへ飛び込んでください。
まっすぐに進みたいのに、進めないから泣けてくるのです。
登場からずっと思い詰めていた人が、最後に泣いても仕方ありません。

途中から急に胸が冷たくなることもありますし、台本を信じて、舞台の上で楽しく生きようとしていれば、脚本家は意地悪ですので、必ず嫌な目に遭わされて、泣きたい気持ちにもなってしまうでしょう。